実は、私は、正社員8回、派遣、バイトなど実に多様な仕事に就いてきました。この職歴の中で、共通なのは、非正規職員から始まって、正社員になり、パワハラで辞めざるをえなくなるというパターンが多かったのです。
なぜなのでしょうか?
パワハラで傷つき、仕事を失うことに意味があったのでしょうか?
今ならその意味がわかります。
現在の私からみたパワハラ受けまくりの私の闇過去人生を振り返ることで、今、パワハラという人間関係にお悩みの方の心のともしびになればと思って書くことにしました。
パワハラはその中にいるときはとてもつらいものですが、心の毒出しであると思えば、毒を出し切ってしまえば、大きく変化する大チャンスになります。
災難はそのときはいやなものだけど、あとになって大きな気づきも多いのが人生です。
そして、失敗しても、どこかに自分の合う場所が必ずありますし、人生なんとかなるものです。
私の失敗体験から探っていきましょう!
今回のお話は、本当にやりたい仕事で失敗した私がお金で仕事を選んだ結果、失敗した私の仕事闇歴史をお伝えいたします。
会社員であることをやめて、自分探しの迷宮へ
10年かけて忖度能力を身につけて、体も心もボロボロになってしまった私はここで大きく軌道修正することに決めて、仕事を辞めました。
しばらく家でのんびりして、働こうと思ったのです。
夫も私が会社員に向かないことがわかり、起業する方がいいと勧めてくれたのですが、この時は会社員でなければお金を稼げないという考えが染み付いていて、具体的にどうしたらいいのかわかりませんでした。
会社員であるということを辞めた私にはアイデンティティがなく、自分というものの存在価値を見つけることができませんでした。
小さい頃から母から会社員でなければならないと言われ続け、会社員でない自分の存在価値が見つけられず、いろいらして、物を投げたり、夫に八つ当たりしたりの日々を送っていました。
自分の存在価値を見つけるために子供が欲しいと夫に提案しましたが、夫はそんな気持ちで子供を持つことはよくないと反対し、私は自分探しの迷宮に入り込みました。
今まで仕事で忙しくできなかったことをすべてやりました。
英語を習う。
一人旅に行く。
1日寝倒す。Etc…
でも、どれも私を満たしてくれることはありませんでした。
忖度に慣れていた私は、自分で決めるということができないようになっていたのです。
【人生転換のチャンス4】自分のやりたいことを仕事にする
やりたいことをお金にする
【やりたいこと = お金】
せっかく、自分のやりたいことを仕事にするというチャンスが訪れていたのに、私はこれに気がつかず、また忖度の世界へ戻っていくこととなります。
このころの自分に言ってやりたいです。
ブログを書いて自分発信するんだよ!
そうすれば
やりたいことが形になっていくんだから!
このころは、自分にできるはずがないと思っていたので、本当にその通りになりました。
夫の脳腫瘍で会社員に戻る
そんな折、夫が脳腫瘍ということがわかりました。
夫は会社員でなかったので、働けない期間は未収入になり、生活を心配し、頭を開いて腫瘍を取る手術(全治半年か、もしくは障害が残るかもしれない危険あり)か、放射線治療(全治1ヶ月、全摘できず数年後にまた放射線治療をしなければならない)の治療を悩んでいたので、夫を安心させて治療に専念できるように私が働きに行かなければならないと慌てて、就職活動を始めました。
また、私の会社員でなければならない思い込みが発動してしまいました。たぶん、会社員でないことに私自身が耐えられなくなっていたのかもしれません。
忖度が発動したのです。
次はお金と残業があまりないところをベースに探しました。 幸いすぐに仕事を見つけられました。給与もとてもよく、いいところが見つかったと夫も私も大喜びでした。
ところがこの会社は、入社して犯罪まがいなことをやらせようとしたので、3ヶ月で辞めることになります。
お金に目が眩むと、お金に振り回される
ことになるのです。
私のあせりがスイッチオンする人に都合のいい人間にうつっていたのでしょう。
幸い、犯罪に手を染めずには済みましたが、あのままいたら、忖度っ子の私は間違いなく言われるままに犯罪に手を染めていたのかもと思うとぞっとします。
覚悟を決めて、夫の手術と予後が落ち着くまで貯金を食いつぶし、看病に専念することにしました。 そして、思ったより夫の脳腫瘍の予後も良く、重い障害も残らなかったので、半年で仕事に復帰できるようになったので、私も仕事をまた見つけようと活動を再開しました。
お金で仕事を選び、虚しさを覚える
会社員には懲りたので、派遣でお金のいい仕事を選びました。決まったルールにしたがって行う仕事が良かったのですが、どこも断られ、経歴から外資系の会社を紹介されました。
25年前の時給1700円の仕事で、外資系の事務と秘書業務を兼任する仕事でした。
お金で選んだので職種には全く興味が持てず、淡々と過ごす毎日でした。
この外資系の仕事は、銀行が個人からの担保の土地を外資系に売り、外資系がその土地の持ち主に借金督促を迫り、支払えないと二束三文でその土地を買い叩き、それを高値で売るというものでした。
当時の日本の経済状態も悪く、美術館がどんどん資金難で閉鎖していき、リストラで生活に困る人も多いなか、この外資系の職員は潤沢でした。 当時一緒に働いていた社員の女性は、銀行からヘッドハンティングされて、給与が2倍になったと言っていました。
仕事を眺めていると、朝から晩まで怒鳴りあいながら、お金に困って担保にしていた土地を奪って売りさばいていくことを社員の中で誰が一番獲得できるかを競い合っていました。
もう少し待ってくれというお客様もたくさんいましたが、ここの社員たちはハゲタカのようでした。
「自分の見通しが甘くて、お金を借りて、返せないのだから仕方がない。待ってくれなんてずうずうしい」と冷たく笑っていました。
私にはできない
そう思いましたが、そう言いながらも社員にもやはりストレスがかかるのか、給与として得たお金でブランド物を買い漁ったり、海外旅行に行きまくったり、不倫をして堕胎したりとまるでドラマのような世界が目の前で繰り広げられていました。
お金がいくらいいからといっても、 自分を失って、 そのストレスのためにお金を使うのはどうなのかと思うようになり、「社員になりませんか」というお話がありましたが、お断りしました。
やはり、
給与は良くなくても、自分の興味の持てる仕事をしよう
とここで学びました。
消費 = ストレス
観察していると、ストレスが多いとお金を使ったり、人に八つ当たりして発散する傾向がありました。そして、食べ物でストレスを発散する人もいて、恐ろしいほどの肥満の人もいて、外資系では、肥満は自己管理できない人と判断されるので、その人は僻地に飛ばされてしまいました。
お金を持っていても、ちっとも幸せそうでない人たちをここでたくさん見ました。
お金に目が眩んでついた仕事でしたが、お金は使う側にきちんとした軸がなければ振り回されて身を滅ぼすものだということを学びました。
10数年後、子供が生まれ、たまたま地下鉄で当時の社員の女性と再会しました。 彼女は私よりも4つ年下でしたが、頭が禿げ上がっていました。
冷えとりでは髪は腎臓や肺と関わりのある毒出しの部分です。
腎臓を支配する感情は怖がり、肺を支配する肝臓は強欲。
彼女の仕事はいつも成果をあげないとリストラされるという恐怖があり、その反動でこんなに働いているんだからお金をたくさんもらってブランド物をたくさん持ちたいという強欲にまみれていたことを思い出しました。
そして、電車で偶然出会った彼女はブランドものに身を固めていました。
でも、全然美しくはありませんでした...
お金に目が眩むということがどんなことなのかを教えてくれた職業体験でした。
そして、正社員のお誘いをお断りした私は、夫の健康も考えて公的施設で働くことに決めて採用試験を受けることにしました。
でもまだ忖度体質は温存し続けていたのです...
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