サラリーマンにはサラリーマンの社会があります。会社には会社の社会があります。フリーにはフリーの社会がある。わたしは、それぞれの社会の中で生きてきて、その社会の一員として社会性と道徳性もって行動してきたのでしょうか?
この歳になって、ようやくその疑問にたどり着いた気がします。フリーライターの私がパワハラを受けた経験から学び、実行し、パワハラを受けなくなった解決法をお伝えします。
社員がフリーライターを利用して同僚を陥れるパワハラ
『記者Kの告発 編集者・岡太郎の悪事をここに告発する!こんな社員はクビにしろ!』
そのようなタイトルだったと記憶しています。
若い編集者は、わたしにそのままPC画面を見せてくれました。
実際には、そのメールにはわたしの名前は入っていませんでした。「記者K」とあるのです。しかし、読む人が読めば、それがわたしであることは一目瞭然でした。
そこには、岡太郎が、いかに編集者という立場を利用して、悪事を働いているかが箇条書きで書かれていました。
経理をごまかして会社の金を横領している。
会社の近くに愛人を住まわせて、そこで油を売っている。
などなど、
詐欺太郎がわたしに話した事柄に始まり、
「岡太郎は格闘家の取材では敵前逃亡した」
「岡太郎はいまの編集部に不満を持っており、仕事をする気がしないと公言している」
などなど、わたしが、実際に詐欺太郎に話してしまった内容まで。
さらに、
「このような不逞(ふてい)な輩を野放しにしてはならない。彼の悪事を会社は糾弾(きゅうだん)しろ!これは、全記者、カメラマンの総意である!」
と、いった言葉で締めくくった、かなり過激な内容だったのです。
しかも、その文面が、普段のわたしの語り口調を真似たものでした。
だから、朝、会社に来て、パソコンを開いてメールをチェックした若い編集者は、怪メールを見るなり、岡太郎に伝える前にわたしに電話で教えてくれたのでした。
「これ、ほんとうに風さんが書いたんじゃないんですか?」
「おれじゃない。だって、これ、社員の社内ランで繋がれているパソコンから送られたものでしょう?おれパスワードなんが知らないし、勝手に使いたくても使えないよ」
「じゃあ、この内容は嘘なんですか?」
「全部が全部、おれが言ったことじゃないけど、半分はおれが言ったことだね」
「どういうことですか?」
わたしは、若い編集者にすべてを話しました。わたしが知っている事実をです。反応はやはり、
「いくらなんでも、詐欺太郎さんが風さんと岡太郎さんを貶(おとし)めるためにこんなことしますかね〜」
事実が、目の前にあるのに、それでも半信半疑なのです。もちろん、彼も、自分の先輩がこんなことをして、自分の先輩がこんなことをされているとは思いたくないからです。
事実が、目の前にあるのに、誰かわからない第3者がやったと思い込みたい。それが一番、自分にとって安心だから。
「じゃあ、他に誰がこれを書いたって言うの?おれじゃなかったら詐欺太郎か、上司しかいないよ」
「なんでこんなことするんですか?やったことがすぐにバレるのに」
「なんでこんなことするかなんて、おれはわからない。こういうことをやる人間の気持ちなんてわからないよ。わかりたくもない。でも、バレたところで、会社は詐欺太郎を追求したりしないよ。会社はこの問題が表沙汰になるほうが怖いからね。社員がいくら騒いでも会社は放置だよ。会社は、『そんな事案は把握していない』。最後までそれで通すよ、きっと」
「いくらなんでも、それはないんじゃないですか?これ問題にしないとまずいでしょう?」
「いや、絶対に詐欺太郎はなにも問われない。彼自身が、そのことを一番よく知っているから、こういうことを平気でできるんだよ」
「風さん、どうするんですか?」
「岡太郎に謝るよ。すべてを話す。許してくれないだろうけど、仕方がない。自分で蒔いた種だ。責任とって辞めろと言われたら辞めるよ」
「詐欺太郎にも言うんですか?」
「いや、なにも言わない。言ったところでなにかが解決するわけじゃない。こんな人間と同じ土俵に立ったらダメだ。そのことがよーくわかった」
フリーの立場ではパワハラされても「金持ち喧嘩せず」が鉄則
まず最初に、喫茶店での話に一緒にいた上司に電話をかけました。上司は、もちろんその事情を知らず、メールを確認後、すぐにわたしに電話をくれました。
「これはどういうこと?」
「じゃあ、◯◯さんも知らないんですね」
「知らなかった。これは、明らかに詐欺太郎の仕業だろう。でも、なんでおれを巻き込んでまでこんなことするんだ?」
わたしは、詐欺太郎がやっていたピンハネの話をしました。おそらく、わたしに対する仕返しであること。わたしを貶(おとし)めると同時に、嫌いな岡太郎も一緒に貶めてやろうと企んだ筋書きであろうということ。
「じゃあ、おれはただ利用されただけか?あいつ(詐欺太郎)おれを舐めてるな〜」
「どうしますか?編集長と相談しますか?」
わたしの問いに対するその上司の答えはこうでした。
「言わないよ。向こうから聞かれたら仕方ないけど、おれもこれ以上巻き込まれたくないからな。おれは、この件に関しては関わってないことにしてくれよ。風くん、頼むよ。これはもうお互い他言無用ということにしておこう。詐欺太郎は怖いな〜。こういうやつは見境なくなるからな。お互いなるべく関わらないようにしよう」
まあ、想像していたとおりの答えでした。
残念だとは思いながらも、これは、社員がフリーを貶(おとし)めようとしていることです。それに、上司と岡太郎が利用されているだけ。そんなくだらない話に上司だって巻き込まれたくありません。
わたしは、自分の弱い立場をひしひしと実感したのと同時に、次の言葉が頭に浮かびました。
金持ち喧嘩せず。
電話を切ったあと、わたしはすぐに岡太郎に電話をしました。すると、開口一番、岡太郎はこう言います。
「あ、風。今朝パソコン開いたら変なメール見たんだけど、あれ、なんだろう?君も見た?誰があんなこと書いたんだろうね」
別に動揺しているわけでもなく、怒っているわけでもありません。淡々とした口調です。わたしは、
「すみません。あのメールは俺が書いたものではありません」
「そんなのわかってるよ。だから、誰が君になりすまして書いたんだろうなって。だって、中身そうとうリアルだよ」
彼は、全然わたしを疑っていません。むしろ、疑って欲しかった。心が痛みました。
「でも、俺が詐欺太郎に話した内容です。だから、俺の責任です。ほんとうにすみません」
「え?そうなの?どういうこと?」
わたしは岡太郎に会い、事の経緯をすべて話しました。そして、
- 怪メールに関して、岡太郎が会社から説明を求められたら、わたしも動行するということ。
- 詐欺太郎の口車に乗って、岡太郎の悪口を上司の前で口走ったこと。
- これに関して、あらゆる罰を受け入れること。
を、伝えました。その上で、
- ただ、彼らに話した、わたしが岡太郎に対して感じていたことは、すべて事実であり、わたしの本心である。わたしは、今のような岡太郎とは仕事をしたくない。
と、いう気持ちも正直に話しました。何一つ包み隠さず、すべての思いを伝えました。
もちろん、今更遅いのです。そうなる前にきちんと伝えるべきだったのです。で、なければ、わたしの胸に閉まっておくべきことでした。岡太郎は話のわかる相手でした。数少ない貴重なビジネスパートナーだったのに、わたしが裏切ったからこうなってしまったのです。
なにもかも自業自得です。
岡太郎は、
「それにしてもさ〜。詐欺太郎怖えな〜。まあ、怪メールは信じる人は信じるだろうし、信じない人は信じないだろうから別に気にしなくていいんじゃない。詐欺太郎怖いよ。俺ももう関わりたくないよ」
「すみません…」
「てか、きみ、俺にそんなこと思ってたんだ。ひどいな〜。だったら直接言ってくれよ」
「すみません。でも、直接言っても、俺のいうことなんか、絶対聞いてくれませんよね」
「たぶんね。こんな汚い真似するやつの言うことなんか聞くかよ!(笑)」
「おっしゃるとおりです。僕は最低です。すべて受け入れます」
「まあいいよ。もう、こんな気持ち悪い話さっさと忘れたいからさ〜。おわりおわり」
岡太郎も、金持ち喧嘩せず か〜。
それ以来、岡太郎は、この件については、一度も触れることはありませんでした…。とは、いきませんでした。
現実は、もっと、格好の悪いもんです。
メールを見たありとあらゆる人から問い合わせが来ました。わたしは、上司がその場にいたことだけは伏せて事実だけを伝えました。詐欺太郎の悪事についても言いません。
これ以上、この話を広めるても、誰一人良い思いをしないからです。
岡太郎のもとにも問い合わせは来ます。その度に彼は、わたしに対する仕返しとばかりに、
「風のやつ、おれから詐欺太郎に乗り換えようとして日和ったんだけど、あいつからも嵌(は)められちゃってさ〜」
と、編集部中に聞こえるように大声で話すのです(もちろん詐欺太郎が編集部にいないときを見計らってですが)。その都度、周りから笑いが起こります。周囲にとっても、わたしにとっても、その笑いが救いとなりました。そう言ってもらうことで、わたしは救われたのです。
もちろん、格好の悪いことをしでかしたわたしには、
- 日和見主義
- 簡単にチクるチクリ屋
- 信用できない奴
と、いうレッテルが貼られました。
でも、ハブられるのではなくて、そう言われて、いじってもらえるだけ良かったのかもしれません。
そして、わたし自身にも、いじってもらえる空気感といったものが年齢とともに備わったというか、余裕が若い頃に比べて全然あるというか。
とにかく、それだけで済んで、わたしは救われました。
あとは、時間が解決してくれます。
人の噂も75日です・・・・。
一方、詐欺太郎は、何も変わりません。誰も、彼にはこの件については何も言いません。問い合わせることもありません。
「詐欺太郎はなにをしでかすかわからない。とにかく、怒らせないほうがいい」
そういう雰囲気だけは、編集記者カメラ違わず共通認識となりました。
憎まれっ子は世にはばかるのです。
パワハラ被害には中庸であるということと逃げないということ
わたしは、悪事を黙っておくことが、詐欺太郎にもよくないと思って、
「悪いことは悪い」
と、正々堂々と主張したつもりでした。それが、被害者のためであり、加害者である詐欺太郎のためであり、引いては編集部のためだと思って、わたしなりの正義感と情を持って、対応したつもりでした。
しかし、わたしが独断で行ったことによって、上司と岡太郎が被害にあいました。
そして、わたし自身も、日和見主義、チクリ屋、信用できない奴というレッテルを貼られました。
わたしはどこか、間違ってしまったんでしょうか?
わたしはどこで、ボタンを掛け違えてしまったのでしょう?
先日、わたしとご近所に住む飲み友達の3人でお酒を飲んでいました。一人はパン屋のオーナーさん。もう一人はお医者さん。パン屋さんのある悩みを二人で聞いていて、ギターが趣味というお医者さんが、同じくギターが趣味のパン屋さんにこのようなアドバイスをしていました。
「ギターの弦は強く張りすぎてもダメだし、張りが弱くてもダメですよね。ちょうどいい張りってあるじゃないですか。中庸ですよ、中庸。人生もそれと同じだと思いますよ。中庸がいいんです。やりすぎてもダメ。だからって、やらないものよくない。バランスですよバランス」
そのときは、
「ほうほう、なるほど。さすが、お医者さん。いいこといいますね〜」
なんて、他人事のように聞いていましたが、翌朝になって、この中庸という言葉が、ちゅ〜よ〜ちゅ〜よ〜と、まるで、おまじないのように耳に響いて離れないのです。
中庸=真ん中でバランスがいいこと
と、いう程度の認識はありましたが、わたしは、すぐにネットで「中庸」を検索。このような説明を目にしました。
中庸とは、
1 かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。「―を得た意見」「―な(の)精神」
2 アリストテレスの倫理学で、徳の中心になる概念。過大と過小の両極端を悪徳とし、徳は正しい中間(中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとした。
出典:デジタル大辞泉「中庸」という言葉は、『論語』のなかで、「中庸の徳たるや、それ至れるかな」と孔子に賛嘆されたのが文献初出と言われている。(wikipe参照)
西洋哲学の最高峰の一人と言われた古代ギリシャ哲学の巨人、アリストテレス。そして、古代中国の思想家であり儒教の始祖である孔子の二人が、”徳”の中心となる概念として定めたのが、この中庸です。
なるほど…。
たしかに、わたしのこれらの行いは、正義感と情を持っての行為だったかもしれませんが、それが、果たして、正しかったのかと、問われたら、「正しかったのだ」と、言い切ることはできないかもしれない。
かつて、サラリーマン時代に、先輩からのパワハラを受け、それを黙ってただひたすら我慢をした結果、殴るという行為に及んでしまったわたし。
フリーになった初めのころ、先輩記者のやり方を「間違っている」と指摘して、たくさんの同僚からの反発を受けハブられたわたし。「正しいことがすべて正しいとは限らない」そう言われてもよくわからなかった。
そして、詐欺太郎さんが間違ったことをしていると知ったわたしは、直接、彼に問いただすようなことをして、逆にハメられてしまいました。
これらの行いに、「中庸」の概念はまったくありません。それは、つまり、わたしの行いには”徳”がない。ということになります。
「徳」とは、道徳性や社会性を兼ね備えた行動のことです。
わたしは、道徳性や社会性を兼ね備えた行動をしてこなかった。
わたしは、自分本意の考え方をもとに、バランスを欠いた行動を取っていた。
だから、パワハラを受けるような事態になった。
そうなのでしょうか?
わたしは怪メール事件をきっかけに、変わりました。
金持ち喧嘩せず
そして、
中庸であること
この二つを学びました。
同様のことが起きても、すぐに行動に移すのではなく、
解決にはなにが最も有効なのか?
誰も嫌な思いをしない解決法はなにか?
を、考えて行動するようになりました。
詐欺太郎は、その後も、何度もわたしに対する嫌がらをしてきました。打ち合わせ中の案件を盗み聞きされて横取りされたり、進行中の案件を他誌に売られたり、会議でわたしの中傷を続けたり、まったくのデマを流されたり。でも、それに対して、何一つ反論しませんでした。言いたいように言わせてあげようと決めたのです。
あれから、18年が経ちました。
いまでは、
「ああ、そんなことあったな〜」
と、思える年齢になりました。
いま、わたしが嫌がらせやパワハラを受けることはありません。それは、この18年間、中庸を心がけていたからなのか、それとも、ただ単に歳を取ったからなのか。その結論は残念ながら出ていません。
サラリーマンにはサラリーマンの社会があります。
会社には会社の社会があります。
フリーにはフリーの社会がある。
わたしは、それぞれの社会の中で生きてきて、その社会の一員として社会性と道徳性もって行動してきたのでしょうか?
この歳になって、ようやくその疑問にたどり着いた気がします。
まとめ:パワハラで気をつける7つのこと
今回のテーマは、「社員を追い込むパワハラの実態」です。
わたしですら、いままでこれだけ経験してきたのですから、会社員の方は、もっと多くのパワハラを経験されていることでしょう。
特に、女性が受けるパワハラの場合、その根底に「男尊女卑」や、「絶対的に強い者が弱い者を力で押さえつける」という構図があります。
この場合、パワハラをする側の意識を変えることは、残念ながらできません。
「セクハラ問題」のように、長い時間をかけて、女性が訴え続け、社会的な意識が変わっていけば、法が整備されて、する側の意識も変わり、以前よりは少なくなるかもしれません。
でも、パワハラはセクハラよりもまだ、かなり前段階にあり、それらを待っていたのでは、こちらの精神が持ちません。
だから、やはり、自分が変わるしかないのです。
いままで、書いてきたことから、わたしに言えることは、次の7つだけです。
- 仕事をするからには、その仕事に対する意識をしっかり持つこと。信念を持つことです。それが、パワハラをする隙を見せないことにつながります。
- どんな状況に陥っても、自分に正直であること。つまり、自分から逃げないこと。それは、「パワハラから逃げるな」と、言っているのではありません。「逃げないとヤバい」と、感じたときは、その直感に正直になるということです。その直感から逃げないということです。
- 喧嘩を挑んできた相手、つまり、パワハラ相手とは、決して喧嘩をしないこと。同じレベルに落ちてはならないということです。『金持ち喧嘩せず』の気持ちで、高みに身を引いて、その状況をしっかり観察してください。
- どうしても、「逃げられない」「逃げたくない!」という、気持ちが勝っているときは、とことん戦いましょう。ぼろ負けしても、時間が必ず解決してくれます。
- 戦う場合、専門家に相談するのもひとつの手です。役所などで法律無料相談などやっていますので、第三者から意見を聞くのも参考になると思います。一人で悩まないでください。必ず信頼のおける人に相談すること。
- パワハラされた記録をとっておくこと。これはのちのち何か起こったときに強い武器になります。メモでもいいのです。書くことで自分の気持ちがすっきりすることもありますし、自分を客観的に見ることができます。必ず、いつ、どこで、だれが、なにを、どのようにしたか、を記録しておきましょう。そのとき必ず第三者がいたかどうか記録しておくことが効果的です。
- 常に、”中庸”を意識してください。実行できる人は、そんなにいません。だから、意識を持つだけです。心のバランスを保つために。
わたしの経験が少しでも、いま、パワハラに悩んでおられる方のご参考になれば、本当にありがたいのですが…、わたしもこれからも一生懸命考えます。考えて、考えて、なんとか、パワハラが少しでもなくなることの一助となれればと、これからも、考えてまいります。
未熟者ですが、これからも宜しくお願いします。
また時間が経過してから、パワハラについてのことを書いていきたいと思います。
(執筆者:心の冷えとりコーディネーター 風宏)
風宏の心の冷えとりコーチングはこちらもご覧くださいませ。
風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。