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毒親に育てられた娘と母の相互依存4 親と距離を置くのはいいことか?

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母親が子供のいうことをすべて聞いてきたのは、自分の思うとおりにしたかったから。

今日の記事は、母親が子供の奴隷になってしまった友人を例に母と娘の相互依存を考えるものです。

引きこもりのお子さんを持つ親御さんや、親に支配されているあなたに向けて、自分の人生を生きるために親との関係を見直すことを私は強くオススメしたいと思います。

母親が娘の奴隷になる場合

「ごめんね。今、家の前に着いたんだけど、どうしても娘がお家に帰りたいって言い出したからこのまま帰るね。ごめん、この子、言い出したらきかないから。迷惑かけちゃうから。本当にごめんね」

「新しいたまごっちを買うために徹夜して並んじゃった」

「ピアノをやりたいって言うから始めたんだけど、もうやりたくないだって。今はバイオリンやってるの。ピアノどうしよう? ただの粗大ゴミになっちゃった」

「学校に行きたくないって言っている日には学校に行かなくていいよって言ってるの。だって、本人が行きたくないって言うのに、無理に行かせるのも教育上どうかなって思って。別にいじめとかそういうことじゃないと思うんだけど。熱もないけど、行きたくないっていうんだから仕方ないよね」

わたしの友人のミチルさん(仮名)は、決して子供を叱ることはありませんでした。彼女は子育てに確固たる信念を持っていて、

「子供は褒めて育てる。やりたいことは何でもやらせてあげる」

が、口癖でした。当時、わたしにはまだ子供がいなかったので、それが正しいのか正しくないのかは、わかりませんでしたが、感じたことをそのまま口にしてミチルさんに伝えていました。子供がいなかったからこそ、そういう無神経なことが言えたのかもしれませんが・・・。

ミチル「わたしは子供のやりたいこと、子供の意思でこうしたいってことをちゃんと聞いてあげることが大事だと思うの。わたしもお母さんからそうやって育てられたから」

わたし「だからと言って、たまごっちを買うために夜中に並ぶのはどうかと思うよ」

ミチル「だって並ばないと手に入らないんだよ」

わたし「1ヶ月も待てば普通に店頭にたくさん並ぶんじゃないの?それじゃダメなの?」

ミチル「その時にはお友達はみんな持ってるじゃん。うちの子だけ持ってないっていうのは良くないのよ。仲間はずれにされるし」

わたし「本当にそうなの?そんなことで仲間ハズレにするの?そう思い込んでいるだけじゃないの?」

ミチル「子供の世界は大変なんだよ。親がきちんと守ってあげないと」

わたし「それはもちろんそうだけど、なんかそれって違う気がするよ…」

ミチル「宏くんも親になればわかるよ」

10数年前のミチルさんとの会話です。

それよりもっと前、彼女の娘が3歳の頃、ご主人と娘の3人で初めて私たちの家に遊びに来た時のことです。

彼女は静岡に住んでいて、朝早く車で家を出てちょうどお昼頃に我が家に着きました。わたしはお昼ご飯を作り、招待する準備を整えて待っていたのです。しかし、約束の12時を過ぎてもなかなか来ません。

「遅いな〜。どうしたんだろう?」

「渋滞でもしてるんじゃない?」

「だったら必ずそう連絡をくれる子なんだけどな〜」

そんな会話をしていたらわたしの携帯電話が鳴りました。ミチルさんからです。

「ごめんね。今、マンションの下にいるんだけど、娘がお家に帰りたいって聞かないの。だから、このまま帰るわ。本当にごめん」

わたしは慌てて下に降りました。車の後部座席では子供が激しく泣いてます。癇癪を起こしたような激しい泣き方でした。

「どうしたの?おじさんのお家でちょっと休んで行く?」

「ヤダ〜!!かえるぅ〜!!おうちにかえりたぁいいいいいいい〜!」

「こうなのよ。宏くんごめん。迷惑かけると悪いから帰るわ」

「ただ疲れて眠たいだけだと思うよ。しばらく泣いたら泣きやむんじゃないの?このまま帰る方が辛いんじゃない?」

「でも、この子泣き出したら何言ってもダメだから。家に帰るまで永遠に泣き続けるから」

そうして、そのままとんぼ返りで静岡まで帰って行きました。

「子供ってあんなに大変なの?」

「そうなんだろうね〜。でも、普通は帰らないよね。わざわざ来たのに」

「そうだよね〜」

茜さんとそんな話をしている時は、「親って大変だな〜」

心からそう感じたのを思い出します。

しかし、その後のミチルさんの子供への接しかたを見て、

「どこか間違っている」

そう感じるようになるまで時間はかかりませんでした。彼女は完全に子供の奴隷でした。

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いい子に育つけれど、弱い子に育つ。

ミチルさんの娘さんは素敵なお嬢さんに育ちました。

そして、誰からも、”一卵性母娘”言われるほど、どこに行くにも二人は一緒でした。

父親が単身赴任で長い間、家を空けていたということもありますが、買い物に行くにも旅行に行くにもどこに行くにも一緒。娘さんが習い事をするときにはミチルさんも一緒に始めるといった具合。

娘さんも何をやるにもミチルさんの許可を得てから、ミチルさんの許しが出たことだけやるような、そういう素直なおとなしい子に成長していました。

例えば、わたしの家に遊びに来た時なんかも、テーブルの上に盛ったスナック菓子と母親の顔を黙って交互に見ています。

その様子に気づいたわたしが、

「いいよ。食べても。どうぞ」

そう言うと、再び母親の顔をじっと見る。ミチルさんが、

「食べたいの?」

と、聞くと、「うん」と、うなずき、

「じゃあ、いいよ食べても」

ミチルさんがそう言うと、

「ママありがとう!いただきます!」

ひとつひとつ、母親の許可を取って次の行動に移る。そんな感じでした。まるで号令を待っているような感じです。

その後、娘さんはミチルさんが通っていた大学までエスカレーターの私立中学校に通うために母と娘だけでミチルさんの出身地へ引っ越します。

お受験のために小さい頃から色々な習い事をして、その中で書道が趣味になりました。

中学校には見事合格。書道部に入り、中学2年生になると部長にもなりました。しかし、熱心さがたたって腱鞘炎になってしまうのです。しかもかなり重度です。医者から筆を持つことを止められました。

それでも、書道部には顔を出していましたが、部員から無視をされるといういじめが始まりました。

娘の様子に異変を感じたミチルさんは学校に抗議に行きます。

「娘がいじめられている」

学校は厳重に監視しますと約束をしますが、いじめは止まりませんでした。中学3年生になる頃には不登校になり、ミチルさんのご主人や両親、周囲は公立中学校への編入を進めますが、ミチルさんは大反対します。

「公立中学校では、もっともっと激しいいじめがあるから意味がない。わたしはこの学校で大学まで行って、楽しかった思い出しかないの。今はそういう状況かもしれないけれど、ここの先生はきっといじめを止めてくれる。だから、この学校に通うのが一番いい選択だと思う」

そう言って聞きませんでした。その言葉に、娘さんは何も異を唱えなかったそうです。

何とか卒業することができ、高校に入れば新たに外部から受験で入ってくる子達もいるので環境も変わる。そう考えたミチルさんは娘さんを学校に送り出します。しかし、いじめをしている生徒もそのままずっと一緒なのです。

結果は同じでした。

通い始めて一ヶ月登校することすらできませんでした。再び不登校になり、引きこもります。それでも、ミチルさんは、公立高校への編入を考えませんでした。

「なんとか娘にこの高校の卒業生になって欲しいの。だから頑張ってもらいたい。これは、わたしの夢でもあるの。娘と中高大って全部一緒。そうなることがわたしの夢だったの」

それに対し、娘は、

「ママの言うとおりにするよ。わたし頑張るから」

だからと言って、頑張れないときは頑張れないのです。

本当に逃げなければならないときには逃げなければならないのです。しかし、悲しい話ですが、あんなに簡単に子供を逃がしていたミチルさんですが、この時ばかりは子供を逃がしてはあげませんでした。

子供がどうしたいかではなく、自分のやりたいことを優先したのです。

子供の夢ではなく、自分の夢を優先したのです。

「大丈夫だよ。ママの言うとおりにしていれば、きっとうまくいくから」

ミチルさんにとって、娘さんは一体何なのでしょう?

「ものすごく大事な娘」であることは間違いないはずなのに、ものすごく傷つけてしまうのはどうしてなのでしょう?

大事な娘を大事に育てているはずなのに、その結果、娘を壊してしまっているのです。

結局、娘さんは高校1年生の時に退学してしまいます。当然といえば当然なのです。彼女をいじめていた同級生もずっと一緒にいるのですから。完全に対人恐怖症になり、引きこもります。もちろん、公立高校に編入することも叶いませんでした。

その間、周囲は、

「何か専門学校に通ったりアルバイトに行ったり、少しでも社会と触れ合えることをさせたほうがいいんじゃないの?」

そうミチルさんに助言しますが、

「娘にはどうしても大学までは卒業してもらいたいの。頭のいい子なんだよ。だから、通信教育をうけさせて大学入学試験検定に受かれば大学に行けるでしょう?大学に行ったら、開放的な環境できっと良くなると思う」

それを聞いて、「うん、そうだね」と、納得する人は誰もいませんでした。しかし、ミチルさんの娘さんに対する愛情もわかっていますから、もう誰も彼女に助言はできませんでした。

二十歳の時、娘さんは大学入学試験検定に合格します。しかし、大学にはいきませんでした。理由はわかりません。

検定試験に受かった頃、ミチルさんは周囲に、「大丈夫。これでなんとかなる」と、嬉しそうに話していたのですが、その後、一切、娘さんのことを話さなくなったのです。周りも聞くことができません。

私は娘さんがいじめに合う直前、14歳になった時、たまたま二冊の本をプレゼントしていました。

一冊は、福田和也氏著の『価値のある人生のために ~若き友への手紙~」(小学館文庫)

そして、もう一冊が、池田晶子氏著の、『14歳の君へ ~どう考えどう生きるか~』(毎日新聞社)

この本に出会った時、わたし自身、

「14歳の時、この二冊の本に出会っていたらどれだけ救われていただろう。自分のことが大嫌いで何一つ自信が持てなかったあの頃に読みたかった…」

そう感じていたからです。彼女にプレゼントしたのは、本当にたまたまだったのですが、その後、娘さんの本棚の本は五冊くらいしかないのに、この二冊も含まれていたことや、家を引っ越した時もこの二冊の本だけは大事そうにダンボールに入れていたとミチルさんから教えてもらったことがあります。

その後、彼女は一度くらい、この本を読み返してみてくれたのでしょうか?

でも、やはり、わたしはこう思うのです。

子供にとって、どんなに良い本も母親には勝てない。母親の影響が一番強いのだ。

と。

母親ではなく、同じ女としてみている母親

囚われの身 ~母と娘の相互依存〜1」で、茜さんと母親の関係について書きました。母親は、茜さんに今でも、

「あなたにはわたしと妹の面倒を見る責任がある」

と、いうようなことを言っています。そして、

「あなたは金遣いが荒くて暴力を振るう父親に本当によく似ている。だから、信用できない」

とも。

茜さんの母親は、茜さんに夫のことを重ねて見ているのです。だから、すべてお酒にお金を湯水のように注ぎ込み、家には全くお金を入れなかった夫の罪の償いを茜さんにさせようとしているのではないかと思うのです。

茜さんは、お酒は嗜む程度。外に飲みに行くことはありません。宝飾品に全く興味がないし、収集癖もない。唯一の趣味である読書は図書館で借りる。

私から見ても、かなり質素です。

そんな生活を50年近く続けていても、まだ、母親は「信用できない」と言う。わたしから見れば、信用できないといい続ける根拠が全くわからないのです。

これは、一体何なのでしょう?

ここまでくると、

ただのいじめではないかと思っています。

つまり、

嫉妬から来るいじめです。

茜さんの母親は、自分の母親、つまり茜さんの祖母からも同じような仕打ちを受けていました。その結果、不幸な人生を送った自分と同じ人生を送るだろうと予想していたのかもしれません。

母親は、ことあるごとに、

「私のような人生を送らないために結婚してはダメ。世の中の男はみんなクズなんだから」

と、茜さんに言い聞かせてきました。茜さんはそれに逆らい(別に逆らったわけではないのですが)結婚しました。結果、暴力を振るわれることもなく、お金に困ることもなく、幸せに暮らしています。母親としては嬉しいのかもしれないけれど、女としては許せないのかもしれない。そう思うのです。

母親の言うことを聞いて幸せになったのならまだしも、逆らって幸せになった。

自分を完全否定された。

それも許せないのかもしれません。

わたしは未だ不幸なのに、茜だけが幸せになっていく。

そこに嫉妬しているのかもしれない。

わたしはそう思います。

親子だから同じだと考えるのはあまりに短絡すぎる

一方、ミチルさんは、

「娘にもわたしと同じように幸せになって欲しい」

そう願って、自分の人生と全く同じ人生を歩ませようとしました。それは、間違ってないし、母親として当然の願いです。

でも、ミチルさんはそこで、なぜか、

「自分と同じように」

に、強くベクトルを合わせすぎてしまったのです。

「自分が母親にされたのと同じようにしてあげて、自分と同じ学校に行って、自分と同じ趣味をやらせてあげて」

「自分と同じように」

そこにばかり、彼女はこだわり続けた。

そこではなくて、ミチルさんは、

「娘に幸せになって欲しい」

そこにもっとベクトルを合わせるべきでした。

「じゃあ、娘が幸せになるためにはどうすればいいのか?」

それを娘本位で考えるべきでした。なぜなら、娘は、ミチルさんの遺伝子を受け継いだ正真正銘の娘ですが、コピーではないからです。

一人の人間なんです。

同じ親子でも、育ててくれた両親がそもそも違います。生活環境が違います。経済面でも違うのです。

そんな母娘が全く同じ人間であるはずがないじゃありませんか!!!

自分にとって、楽しかった趣味が娘にも楽しいはずだと思い込むのは勝手ですが、それを強要するのは、親のエゴです。

自分は勉強ができたからと言って、子供も自分と同じようにできると思うのは、親のエゴです。

最近では、血液型のタイプだけで人のことを判断すると、ブラハラ(ブラッドハラスメント)と言われるようになりました。

であれば、

親が、親子だというだけで子供の性格とか、運動能力とか学力を勝手に決めることも十分ハラスメントだと思います。

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親は子に従うべきだと思い込んでいる親にははっきりと言うべきです。

囚われの身〜母と娘の相互依存〜2」に登場した椿さんの母親は、椿さんのことを奴隷だと思っています。子供なんて思ってはいません。同じ女とも見ていない。幸せになって欲しいなんて、これっぽっちも思ってないのです。

死ぬまで自分だけが幸せでいたいのです。

そういう親もいる。

悲しいですが、そういう親もいる。

実にたくさん、そういう親はいるのです。

でも、子供の時に、そういう親に反抗することも、抵抗することも、逃げ出すこともできません。

それどころか、子供はそんなことを思っていません。

そんな母親のことを、ものすごく愛し続けています。

でも、その愛に応えるつもりのない親もいるのです。

そんな親に対しても、子供は我慢して、親の面倒を見なくてはならないのでしょうか?

その答えを出すことは、とても辛く、苦しい問題です。

逃げるわけではありませんが、その答えを出すのはわたしではありません。

ただ、

そういう親に値しない親もいるのだと言うことを苦しんでおられる方には知って欲しいのです。

そして、そういう親に対して苦しんでおられる方は、どうか、我慢しないでください。

どうか、我慢しないでください

我慢しなくてもいいんです。

親に言いたいことは本音で言ってください。

親はわかってくれないかもしれない。でも、だからと言って、我慢はしないでください。

例えばの話です。

茜さんは、父親を捨てました。心の中で。

その方法として、彼女は10年前、自分と両親との物語を書きました。原稿用紙にして150枚くらいです。それは誰にも読ませてないし、私も読んでいません。

その時、茜さんは、

「は〜。スッキリした〜!」

そう言いました。

10年経って、去年、今度は父親に手紙を書きました。

思いの丈を全て便箋にしたためて。何十枚も。

その手紙は出していません。

でも、

「は〜。書いたらスッキリした〜!」

そう言いました。

「これが、わたしの親の断捨離

茜さんは、茜さん自身を手紙を書くことによって、救っています。

(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)

他にもおすすめの本は、青木さやかも!涙が出るほどつらいけど読んでよかった『毒母ですが、なにか』山口恵以子著も是非ご覧くださいませ。

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