”人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである”
この言葉は、アドラー心理学のアルフレッド・アドラー先生の言葉です。
このアドラー心理学をわかりやすく解説したのが、アドラー研究第一人者で哲学者である岸見一郎先生の大ベストセラー著書『嫌われる勇気』です。
この本が語る一番大切な部分は何かというと、
”勇気を持つ”
と、いうことです。
”自分の行動に、常に勇気を持つ”
と、いうことです。
今日の記事は、「嫌われる勇気」を知る前から、フリーになって自由に生きた結果、それは本当だったということを私の経験からお伝えするものです。
フリーだからこそ、できるんじゃないのと思われるかもしれませんが、フリーは対人関係がすべてですから嫌われるのにも勇気がいります。結果的に嫌われても本当に良かったんです。
人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである
嫌われ者になるのではなく、”嫌われる勇気を持つ”。
”嫌われる勇気を持つ者”は、嫌われている理由や嫌っている人、その時の自分の状態をしっかり認識していて、それでも自分の信念を曲げない人のことです。
今まで、わたしのように意識的に、この”嫌われる勇気”を実践してきた人間にとっては、
「そうそう。今まであまり人に理解してもらえなかったけど、こういうことなんだよ!腑に落ちる〜」
と、溜飲の下がる思いがしました。
実践はできなくても、ずっと心密かに思い続けてきた人、ずっと我慢してきた人、もしかして自分の考えは間違っているのだろうか?そう悩んで来られた方にとっては、本当に救われる思いがしたことでしょう。
「もう劣等感を感じなくていいんだ」
「自分の価値観で生きていけばいいんだ」
「やっと、わかってもらえた」
と。
じゃあ、次はどうするか?
実践できなかった人にとって、これから一番大事なことは、
実際にその”勇気”を持って、実践できる自分になることです。
ただ、その、
「勇気を持つ」
ことが、すごく難しい。
「アドラーも言っている。自分が正しいと思う生き方を貫こう」
「もう人に期待するのはやめよう。自分の価値観を信じて、自分に責任を持って生きていこう」
そう思っても、それを実践する勇気。それを貫く勇気を持たなければなりません。
どうすれば、勇気を持てるのでしょうか?
どうすれば、この閉塞感だらけの社会の一員である自分が、勇気を持って実践して、その殻から抜け出せるようになるのでしょうか?
正しいと思う自分を捨てて、嫌われない自分を選ぶ
かつて、わたしも「その勇気が持てない」人間でした。
サラリーマン時代は、
「自分の仕事を一生懸命頑張ろう!」とは、素直に思えませんでした。
「課長は僕をどう評価しているのだろう?」
「先輩から嫌われないようにするためにはどうすればいいんだろう?」
「どうやったら営業先の人に気に入られるのだろう?」
自分に自信がないから、人の評価ばかりを気にしていました。
そうです。
自分に自信がないのです。
なぜ、自信がないのか?
知識がない。経験がない。だから自信が持てないから、自分の意見を述べる勇気が持てない。
入社前にすでに、こういう状態でした。
新人は皆、同じラインに立っているのだから、同じはずなのに、全くそうは思えなかったのです。
なぜなら、
「自分の考え方は普通の人とは少し違う。だから、普通の社会では食べていけるはずがない」
最初から、そういう思い込みがありました。
子供の頃から、
「宏は変わっとる」「あいつの考えとることはさっぱりわからん」「宏は変人やけ〜」
親や親戚からいつもそう言われて育ちました。
だから、社会に出るまでは、
「自分は特別だ」「普通の人とは違う特殊な能力があるのだ」「だから僕は映画監督か演出家になる」
そう思っていました。
大学に入るまでは自信たっぷりに生きてきました。大学で挫折し、普通に就職し、入社前、初めて同期(150人くらい)で顔を合わせた時、周りが全員、外国人に見えたことを今でも覚えています。
3泊4日の合宿だったのですが、他の新人の蒼々たる華々しい経歴(出身大学、スポーツ経歴、大学時代の受賞歴など)に、わたしは勝手に劣等感を感じてしまいました。
男性だけでなく、女性も全員、自分よりも大きく見えて、会話している内容が全く理解できないのです。ものすごい違和感。場違いなところに馬子にも衣装然とその中にいる自分の見すぼらしいこと。あの時の惨めさは、今思い出しても動悸が激しくなるほどでした。
そもそも就職できたのは、わたしが学生時代、社会のなんたるかもわからず、学生気分で会社の役員の前でも物怖じせず、思ったことをズケズケなんでも言うというキャラクターが好かれたから。
そう勝手に思い込んでいました。面接官が「そうだ」と教えてくれたのでもないのに、自分で勝手に思い込んでいたのです。
スタート時点で、わたしは、太字で書いたことが全て重しとなり、
「みんなより劣っている」
そう思い込みました。
わたしのノリの良い発言は身を潜め、同期に引け目を感じ、先輩の目だけでなく同期の目。つまり、周囲ばかり気にするようになったのです。
そんな中でも、時には、
(わたしの意見の方が正しい)
(会社が決定したことかもしれないけれど、絶対、間違っている)
そう感じることもありました。
でも、それを言うと、
(部署を移動させられるかもしれない)
(無視されるかもしれない)
(ボーナス査定が下がるかもしれない)
そういう思い(何も根拠はありません。わたしが勝手に思っているだけです)がよぎり、何も言うことができません。
わたしは、
正しいと思っている自分を捨てて、嫌われない自分を選んだのです。(正確には、こうすれば嫌われないだろうと思う自分)
しかし、
その選択は、結局、自分を徐々に壊していきました。
”自分を押し殺す”
と、いう言葉がありますが、まさにその通り。それは、”自分を殺す”行為そのものでした。
入社半年後、マンション用地企画、取得、販売計画全般を仕切る「企画開発部」から「営業部」に移動を命じられた時、
「左遷だ〜」
と、思いました。
しかし、時代はバブル崩壊で会社は崖っぷち。売れない手持ち物件を社員総出で売らなければならなかったのでたくさんの社員が営業部に異動になったのに、わたしには「左遷」としか思えなかったのです。
同僚や、先輩、上司から、
「お前のその明るさや人当たりはものすごく営業に向いている。もっと自分を出せばいくらでも成績をあげられるんだからもっと頑張れ」
そう励ましてくれましたが、わたしには、
(できない後輩でも辞められたら困るから、いやいや慰めてくれている)
としか思えない。そんなわたしだから営業成績も悪い。当然です。覇気も気力もない。努力もしない。いつもいじけてる。だから、先輩からはいじめられる(もし、私が先輩の立場だったら、いじめたくなる気持ちもわからないではない)。ボーナス査定も当然、悪くなる。
「やっぱりな〜。思った通りだ。だって俺は能力ないし」
全部、自分の思った通りになったにすぎないのに、また、自分で勝手に深い井戸の底に潜っていく。
その底で、膝を抱えて何も考えず、ただただ時間が過ぎていくのを待っているような毎日。
「このままでは、本当に心が死んでしまう。会社を辞めよう」
そう決心をした途端、自分の中の、今まで全く存在しなかった自分が現れ始めたのです。
マンション販売の営業でも自信がないので、お客様に営業トークもまともにできません。いくら頑張っても売れない。そりゃあ売れませんよ。いつだって自信なさげなんだから。
だったら、辞める前に、
「どうせ売れないんだし、物件の良い点だけじゃなくて、正直に物件の欠点も話すようにしよう」
そう決めたのです。
「この物件をこの値段では正直、わたしは売りたくありません。だから、本当のことを話します。でも、この物件には良い点もありますよ。私の知る限り、すべてのことを正直にお話ししますから、すべてのことを知っていただいた上でご検討ください」
と。
「どうせ、できない社員なんだし、嫌われてもいいや。お客様にだけは本当のことを言おう。そして、自分に正直になろう」
半ばヤケクソでしたが、そう決心した途端、心の重しがストンと落ちたのです。
もちろん、私の担当したマンションは売れません。売れませんが、それでも、買ってくれる人がポツポツと出てきたのです。
「風さんは、聞いたことをなんでも正直に話してくれるから信用できる。あなたのような社員のいる会社は信用できます」
そう言ってくださるお客様もいました。上司からは、
「どうして、急に売れるようになったんだ?」
と、聞かれたので、正直に答えました。
「この物件の適正価格はもっと低いと思います。欠点もあります。いけないこととはわかっていますが、その話を全部お客様にしています」
すると、上司は、わたしを叱るどころか、
「お前、それはダメだよ〜。でも、それで買う客もいるんだな〜。お前の人柄に惚れたんだろうな〜。いいんじゃない」
そう言って笑うのです。
辞めると決めた途端、仕事が楽しくなっていきました。上司の評価が気にならず、同期との比較もしなくなりました。劣等感を感じなくなってきました。
皮肉なものです。
「辞める」と決めて開き直って行動し始めた途端、楽しくなったのです。
でも、それは、言い換えれば、
「辞める」と決まっていたから、
「売れなくても責任なんか取らない。俺は逃げるのだから」
そう居直ったからかもしれません。
無責任な話です。
つまり、あの当時のわたしは、責任の取れない人間だったのです。
そんな人間に会社員が勤まるはずがありません。
「僕が、自分に正直に生きたら会社の迷惑になる。だから、僕はもう会社員ではいられない。だったらフリーで生きていくしかないか」
会社に対する責任から逃げたのです。
僕にはそこまでの責任は負えない。
だったら、責めて、自分の責任くらい終える人間になりたい。
それが、その時、自分の出した答えでした。
この考え方は間違っていたかもしれません。おそらく間違っていたのでしょう。でも、勇気を持って、自分の導き出した答えに従って行動したのです。
では、なぜ、行動できたのか?
評価をやめたからだと思います。
自分を評価しない
「自分がこうしたら人はどう思うだろう?」
とか、
「こういう考え方をする自分はやっぱりダメな人間なんだ」
とか。
「会社を辞める」
と、決心をしたわたしは、同時に、自分を評価することを止めていました。
ただ、何をしたいか?
その何かをした時、自分はどうなっていたいか?
それだけを考えていたのだと思います。
「会社を辞めたい」
「自分に正直になって、正直に行動して会社を辞めたい。会社を辞めたら、次からは、人にも自分に嘘をつかない人間に生まれ変わっていたい」
純粋にそのことだけを願うことができていたのだと思います。
だから、周りの目も、評価も、全く気にならなくなった。
そういうことなのです。
もし、あの時、辞めずに会社に残っていたら、わたしはどうなっていたでしょうか?
もっと自信を持って発言できていたでしょうか?
人との比較をやめて、自分の価値観で責任を持って生きていけていたでしょうか?
自分を評価せず、周りの評価を気にせず、純粋に仕事に打ち込めていたでしょうか?
それは、わかりません。
ただ言えることは、純粋に願う自分の姿が見えたことで、あの時にできる最大限の勇気を持って行動するということが、できたのではないか?
そう思うのです。
それが正しかったのか、間違っていたのか?
今、その評価をしても意味はありません。
評価に意味はない。
そう思うのです。
人間である限り、人間関係の悩みは尽きない
フリーになっても、「人間関係の悩み」は尽きませんでした。
ただ、サラリーマン時代とは違い、
「嫌われる勇気」を持ちやすい環境になったのは事実でした。
フリーの世界には、基本的には上司も部下もない。同僚もいない。実力だけが評価される世界です。
気に入らなければやらなければいい。
そういう世界のはずなのに、やはりどこの世界にもいるのです。
派閥を作りたがる人。
派閥や集団の意見に従わないと、ありもしない噂を流す人。
人を貶めようとする人。
人の給料をピンハネする人。
初対面から威圧的に来る人。
最初にわたしの前に現れたのは、
「フリーは弱い立場なんだ。だからフリー同士、助け合っていかなければいけない」
そう言いつつ、若手を集めて徒党を組み、若手の手柄を全て自分の手柄にしてしまうようなベテラン記者でした。若手は若手で、「あの人に逆らうと面倒臭いから。まあ、その分、失敗しても責任はあの人が取ってくれるから」と、何も言わない。
ある日、わたしは若手の人たちにこう訴えました。
「フリーなのに、その考え方はおかしい。きちんと反論すべきだし、言うべきことは言うべきだ。自分の責任は自分で取るべきだ」
わたしにも仲間に入れと圧力をかけてきていたベテラン記者にはこう、わたしは訴えました。
「人には人のやり方がある。なぜ、あなたがいつも口を出すのですか?僕のことは放っておいてほしい」
その翌日、わたしは副編集長に呼ばれて、
「風、お前が編集部をかき回して、チームワークを壊そうとしているからお前をクビにしてほしいと言われたんだけど、何があったんだ?」
フリーになって、その雑誌で働くようになって半年後のことでした。
わたしは、副編集長にこう言いました。
「僕は、正しいと思ったことを言っただけです」
もう、自分に対しても、他人に対しても、会社にも、不誠実には絶対になりたくなかったのです。
それと、もう一つ、
もう、自分に対しても他人に対しても嘘はつきたくないのです。
嘘をついて好かれるくらいだったら、本当のことを言って嫌われた方がいい。
でも、これは、「相手が傷ついても本当のことを言うべきだ」と、言っているのではありません。
相手に誠意を持って本当のことを言って嫌われるのなら、それも仕方がない。だって、相手が自分を嫌うのは相手の自由だから。
です。
「でも、その考えかたが間違っているのかもしれないよ」
「その考え方が自分勝手だって言ってるんだ。そういうことされると迷惑なんだよ。こっちにも火の粉が降りかかる」
「フリーは黙って大人しく社員の言うことを聞いてりゃいいんだ。俺たちまでお前みたいな人間だと思われるだろ」
そういうことを言ってくる人ばかりでした。
つまり、
「長い物には巻かれろ」
そういうことなんですよね。
もちろん、わたしの考え方、やり方は間違っているかもしれない。でも、どこかで信じる勇気を持たないと、いつまでたっても、自分という人間をしっかり持つことができなくなります。
間違っているかもしれない。そうかもしれないけど、一度、どこかで、自分を強く信じてあげることがものすごく大切なことなのです。
一度、どこかで、自分を強く信じたことを、行動に移すことがものすごく大切なのです。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
記事中ご紹介した本はこちらです。
心の冷えとりコーチングに興味があり方はこちらもご覧くださいませ。
風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。