私は勉強が大嫌いな子供でした。
大人になってからもっと勉強をすればよかったと後悔することも多かったのです。
そんなわけで子供には勉強が好きになってもらいたいと思っていました。
勉強ができる=成績がいいという意味ではありません。
学び、成長する楽しさを知ってもらいたかったのです。
今日の記事は、子育てで最も力を注いだ子供を勉強好きに育てる方法をお伝えしたいと思います。
実際にこの方法で子供は算数がとても好きになり、理系の学校に通うこととなりました。
親の子供時代の勉強法
わたしの子供時代の勉強
わたしは父がものすごく怖かった。
高校の古典の教師だった父は、教育指導の専門家でもありました。水泳部の顧問としても全国大会に出場するほどで、いわゆるあの時代の、”熱血先生”。
そう言うと、なんだか聞こえはいいですが、父も他の教師同様、態度の悪い生徒には鉄拳制裁 !
と、いうことは、自宅でも、鉄拳制裁!
親からのお小遣いは当時の同学年の小学生の平均の半分以下。唯一買ってもらったゲームは生き残りゲーム。
まあ、それはいいとして、一番、悲しかったことは、
一切、本を買ってもらうことができなかったということでした。
自宅の父の書斎の本棚は、古典の全集や、海外文学全集、日本文学全集でびっしり埋め尽くされていました。一冊づつきちんとケースに納められていて、表紙には薄いセロハンカバーがかかっています。本を開くと、ページ1枚1枚がとっても薄くて、小さな字が2段でびっしり。しかも、字が旧字体のまま、ひらがなの「え」が「ゑ」みたいな。
挿絵が、劇画すぎて怖い。『トムソーヤの冒険』なんて、インジャンジョーが本当に怖かったんですから…。
「先週出た◯◯という本が読みたい。だから、買ってほしい」
こうお願いしても、
「まずは、これを全部読んでみろ」
強要されることはありませんでしたが、読みたい本は買ってくれない。虫が住み着いていそうな本なんか全然読みたいと思わない。
もちろん、読みたいと思う文学もありました。
「我輩は猫である」「坊ちゃん」はできれば読みたい。もちろん、その全集に入ってますけど、字が旧字体のままなので、簡単には読めない。だから、読まない。
結局、それらすべての全集の中で、ちゃんと読んだのは芥川龍之介全集くらいでした。
だからというわけではありませんが、父の言葉に反発するように読書をこばんでいたわたしの国語の成績は、ずっと中の下。
「ひろし!ちょっとテスト見せてみろ!」
父からそう言われ、解けなかった箇所を見せると、
「なんでこんな問題がわからんのか!」
と、最初から怒るモードで、
「どこがどう理解できないからわからない」
という、わたしの説明をまったく聞こうともせずに、
「じゃあ、ちょっとこの問題を解いてみろ」
父が即興で作った問題を解けと言います。
わたしが考えている間、閻魔大王のように、解けないわたしを怒鳴る構えで横でじーっと見ているから、わたしは問題に集中するどころか、その後の父の言葉が怖くて怖くて、問題を解くどころではありません。
父は、最初っから解けないという大前提で、解けないわたしを再確認にするためにちょっとレベルの高い問題を出しているし、わたしはわたしで、父が、解けずに困窮しているわたしを念頭に置いていることに気がついているから、解くことに神経を集中できない。つまり、最初からわたしのレベルでは解けない問題を解けと言っているわけで…。
まあ、父にしてみれば、そういう少しずつ高い壁を設定して、それを超えてくれという思いがあるからだと思うのですが、わたしには、そこまでの能力というか、忍耐力というか、集中力というか、そういった総合的な力がなかった。
そのことを、父もわたしもわかってないから、
「なにもかもが、不公平だ!だって、最初から俺を怒りたいんだろ!できない俺を肴にストレスを発散したいんだろ!」
そう思って、ただただ反発する。
それって、とっても不幸な親子関係だと思います。
だから、わたしには自分の子供に勉強を教える自信がありませんでした。
奥さんの子供時代の勉強
奥さんのお父さんは、大手新聞社で定年まで勤め上げたサラリーマンです。だから、奥さんが、
「本を読みたい」
と、言うと、いくらでも何冊でも本を買ってくれたそうです。
母は、美大卒。
つまり、典型的な文系家系。
だから、まったく数学ができない。できないというか、
1+1=2
なんだけど、
「なぜ、2なのか、なぜ3じゃないのか?」
「そもそもどうしてそんなことをやらなくてはいけないの?電卓があるのに。」
と、いうことに、疑問を感じる子供だったのです。
それを、親に聞いても、学校の先生に聞いても説明してもらえない。
「1+1=2だからだよ。理屈なんてない!」
誰もがそういうけれど、自分ではまったく納得できない。納得できないと前に進めない。前に進めないから、どんどん算数に対する疑問ばかりが増えていって、ついていけなくなる。
そういう子供だったのです。
中学生になると、x(エックス)、y(ワイ)だけでなく、α(アルファ)とか、β(ベータ)とか記号の入った計算が出てくる。そうなると、もう宇宙空間に突然投げ出されたような恐怖感が襲ってきて、あとはただただ数式をボ〜ッと眺めているしかなかったそうです。
だから、奥さんは、数字アレルギーです。
つまり、わたしも奥さんも、
学校の成績自体は悪くはなかったのですが、
- なぜ、そうなるのか?
- この勉強が将来なんの役に立つのか?
- なぜ、自分は勉強をするのか?
と、いうことをしっかり考えたうえで勉強ができていた。
という、子供ではなかったのです。
勉強は嫌いだけど要領だけはよい。
そういうタイプだったので、
どうやれば、テストの結果がよくなるか?
と、いうことには長けていたかもしれないけれど、本当の意味で理解できていたかというと、そうではない。
ただただ、
要領の良い子供だったのです。
だから、自分の子には、
どうやって教えたらよいのかまったくわからない。
残念ですが、子供の勉強は教師次第。教師の力は偉大
音が、小学校3年生になって1学期終了時、もらってきて通信簿を見て、わたしも奥さんもびっくりします。
音の成績が、ものすご〜く下がっていたのです。
「成績下がったね〜」
「だって、勉強嫌いなんだもん」
「2年生のときまで勉強楽しいって言ってたじゃん」
「授業がものすごくつまんないの」
理由は歴然。
「担任の先生が大嫌いだから」
1年生、2年生の担任の先生は大好きでした。音が2年生で、いじめられたとき、本当に親身になって相談に乗っていただいて、何度も連絡をやりとりして解決に導いてくださいました。
そういう素晴らしい先生も、公立小学校にも必ずおられます!
ただ、3年生になってからの担任の先生は、わたしたち親から見ても、かなり手抜き。ここまで、きちんと子供の話を聞かない先生もいるんだ?と、呆れるほどでした。
みなさん、残念ながら、本当に子供のことをなんとも思っていない先生もいます!
本当に残念ですが…。
音の3年時の担任の先生は、いわゆる、捨て台詞を言う先生でした。
どういうことかというと、字のまんま、子供に対して捨て台詞を言うのです。
ある日の授業参観日、わたしたちが観ている前で、音が先生に質問しました。先生の説明の意味がわからなかったようで、音は、
「先生、今のは◯◯ということですか?」
それに対して、その先生は、こう言ったのです。
「そういうことじゃないんだな。じゃあ、次の質問は?」
え?えええええぇ〜!?
結局、音が質問したことには何も答えてはくれません。もちろん、音はその授業の間、そこにずっと、置いておかれたままになりました。
それが、音に対してだけではないんです。どの子に対しても同じ。
先生は、黒板を使って説明をして、
「質問ありますか〜?」
と、聞きます。生徒は、手をあげてわからなかったところを質問します。それに対して先生は、
「はい。違いま〜す。次!うん、惜しい、次。そうじゃないんだよ〜。次」
そう言って、結局、正解を教えてあげないのです。
家に帰って、音ちゃんに聞きました。
「結局、先生はいつ、正解を教えてくれるの?」
「それが教えてくれないだよ。だから、全然わからないの。授業が全然おもしろくないし」
「じゃあ、先生は、わからない生徒に対してなんて言うの?」
「教科書に書いてありますからしっかり読んでくださいって」
「それがわからないから聞いてるんだよね。それじゃあ、わからないね。つまんないはずだ」
学校の先生を責める気持ちはまったくありません。
本当に真剣に取り組んでくださる先生はたくさんおられます。
でも、
残念ながら、適当に子供をあしらうように扱う教師も確実にいるのです。
夏休みに親と先生の面談がありました。このときのわたしと先生のやりとりをそのまま書きます。
先生「(挨拶して、いきなり)なにかお聞きになりたいことはありますか?」
わたし「そう聞かれてもわかりませんが…」
先生「そうですか……(しばしの沈黙)」
わたし「(沈黙に耐え切れず)あの……、学校での音の様子はどうなんでしょうか?」
先生「そうですね。特にありませんが、ひとつだけ気になることがあります」
わたし「なんでしょう?」
先生「授業中に、突然、意味のわからない質問をすることがあるんです。それは、授業の流れを妨げるのでそういうのはやめてほしいと思います」
わたし「よくわからない質問というのは具体的にどういう質問ですか?」
先生「授業とはまったく関係のない質問です」
わたし「具体的には……?」
先生「なんか毎回そうなんですよね。授業と全然関係のない。そういうのは困るんですよね」
わたし「はあ。音にどう言えばいいんですか?」
先生「どうなんでしょうね〜」
わたし「……。でも、それは子供にとっては、授業に関係があるから質問しているんじゃないんですか?質問の仕方が上手じゃないだけということはありませんか?」
先生「どうなんですかね〜。よくわからないですけど」
わたし「……。結局、どういうことなのかよくわからないんですけど」
先生「まあ、たいしたことではないですから」
わたし「……授業の妨げになっているなら大したことですよね」
先生「まあ、子供のことですから」
わたし「……」
結局、この先生はなにが言いたかったのか?
わたしから逆に質問をされて、それらしいことを言わなきゃいけないと焦って、思いついたことを適当に言った。
おそらくそういうことだと思います。
残念ながら、こういう先生もいるということです。だからと言って、なにもこの先生が特別ではないということです。
小学校は6年もあります。担任の先生は毎年、変わります。
子供と相性の良い先生もいれば、よくない先生もいる。それは選べません。
ただ、1、2、3年生のころは、まだ反発する意識も薄く、先生の言う言葉すべてが子供にとっての真実です。
だから、その時期に相性のよくない先生と1年間過ごすというのは、子供にとってはものすごい苦痛になるのです。
その結果、当然、勉強が嫌いになります。
嫌いになると、成績が下がります。
それを、親が責めると、
「自分は頭が悪いんだ…」
と、自分を責めるようになります。
そんなとき、親はどうすればよいのでしょうか?
親が子供に勉強を教えることは、本当に正解なのか?
学校に文句を言いますか?
担任を吊るし上げますか?
わたしはそれは得策だとは思いません。
そんなことをしても、先生の能力は上がりません。
子供が、勉強好きになるわけでもありません。
そこで、わたしたちは、初めて悩みました。
勉強ってどうやって教えればいいのだろう?
正直、まったく考えてなかったのです。
ただ、ひとつだけ確実に言えることがあります。
それは、
- 先生が嫌いになったから、勉強が嫌いになった。
- 勉強が嫌いになったから、成績が落ちた。
だったら、
勉強が好きな子になってくれればいい!
好きと思える先生に出会えればいい!
親の勉強方法が子供にハマらない時には?
勉強ができる子供にするのに、一番大切なことは、たったこれだけ!
勉強が好きな子になってくれればいい!
好きと思える先生に出会えればいい!
これこそ、まさに言うは易し。達成は困難を極めます。
どうしよう……。
「そうか!親が、自分が、好きと思える先生になればいいのだ!」
そう考える親は少なくありません。
特に、学歴の高い親の場合。
でも、
ここで、注意しなくてはならないことがあります。
中途半端はダメ!と、いうことです。
中途半端は、子供が混乱を招きます。
どういうことかというと、
「父親であるわたしが、子供の頃に好きだったやり方で勉強を好きになるようにしてみせる!」
「母親であるわたしのことを子供は大好きだ。だから、わたしが教える!」
と、意気込むのはよいですが、
自分の勝手な思い込みで、押しつける。
と、いう結果になってはいけないということです。
それを試してみるのはとっても良いことだと思うのですが、子供がそのやり方にハマってないと感じたら、
「どうしてできないの?」
「どうしてこのやり方でわからないんだ?」
と、攻めるのではなくて、
勇気ある撤退を迅速に行う。
ということなのです。
何度も申し上げますが、
子供にとって、親は絶対の存在です。
子供にとって、親は神なのです。
その親から、やれと言われたこと。できるのが当たり前だと言われたこと。が、できなくて、
「なんでできないの?」
「おまえ頭悪いのか?」
そんな言葉をかけられると、誰が、その傷ついた心を慰めることができますか?
もう誰もいなくなるのです。
それって、とても不幸だと思いませんか?
唯一の逃げ場である家庭が、自分をさらに追い込む場になるって。
だから、自分のやり方が、子供にハマってないと感じたら、
子供を叱るのではなく、
勇気ある撤退をしてください。
あらゆる勉強方法を子供に試すこと
勇気ある撤退をしたら、また新しいの方法を試してみればよいのです。
すると、思いがけなく、そのやり方に子供がピッタリハマるケースもあるのです。
たとえば、
これは、人から聞いた話ですが、
人間には、知識を記憶するのに、文字情報タイプと絵や映像情報タイプのふた通りあるといわれているそうです。
つまり、小説は大好きだけど漫画は苦手というタイプ。それとは逆に漫画が大好きだけど、小説は大嫌いというタイプに分けられると。
わたしや奥さんは完全に前者ですが、音は完全に後者。
わたしは、漫画を読むのがとっても苦手で、絵と吹き出しの中の字をどう見たらいいのかいつも悩んで、目が絵と吹き出しの間を何度も行ったり来たりするので、一冊のコミックを読み終わるころには、ものすごく疲れてしまうのです。だから、わたしはほとんど漫画を読みません。
一方、音は小さいころ絵本が大好きだったのに、児童小説を読む年齢になると、まったく本を読まなくなってしまったのです。
図書館に行っても、小さいころは絵本を何時間でも読んでいたのに、いまでは、気がつくと漫画を読んでいます。
だから、あるとき、音は後者のタイプではないかと気がついてからは、教育に良いと言われているような漫画を借りてきて読ませるようにして、
「漫画を読みすぎないように」
と、あまり言わないようにしました。
そのころから、国語の成績が上がってきたのです。
漫画の量ではなくて、いろんなタイプの漫画を読ませるようになると、苦手だった小説も、漫画を題材とした児童小説だったら読むようになり、漫画原作の児童小説を勧めると、好んで読むようになりました。
それに、比例するように国語の成績がどんどん上がっていったのです。
単なる偶然かもしれませんが、
少なくとも、
漫画は音にとってハマるアイテムであるということです。
「漫画はダメ」
と、決め付けるのではなく、なにが、その子に合っているのか?なにが、ハマるのか?
それを探すのも、親の努力だと思うのです。
ただ、漢字の成績は相変わらずよくありません。
「漢字を覚える」と、いう行為がとっても苦手なのです。
これを、どう克服するかは、まだ大きな課題です。
子供に勉強好きになってもらうために
勉強好きになってもらうためには、どうすればよいのでしょうか?
これはもうプロに聞くしかない!
そう思って、わたしたちは、いくつかの有名私塾に行って先生の話を聞くことにしました。
その結果、音の場合は、集団生活や人と競うことが得意ではないので、
マンツーマンの塾に通う。その中で、相性のよい先生を見つけて、先生を好きになってもらって、勉強を好きになってもらう。
そういう結論に達しました。
正直、塾は大変大きな出費です。
でも、それが音にとって、最善の方法だとわたしたちは結論づけました。
子供は、一人一人みんな違います。
正しい勉強法、勉強を好きになる方法、集中力が高まる方法など、一人一人みんな違います。
我が家で正しい方法が、別の子供でも、正しいのか?
正しくない場合の方が多いかもしれません。
大切なのは、やはり、
子供を観察して、子供にあったやりかた、子供が喜ぶやり方、子供が楽しんでできる勉強法、子供が勉強を好きになる方法を見つけてあげることです。
親が全部、宿題を教えてあげる必要はまったくありません。
親の時代とはまったく違うのです。
あらゆる可能性を考え、あらゆる方法を見つけて、いま、親のあなたが正しいと確信を持てる方法を選べばいいのです。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
その後、音は塾での勉強が大好きになり、算数がとても好きになって、中学受験を経て、理数コースの学校へ進学することとなりました。勉強が楽しいというような子供に成長しました。
詳しくはこちらもご覧くださいませ。
風宏の心の冷えとりコーチングはこちらもご覧くださいませ。
風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。