切迫早産しそうになった上に、胎児が斜頸かもしれないと宣言され、覚悟を決めていた私たち夫婦ですが、出産直前に何事もなかったかのように正常胎位にクルリと戻ってしまいました。
なぜ、あんな胎位でお腹の中にいたのでしょう?
奥さんはあの当時冷えとりを知らなかったし、仕事のストレスで心まで冷え切っていたから、羊水が冷たくて居心地が悪かったのはないかと思っています。
ところが、医学的には全くわからず、このことは学会でも発表されることとなりました。
誰にとっても、出産は奇跡で特別なことです。今日の記事は、赤ちゃんからのメッセージで私たち夫婦が考えたことをお伝えしたいと思います。
前回までのお話はこちらをご覧くださいませ。

子供を授かることは、わたしの病気から始まっていた

上の写真は、2001年6月3日。わたしの病気が判明したときの写真です。センター右の丸い白いものが脳腫瘍です。
この写真を見た瞬間、わたしは助からないと思いました。
この直後、わたしは奥さんに電話を入れ、
「何があっても覚悟だけはしといてね」
と、伝えました。電話を切った奥さんは、
「病気が治ったら、すぐに子供をつくろう」
そう思ったそうです。
そして、正常だった左耳の組織のすべてを犠牲にし、腫瘍を摘出。手術は成功し、助かりました。
それから、3年半後に、奥さんは妊娠し、ついに娘は生まれようとしていました。
胎位異常は最後の最後まで謎だらけ
「ん〜、でも、やっぱりわからないんですよね〜。昨日とはまったく違う赤ちゃんになっちゃってるんですよね〜。なんだろう。指で押しても押し返してこないし、素直に丸まっているというか、昨日まではなんだったの?って感で」
「もう大丈夫なんでしょうか?」
「うん、ぜんぜん大丈夫。だって、もういまは、普通に臨月を迎えた赤ちゃんだもん」
「グルリってお腹で回転したんですよ」
「ママがそう言うんだからそうなんでしょうね〜。う〜ん。よくわからないな〜」
「でも、もう大丈夫なんですよね」
わたしも奥さんも念をおします。
女医さんの興味は、やはり医学的に解決できていない疑問のようです。
「理解しようとは思っているんですけど、医学的に不可能と思われることが2度も起きているっていうのは、やっぱり理解できないんです。医学で、確率ってものすごく大切なんですけど、長期間、お腹の中で首が反り返った状態だったにもかかわらず、身体的に正常でいられたという事例は過去にほとんどありません。臨月に入ってその首が自然に戻る確率も極めて低い。しかも、赤ちゃんが自力で戻しているんですよね」
「わたしは寝転がって笑っていただけでした」
「臨月になると、赤ちゃんの体も大きくなっています。頭も、外へ出てくる準備のために子宮口へ下がってきます。だから、子宮内部はそうとう窮屈なんです。赤ちゃんは手足を伸ばすだけでもけっこう大変なんですよ。そんな状態で、反り返った首を自力で戻すってことが物理的にできるのか。考えれば考えるほど無理だと思うんです。しかも、その時間は一瞬ですよね」
「回転したのは一瞬でした」
「…………、ごめんなさい。まったくわかりません!」
「自然分娩で産めるんですよね?」
「産めます。ぜんぜん問題ありません。ただ、もちろん、予断は許しません。もうかなり下がってきていますので、いつ生まれてもおかしくない状態です。正常な状態に戻ってから時間が経っていませんから、赤ちゃんにはもう少しお腹の中でゆっくりしてもらいたいんです。体重もまだ2500グラムを超えていないので、今だと未熟児になります。せめて2500グラムを超えるまではお腹にいてほしい。おい、きみ!(お腹に向かって)もう少しだけお腹の中でおとなしくしててね。あなたのママはまだ体力が回復していないし、あなたもまだ小さいから、もう少し大きくなるまで我慢するんだよ!わかった?」
台風だって、生まれて来るための貴重なメッセージ
先生が、そう赤ちゃんに叫んでも、赤ちゃんはどうしても早く生まれてきたかったようです。頑固というか、イケズというか…。
その翌日、先生が触診で状態を調べると、さらに、赤ちゃんはいつ出てきてもおかしくないところまで下がってきていました。だから、先生も、
「わかった。きみはもう出たいんだね。じゃあ、お母さん、今日からもう普通に歩いたり出かけたりしてみてください。陣痛がきたり破水がおきたら、すぐに病院に行くように。ただし、5日後に出てくるのだけは止めてね。先生は、他の病院の診察日だから、その日だけはきみを取り出すことができないの。だから、その日以外にしてちょうだい。先生は、しっかりきみの顔が見たいから。お願いね」
自然分娩といっても、奥さんの場合はやはり特殊な例ということで、大きな総合病院で産むことになったのです。女医さんが、施設の小さい自分の病院で産むのは心配だと、大きな総合病院で産める手はずを整えてくれました。突然、入院ということになっても、その病院から女医さんへ連絡が行き、女医さんの手で取り上げていただくということになったのです。
そして、4日後、東京には久しぶりに大きな台風が直撃しました。
そうです。前回東京に上陸した11年前のあの台風です。
「この子、明日、出てくるよ。あなたも覚悟しておいてね」
奥さんがついに宣言しました。
「台風が来たから?」
「そう。今日、急激に気圧が下がったでしょう。だから、間違いなく明日生まれるよ。台風の翌日は保育器が赤ちゃんでいっぱいになるって、どっかで聞いたもん。だから、明日の昼は、なにかおいしいものを食べに行こう。ぜんぜん外に出られなかったし、まったく外食もできなかったでしょう。だから、明日は、思い切りおいしいものを食べるの。また、しばらく外食できなくなるし」
汗ばむような蒸し蒸しした日々がうそのように、台風一過の朝は、肌を刺すような強い日差しがまぶしくて、爽やかな強い風が吹いていました。わたしたちは久しぶりに二人でのんびりと近所を散歩しました。
奥さんは、住宅街にある小さなカレー屋さんに入りたいと急に言いだしたので、そこに入りました。
「なんで、このタイミングでカレー?昨日は、思い切りおいしいもの食べるって言ってたじゃん」
「店の前を通ったら急に食べたくなったんだよね。前から気になってたんだ、この店」
「わたしは違う意味で気にはなってたけど」
「えっ?おいしくないの?この店」
「うん。たぶん」
「あなたがそう言ったら絶対当たるもんね。……、でも食べたいんだよ」
わたしたちは、結局、そのお店に入り、奥さんはタイグリーンカレーを。わたしはヨーロピアンカレーを食べました。ちなみにメニューには、インドカレーってのもありました。日本のカレーはないんかい!と、心の中でツッコミを入れていたら、なぜか、ナンが出てきました。なんでナン?なんナン?しかも、明らかに、焼いたナンではなくて、チンしたフワフワのナン。ナンでもいいわ!
「やっぱり美味しくないね。厄落とし厄落とし」
そう言いながら、静かに食べましたが、どっちも本当にすごくまずかったです。胃もたれするほどに。
その夜、わたしは、どうしても行かなければならない用事があり、自宅から電車で1時間の場所におりました。
夜、8時半。わたしの携帯に電話が入りました。
最後の最後まで、意表をついて、ついに出産!
「なんか〜。オシッコみたいのがとめどなく出てくる。どうしよう」
奥さんの声は動揺しきっていました。
「わたしが帰るのを待っていたら時間がかかるから、すぐにタクシー会社に電話をしてタクシーに来てもらってタクシーに乗って病院に向かって。手ぶらいいから。病院にはこっちから電話を入れておく」
「途中で出てこないかな〜?」
「大丈夫。すぐにタクシーを呼んで、タクシーの運転手さんに事情を話して、安全運転で病院に行くんだよ」
わたしは、電車に飛び乗り、いったん自宅に帰り、荷物をまとめて病院へ向かいました。到着したのは午後10時。
奥さんは、病室で横になっていましたが、起きていました。
とっても、穏やかな表情です。
「どうなったの?」
「破水はしたけど、陣痛が始まってないからまだぜんぜん産まれないみたいだよ」
「そうなんだ。よかった〜。荷物全部まとめて来ちゃったよ」
そこへ、看護師さんが現れました。
「ご主人ですか?産まれるのは明日の夜以降になると思いますから、いったん帰っていただいていいですか?」
「えっ?いま来たばっかりなんですけど」
「でもね、もうこんな時間だし。どうせ、明日にならないと陣痛も始まらないから泊めることはできないんですよ」
仕方がありません。わたしはいったん、帰宅することにしました。
「今日は女医さんいないけど、明日だったら大丈夫だし、よかったよ」
「そうだね。そういう意味では、よかったかもね。じゃあ、今日はゆっくり休みな」
「でも、興奮してるから眠れそうにないんだよね」
「でも、これからが一番体力を使うところだから、しっかり寝てないと。じゃあ、帰るね」
「うん。わかった。じゃあ、あたしちょっとトイレに行ってくる。破水してから、オシッコなのか破水の水なのか、なんなのかよくわかんないのよ。気持ち悪くて」
そう言って、起き上がろうとしたときでした。
「あいたたたた…」
「どうした?」
「お腹が痛い…」
「えっ?陣痛始まったんじゃないの?」
「このタイミングで?この子だったらありえるね。あいたたたっ。ちょっとマジで痛い」
ナースコールのボタンを押して、看護師さんを呼びます。
「どうした〜?陣痛始まっちゃった〜?」
のんびりした感じ(を出してくださっているのでしょう)で、看護師さんがやってきました。
「お腹いた〜い」
「そうか〜。始まったか〜。11時すぎね〜。じゃあ、ちょっとお腹見せてもらおうかな〜」
「あの〜ぼくは?」
「ご主人は帰っていただいていいですよ〜。いまから12時間くらいはかかるから、明日の午前中に来てもらえたら大丈夫〜」
そう言いながら、奥さんの股を開き、覗き込みます。
「あれっ!?あ〜ご主人。帰っちゃあダメだわ。これ生まれちゃう。もう頭が見えちゃってるわ〜。ちょっと、早すぎる早すぎる。ちょっと、立ち上がれる?急いで分娩室、行こうか」
「えっ?もう生まれるんですか?」
「だって、頭、見えちゃってるんだもん。お母さん大丈夫?歩ける?」
「歩けない〜。ア”〜」
もう悲鳴をあげ始めました。
そこから、どうやって分娩室に入ったのやら…。記憶を辿ると、分娩室に入るなり、男性のお医者さんから、ご主人は隣の部屋で待つように言われ、納戸のような小さな部屋に通されたこと。生まれる直前になったら呼ぶのでここで待っててください、と言われたこと。分娩室に入るなり、人間の言葉とは思えないような、断末魔の雄叫びのような声が響き渡り、あまりのオゾマしい声色に、
「これ、ほんとうに奥さんの声?野生動物みたいだな。すげえな〜」
と、逆になんだか、おかしくなってきて、笑いがこみ上げてきたこと。ビデオを準備しなきゃと、慌ててカバンから取り出したら、とたんに、
おぎゃ〜おぎゃ〜
と、例の声がしてきたこと。
「え、うそ。誕生の瞬間は?」
おぎゃ〜おぎゃ〜
「おめでとう!元気な女の子だよ〜!ワ〜!キャ〜!」
そういう祝福の声や歓声が、わたし抜きで沸き起こっていること。
おいおいマジで?感動の誕生の瞬間は?わたし、忘れられてない?そしたら、
「あ、お父さんお父さん」
と、声がしてきて、慌てて看護師さんがやってきて、
「お父さん、もう生まれちゃった〜。こっちこっち」
おいおい…、こっちこっちって…、そうなの?そんな軽い感じなの?
分娩室に入ってみると、すでに、お包みにくるまれて、おとなしく寝息を立てている我が子がおりました。
奥さんは、びっくりするくらい、生き生きとした美しい顔をしておりました。
その瞬間、なんだか悟りました。
おい、母親ってすごいな〜

その後の奥さんは子宮脱、赤ちゃんは黄疸、そして、学会発表というおまけ
翌朝、病院に行ってみると、赤ちゃんは保育器でスヤスヤと寝ておりました。奥さんは、起きていましたが、体は重そうで調子も悪そうです。わたしが着くなり、
「トイレに行ってくる」
と、行って、辛そうに歩きながらトイレに行き、戻ってくるなり、
「なんかさ〜。股から雑巾みたいな、脱脂綿みたいなのがチロリって出てきてるんだけど、なんだろう。取り忘れかな〜」
「え〜?」
先生に病室に来ていただいて、診察してもらうと、
「これ、子宮ですね。子宮脱おこしちゃったんだな〜。陣痛が始まってから生まれるまで30分だったからね。子宮も肉離れ起こしちゃったんだね。これじゃ、しばらくはじっとしておいたほうがいいな〜」
「30分で生まれるってすごいことなんですか?」
わたしは聞きました。
「すごいっていうか、お母さんにとっては、すごい痛いってことですよ。普通は、陣痛が始まってから出産まで平均15時間程度かかるんです。15時間ゆっくり時間をかけて骨盤が開いていくわけですよ。それが、30分で、バキッてまっぷたつに一気に開いたわけです。よく骨盤が折れなかったもんですよ。股も裂けるし、そりゃ子宮も一緒に出てきますよね」
「先生、わたし、過去に脳腫瘍の手術をしていて、医者から、赤ちゃんを産む痛みより辛いって言われた痛みを経験したんですけど、それくらい、痛い感じですか?」
「普通の出産の軽く10倍は痛かったと思いますよ。普通の人だったら失神してます。お母さんは本当に強い」
(わたしは、出産の30倍痛いって言われたからな。勝った)男ってバカだから、本気でそんなこと考えるんですよ。
その二日後、赤ちゃんに黄疸が出て、退院が三日遅れ、退院しても、奥さんにはしばらく安静が必要だということで、わたしはさらに3ヶ月間、仕事を休むことになりました。
結局、女医さんに取り上げてもらうことはできなかったけれど、後日、連絡があり、この一連の経緯を産婦人科学会で発表をしたいので、エコー写真とかデータを使わせてもらってもいいか?との、連絡が入りました。
女医さんは、
「海外で、同じような例がないか調べたけれど、やはり、今回のようなケースは一例もないんです。極めて特殊なケースだから産婦人科学会では、貴重なデータになると思います」
そう仰ってくださいました。お役に立てたことが少しだけうれしかった。この女医さんにも7年ほど前に女の子が生まれたそうです。彼女の長くつらい不妊治療の日々はおわりました。
動物病院の女の子は、昨年、女の子を出産しました。奥さんが出産した歳と同じ、37歳での初産です。
極めて特殊な例は、誰にでも起きている
今回のケースは、
医学会では、極めて特殊な例
だったのかもしれません。
でも、
初めての妊娠や、出産を控えた女性にとっては、これから起きることのすべてが、特殊な例
です。
わたしたち夫婦は、これしか知りません。
でも、これが、わたしたちの普通です。
わたしの病気がわかってから、手術、完治。そして、子作り宣言、妊娠。そして、胎児の異常、職場での奥さんへのマタハラ、パワハラ、助産師の暴言。そして、出産、産後の肥立ちにいたるまで、穏やかにゆったりとした気持ちで過ごしたことは1日もなかったかもしれません。
でも、そのおかげで、
普通では、気がつかないような、メッセージに気づくことができたのです。
- 不妊治療
- マタハラやパワハラ
- 産婦人科医や助産師の言葉による暴力
- わたしと父の関係
- 胎児からの数々のメッセージ
すべてがクリアできたわけではないですが、妊娠出産という、時期を過ごす中で、たくさんの壁がわたしたちを迎えてくれました。その壁は、高い壁ではあるけれども、必ず、乗り越えられる壁として、登場してくれたのだと思います。
親となるために成長するチャンスをいくつも与えてくれていたのでしょう。
奥さんは”高齢出産”だったけれども、それが、わたしたち夫婦にとっては、一番良いタイミングだった。
と、いうことなのでしょう。
写真の娘は11歳です。
好きな食べ物は、ハンバーガー、ラーメン、焼き鳥。
好きな男の子は、まだいないそうです。
将来の夢は、アーティストになること。

次回のお話は、娘の2歳7ヶ月のときの、ちょっとしたエピソードです。
高齢出産妊婦さんの苦悩7|出産後のスピリチュアルな子供の記憶をご覧くださいませ。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)