心をさらけ出せば、トラウマを克服できるのでしょうか?
誰しもブログを書く時代になりました。ブログに本当の気持ちを吐露するだけで、自分のトラウマを克服できるのでしょうか?
プロのライターの私がブログを書くルールを決めて、自分の心をさらけ出した結果、それが正しかったのかどうかをお伝えいたします。
そしてお伝えしたいのは、大切なことはただ一つだったと気がついたことです。
トラウマは克服できる
人は誰もが、”心の毒”と共存して生きています。トラウマと言い換えてもいいでしょう。
本当は、そんな心の毒は、吐き出して無くしてしまいたい。けれど、それをトラウマと表現している時点で、無くすことを諦め、共存の道を選んでいるのかもしれません。
でも、わたしは思うのです。
共存できるのであれば、克服もできるはずだと。
共存できない方もたくさんおられるのです。本当に苦しんで苦しんで、いまにも壊れそうな方々が。
そういう方々のお力添えにわたしがなれるのか、はなはだ疑問ですが、
「トラウマと共存できているけれど、できればそのトラウマをなんとか克服したいと願っておられる方々のお力にはなれるかもしれない」
そういう方々のお力添えはできるかもしれない。そう考えています。
わたしも、心の毒、いわゆるトラウマとずっと共存して生きてきましたが、それは、諦めたからではなく、その原因をきちんと特定できなかったからです。
原因をきちんと特定できれば、なくす方法は必ずあるはずです。
そうです。
諦めてはいけないのです。
ルール
このブログを始めて、3ヶ月が過ぎたころ、ある程度慣れてきたあたりで、わたしの中でいくつかのルールを作りました。
それは、
- 「女性の読者を意識して書くこと」
- 「6000文字以上書くこと」
- 「不測の事態が起こらない限り、週に3回更新すること(火、木、土)」
- 「事実のみを書くこと(つまり、一切創作しないということです)」
- 「常に自分の本心を書くこと(つまり、心を創作しないということ)」
でした。
1に関しては、ブログのテーマですがら、当たり前のことなのですが、
わたしは、「見た目の美しい女性」「お金を持っている女性」「ビジネスで成功している女性」そんな半分素人のセレブっぽい女性ばかりがメディアで取り上げられる最近の風潮に疑問を感じていました。
「”セレブ”が一番偉い!」みたいな。
そんなセレブ女性を「嫉妬や羨望の眼差しで見つめ、悪態をつく女性芸人」といったお決まりの図式。あたかも、女性芸人が、「一般女性の代表」みたいな扱いです。
でも、一歩引いて観ると、女性芸人もかなり特殊能力に長けた方々であって、決して一般女性ではありません。テレビで活躍できる女性芸人は立派な成功者です。選ばれた人たちなのです。
確かに、女性は誰しも上記を満たした女性になりたい。そこを否定するつもりはありません。
でも、メディアがそこばかりを「うらやましい うらやましい」と取り上げまくっているものだから、「女性はそうでなくてはダメなの?」「そこだけが正しい」というふうに思考が凝り固まっていっている感じがしてなりませんでした。
女性が社会に出て自立して男性よりも出世する世の中になったけれど、そういう女性を取り上げるメディアを作っているのは、未だ男性上位社会のマスメディアです。
”男性の上から目線”。
それは紛れもないし、そこに踊らされているだけかもしれないということを、当の女性たちは気づいているでしょうか?
そんなことよりも、大切なのは、地に足を着けた生活を送り、いまの日本を支えている大部分の普通の生活を送っている女性たちが抱えている問題を一つ一つ解決していくことに、もっとメディアは力を入れるべきではないのか?
子供のいじめ、セクハラ、パワハラ、ママ友の問題などなど。
しかも、その問題を作りだしているのは、少なくとも原因の半分は、上から目線の、わたしたち男性社会なのです。で、当のわたしもメディアを職場とする男性の一人。
そんなわたしだからこそ見えてくる視点で女性問題を語れば、女性同士では見えなかったものが見えてくるかも。
でも、正直、わたしも苦しんでいます。ほとんどの問題は解決できていない。
2の6000文字以上にするということについては、けっこう批判もいただきました。
「長すぎる!」「疲れる!」「くどい!」と。
でも、本当に悩んでおられて、わたしの書いた文章が本当にお役に立てているのならば、読んでいただけるはずだと。まったくお役に立てていないのであれば、こんな長い文章、誰が好き好んで読みますか?誰も読まなくなるだけの話です。
わたしの書く話は、楽しく愉快な話ではありません。本当に悩んでいたり、苦しんでおられる方にとって読み応えがあって、読みながら自分の境遇と照らし合わせて、読みながら考えていただければと思い、あえて6000文字以上に設定したのです。
長いだけで笑えるエピソードもない。
こんな重い文章をいつも読んでくださって、本当にありがとうございます。心から感謝いたします。
3に関しては、有名ブロガーの方からご提案をいただいたからです。
「どんなに時間がなくても、どんなに辛くても、書くことが思い浮かばなくても、決まった曜日に最低週3日は書き続けてください。不定期というのが一番よくない。今日必ず更新されているはずだという安心感が、読者には大きいのです。中身が本物である限り、読者は決して裏切らない。だから、風さんも決して読者を裏切ってはいけない」
ごもっともだと思いました。読んでくださっている方々のお役に立てる情報を、出し続ける。これが、わたしの使命だと思います。
4に関しては、ものすごく当たり前のことです。
わたしは、報道に長く携わってきました。報道に大切なのは、「事実」です。「事実」を伝えること。それだけです。わたしのブログも同じです。「作り話」や「盛った話」は、その瞬間は面白くても、必ずどこかで破綻します。ウソは必ずバレます。
5に関しては、4に似ていますが、ちょっと違います。
「本心」とは、「真実」を語るということです。起こった「事実」に関して、わたしの本心(真実)を語らなければ意味がありません。こうやったらウケがいいとか、いい人に思われるとか、読者にこう思わせたい(煽動)とか、そういう邪(よこしま)な思考になると、必ず見透かされると思うからです。
それと、もう一つ。
本心(真実)を露わにすることによって、わたしの”心の毒”が白日のもとにさらされ、外に出すことができるのではないか?
と、考えたからです。
つまり、「わたし自身を救えるかもしれない」と。
自分に質問する
この目論見は、見事、当たりました。
ブログを読んでくださっている方はご存知かと思いますが、わたしの文章。
”果たしてどうなのか?”
の、ような問いかけが多いと思いませんか?
これは、読者への問いかけでもあり、わたし自身への問いかけでもあるのです。
そうやって自分自身に質問を繰り返すことによって、自分の書いた考えをもう一度、改めて考えるきっかけになったり、間違っていないだろうか?という、確認になったり。
常に、
自分に問う。
と、いうことを繰り返しています。
人間の脳は1秒間に、何十、何百という問いかけを自分自身にしており、たくさんの感情が交錯しているそうです。
その中で、正しい答えが見つかっても、その時は、「そうだ!これだ!」と、思っても、少し時間が経てば、
「いや、やっぱり違う」「あれはただテンションが上がっただけだ」
また、自分を否定して、
元の場所に戻ってしまう。
その繰り返しです。
なぜ、元の場所に戻ってしまうのでしょう?
心地よいからです。
トラウマとの戦いでもある
その場所に不満を抱いていても、そこから脱したいと思っても、また、戻ってくるのです。
そこが、一番慣れ親しんだ場所だから。
ストレスを感じなくていい場所だから。
ダメンズばかり選んでしまう女性や、転職しても同じ境遇、環境ばかりを選ぶ人と同じです。
「新しいことにチャレンジしたい!」と、口にしていても、心の奥底は、潜在意識は、
「このままここにいるのが一番安心だし」
そう言っているのです。
なぜ、それが一番安心だと考えてしまうのでしょう?
トラウマが自分を傷つけるのを避けようとしているからです。
”心の毒”、すなわち、トラウマを克服するためには、そのトラウマと真っ向から対峙しなければなりません。
それは、そのまま自分自身を傷つけることにつながります。
だから、そこに触れずに生きる術を人間は身につけているし、共存できている。
でも、自分を変えようと思ったら、
避けては通れません。
でも、今までずっと長いあいだ、勝てなかった相手です。
正攻法でいっても返り討ちにあってしまう。
だから、手を変え、品を変えるのです。
まずは、書いてみる。
だからわたしは、
自分の考えをブログに書き、時間が経過して、もう一度確認をして、しっかり、自分が何を考えて生きてきたのかを再認識しているのです。
そして、何度も自分に問いかける。
「わたしは本当に変わりたいのか?」
と。
一つ、二つのテーマを書いたくらいでは、よくわかりませんが、こうやって二日ごとに書いていると、余裕がなくなり、ほとんど読み返すことなくアップすることもあります。
「おれ、変なこと書かなかったかな?大丈夫かな?」
ちょっと心配になって読み返しても、
「そうだ。自分の考えはそのとおりだ」
と、思えるのです。
テーマが違っていても、だいたい、わたしの言っていることは同じようなことばかりなのです。
つまり、
わたしという人間が何を考えているのか、はっきりと見えてくるようになったのです。
しかも、ブログを書くという手法には、もう一つ、良い意味があります。
ブログの最大の目的は、不特定多数の人々に自分の考えを公表するということです。
だから、
ただ思いついたことを徒然なるままに書くというのとは、違ってきます。
読み手しっかりを意識するので、本当に頭を使います。何度も読み返します。何度も手を入れます。
その過程もしっかり自分を観察できるのです。
しかも、わたしの場合は、ターゲットの読者層を女性に限定しています。
「女性に向けて」書いています。
一度書いたものを、再度、「自分に向けて」に置き換えて読み返してみると、
「そうか!」
と、自分でも驚くような発見があるのです。
「女性に向けて」と、いう大義名分が、「自分に向けてのエクスキューズ」になっていたんです。
わかりますか?
書いているときは、ベクトルは「悩める女性」に向いているのです。
だから、ものすごく慎重に真摯な意識を持って問題と向き合っています。
これが、最初から「自分自身に向けて」だったら、
簡単に逃げていたと思うのです。
日記を書こうと思っても、なかなか続かないでしょう?
人間は、自分に甘いんです。
でも、わたしのブログは、
「人様のお役に立つために書いている」
「自分のためではない」
のです。
だから、
「妥協は許されない」
「ルールは守らなくてはならない」
のです。
それだけでも、
「自分を変えられる一歩」
としては、大成功だったと思います。
よいことだけを書く。
だからといって、
「ブログに書く」という方法が、誰にでも有効かというと、そうではありません。
あくまで、わたしにハマったというだけのことです。
「日記に書く」という、方法はとても有効だと思いますが、続けることもそう簡単ではありません。
そもそも何から書き始めたらいいのか?
悩んでいること、苦しんでいることを日々、書き続けるのは苦痛です。しかも、日記は大抵、就寝前のわずかな時間を使うという方がほとんどだと思うので、就寝前に、辛い過去を振り返るのは心に良いことだとも思えません。
もし、書くことをやってみようと思われたら、
まずは、
その日起こった、良いことだけを書いてみたらいかがでしょうか?
「目覚めが良かった」とか、
「朝ごはんが美味しかった」とか、
「青空が気持ち良かった」とか、
自分をアゲてくれた出来事だけを、ただ書くのです。
一行だけでもいいのです。そして、
そのときの気持ちを思い出しながら寝る。
よくなかったことが頭をよぎっても、書かない。
よかったことだけを書くのです。一行だけ。
ただそれだけ。
そんな簡単だと思えることから始めてみるのです。
昨日まではやれなかったことを今日やることが、自分を変える第一歩につながります。
会話をしましょう!
人間は、どんどん会話が下手になってきていると思います。
いまさら、改めて言うまでもありませんが、
ネット社会になって、SNSが当たり前になって、電話で話す必要もなくなり、会う必要もなくなった。
「電話するね!」
と、言うと、何度かに一度は、
「わざわざ?メールでいいよ」
と、言われる。恋人同士でも、毎日電話で話す。頻繁に会うという人は、10年前に比べて、格段に減ったでしょうね。
と、いうことは、
「一人でいる」
と、いう時間がものすごく増えたんじゃありませんか?
どうですか?
SNSで繋がっているから、
「一人でいる」
と、自覚してないだけで、実際は、ほとんど一人じゃないですか?
会社にいても、自由な時間をどう過ごしていますか?
通勤途中、以前は同僚と偶然会うと、当たり前のように、昨日の出来事とか話していたのに、最近は、会うと億劫になっていませんか?
「一人で、スマホをいじっているほうが楽だよな〜」
そんな人になってはいませんか?
「スマホで書いているからいいじゃん」
「フェイスブックで書いて、自分の気持ちを発表しているからいいじゃん」
「ラインで繋がってるし、言いたいこと言ってるし」
でも、そのコミュニケーションって、本心ですか?
フェイスブックやツイッターで、自分の考えを書いて、しっかり批判してくれる”友だち”、何人いますか?
あなたの考えに反論してくれる人、いますか?
「フェイスブックはそういう場じゃないし」
ですよね。わたしもそういう場ではないと思います。
ある意味、ウソでもいい場所です。自分にとって心地よい場所であれば、それでいいと思います。
でも、会話ではありません。
相手と向かい合って、お互いの目と目を見て、お互いの声を聞いて、その間に流れる空気や間を感じ取って初めて、コミュニケーションなのです。
だから、
寺山修司の名著『書を捨てよ街へ出よう』では、ありませんが、
スマホをポケットに入れて、顔をあげよう!
そして、人に会いに行こう!
そして、たくさん、話をしよう!
いまいちど、このフレーズを実践してみてください。
人と会って話すということ。
これは、人間にしかできないことです。
悩むということができるのも人間だけ。
それを、人と話して癒してもらうのも、人間だけができる素敵な特権なのです。
書くことも確かに有効ですが、
人と会って、話をすること。
これより、優れた方法は、他にはありません。
このブログのタイトルは、
『心をさらけ出せ!』
です。
あなたの心を人にさらけ出せるようになれば、自分を変えられるチャンスがそれだけ増えるのです。
相手の言葉から、なにかしらのヒントを見つけられるかもしれません。
あなたの思いもしなったアドバイスをもらえるかもしれません。
このブログを始めた当初、何度も何度も書きましたが、
あなたが1対1で話をしている相手は、あなたの鏡です。
どんな相手でも、あなたの鏡なのです。
会って話をしているのが、きらいな相手だったら、あなたは、
「わたしはあなたのようにはなりたくない」
と、思っているでしょう?
憧れの人だったら、
「少しでもこの人のような魅力的な人になりたい」
と、思うでしょう?
人と会うということは、
「鏡を見つめて、鏡に向かって話している」
ことと、同じです。
自宅では、洗面所では、それこそ電車の中でも女性は鏡を何度も見るのに、人の顔はどんどん見なくなっている。
つまり、見ているのは自分の顔だけ。
自分の顔だけしか見ていない女性の顔は、申し訳ありません。
はっきり言います。
魅力がない。
たくさんの人と会って、たくさんの人と笑える女性の顔は魅力的です。
もちろん、男も同じです。
だから、スマホから顔を上げて、人に会いましょう。会って話をしましょう。
人間はどんなときでも、
相手に思う感情を通じて、自分を見つめているのです。
つづきは、風宏の心の冷えとりコーチング「心をさらけ出せ5!」素直な気持ちになって、アドバイスを聞ける人間にをご覧くださいませ。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)