私の周りで冷えとりをしている男性はあまりいません。
冷えとりをするようになってから、劇的にいろいろな症状が起こらなくなりと同時に、眼球の痛み、腹部の痛みというめんげんが現れるようになりました。
それでも冷えとりを続ける....それは確実に成長している自分がいるからです。
今日の記事は、冷えとりをする男性の方に向けて、あるいは冷えとりをご主人にしてもらいたいという奥様に向けて、私の冷えとり5年目の頃の体験を綴ったものです。
腹部の痛み
眼球の痛みの次に奇襲してきたのは、右下腹部の痛みでした。
まさに奇襲と呼ぶにふさわしい、凄まじいまでの痛みでした。
初夏の夕方、家族で近くの神社で行われている盆踊り大会に向かう途中にその予兆は起きていました。
この時のわたしのスタイルは、Tシャツに短パン、サンダルです。夏の暑い時期は自宅にいるときは我慢して靴下を履いてましたが、外では、目一杯薄着でした。
歩いていると、チクッ、チクッっと右の下腹部に刺したような痛みが走るのです。
ん?なんだろう?
最初はその程度でした。
会場で盆踊りを目一杯踊って、ビールをガブガブ飲んで、フランクフルトやら焼きそば、焼き鳥を食って、また踊っていっぱい汗をかいて、またビールをガブガブ飲んで。
自宅に戻り、お風呂に入って汗を流して冷房をガンガンに効かせた寝室でぐっすり良い気分で床につきました。
午前2時。
突然、何者かが寝室に侵入してきてドス(ちなみにドスの語源は『脅す』だそうです。どうでもいいけど)で、いきなりわたしの右下腹部を突き刺してグリグリとえぐりました。
ウギやああああああああアアアアアア〜!!!!!!!!!!!!!!!!
助走なしの凄まじい激痛。悶絶。溢れる脂汗。
わたしは茜さんと音が横でぐっすり寝る寝室を這うように出てリビングに向かいます。
うああああああああ〜ん…ぅぐぐぐぅ…。
声を出さずにはいられませんでした。
わたしは盲腸の痛みだと思いました。間違い無いだろうと。てことは、この痛みは朝まで我慢すべきか?救急車を呼ぶべきか?
うぐわああああああアアアアアア〜ん。
これは、ダメだ。死んでしまう。そう思ったわたしはすぐにパソコンを開き、近場の救急病院を探します。
そして、電話。下腹部の症状について電話で話しました。電話に出た当直の医師は、痛み方、箇所、症状から、
「尿管結石の可能性がありますね。すぐに来ていただいてもかまいませんが、痛み止めを飲んでも効かない可能性があるし、石を出してしまわないと痛みは取れません。本当に尿管結石なのか、エコー写真で石のある場所を特定しないといけないので、朝までなんとか我慢して、病院に行くのが一番いいですよ」
そうおっしゃるのです。
ちなみにわたしの父は、尿管結石で悶絶したことが何度かありますので、
「なんだよ!遺伝かよ!グワァ!」
そう思い込みました。
わたしは、それから一睡もできず、激痛が治まる気配もないまま、陸にあげられた海老のように身をよじっては反るを繰り返していました。水をがぶ飲みし、噴き出る汗でシャツとタオルを何枚も濡らし、朝になって起床してきた茜さんと音を驚かせました。
この当時、茜さんも、まだ、
「どうせそれ、めんげんでしょう?」
と、達観できるほどの境地には達していませんので、かなりの心配顔です。
もし、今同じことを言ったら、
「ふん」
と、鼻で笑われて、
「めんげん」
この一言で終わりですけどね〜。
まず最初に、かかりつけの内科医院に行きました。触診していただき、患部を特定し、エコーで内部を見ます。
腎臓から尿管、そして、膀胱のあたりまで。その間、わたしはこれ見よがしか!と、突っ込まれてもおかしくないくらい、痛みに顔を歪めています。脂汗はずっと出っ放し。もうびちょびちょ。
でも、先生は、
「痛いのここだよね〜。おかしいな〜。ないんだよな〜。石。ここでしょ?」
指をぐっと食い込ませます。
「そうどえ〜〜〜〜スワッ!アがががぁあああアアアアアア〜!」
「だよね〜。ここ痛いんだよね〜。普通、石だよな〜。でもないんだよな〜。これかな〜?」
エコーには腎臓内部に小さな白い影がポツンと見えています。
「でも、こんなに小さいんじゃ、こんなに痛いはずないんだよな〜。でも、痛いんだよね〜ここ(指をグイグイ食い込ませる)」
「はいいいいいいいい〜〜〜」
「だったらこれしかないな〜」
しかし、やはり正確にはわからないということで、泌尿器科の尿管結石に強い病院を紹介してもらうことになりました。レントゲンを撮りなおして、その写真を持って、その足で、紹介していただいた病院へ向かいます。
しかし、そこで、おしっこと血を調べてもらい、写真を改めて撮り、詳しく見てくけれど、
「ないですね〜」
「腎臓に写っている白い点のようなものは?」
「こういうのはよく写りますけど、石じゃないんですよ。石だったら、はっきり写りますからね」
「でも、痛いんです。めちゃくちゃ痛いんです」
「う〜ん。でも尿管結石ではないですよ。盲腸でもないしな〜」
「こういう患者さん、来ます?」
「あまり、こういうケースはないですね〜。それだけ汗を掻いてるわけですし、相当痛そうですもんね」
「痛いんです。本当に」
「まあ、一応、写真に写らない細かい石がたくさんあるのかもしれないし、たくさんお茶やお水を飲んでたくさんおしっこしてみてください。おしっこの時、もし、尿道が痛くなるようしたら、石が出たってことだし」
「はあ…」
それから、激痛の日々は約1ヶ月近く続きました。
痛みはある日突然止まったのではなく、徐々に薄らいでいくように消えていきました。以来、一度もあの痛みは起きていません。
全く何だったのか?
眼の痛みは今でもありますが、右わき腹の痛みはただの一度もないのです。
「めんげん」と、思えばそうだったのかもしれませんが、説明はつきません。
ただ、「夏のビールは怖いな〜」そういう意識が刷り込まれました。あの出来事をきっかけに、ビールを控えようと意識したことは間違いないと思います。
痛風になっても、尿酸値が高くても、
「薬もらってんだから、薬飲めばいいじゃん」
そう思っていたのに、ビールをがぶ飲みして下腹部の痛みが襲ったあの夜の恐怖は、私の中に、
ビールのがぶ飲み → 下腹部の痛みに直結
という、公式が出来上がりました。
これは、私が人として、成長したから、柔軟になったからできたことではなくて、単に、ショック療法です。
眼球の痛みと下腹部の痛みは、そのどちらも、目覚まし時計で頭をぶん殴られるような感じでしたから、この痛みを忘れることはないでしょう。
そこから始まる湿疹、痒み、肌荒れ
下腹部の痛みを意識しなくなってきた秋の始めから、また、靴下をしっかり履くようになると、ついに例のアレが出始めました。
そうです。みなさんと同じ、足の痒み、腫れ。ふくらはぎから太ももにかけての赤いブツブツ、痒みです。
最初は左足の薬指でした。
なんとなく痒いな〜と、ポリポリ掻いていたら。ポリポイポリポリ……ポリポリポリポイ……ポリポリポイポリ……ポリポリポリポリポリポリポリポリポリ止まらんやないか!!!
気がつくと、足の指が真っ赤になって倍に膨れ上がっている。針でちょいと突いたら、ドピュッと血が噴き出してくるんやないですか!?
てなくらいにパンパン。
それでも、痒い。もう、痒くて痒くてたまらない。
ポリポリベリッ。
すぐに皮がむけて赤い皮膚が剥き出しでござる。
痛い!でも、痒い。だから、ポリポリベトッ。
そこから透明な汁。臭うとくっさ〜〜〜。臭い。
痛い!臭い!でも、痒い。だから、ボリボリベトたら〜。
あ〜あ、とうとう血が出てきちゃった。もう最悪。
でも、痒い。痒い痒い痒い痒い痒い痒い。ず〜〜〜〜っと痒い。掻いても掻いても痒いんだも〜〜〜ン。
ふと気がつくと、
あれ?小指も腫れとるやないの〜。もうやだ〜。
ポリポリポリポイ…。
こういう日常が延々と続くのです。
1ヶ月も経つと、スネ毛が全部抜け落ちていました。私がずっと掻いてるから摩擦で抜け落ちちゃったんですね。
あ〜あ。だったら剃っちゃお〜。今時のツルツル男子になっちゃお〜。
でも、ツルツルにはなってくれない。赤いブツブツが脚の全体に広がっているから、ただただグロテスク。隠してくれていたスネ毛がなくなちゃったから、剥き出し。
てか、どうせ、脚を見せる機会もないんですけどね。
まあ、そんな調子で、掻けども掻けども一向に良くならない。むしろ、見た目は悪くなる一方で、そのうち、掻くという行為が、完全に生活の一部になってしまいました。
でも、
「こんな思いをするなら、冷えとりなんか、やめてしまいたい!」
とは、なりません。だって、ここまで体験したことのない体の異変が、今後、どうなっていくか、見てみたいじゃないですか、この際。
とことん付き合ってやろうじゃないの〜。
そして、冬が近づくと、一気に靴下を4枚履きにして絹のタイツも履くことにしたのです。
引くな!痒ければ攻めろ!
そんな感じなのかな〜。
だって、せっかく始めたんだし、別に靴下履くだけだし。
女性は、それだけでも大変だと思います。ヒール履けないし、足も脚も出せないし。
でも、男は、夏でもスーツの時は基本靴下履いているわけだし、暑苦しそうな靴履いていても違和感ないし。
そういう意味では、冷えとりって、男性の方が抵抗ないと思うんですけどね。
でも、やらないんだよね。
なんでだろう?
男で、健康に細かいのって、かっこ悪いのかしら、やっぱり。
でも、40〜50代になると、大抵の男性は一度は大きな病気を経験しますよね。そうすると、その後、必ず健康オタクのようになる。
そっちの方がかっこ悪いと思うんです。
だったらむしろ、大病をしても、
「俺から女は奪えても、酒とタバコは奪えないぜ」
なんてちょっと頭の悪いことを言っている男の方が断然かっこいいと思いますよ。
流れに逆らって成長を止める男。
これはこれで、見ようによってはかっこよかったりしますよ。オススメはしませんが。
人間の成長について
身体の成長は、だいたい二十歳くらいまでと言われていますよね。脳の成長もそれと同じ。そこからは、ただただ死に向かって衰えていく。伸びた身長も50を過ぎたあたりから縮んでくる。60を過ぎたら味覚まで衰えてくるそうです。70を過ぎたら、全盛期の3分の1の機能を失っているそうです。
どんなに頑張っても、この流れはどんな時代でも変わらないのですね。
にもかかわらず、
人間が生きるのは成長するためだそうです。
それは、どんどん衰えていく身体を補うべく、人間が成長していくからです。
と言っても、脳の機能そのものは確実に衰えている。
では、どこを成長させているというのか?
思考です。心です。生き方です。
それを成長させてくれる教科書は?
経験です。
その経験とは?
過去に経験したことの繰り返し、焼き回しではありません。
新しい経験です。
そこで学んだことと、かつての経験で学んだことの融合によって、新しい思考が生まれ、新しい経験が生まれ、新しい生き方が生まれるのです。
ずっと以前から楽しいこと、面白いことをいつまでも同じように繰り返していても成長はありません。
あの天才、イチロー選手でさえ、毎年、毎年、新しい練習に取り組み、新しいフォームに取り組み、慣れない経験を身体に叩き込んで自らのものとするために、全身全霊で自分を追い込んでいます。
それは、確実に衰える身体を維持するためではなく、失ったものを他のことで補い、さらにその上をいくパフォーマンスを手に入れるために新しい自分を作り出そうとしているのです。
思考を変え、心をより豊かにし、生き方をさらなる高みへと押し上げようとする向上心です。
それは、イチロー選手のような天才じゃなくてもできます。
と、いうか、
誰もが、知らず知らずのうちにやっているのです。
衰える記憶力、衰える判断力、衰える運動能力。それらを補うために誰もが、当たり前のように無意識に今まで経験したことのない新しいことをやっているのです。
人間は、無意識に新しいことができているのに、意識下では新しいことを拒むという変な癖があります。
よく言うじゃありませんか。
「騙されたと思ってやってみな」
「騙されたと思って食ってみな。うまいよ」
って。
そういう時って、
「食ってみる」
でしょう?
案外「やってみるでしょう?」
どうしてですか?
言ってる相手が、プロだと信用しているからですよね。
例えば、かなり以前、冷えとりのことがほとんど知られてなかった時代、誰も冷えとりなんてやらなかった。
最近では雑誌で取り上げられて、今大人気の有名女優さんも結構やっています。そのことで、女性でやる方がすごく増えました。
そういう意味では、女性の方が柔軟なのだと思います。
例えばこれが、どこかの内科医だとか整形外科医がこぞって、「冷え性を治すのに有効ですよ」と、言い出したとします。
そうなると、もっともっと増えると思います。
それでもやらない人が、最終的に大きな病を患って、最終的に助からないと宣告されて、藁をも掴む思いで冷えとりに行き着いたとします。
それでうまくいったとします。
どう思いますか?
「よかったよかった」
と、思いますよね。
でも、もし体の状態は少しは良くなったけど、最終的に助からなかったとします。どう思いますか?
「もうちょっと早くに気がついていたら」
そう思いますよね。でも、それだと手遅れです。
だから、その前に、
「よかったよかった」
と、思う出来事があったのなら、その時に気がつかなくてはならないのです。
次、同じような状況になって、幾つか選択肢があったとしたら、自分の選んだものをやることはもちろんなのですが、
それ以外の選択肢も検討する勇気を持つことがものすごく大事になるのです。
わかりますか?
自分がやりたいと思うことだけをやり続けることは決して悪いことではないけれど、
自分がやりたいと思うことだけをやるのは、自分を小さくしてしまう。
つまり、
自分を小さくしか成長できなくしてしまうのです。
「自分には向いてないよ」
そう思うことにもチャレンジしてみる気持ちを持つことが、ものすごく大事なんです。
冷えとりが気づかせてくれたこと
冷えとりは、わたしに気づかせてくれました。
冷えとりを始めて、9年経って、わたし自身がいちばん変わったことは、じっと静かに動かず、動じず、熟考するということができるようになったことです。
それまでのわたしには、行動も、思考も、どこか落ち着きがないというか、短絡的というか、すぐに結果を求めるあまり、人様の忠告や有難い意見にほとんど耳を貸さずに生きてきたようなところがありました。
その原因は細かいことを言えばたくさんありますが、その細かいことを生んでいたそもそもの原因まで遡ると、導き出される答えはたった一つしかありません。
それは、
”冷え”
です。
身体の中。いわゆる身体の芯が冷えているのだから、心も冷えていたのです。
身体の芯の冷えは、物理的な意味ですが、芯の冷えきっている人間の心だけが暖かいなんてことは、やっぱりないのです。
まだまだわたしの冷えは全然取れ切ってはいませんが、5年前より4年前。4年前より3年前。3年前より去年。去年のわたしより今のわたしの方が、全然、身体の芯は暖かい。
それは断言できます。
だからこそ、このブログを始めることができ、しっかり継続できたのだと思っています。
文章を書くという仕事は孤独です。
もし、心が冷え切っていたら、わたしはこの孤独を持続できなかったでしょう。続けられても、この時間を心から楽しむことはできなかったかもしれません。
この孤独から得られるものは、実に素晴らしいものです。
1年前より確実に成長したわたし。
つまり、
新しいわたしを得られました。
現在の私の冷えとりは、冷えとりコーディネーターの茜さんがまとめてくれました。
これを読むと成長しているなと感じます。
▼ぜひ読んでくださいね▼
病気のデパートだった夫が冷えとりで医者いらずになるまでのまとめ
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)