私は家事を結構する方だし、育児休暇もとり、育メンと自負していました。だから、子育てもお手のものだと思っていたのですが、子供の夜泣きに悩まされ、育児ノイローゼになりかけました。
赤ちゃんが泣いて眠れないから、静かにさせろと妻に起こる夫がいますが、それはできないことは育児をしなければわからないと思います。
育児は自分の思い通りにならないんです。
夜泣き対策に失敗した自称イクメンパパの私の体験談です。
育児ノイローゼの下地はできていた。
娘の音の夜泣きは、最初からではありませんでした。
生後、1、2週間は本当に大人しくて、まず泣きませんでした。それは、お腹が減っても眠たくなってもオシッコやウンチでオムツがパンパンに膨れても泣かない。
その代わり、ニコリともしない。全く笑わないのです。
つまり、感情の喜怒哀楽の表現が希薄なのです。
アバアバ手を動かして何か伝えたいんだろうな〜と感じることはあっても、泣いたり笑ったりしてくれないから、とても不安になりました。
「穏やかでいい子だね〜」
そうはならないのです。
「なんで笑ってくれないんだろう?」
「てか、泣かないよね。笑わないし、泣かない。なんで?」
「もしかして、耳が聞こえないのかな?」
「目は大丈夫?」
そう言っては、耳元で指を鳴らしてみたり、ビニール袋をガシャガシャ鳴らしてみたり。目の前で猫じゃらしを揺らしてみたり。
もう、親は不安で不安で仕方がないのです。
不安材料がないということほど素敵なことはないのに、
「ないことはないよね。なんかあるはずだよね」
みたいな、無理やり問題点を作り出して安心するみたいな(劇作家、別役実の戯曲の『マザー・マザー・マザー』の主人公の男性は、自分の精神を保つために水虫でもない足を水虫と思い込もうとしていました。日常生活の中で、何か不安を持っていた方が精神が安定するのだという人間の強迫観念を皮肉っていました)、変な精神状態になってしまっているのです。
「なんかあるはずだ、なんかあるはずだ」
と、粗探しをするように。そして、ちょっとした仕草にビクッとなったり。例えば、片目ばかりやたら閉じたり、やたら耳を掻いたり。
普通に考えれば、目にゴミが入ったか、ただ痒いから掻いただけだろうに、
「いや、なんか病気かもしれないよ」
と、わざわざ病気にしようとしたり。
この時点で、もう育児ノイローゼになりかかっていたのかもしれませんね。
ただ、ミルクだけはむちゃくちゃ飲む。ママから直接のおっぱいは全然飲まないのに、哺乳瓶に入れると一本じゃ収まらないくらい飲みまくる。しかも、無表情で。ニコリともしない。眉間に皺(しわ)を寄せてグビグビ飲む。飲み終わると、ものすごい勢いで手足を動かして、ミルクをせがむ。漫画でよくある、手足が何本もあるやつ。すごい高速のやつ。もう、ゼンマイ仕掛けのおもちゃが壊れたみたいにすごいのなんのって。だからと言って、決して泣いたりしないんです。ただ、黙って無表情に手足の高速回転。
怖い。
怖い怖い怖い。
でも、
「耳が聞こえてないわけでもないし、目もきちんと見えているようなので、心配ないですよ」
医者にそう言われて、その時は安心します。
「こんなに聞き分けのいい赤ちゃんいないよ。夜泣きしないなんて最高じゃん。風夫婦はついてるよ」
そう友人たちにも励まされて。その瞬間だけは、ホッと一息できる。
それが、一ヶ月を過ぎたあたりの夜中。
突然、始まったのです。
夜泣き。
ああ、今、このフレーズを見るだけで、あの時の恐怖感が蘇る。ああ、トラウマだ〜。
そこからは、恐怖の日々。
娘の夜泣きは、まさに、育児ノイローゼ発生のスイッチと化していきました。
スイッチオン
基本的に、母親はおっぱいをあげなくてはいけませんから、赤ちゃんのリズムに合わせて2〜3時間おきには起きるわけです。だから、ずーっと仮眠を取り続けているような状態ですから、頭もボーッとしています。
ある意味、赤ん坊とリズムを一体化させるために、仕組まれた自然の摂理なのかもしれません。
それは、母親になるための通過儀礼のようなもので、出産を経験した女性なら誰もが通る道なのかもしれません。
だから、本来であれば、その状態を”辛い”と感じる感覚は、母親にはなかったのかもしれません。
辛いと感じる前には赤ちゃんと寝てしまえばよかったのですから。
時間という概念を飛び越えて、赤ちゃんと母親だけの時間の流れが家の中にあって、その中だけの世界観が安定とくつろぎに満ち溢れ、ゆったりと母も子と同じように成長できるように、脳の回路をちょっとだけ緩慢に再設定されているのかもしれません。
木漏れ日が部屋に差し込んで、スズメの鳴く声が聞こえて、後は母と子の寝息だけ。お互いの寝息が子守唄となって、起きては寝、寝ては起きを繰り返す。
それが、本来の新生児と母親の姿だったのかもしれません。
そこに、父親の存在は全く必要なかったのだと思います。
しかし、現代社会は、残念ながら育児だけに真摯(しんし)に向き合えるようにはできていません。
家から一歩外に出ると、人々は忙しく動いている。テレビやパソコンをつけると、日々情報が更新されてゆく。あれほど、頻繁に届いていた仕事の携帯メールがパタッと止む。
どんどん世の流れから置いていかれる感じがどうしてもしてしまう。
奥さんもこの気持ちは同じでした。
だから、とりあえず奥さんには、夜、ゆっくり寝てもらおうということで、夜10時から朝5時くらいまではわたしが担当することにしたのです。どうせ、おっぱいは飲まないので、哺乳瓶に貯めておいて夜中2〜3時間おきに飲ます。
音は、どんなにぐっすり寝ていても朝5時ピッタリに起きたので、そこで奥さんと交代する。
そういうシフトを組んでいました。
わたしはもともと夜型でしたし、普段でも2時3時に寝るのが当たり前でしたから、この時間を担当することに不安はありませんでした。
しかし、実際に赤ちゃんと二人きりになると‥やっぱり不安です。
子供が生まれて、まだ、たった一ヶ月なのに、なんだろう、この疎外感たるや、半端ねえ〜!
そんな矢先でした。
夜、突然、寝てくれなくなったのです。
それまで、ミルクを飲んだらとりあえず寝てくれていたリズムがどこかで崩れ、夜10時を過ぎたあたりから、ミルクを飲んでも全く寝てくれないのです。
音の目はギラギラと熱を帯びた光を湛え、どこを見るでもなく、ただまっすぐ正面を見据え、興奮したように手足を異常なほどにバタつかせるのです。
それを延々と続けます。
「どしたどした?なんで興奮してるの?ん?もうネンネの時間だよ」
そう言って、抱っこしてゲップをさせて背中を優しく叩きながら子守唄を歌う。そうするといつの間にかスヤスヤ眠ってくれて、わたしもそのままうたた寝というリズムのはずだったのに、寝ない。
寝ないので、わたしはずっと抱っこで子守唄を歌いながら家のリビングを行ったり来たり。おとなしく抱っこはされているけれど、寝ない。
「なんで?」
そういう言葉が出てきてしまうのです。
今、思うと、この言葉はとても危険だと思いました。
これは、明らかに攻撃的な言葉だからです。
寝てくれない原因を自分に問うているのではなく、赤ちゃんに「なんで?」って、聞いているわけですから。答えられるはずのない、赤ちゃんを責めているわけですから。
でも、わたしは、何度も赤ちゃんに聞いていました。
「なんで?なんで寝てくれないの?」
抱っこしても子守唄を歌っても寝てくれないので、とりあえず布団に寝かせ、電気を消しました。すると、今度は突然泣き出したのです。今まで一度も夜泣きしたことなんてなかったのに。
しかも、その泣き声が凄まじいこと。ちょっと普通じゃないんです。奥さんが飛び起きました。
「どうしたの?なんかあった?」
「いや、なんかわかんないんだけど、寝てくれないから電気を消したら泣き出しちゃって」
「そうかそうか。どうしたの?暗くなって怖かったの?」
そう言いながら奥さんが抱き上げても音は泣きやみませんでした。
「どうしたんだろうね。熱でもあるのかな?お腹が痛いのかな?」
当然、そういったことが心配になります。しかし、熱はなく、吐くとか顔色が悪くなるということもありません。
そして、一番恐ろしかったのは、ここからです。
音は、このまま約2時間泣き続けるのです。
そして、泣き続けいる間は哺乳瓶をくわえさせても、歌を歌ってもテレビをつけても、どんなに話しかけてもダメでした。
ただ、ひたすら泣き続けるのです。
当時は、線路沿いのマンションに住んでいたので電車の終電までは通過音にかき消されるので、隣人のことを気にする必要はありませんでしたが、終電後の時間となると、そうはいきません。
いつ怒鳴り込まれるやら、それも心配でたまりませんでした。
それでも音は泣き止まない。寝てもくれない。
2時間泣き続けて、泣き疲れたら寝てくれるかと思いきや、それでも寝ないのです。
長い時には、3時間続きました。
なんとか、哺乳瓶をくわえてくれたと思ったら、今度は、ミルクをいくら飲んでもやめてくれない。200mlの哺乳瓶で750ミリリットル飲んだこともあります。飲んでも飲んでも飲み続ける。
まるで何かに取り憑かれたように。まるで、見えない誰かの分までエネルギーを補給するように。
最終的に自分から哺乳瓶の口を離すまで飲ませ続けなければいけませんでした。
お腹がいっぱいになったからといって、寝てはくれません。
なおさら元気になり、目はギラギラと輝きを放ち続けるのです。
夜中の2時になり、3時になり、気がつくと、奥さんが起き出す5時になっていたこともありました。
つまり、夜10時から朝5時まで一睡もしないのです。生後、一ヶ月足らずの赤ん坊が。
信じられます?
そんな日々がずーっと続くのです。
と、言っても、実際には二ヶ月たらずだったと思います。でも、その二ヶ月が永遠に思えました。その二ヶ月間、わたしは夜の静寂を切り裂く音の泣き声を聞き、ミルクを飲み続ける時のギラついた音の目を見ながら過ごしました。
例えば、夜中の1時から音の夜泣きが始まれば、3時までは確実に寝てくれないわけです。無駄だとわかっていても、音を抱いて、ずっとリビングの中を歩いていました。何度か外へ出て散歩しようと試みたのですが、あまりに泣き声がうるさいので、それも断念しました。
ただただ、夢遊病者のように、リビングをぐるぐる円を描くように歩き回る。
寝言で兆候
赤ん坊の泣き声に慣れることはない。
そりゃそうですよね。親が泣き声に慣れてしまったら、赤ちゃんにとっては死活問題ですから。どんなに疲れていても、どんなに寝落ちしていても、赤ちゃんが泣き始めたら親は起きるものです。
それくらい、赤ちゃんの泣き声の周波数はすごいのです。
夜泣きが続いたことによって、わたしはその生活に慣れるどころか、夜を恐れるようになっていきました。日が暮れて夜が更けるに従って、心拍数が上がっていくのです。胃も痛くなる。
そして、音の夜泣きは、絶対に裏切りません。毎日の決まりごとのように必ず訪れました。
決して慣れることのないあの泣き声が、わたしの睡眠を奪い続けました。
その結果どうなったか?
睡眠不足は、人の心を狂わせる。
これは、間違いないでしょう。
わたしの心は平常心を完全に失っていきました。
疲れ切って昼間、仮眠を取っていた時のことです。
わたしは徐々に寝言を言うようになりました。当然、わたしにはわかりませんが、奥さんから聞いて、わたしは自分が恐ろしくなりました。
「さっき、寝言言ってたよ」
「なんて?」
「うるせーっつってんだろー!黙れーっ!って」
「わたしが?うるせーっ!って?」
「うん。そんなこと、言ったことないのにね。やばいね」
「マジで……。それはかなりやばいかもしれないね」
「大丈夫?」
「大丈夫じゃないんだろうね、きっと。気をつけたいけど、もし、寝ている間に無意識に音を叩いたりしたらどうしよう…」
「絶対そんなことしないって。心配しすぎだよ」
「でも、夢でそんなこと言うのは、深層心理だよね。自分が怖いな〜」
「大丈夫だよ。気にしないことだよ」
しかし、限界はすぐそこまで来ていたのです。
次に、奥さんから言われたことは、さらにわたしを追い詰めました。
「うるせー!黙れーッ!って言いながら手足を思い切り振り回して布団を蹴ってたよ」
「…それ、もう本当にヤバイじゃん。実際に手を出しかねないじゃん」
「でも、起きている時に音に手が出たことはないでしょう?」
「ないよ。そんなこと思ったことないよ」
「だったら大丈夫だよ。疲れてんだよ。夜中、辛かったらわたしを起こしてくれていいからさ。無理しないで」
そう言ってくれましたが、奥さんを起こすことはできませんでした。
そして、限界
奥さんをサポートするために育児休暇を取ったのに、自分が奥さんにサポートされたら何の意味もないじゃないか!
これも、今思うと間違っていました。素直に、
「ごめん。毎日は無理だと思う」
そう言えばいいだけだったのです。でも、スイッチは押されてしまっていますから、思考回路は良くない方良くない方にわたしを導いていきます。
「大丈夫大丈夫。いつまでもこの状態が続くわけじゃないから」
しかし、その期待を見事に裏切ってくれるのが赤ちゃんです。
この状態はいつまでも続いたし、わたしも全然大丈夫ではなかった。
ある晩のことです。今でも忘れもしません。
本当は書きたくないけれど、正直に書きます。
例のごとく、音は寝てくれませんでした。笑いもせず、泣きもせず、手足をばたつかせて起きていました。夜中の1時ごろ、夜泣きが始まりました。わたしは抱っこをして歌を歌いました。何曲も何曲も。しかし、泣き声はひどくなるばかりで止まりません。
午前2時ごろでした。
何かが、わたしの中でプチンッと切れました。そして、
「あのさ〜、パパしんどいんだよ〜。お願いだから寝てください。お願いします」
もちろん、寝てくれません。泣き止んでくれません。
わたしは何を思ったか、ステレオのスイッチを入れ、テレビのスイッチを入れました。部屋にテレビの音とステレオの音が鳴り響きました。
「わかったよ。じゃあ、このまま朝まで勝手に起きてろ!」
そう言って、ソファに寝かせました。
音は、変わらず泣いています。
リビングには、テレビとステレオと音の泣き声が響き渡っています。
「なんで!なんで寝てくれないんだよ!!!」
気がつくと、わたしは音の肩を上から押さえてそう叫びながら体を揺すっていました。
その瞬間、猫のマイが初めてわたしと音の間に入ってきて、わたしに両前脚をかけてミャー!!と強く鳴いたのです。
その音で我に帰り、ハッと気付いたのです。
「あ、音ちゃんを揺すっている」
音は、変わらず泣き続けました。わたしは、初めて恐怖を感じました。
わたしは寝室に行き、眠っている奥さんを起こし、こう言いました。
「このままだと音を殺してしまうかもしれない…」
「どうしたの?」
「音を揺すっちゃった…。頭がゆすぶられてたかもしれない。どうしよう…」
奥さんは音のところに行き、抱きかかえました。
「大丈夫大丈夫。そんなことじゃ脳に傷がついたりしないから」
もちろん、根拠はなかったと思いますが、わたしを落ち着かせるために言ってくれたのです。
「夜中の番も交代でやろう。やっぱり、負担が大きすぎるよ。そして、次からも心配なことがあったら、今みたいにすぐに起こして。一人で頑張るのは良くないよ」
翌朝、結局、音はいつものように起きて、いつものように食欲もあり、いつもの1日を過ごしました。体のどこにも異常は見られませんでした。だから、夜はおきまりの夜泣きです。
初めてわたしはぐっすり眠ることができました。
でも、一歩間違えれば、わたしは大きな間違いを犯していたのかもしれないのです。
ほんの紙一重で、わたしは全てをお終いにしてしまっていたのです。
そうです。
その差はほんの紙一重です。
続きは、イクメンパパの育児ノイローゼ3「赤ちゃん電話相談室」をご覧くださいませ。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。