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高齢出産妊婦さんの苦悩1なかなか妊娠できないアラフォーの悩み

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現在、妊婦さんの年齢が30代後半から40代という方も多くなってきました。ところが、私たちが子供を授かった時は30代後半の妊婦さんがまだ珍しく、40代になったらほぼいないという状況でした。

子供なんて簡単にできると思っていた私は、奥さんのなかなか妊娠ができないという苦悩をまだどこか他人事のように捉えていたのかもしれません。当時、西洋医学を強く信奉していた私は、奥さんに不妊治療をすればいいんじゃないかと提案したこともあります。

今日の記事は、私たち家族が直面した高齢妊婦さんの苦悩についてお話ししたいと思います。

娘はお腹の中にいた時に胎位異常と診断されました

(最初に断っておきますが、いま、娘はとても健康で、障害もなく、元気に毎日を過ごしています。そのことを大前提にお読みくださいね。)

写真は、娘がわたしの奥さんのお腹の中にいたころのエコー写真です。

出産の二ヶ月前。

二つの目と鼻、耳のあたりの輪郭がはっきり見えることがわかると思います。出産経験のある女性であれば、もしかしたらお気づきかもしれませんね。アレッ?なんか変だな?と…。

もっと、わかりやすくするために写真を上下逆さまにしますね。

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下が産道です。つまり、この状態が、奥さんがふつうに立っている状態。この状態で、胎児の顔が正面を向いている。こちらを向いている状態になっているわけです。

つまり、

「絶対にあってはならない状態で、胎児がお腹の中にいます」

 

お医者さんに言われた言葉です。

 

 

本来、胎児は、大豆のお豆のようにキュッと丸まってお腹の中にいなければなりません。それが、あごが上がって後ろに反り返るような形でお腹の中にいるのです。だから、正面からのエコー写真に顔が写っている。

 

「お子さんは、背中に後頭部がくっついたような状態でお腹の中にいます。骨盤の狭いところで頭がひっかかったまま動けなくなってしまった可能性は考えられます。それともうひとつ。これは大変申し上げにくいのですが…。首の骨がそういう状態になってしまっているというか。そのまま動かないというか」

 

「つまり奇形ですか?」

 

「その可能性はあります。と、いうか、そうでないと説明がつかないんです」

 

結婚13年目にして赤ちゃんを授かった喜びの日々から、一挙に奈落の底に突き落とされた?

 

と、いうことはありませんでした。

 

たしかに、ショックでしたし、悲しくて、奥さんがかわいそうで、もちろん自分のこともですが、本当は声を出して泣きたかった。でも、奥さんは、大変、心の強い人で、決して悲嘆することはありません。

 

 

「高齢出産だから最初から何があってもおかしくないと思ってたし、どんな子でも絶対に産むって約束したじゃん。これが、わたしたちとわたしたちのところに来ることを選んだこの子の運命だから。受け入れるしかないよね。わたしだったら大丈夫だよ。こうなったらこの子を守らなきゃいけないし、弱気になれるわけないじゃん」

 

そう言って、わたしが励まされました。

 

でも、奥さんも最初から強かったわけではありません。ここに来るまでに妊娠してからというもの、数々の苦難を乗り越えてきました。その結果が、こういう状態の我が子を見せられることだったのです。嫌でも強くなるしかなかったのです。

 

ひとくくりに、そうだとは言いたくはないけれど、やはり、

 

”高齢出産”

 

の壁でした。

高齢出産という現実と不妊治療はしないこと

奥さんが、妊娠したのは37歳でした。

奥さんが33歳のとき、わたしが脳腫瘍を患いました。

約1年に及ぶ治療、リハビリを終えて、お医者さんから、「完治です」と、言われた直後、奥さんが、

「こどもをつくろう!」

と、 宣言したのが34歳のときでした。でも、奥さんはなかなか妊娠しませんでした。

治療の過程で、何度もCTスキャンやMRI検査をし、たくさんの薬を飲んだわたしの体に子種がないのかもしれない。そう考えることもありました。奥さんも、もともと生理が大変重い人でしたので、

「できないかもしれないね」

二人とも覚悟はしてました。さらに、奥さんの心の中には、「こどもをつくろう」と、言ったときに、しっかりした決め事がありました。

それが、

不妊治療はぜったいにやらない!

と、いうことだったのです。だから、不妊治療は一度も行いませんでした。精子、卵子を診てもらうということもしませんでした。

その理由は、

当時、ある企業で非正規社員として働いていた奥さんの周りには、30代で不妊治療に取り組んでいる同僚がたくさんいました。その方たちの話をたくさん聞いた結果、出した結論だったからです。

不妊治療を行う夫婦は、たくさんおられます。経済的負担、母体への肉体的負担はもちろんのこと、それ以上に精神的負担は計り知れません。夫の負担も想像以上でした。子種が普通の人の1/10しかないと診断され、3度の不妊治療を行ったわたしの同僚は、

「4度目を受けるだけの気持ちはもうなかった。妻には申し訳なかったけど、俺がもう疲れ果ててしまったんだよね」

妻の同僚にも、受精卵が着床して、一旦は喜んでも流れてしまい、2度、3度と続けるうちに肝心の夫婦仲がギクシャクしてしまった方もいたそうです。同僚女性の読む雑誌は、赤ちゃん関係のもの。ランチの会話のテーマは、子作りの方法。休日に出かける先は、不妊治療のセミナー。生活全てが、”不妊治療”に当てられ、自分で自分にプレッシャーをかけているように見えたそうです。

そういった姿を見ていて、

(もし、できなかったら、自分だったらどうなるかわからない)

もし、二人に子供ができないということがわかってしまったら、

(自分たちが夫婦でいる意味はどこにあるだのだろう?)

そう考えるのが怖かったからです。

もし、わたしに子種がないことがわかったら、わたしは奥さんに、

「わたしと別れて早く他の男と一緒になってこどもを作ってくれ」

そう言ったかもしれません。もし逆だったら、奥さんはわたしにきっとそう言ったでしょう。

だから、

 ”不妊治療は絶対にやらない”

 ”タイムリミットを決める”

この二つを、夫婦の約束として決めました。そして、我々のタイムリミットは、

 

”奥さんが38歳になったとき”

 

です。つまり、4年間です。

「4年もあったらできるでしょう。普通」

このときのわたしの台詞です。

「あなたは全然わかってない。わたしたちに簡単にできるくらいだったら、わたしの周りの人はみんなできてるよ」

奥さんは、楽観はしていませんでした。

「妊娠がなかなかできないのはなぜ?」という気楽な夫の言葉が妻の心を傷つける

やはり、なかなか妊娠しませんでした。不妊治療だけはやらないと決めていたので、

「その歳で不妊治療しなかったら絶対にできないよ」

そう言われる覚悟はしていましたが、やはり傷ついていたそうです。不妊治療をしている周りの女性はたちは病院や治療経過の情報交換をしています。もちろん、奥さんも同じ子作りをする仲間として話に加わります。話に熱が帯びてくると、わたしの奥さんは必ずそう言われてしまいます。

「その歳で不妊治療しなかったら絶対にできないよ」

まるで、仲間に入らない奥さんを責めるような、そういう態度を取られることもあったそうです。でも、奥さんは、ずっと思っていました。

(わたしたちは、仲間でも敵でもない。こどもを作るという同じ目標を持っているけれど、この中の一人が妊娠したら、その人は間違いなくここから離れていく。そのとき、残された人たちは素直に祝福できるのだろうか…)

2年が経ち、3年が経つと、確実に、期待は不安へと向かっていきます。

「不妊治療やらなくていいの?おれは別にやってもいいよ」

何気ないわたしの言葉が、奥さんを安心させるつもりで言った言葉が、知らず知らずに彼女を傷つけ、追いつめて行きました。奥さんは、そのとき、

(この人はやっぱりこどもが欲しかったんだ。もっと若い時につくっておけばよかった…。わたしが仕事に専念したいとが言ったから…)

このとき、正直、わたしはこどもはできないならできないで仕方がないと、本当に楽観的でした。

奥さんも、できないなら簡単に諦めるだろうな〜って。その程度だったのです。

つまり、

 妊娠、子作り、育児は、妻が考えること

だと、そう考えていました。

夫にできることは、種を植えることくらい。だから、夫婦でしっかり話し合って考えると言っても、やはり、真剣度の程度を考えると、夫は全然気楽なものなのです。

過去の産婦人科での屈辱から持っている医者に対する妻の不信感

奥さんは、若いころの苦い経験で、産婦人科に対して根強い不信感がありました。

それは、まだ20代中頃のこと。生理がたいへん重かった彼女は、国立大学医学部で看護学を教えていたわたしの叔母の紹介で、ある産婦人科医院に通うことになりました。叔母曰く、「とっても優秀な先生で、きちんと原因をつきとめて治してくれるから安心してね」ということでした。

そこで、50代の男性医師に聞かれたことは、

「セックスは週に何回やっているの?」「ゴムは?」「気持ちいい?大切なことだよ」

わたしも専門家ではないので、これが正しい問診なのか否かはわかりません。ただ、奥さんは、

「興味本位で聞いているようにしか思えなかった」

そして、週一のペースで何回が通った結果、出た結論は、

「こどもを早くつくったほうがいい。こどもを作ったら生理痛なんてすぐ治るよ。こどもを作らない女は女性失格だよ」

そう言われて、ついに堪忍袋の緒が切れて通うのをやめてしまいました。わたしは、このことを叔母に告げました。

「あの先生は本当に名医なのか?」

と。

 

叔母は、

 

「そんなこと言う先生じゃないんだけどね。相性が合わないだけなんじゃない?奥さんも我慢が足りないね」

 

と、言うだけでした。

 

 我慢が足りない?

 

患者さんは、相手が医者だったら、明らかな言葉の暴力にも我慢しなければならないのか?

叔母はすでに鬼籍に入っておられるので、いまさらその言葉の真意を聞くことはできないけれど、医者と患者の絶対相容れない距離というものを初めて感じた瞬間だったかもしれません。

それを、産婦人科で感じたということが、奥さんの子作りをためらう原因をつくった要因の一つだったのではないかと、いま、思うのです。

次回から、妊娠中に訪れた数々の苦悩について触れたいと思います。

続きは、高齢出産妊婦さんの苦悩2非常勤職員は育休が取れるのか?をご覧くださいませ。

(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)

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