自分の子どもが、
「いじめっ子かもしれない…」
初めてそういう疑いを持ったお母さんが、しっかり見極めなければならないことは、
子供の乱暴や暴言が、
成長の過程での一過性のものであるか、いじめの初期段階であるのか、見極めなければならないということです。
3歳くらいになると、男の子は仮面ライダーやウルトラマンに成りきり、母親を怪獣に見立てて思い切り突進してきたり、背中に飛び蹴りをしたりする時期が必ずあるでしょう?
母親は最初はびっくりしますが、父親にしてみれば、
「ああ、始まったか」
と、感じるくらいで、問題にはしません。
でも、ここで、両親がしっかり教えてあげなければ、間違いなくそのまま乱暴者になっていきます。
「人を叩いてはいけない。人を傷つけてはいけない」
「なんで?」
「なんでもへったくれもない。いけないものはいけない!」
そんなこと、説明できなくてもいいんです。
わたしの場合は、音ちゃんにわたしの二の腕の一番筋肉の薄い側面を思い切り殴らせました。翌日、紫色になった肌を見せて、
「ほら。人を殴ったらこうなるんだよ。これ、顔だったら傷が残るかもしれないし、下手すりゃ死ぬよ。どう思う?」
「怖い」
「怖いよね。人を叩く、殴る、蹴ることって、怖いことなんだよ。だから、絶対にやらないでね」
「うん。やらない」
そう言って教えましたが、本当はそこまでする必要なんて全然ありません。
ダメなものはダメ!
これで、いいんです。
今日の記事は、いじめっ子の親にならないためにするべきことをお伝えいたします。
いじめっ子の親にならないためにすべきことは、子どもにお願いしない
ここで、ひとつ、注意点ですが、
これ、本当によく目にする光景です。
3歳くらいの子どもが、仮面ライダーの真似をして母親を蹴ったり叩いたりしていますよね。叩かれている母親が、
「ちょっとやめて〜」
と、お願いするように注意している光景。
子どもはそれだと、やめませんよね。だって、お願いされているんだから強制ではない。叩くことが楽しかったらやめないですよ。
「ねえ。だから、やめてって言ってるでしょう?」
やっぱり、子どもはやめませんよね。
「いい加減にしてよ。もう、怒るよ!」
そこで、ようやく、子どもはちょっとだけ怯みます。で、次、叩くと本気で怒られるのがわかっているからやめる。
これ、叩くことがいけないことだと理解して、止めているわけではありませんよ。母親の反応がつまらないからやめているだけ。だから、反省もしない。
このやり取りの一番いけないところは、
子どもが、主導権を握っているということです。
「やめて〜」「やめてって言ってるでしょう?」「いい加減にしてよ」
これ、全部、お願いです。
手を出す息子に母親がやめるようにお願いするって、変だと思いませんか?
子どもは、こういう微妙な言葉のニュアンスをしっかり聞き分けているということを覚えておいてください。
「あんな小さな子が聞き分けてる?」
本能的に聞き分けています。だって、犬だって聞き分けられるんです。子供が聞き分けるのは簡単なこと。それくらい、子供は親を見ています。
ご主人様より犬の方が偉くなるから、宅急便などの来客のたびに犬は家の中で吠えます。だから、しっかり命令しなければならないのです。
いくらあなたがタンゴの名手でも、タンゴの踊り方をまったく知らない男性にリードを任せたらどうなりますか?おそらく、一歩も動けないと思います。
親と子、どっちが人間として先輩ですか?
でしょ?だったら、
親がリードしなくては。
従うしかないように、上手にリードしなくては。
「ママからお願いがあるの。聞いてくれる?人を叩いたらダメなんだよ。わかる?」
そういう優しい感じが通用するのは、それが、わかる年齢になってからの話です。
「わかった。ママが喜ぶならぼく止める!」
「いい子ね〜!」
別にいい子じゃないです。ママにとって都合のいい子なだけです。
ダメなのもはダメ!
しっかり叱る。
いじめっ子の親にならないためにすべきことは、いじめはカッコ悪いとしっかり教える
子どもだって、ある程度の経験をして自分の力を理解し、叱られた理由を理解したら、教えられなくても普通はやめます。
これ以上やったら、相手が怪我をするかもしれない。そう思ったら普通はやめるようになるのです。
問題は、そこから先です。
子供は、動物と同じように遊びや、ちょっとしたじゃれ合いの中で、自分の力を理解していきます。友達の中で、自分の序列がどのあたりなのか、本能的に探しているのです。
当然、序列が下の子は、乱暴者にはなりません。その代わり、なんとか言葉でのし上がろうとします。子供の頃のわたしのように。
序列が上だと、力を誇示すれば友達が従うことを知ります。そうなると、誘惑に駆られます。そこで、ターニングポイントが訪れるのです。
序列が上だと気付いても、小さい時に、親からしっかり、
「自分より弱い相手に力を使うことがいけないことだ」
と、いうことをしっかり教わった子供は、その誘惑に負けません。
親に放置されていたような子は、相手が、自分より絶対的に弱い。そこをわかっていて、叩く、言葉で攻撃する。楽しくなる。
こうなると、いじめです。
親が介入しても遅いかもしれません。
「緊急企画!!子供がいじめられました。どうしますか?3」にも書きましたが、娘の音ちゃんは、空手を習い始めたひとつ年上の男の子のターゲットにされて、叩かれたり蹴られる時期がありました。
その男の子は、もともといじめられっ子でした。そのため、親がその子に空手を習わせるようにしたのですが、それを知ったいじめっ子が、さらにその子をいじめるようになったのです。その腹いせや、空手を試したいというのがあったのでしょう。その子は、学童保育で、いつも部屋で一人で勉強をしていた音ちゃんをターゲットにしていました。後ろから蹴ったりグーで殴ったりしていたのです。
目元を内出血で腫らして帰宅した姿を見て、ようやく、いじめられていることがわかったのですが、音ちゃんもそうなるまで、わたしたちにはひと言も言いませんでした。
その子の親は、
自分の子が「いじめられっ子」だったときは、必死だったと思います。
それが、「いじめっ子」の親になったら、親は、「今からわたしたち親が謝罪に伺いますので、それで許してください」と、言う。
そんな親は、子供を根本から救うことはできません。
いじめっ子の親にならないためにすべきことは、自分で責任を取る
おそらく、彼の親は、
「乱暴なことはやめなさい!」
「あなたはなんて乱暴な子なの!」
「なんでそんな子になってしまったの!?」
そう言って叱ったのでしょう。
学童保育の先生も、
「親御さんが息子さんをかなり叱ったので、許してやってください」
と。言ってました。
男の子は、かなり凹んだでしょう。
だから、親も、
「わたしたち親が謝りに行きますから、息子を許してやってください」
と、わたしたちに言う。
わたしは、この親の対応、学童の対応は、すべて間違っていると考えています。
では、どうするべきだったか?
叱ることは間違いではありませんが、順序を間違えてはいけません。
まず、親は、なぜ息子が音ちゃんを叩いたのか、きちんとその理由を聞かなくてはなりません。もちろん、彼自身が他の子にいじめられていることを踏まえた上で。その人間関係を断ち切るために努力してきたのに、なぜ、自分より弱い子に手を出してしまったのか?
そこをしっかり言わせてあげる。
そして、
「女の子に暴力はふるったことは、ものすごいけないことだけど、あなたには、他に良いところがたくさんある」
そう親として、伝えなくてはならないのです。
よくない部分だけを見て攻撃するのではなくて、息子の良い部分も、同時にきちんと伝えてあげることです。
「あなたは、本来は優しい子なんだ。そんな優しい子がこういうことをしてしまったというのは、いじめられている現実がよほど、辛く苦しいことなんだね。お母さんはちゃんとわかっているよ」
と。
「でも、犯してしまった罪はきちんと償わないといけない」
「だから、ちゃんと、怪我をさせてしまった女の子に謝りに行こう。そうじゃないと、あなたもあなたをいじめている子と同じだよ」
と。
「いじめられっ子になりたくないでしょう?だったら、いじめっ子になったらダメだ!」
と。
「お母さんは、あなたの良いところをたくさん知っている。だから、謝りに行こう」
と。
そう言ってあげるべきなのです。
いじめはいけない。でも、いじめは、その子の持つ性質のほんの一部。
最初の話に戻りますが、
「自分の子供がいじめっ子かもしれない」
と、悩むお母さんは、自分の息子のことを、
「他の子をいじめるような子」
と、いう目だけで見てしまっています。おそらく、そういう疑いを持った瞬間から頭はパニックを起こしているのでしょうから、その想いに囚われてしまう気持ちはわかります。
しかし、それではダメです。母親の不安、息子への疑いの目、落胆の気持ち、怒りなど、ネガティブな思考はすぐに息子に伝染します。そして、
息子は、
あなたの”期待通りに”、もっともっと乱暴な子供になるでしょう。
あなたがイメージしている悪い結果に、”あなたの期待通りに”子供は近づいていくでしょう。
そうじゃないんです。
「乱暴な部分」は、たしかに、受入れ難い事実かもしれないけれど、それは、その子にとってたくさんある性質のほんの一部に過ぎません。
「いじめっ子かもしれない」
そう感じたとき、お母さんは、初めてその不安に襲われたわけですよね。であれば、仮に本当に誰かをイジメていたとしても、それがいけないことだとキチンと言葉で伝えてあげればいいだけなのです。
「乱暴」「いじめっ子かもしれない」
そこばかりに焦点を強く当てすぎると、子供の本来持っている良い部分を見落としてしまいます。
「乱暴」な部分は、その子の持っているたくさんの資質のほんの一部なのです。
「乱暴」な部分は欠点かもしれないけれど、それよりも、もっとたくさんたくさんある良い部分にお母さんがちゃんと光を当ててあげるのです。
すると、子供もそこに気づきます。
力に頼らなくても、
「僕には、他にもこんなに素晴らしいところがあるんだ」
そう信じ込ませてあげればいいんです。
欠点を利点に変えてあげることができるのは親の特権。親の義務。
もちろん、いじめは、断罪されるべきことです。
音ちゃんを叩いた男の子も、きちんと音ちゃんに謝らなければならない。それは、当たり前のことです。
でも、彼は、まだ小学3年生です。
「いじめている」という認識はあったかもしれませんが、
親が子供を叱り、親だけが謝りに来ることになんの意味もありません。
ダメなものはダメ!と、教える。
罪は償わせる!
これは、社会性をきちんと教えるということです。
そして、そのあと、ちゃん親の愛情で包んであげるということです。
「いじめは確かに悪い。その悪いことをあなたはやった。それは紛れもない事実。その罪はあなた自身が償わなければならない。でも、あなたはいじめをしたけれども、それはいけないことだけれども、素晴らしいところもたくさんある。人から優しいねって言われる部分もたくさん持っている。そのことを、お母さんはちゃんと知っている。あなたが自分で罪を償えることも知っている。大丈夫。なんの心配もない」
そうやって、不安を取り除いてあげるのが、親の義務なのです。
実は、先日、セミナーなどを開催されておられるある作家の方から、こういう質問をされました。
「風さん。一人の引きこもりの二十歳くらいの男性がいます。その男性は引きこもりで仕事にもいかない。昔から嘘つきで、その癖は治りそうにない。お母さんは、どうすればいいか悩んでいます。『わたしはどうすればいいのでしょう?』と、そのお母さんから相談されました。風さんだったら、どう言ってあげますか?」
そう聞かれました。わたしは、間髪入れずに思いついたことを言いました。
「そうですね〜。実際にはお母さんと息子さんに会って話をしなければわかりませんが、例えばの話として、嘘を強制するのが今さら難しいのであれば、『嘘がすべて悪いわけじゃないし、それも息子さんの才能かもしれない。だったら、その嘘を人様のために役に立てられることを私と一緒に考えましょう。嘘も方便というように、嘘がすべて悪いわけじゃない。それも、一つの才能なんだから、いくらでも人の役に立てることはできますよ。たとえば、ネット相談をやって、自身を失っている人、生きる気力のなくなっている人に嘘でもなんでもいいから調子のいいことを言って励ましてあげるとか。そうすると、お互いにとってプラスのコミュニケーションが生まれる。息子さんにそういう提案をしてみたらいかがですか?』とかですかね〜」
と、答えました。
親が子供のことをきちんと観察するとは?
すると、その方は、こう言われたのです。
「実は、風さんがなんて答えるのか、その答えはどうでもいいんです。僕は、風さんの表情だけを見ていました。この質問をされて困惑するのか、楽しそうな表情をするのか。それとも、考え込むのか。風さん、思い切り体がグッと前のめりになったんですよ。それだけで、あ〜、この人、本当に人のことを真面目に考えているんだな〜ってことが、よくわかりました」
その方は、わたしに質問を投げかけることによって、わたしの表情、所作、醸し出す気を感じていたのです。
初対面に関わらず、わたしがどういう人間であるか、完璧に言い当てられたのです。
しかも、良いことばかり言ってくれます。
当然、その方には、わたしの欠点も見えていたでしょう。わたしも聞きました。
「わたしのいけないところはどこでしょうか?」
でも、何も教えてはくれません。
「それを聞いて、風さんにとって、なにかプラスになりますか?欠点を伝える意味ってあるんですかね?」
そう、はっきりとは仰いませんでしたが、わたしは、そう解釈しました。
その日は、当然、ものすごく気分が良かったし、ことあるごとに、その時の会話を思い出して、自分を励ましています。
初対面の人なのに、
「しっかり自分のことを見てくれていた」
そう思えるということは、とてもありがたかったし、とても気持ちの良いことです。
わたしのような大人でもそうなのです。
子供はもっとうれしいはずです。
お母さんが大好きなのですから。特に、男の子は。
お母さんが喜ぶ人間になりたいと必ず思っています。
子供は、お母さんに見てもらいたい。それ一心です。
お母さんは、子供の期待にただ応えてあげればいいんです。
ただ、しっかり見てあげればいい。
そんな子供がいじめっ子になるはずがありません。
「わたしはしっかり見ていた。正しいと思えるしつけをしてきた。それでも、子供はいじめっ子だと言われたんです。子供はいじめなんかしていません。いじめらたと思った子の勘違いなんです。うちの子は、本当はものすごく優しい子なんです。だから、うちの子だけが謝るのはおかしいと思います。うちの子は間違ってない」
いくら、わたしが今まで書いてきたようなことを言っても、このように反論してくる親御さんもたくさんいます。
特に、この会話は、ママ同士では、ポピュラーと言ってもいいほど。
それは、女の子の間のいじめが男の子のように、「殴った殴られた」のような単純な構造ではないからかもしれません。
もともとママ友だった二人の間に子供のいじめが絡むと、これ以上、面倒なことはありません。
続きはいじめで悪いのは常に相手の子、子供を溺愛する母【ママ友と子供のいじめ3】をご覧くださいませ。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。