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SNS依存から抜け出しリアルな世界へ!言葉が全く通じない相手とのコミュニケーション2

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なんでもスマホで調べて用が足りてしまう現代。でも、真実は、けしてネットの中にはないと私は思っています。大切なことはリアルな世界にあるからです。

ネット社会はスピードが一番。情報はめまぐるしく流れていきます。情報が間違っていてもとがめる人はいませんし、それを正す時間もなく、どんどん情報が流れていきます。

あなたが今見ている情報はもしかしたら間違っているのかもしれない。それでも、ネットに依存する人は一体何をみているのでしょうか?

今日の記事は、SNSやスマホに依存する若い世代の人との対話から、コミュニケーションについて考えるものです。

コミュニケーションから起こるSNSの弊害

あることがきっかけで、コミュニケーションを諦めざるを得なかった人はたくさんいると思います。

でも、

そうではなくて、自分では全く気づいてないのに、

いつのまにか、

コミュニケーションを諦めた人になってしまっていたとしたら、

どう思いますか?

 

そのきっかけにSNSが大いに関係していると、わたしは思います。

 

いまさらSNSの責任を論じても仕方のないことなのかもしれませんが、

SNSは、バーチャルの世界である。

 

と、いうことを今一度、意識していただきたいと思うのです。

 

ラインでの会話があなたと友達の関係を語る上での真実の全てではない。

 

ツイッターのつぶやきから得られる情報は、ほんの、ほんの一部に過ぎないのであって、

 

Facebookの「いいね!」が、あなたの評価の全てではない。

 

ブログは、あくまで身近な読み物であって、

 

メルマガに書かれていることがあなたを正解に導くとは限らない。

 

ネットワークから得られるニュースが真実とは限らないのだし、

 

炎上したからと言って、凄まじい数の人々が攻撃をしているわけではない。

 

これらは全て、携帯電話や、タブレット端末やパソコン上に現れる言葉に過ぎない。

 

 

SNSは、必要な情報を得るための一次的な手段であって、最初から最後までSNSで完結してはならないと思うのです。

 

 

 

「いや、あなたのようなおじさんに改めて言われなくても、わかってますけど」

 

いやいやいや〜!

わかってない!

わかっていたら、どうして朝から晩まで、移動中の電車の中でも一人ランチの間も、バーで一人のみの最中も、それこそ大勢での飲み会でも、運転中も(言語道断)、テレビを見ている最中も、恋人とのディナーの最中ですら、どうしてそこまであの小さな画面に目が釘付けになっているのですか?

 

例えば、

結構混んだ電車で隣り合った同士、肩と肩がぶつかったとしましょう。

あなたも相手も携帯電話の液晶画面とにらめっこしたまま。

数年前だったら、

「人の肩にぶつかっておいて、知らんぷりってどういう神経してんだ!?」

と、憤っていたはずなのに、今では、なんとも思わないんじゃありませんか?

どうですか?

 

「あ、すみません」

と、声をかけたこと、かけられたこと、最近ありますか?

スマホが現れる以前の自分の行動を思い出しだください。

同じような状況の時、

「あ、すみません」

「あ、いえ、大丈夫です」

お互いにきちんと目を見て言葉を交わしていませんでしたか?

もう、そんな遠い昔のことは忘れましたか?

 

ぼーっと車窓を眺めるなんてこと、今でもやってますか?

眺めながら、人はいろんなことを考えます。

仕事の合間、読書の合間、歩きながら、人はいろんなことを考えます。

今のあなたはぼんやり何かを考えていますか?

 

 

私の周りにも気がつけば、携帯の画面とにらめっこをしている人ばかりです。

「いつもそんなに何を見てるの?」

「ほとんどネットサーフィンですね」

「調べ物」

みなさん、そう言います。

 

 

 

そんないつも携帯を睨んでいる人たちを見ていると私には浮かんでくる映像があります。

 

 

手にする携帯電話とその人の脳みそが一体化したような映像です。

その人たちの脳みそは実は手にしている携帯電話で、

脳みそを取り出して携帯電話という端末にして持っていたり、内ポケットに入れている。

眉から下の顔や体の部分は全てただの張りぼて。

携帯から入ってくる情報によって動かされている物体に過ぎない。

だから、出てくる言葉や態度にハートがない。

 

本当だったら胸のあたりに赤いハートが薄らぼんやりと見えてなきゃいけないのに、

それが見えない。見えるのは心臓という臓器だけ。そこには全く熱が感じられない。

 

そういう映像が見えてきた人と話をすると、共通することがあります。

どんな会話をしていても、その人たちの声なき声が聞こえてくるのです。

どんなに楽しく会話をしていても、言葉にはしなくても聞こえてくる言葉があるのです。

それは、

「基本的には他人に興味がない」

「興味がある相手は、自分にとって大切だと思える人だけ」

「それ以外の人が何をしていようが関係ない」

「人に迷惑さえかけていなければ、それでいい」

「気に入らない言葉は聞かなければいい」

「とにかく、面倒臭い」

 

表面上は、会話をスムーズに続けていても、

「全く言葉が通じてない」

わたしには、そう感じることが、年々、確実に増えているのです。

 

そりゃそうだろうよ!

 

だって、考えても見てください。

 

大切な仕事の依頼も交渉もSNS。

取材の申請もインタビューそのものもお礼も全てSNS。

恋人への告白も、楽しい会話も喧嘩も別れの言葉も全てSNS。

 

「そういえば休日に言葉を一言も発しなかった」

そういう人ばかりです。

 

声の出し方が退化し、言葉そのものが退化し、自分の言葉を聞く耳の機能が退化するのは当たり前でしょう。

言葉に心がこもらないのは感情の問題ではなく、経験値の数に比例しているだけ。

声を荒げることもなくなり、大きな声で泣き叫ぶ経験もできなくなります。

喜怒哀楽が希薄になると、当然、表情の変化も少なくなる。

 

人の行動に感情が揺さぶられるということに対して、

「面倒くさい」

という感情が最初に出てくるのは、当然のことかもしれません。

SNS依存の若い世代とのコミュニケーション

先日、ある女性との会話の一部をご紹介します。

女性は30代独身。彼女もスマホ依存症のようなところがあります。

「カレが欲しい」が口癖ですが、合コン、紹介といった出会いを求める行動が苦手です。

趣味は美味しいものを探すことと、バーでの一人飲み。話し相手はもっぱらスマホのライン。

字にすると、矛盾だらけの行動のように思えますが、これが若者の現実だと思います。

普通に接して普通に話している限り、極めて普通の感覚の女性です。

「彼女、変わってるな〜」

と、いう印象はほとんど持ってません。

 

「初対面の人や特別仲の良い人じゃなければ、できるだけプライベートでは会いたくない」

そう言います。

私と話していても、たまに、

「どこまで人の話をきちんと聞いているのだろう?」

そう感じることが多かったので、ある時、このような提案をしました。

「あのさ〜。おれのはなし、長いな〜とか、今聞きたくないな〜とか、思ってるのに我慢して聞いてるんだったら、ちゃんと言ってね」

「え!?どういうことですか?」

「今は話しかけないでくださいとか、もうその話飽きましたとか。聞いてもないのに聞かれてるふりをされるのは辛いからさ〜」

「わかるんですか?」

「わかるよ。普通」

「そんなこと初めて言われました」

「だろうね。思っていても周りにそんなこと言う人いないだろうね」

「本当にわかるんですか?」

「わかるよ」

「なんか気持ち悪いですね」

「失礼だな〜。これが普通だよ。ちゃんと相手の目を見て、相手の態度を見てたらわかるよ」

「へ〜。そうなんだ〜」

そんな彼女との会話です。

 

横断歩道に二人で立っていると、信号待ちの車の運転席からタバコを持った手を出して灰をポンポンと落としているドライバーがいました。

不快感を露骨に表し、

「マナーの悪いやつだな・・・」

ボソッと口にしたわたしを見て、彼女は、

「え?どこがですか?」

そう聞きました。

「あの運転手だよ」

「ああ。風さんの嫌いそうなタイプですもんね」

「タイプとかそういうのじゃなくて、ああいうの、最低でしょう」

「え?あの人の何がいけないんですか?」

「タバコ」

「タバコを吸ってるのがいけないんですか?」

「タバコは吸ってもいいよ。でも、火のついたタバコを持った手を車外に出すのは非常識でしょう」

「なんでですか?」

「なんでですかって・・・・。マナー悪いと思わない?」

「別に・・・。わたしそういうの、みんなうるさすぎると思うんですよね。タバコ=”悪”みたいな。神経質になりすぎてると思うんです。別にいいじゃないですか。あの人、誰にも迷惑かけてないんだし。あのまま火のついたタバコを捨てたらどうかと思いますけど。車の窓から手を出すくらいだったら誰にも迷惑かけてないでしょう」

「灰を外に落としてるよ。火の粉が飛び散ったらどうする?その火の粉が子供の目に入ったら?それでも迷惑かけてない?」

「想像力たくましすぎですよ。落ちても車道だし、火の粉は消えるし、子供の目に入る確率なんて、まずないですよ」

「ゼロではないよ」

「そういう管理社会はどうかなって・・・。なんでもダメダメって。生きづらくなるばっかりですよ」

「じゃあ、あのドライバーが君のカレシだったら?」

「あんな人とは付き合いません」

「自分のカレシだったら嫌なんだ」

「嫌ですよ。当たり前です」

「さっきは別に構わないって言ったよ」

「わたしの関係ないところでは何をやっても構いませんけど、カレだったらイヤです」

「付き合ってる途中でああいう人だとわかったらどうする?」

「やめてって言います」

「どうして?」

「タバコの煙が嫌いだから。車内に煙が入ってこないならいいんですけど、絶対入ってきますよね」

「それだけ?」

「え?他に何があるんですか?」

「それでもやめてくれなかったらどうする?」

「それはカレの価値観だから諦めます。無理強いはしません」

「諦めるの?」

「はい。だって、わたしが「やめろ!』って言う資格ありませんから」

「資格の問題なの?」

「そうですよ。だって、彼には彼の価値観、わたしにはわたしの価値観があって、彼の価値観を否定する資格はわたしにはありません」

「マナーの話をしてるんだよ。それを価値観とは言わないと思うけど」

「その人の価値観がタバコを吸わせているわけですよね。その人の価値観が根本にあってタバコの灰を落としているわけですよね」

「そういう言い方をすればね。お互いの価値観を尊重し合える関係ってこと?」

「そうです。すごく当たり前のことだと思うんですけど変ですか?この話も、風さんの価値観とわたしの価値観が違うだけの話ですよね」

「君の言う”価値観”だけで話をするとね。でも、そんな”価値観”、尊重すべき価値がある?と、いうより、そんなに信頼できるものなのかな〜?その”価値観”って」

「だって自分の価値観ですよ。大事に決まってるじゃないですか!」

「他人が介入できないものなの?」

「わかりませんよ。わかりませんけど、わたしはそこに踏み込みたくないんです。わたしも踏み込まれたくないから」

「ああ、あるほどね〜。踏み込まれたくないのね。それだったらわかりやすいね。でも、踏み込まれたくなくても踏み込んでいいんじゃないの?」

「はあ?意味わからないです」

「自分の価値観が大切なんだよね。だったら、自分の価値観をもっと相手に主張してもいいんじゃないの?」

「そこまで偉くないですから」

「???偉いとは偉くないって何基準?」

「人に押し付けるほど偉くないってことです。自分の価値観は自分だけのものですよね。だから、何人にも侵されない。だからわたしも侵さない」

「まあいいや・・・・実はね、俺はね、23歳までタバコ吸ってたんだよ。ものすごいヘビースモーカーでね」

「へ〜意外〜」

「それで奥さんはタバコが嫌いだから俺に『タバコをやめてほしい』って言ったんだよ。「健康が心配だから」とかじゃないんだよ。「タバコを吸う人間が大嫌いだから」って。だから俺はやめるって約束したんだけど、でもやめられなくて、隠れて吸ってたわけ。で、3回くらい見つかったのかな。その3回目の時、『嘘をつく人とは付き合えない』って言われて、それで本当にやめようと思ったんだ。でも、本当はやめたくなかった。でも、別れたくないからやめたんだよ。今ではすごく感謝してるんだよね。あれだけ強く何度も言われたからやめられたって。あんなに言われなかったら、多分今でも吸ってたよ。だって、未だに吸いたいって思うこと何度もあるもん」

「なるほど〜」

「君の理論でいうと、奥さんは自分の価値観を俺に押し付けて俺の価値観を認めてくれなかったことになるけど、そのおかげでタバコを止めることができた。だからものすごく感謝してるんだよ。他人同士の関係を良好に保つためには、そういうことも必要なんじゃないかな」

「価値観を押し付けることですか?」

「価値観を押し付け合えって言ってんじゃないんだよ。実は、みんな我慢してるんだよ。恋人同士でも我慢してることばかりでしょう?だから、ここだけは譲れないってことはきちんと相手に主張するってこと、大切だと思うんだよ。主張されると嫌がる人もいるけど、嬉しいって思ってくれる人もいるはずでしょう?『なんだ、そのクソみたいな価値観』って思ったら言ってあげる。そう言う親切もあるんじゃないの?」

「ん〜〜〜〜。なるほど〜。なんとなく理解できます」

「人と深く関わるには、勇気が必要なんだよ」

 

きちんと話せば理解はしてくれます。

だからと言って、もちろん彼女の考え方が変わるわけではありません。

 

でも、彼女は、わたしとこのような”面倒臭い”会話をしたことによって、

わたしのような考え方を持っている人もいるということを知ったのです。

 

そして、同時に、その時の

 ”わたしの熱”

 

も、彼女は感じ取ったはずです。

 

言葉や考え方、感じ方には、必ず、熱があります。

 

SNSのやり取りだけでは、決して感じ取ることができない

   ”熱”

が、そこにあるのです。

その熱を感じられるからこそ、

「自分とは全く関係ない」

とは、思わないのです。

 

つまり、

受け入れるいけ入れないに関わらず、

世の中には多様な考え方があって、

それは自分とは関係のない考え方などではなくて、

どこかで自分の考え方と繋がっている。

と、いうことを忘れてはならないのです。

いや、

退化させてはならないのです。

すぐ知らないと気が済まないという恐怖

わたしとコンビを組んでいる女性カメラマンもスマホから目が離せない一人です。

会話をしていても、ふと気がつくとスマホに目が行っています。

そんな彼女に、

「今から6時間、どうしても必要な時以外は見ないというゲームやって見ない?」

そう提案しました。

「6時間、全く見ないなんて経験ないからできるかどうかわかりません」

そう言いつつも、彼女は電話やラインの応対以外は6時間一度もスマホを見ませんでした。

ただ一度だけ、

「ああ、耐えられない。でも、見ちゃ行けないんだよな〜。あああ〜苦しい〜〜!」

と、声をあげました。

「何を調べたいの?」

「映画のタイトルを思い出せないんです。もう気持ち悪くて〜。でも、別にわからないからって何も困らないんですよね。思い出せないって状態が気持ち悪くて〜」

「思い出そうという脳の使い方をどれだけ長い間やってなかったかってことだよね。そう考えると恐ろしくない?どんどん頭がバカになっていってるんだよ」

「ほんとそうですね〜」

それ以来、彼女は少なくともわたしとの仕事の間は必要以上にスマホを開かなくなりました。

続きのお話はこちらです。

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(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)

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風宏(Kaze Hiroshi)
この記事を書いている人

風 宏(Kaze Hiroshi)

 風宏

心の冷えとりコーチ

冷えとり歴10年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。

 
 
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