子供が悪いことをした時に体罰を与えるというのが私の子供の頃の親のしつけでした。私は有無も言わさずに、投げ飛ばされたり、ぶたれたりしても私にはその意味がわかりませんでした。きちんと説明されないの体罰の意味がわからなかったからです。
そういう意味では、子供への体罰はよくないと私は思います。同じ体に残る痛みであれば、スポーツが良いと思います。子供の時に逆上がりができるという自信は子供にとってはとても大きいものです。その過程で体に起こる痛みは、できるようになった時の喜びが忘れさせてくれるからです。
今日の記事は、体罰を考えるとともにスポーツの効果について考えたいと思います。実際にうちの子供はいじめを受けた時にスポーツで痛みを体験し、乗り越えることができたのです。
自分の体罰経験から子供のへの体罰について一言
体罰はよくない。とか、ガミガミ言うのはよくないとか、いろいろありますが、わたしの考えを申し上げます。
わたしは、小中学校の先生から何度も何度も体罰を受けました。
今でも忘れませんが、小学校6年生のとき、体育の先生でサッカー部の顧問だった男性教師は、グーにした拳で、わたしの両こめかみを押しつぶして持ち上げました。そのときは、とてつもない痛みで星が散らつきました。彼の体罰は毎度毎度とてもひどいものでした。ゲンコツやビンタ、横蹴りに前蹴り、あれは体罰というよりも完全に暴力でした。彼ほどひどくなくても、
小学校1年生のときから中学校を卒業するまでの9年間、担任の先生でビンタをしない先生なんて一人もいませんでした。
でも、叩かれてその先生を恨んだり、憎く思ったことは一度もありません。なぜなら、それが当たり前だったから。
その反動が、あの当時、全盛だった中学校の校内暴力のようなものだったんでしょうね。先生もボコボコ殴るけど、生徒もバットやバイク(もちろん無免許)で抵抗してたな〜。廊下で先生と生徒の壮絶な殴り合いを何度も見ましたよ。ちなみに、わたしは気の弱い真面目な生徒でしたので、そんなことできませんでしたけど。
いまは、体罰がないのが当たり前なので、体罰があったというだけで大騒ぎになるのも理解できます。
でも正直、過剰に騒ぎすぎかなと思います。学校と本人、親の間で話し合えば済む問題で、マスコミが騒ぎ立ててニュースにするほどのことか?と、思います。
まあ、マスコミも悪いんですけどね。視聴者が食いつくニュースを優先してやるから。愛の告白だって家の建て替えだってテレビを利用する時代だし…。あ、すみません。ついつい自己批判を…。
体罰を受けた当時のことを思い出してみると、わたし自身は、
体罰のおかげでやってはいけないことをやらなくなった。ということは一度もありませんでした。
そういう意味においては、
体罰しても、ガミガミ言っても、子供はまったく変わらないと思います。
なぜなら、
注意のあと「体罰が来る」と、思ったら、子供は身構えます。教師や親の言ったことを聞いている余裕なんてありません。毎度のようにガミガミ言われると、思考が停止して、ただただ時間が過ぎるのを待つようになります。
だから、
体罰は、しても意味がない。ガミガミ強く言っても意味がないのです。
まあ、する側にしてみれば、「一生懸命、必死さの表れ」と言うのでしょうが、実際は、自分の怒りに負けた結果に他ならないんですよね。怒りと同時に興奮を覚え、抑えられない衝動に身を任せた結果が、体罰という名の暴力だとわたしは思っています。
結局、
子供が、なぜ、いけないのかを理解しない限り、意味がない。
なぜ、いけないのかを教えられなければ、意味がないのです。
それを、教えることは、決して難しいことではありません。
自分が思うことをそのまま伝えればいいだけです。
子供は理解できています。
理解できているけれど、素直に従うことができないだけなのです。
理解できているけど、すぐに行動に移せないだけなのです。
宝くじと同じように期待しないで子供の成長を待つのが大事
宝くじは、タンスに入れて、その存在を忘れると当たると通説のように言われていますよね。
願い事もしっかり願ったあとは、完全にそのことを忘れると、気がつくと叶っていた。と、いう話をよく聞きます。
わたしにもそういうことがよくありますが、子育てもそれと同じだと思うのです。
子供に、こうしなさい。ああしなさい。と、言って、その言ったことを子供が理解できたと思ったら、我慢して静観してみてはいかがでしょうか。
子供の理解 = 親が期待する子供の行動 とは限らない!
親の言い分 → 子供の理解(親の言ったことを理解して、行動に移そうと思う) → 親と子供の解釈のズレ → 親が期待しない子供の行動を得られない → 親が子供を再び怒る → 親の期待どおり行動したつもりなのに、子供はなぜ怒られたかわからない → 親に対する不信感 → 反抗的な態度
頭で理解できていても、まったく違う行動をするのが子供ですから。
あなたの思いはしっかり理解したのだから、信頼してしっかり静観してあげてください。
それも、親の義務です。
干渉しすぎもダメですが、言いっ放しもダメです。
しっかり、伝えたら、一度子供に託して静観する。任せる。ほったらかす。
それでも、やらない。は、子供の問題であり、責任です。その責任を果たさないときは、その責任を取らせるのです。
できない。は、親の伝え方に問題がある場合が多いでしょう。
そのときは、もう一度、しっかり話をすればいいのです。ガミガミ言う必要はありません。
「そうしているのに、子供がきちんとやってくれない」
そう思っておられる親御さんは、たくさんおられると思いますが、そういうときは、もう一度、自分が子供にどういう態度で接してきたのか、思い出してください。
子供との約束を反故にしてこなかったか? → 子供も約束を破ります。
嘘をつかなかったか? → 子供も嘘をつきます。
子供への態度は一貫しているか? → 子供が混乱します。何が正しいのかわからないなります。
威圧的な態度で接してこなかったか? → 子供は反抗的な態度に出ます。子供はあなたの鏡ですから。
そのどれかが当てはまっていたら、親としての責任をきちんと果たしていない結果として、「子供が言うことを聞かない」ということが答えとなって自分に帰ってきているのです。
いまからでも遅くありません。
子供への接し方を、今一度、しっかり見直してみてはいかがですか?
子供にはスポーツがとても良い
スポーツは、やっぱり素晴らしい!
そのひと言につきます。
音に関しては、スポーツは、本当に救世主でした。特に、逆上がりとボクシング。
彼女をいじめから救ってくれたのは、この二つのスポーツです。
かつて、『緊急企画!!こどもがいじめられました。どうしますか?1〜3」でも、書きましたが、小学2年生のとき、気の弱い、おとなしい、たくさんの子と一緒に遊ぶことが苦手な音が、無視をされ、「死ね」と言われ、その結果、顔面が歪み、チック症状が出たことをお伝えしました。
いじめに立ち向かっていくのではなく、自分に自信を持てるようにするにはどうすればよいのか?
そのことを考えた結果、思いついたのが、
「周りの子が誰一人としてできないことを先にやる」
と、いうことでした。
つまり、学校で一番になれる方法を考えたのです。つまり、オンリーワンですね。それが、
逆上がりと、ボクシング。
実は、このいじめ問題が起きる前から、スポーツに関しては、小さい頃からやらせるようにしていました。
と、いうのも、彼女は、ものすごいスポーツ音痴だったから。
たとえば、保育園の園庭には、ブランコや登り棒、雲梯(わたしの地元では、サルワタリって言うんですけどね)、ジャングルジムがありました。
音は4歳になっても、ブランコを漕げない(リズム感なし)、登り棒登れない(筋力が極端に弱い)、雲梯に掴まれない(落ちたら怖いという恐怖心と筋力の弱さ)、ジャングルジムに登れない(同左)という三重苦(リズム感なし、恐怖心、筋力弱い)の子供でした。
それで、わたしが本を読んで感銘を受けたのが、
「どんなに運動神経の良くない子でも、早い段階で走る練習をすると必ず足が速くなる。運動神経は、やればやるほど、どんな子でも必ず良くなる」(申し訳ありません。本のタイトル、著者を思い出せません)
と、いうフレーズでした。
音は3歳からクラシックバレエを習っていましたが、リズム感が悪いので、うまくみんなについていけません。クラシックバレエを習っていても、運動神経がよくなるわけではない。じゃあ、
運動神経がよくなる運動をしよう!
わたしと音は4歳くらいから休みのたびに公園に行って、一緒に走りました。常に競争です。
そして、ギリギリのところで絶対にわたしが勝ちます。一度も負けてあげたことはありません。
「悔しかったらもっと速く走ってみろ」
そう言うと、悔しくて泣きながら追いかけてくるのです。
根性はあるかも……。
逆上がりも雲梯もジャングルジムも、全部、やってみせます。
親ができるというところを見せることもとっても大切なのです。
自分ができないのに、子供にやれというのは、フェアーじゃない。
すると、子供ってちゃんと親の痛いところをついてくるんです。
「ママもできるの?」
パパには勝てないと思った音ちゃんはママを攻めます。ね、子供って賢いんです。ズル賢いんです。
「できるよ」
ママはそう言い、
公園で逆上がりをしてみせました。(「自分の身体が重すぎて、驚いた」奥さん談)
「もう一回やって〜」と音。
「いや、手本は一度だけ」
なぜなら、奥さんは逆上がりしたときに、自分の身体が重すぎて一度目は気力でできましたが、二度目は無理と思ったから、音にはできないところをみせたくなかったのです。
「ママもできるんだ」音(尊敬の目)。
「ママは子どもの頃、鉄棒は得意で地球周りや宇宙周りをぐるぐるやっていたからね!」
親も、それくらいの心構えは必要だと思います。
「できなければ言うな」と、言うことではありません。できなくても言わなければならないときもあります。
大切なのは、心構えです。
わたしは、いとも簡単にできるというところをみせます。
「ほら、こんなに簡単なんだよ」
と、いうところを見せる。でも、音はできません。子供は自信を失います。そこで、ちゃんと言ってあげるのです。
「当たり前じゃん。練習してないんだから。音ちゃんができないのは、運動神経が悪いからじゃないよ。練習してないからだよ。だから、練習すれば、誰だってできるんだよ。逆上がりも雲梯も全部。バレエも同じ。練習さえすれば誰だってできる」
「じゃあ練習する」
「ただね、練習ってつまんないんだよ。音ちゃんバレエの柔軟体操楽しい?」
「ぜんぜん楽しくない。早く踊りたい」
「でしょ?でも、柔軟をきちんとやらないと怪我をするから、そのために柔軟は大切なんだよ。他の練習も同じ。怪我をしないためにも練習は真面目にやらないとね〜」
そうは言っても、楽しくない練習を率先してやる子供ではありません音は。率先してやる子なら、とっくに運動神経よくなってます。
だから、柔軟も一緒にやるんです。
柔軟はつまらないし、つらいけど、やんなきゃならない。その姿を見せてあげるのです。
そして、一緒に走る。
「ほら、ちゃんと準備体操をして走ると、早くなったじゃん!」
「うん。早くなった!」
実際は、早くなっていないんですよ。早くなっていないけど、柔軟して、準備体操をして走ったら早く走れるようになっていると、暗示をかけるのです。
リズム感もよくなってない。だから、
歌を歌いながら走ります。歌のリズムに合わせて走る。二人で大声で知っている歌を歌いながら走る。それだけです。
子供は歌が大好き。走ることも好き。パパと走るのはもっと好きです。
好きをどんどん足していくのです。
いじめられた時にやったことはボクシング
そして、いじめから負けないためにやったことが、ボクシング。
ミットとグローブを買って、音にひたすらミット打ちをやらせました。
ひたすら、ただミットを打つだけです。
そして、いじめをする嫌いな友達の名を叫ぶ。ダメな自分の嫌いなところを叫ぶ。
「嫌いな自分、出て行け!」
って。
そして、ミットを打つ。20回に一回くらい、わたしのほうから手を出します。もちろん、頬を撫でる程度にサーッと。音はびっくりして、
「やだ。怖い。やめる」
て、言います。
「いいよ、やめて」
そう言って、わたしは、何度も軽く音の頬を撫でます。
「悔しかったら、向かっておいで。逃げても逃げ方が下手だったら追いつかれてやられるよ。逃げてもいいけど、逃げきれなかったらどうする?」
「やりかえす!」
そう言って、ミットを再び叩きます。
全身がビショビショになるまで。
そのうち、たまにわたしが攻撃をしかけてくるのに気がついたら、しっかりそれを警戒して、来たなっと思ったら、すっと避けられるようになります。
「うまい。音ちゃん上手に逃げられるようになったね。上手に逃げる。それがものすごく大事なんだよ」
「毎日やってると。なんとなくわかるようになったんだよ」
「そう。なんとなく雰囲気でわかる。それが、とっても大事だよ。なんとなくわかる。その感覚を忘れないで」
なんとなくわかれば、闘わなくても逃げられる。
子供の逆上がりや雲梯(うんてい)など
逆上がりや雲梯、一輪車をバカにできません。
子供は、公園や校庭で遊んでいて、そういった基本的な遊具を使った遊びが人よりできるかできないかで、優劣を決めています。
だから、
「逆上がりは、学校で一番最初にできる子になろう」
そう言って、わたしの時間がある限り、公園に行って逆上がりの練習をしていました。
彼女はできなくて何度も何度も泣くんです。悔しくて。手に豆ができて、その豆がつぶれてもやり続けました。
やっぱり、できないって悔しいんです。その悔しい思いを、尊重してあげるのも親の仕事。
「できなくてもいいんだよ」
それは、優しさから出た言葉かもしれませんが、時と場合によっては、無責任な発言にもなるんです。
子供が、できたい。できたくて仕方がない。
だから、そこで、
「できなくてもいい」
なんて、言葉をかけられてしまうと、子供はどう思うか?
「自分は期待されてない…」
「自分はやっぱりできない子」
そう思います。
だから、背中をしっかり押してあげる言葉を言ってあげてください。
「絶対にできるよ。パパが言っているんだから間違いない。いま、できていないだけで、あと少しでできる、パパを信じて大丈夫」
そうやって、逆上がり、空中逆上がり、雲梯を、次々とクリアしていきました。気がつけば、わたしも、子供達がよってくる鉄棒好きのおっさんになってましたけど。
保育園時代、足が遅くて、ジャングルジムにも登れない、ブランコすら漕げない音でしたが、いまでは、足の速さは学校でベスト10に入ります。運動会の選抜リレーに選ばれるほどになりました。
親が、諦めたら子供は諦めます。
親が、諦めなければ、子供は諦めないのです。
子育てコーチングの続きは、子供を勉強好きにするためにやるべきこと|心の冷えとりコーチ子育て論9をご覧くださいませ。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
心の冷えとりコーチングはこちらもご覧くださいませ。
風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。