こんにちは。
冷えとりコーディネーターの風茜()です! @kazeakane1
いつもブログにご訪問いただきありがとうございます。
2011年の東日本大震災のために避難した九州の義理両親宅で、思うように冷えとりができず、私がインフルエンザにかかってしまったことがあります。
(*詳しくは「冷えとり 家族からの抵抗2」をご覧ください)
冷えとりにまったく理解がなく、むしろ否定されている場所で、冷えとりをするのは本当に難しいとつくづく思いました。
冷えとりをやっていて、家族があなたの身体が心配のあまり、冷えとりをさせないようにするかもしれません。
または,冷えとりをやめてほしいと言われることもあるかもしれません。
ですが・・・。
すべての起こることは、自分で乗り越えられるときにしか起こらないのです。
勝間和代さんも言っています。
「起こることはすべて正しい!」
そして、起こったことを乗り越えるたびに強くなっていくのを私は実感しています。
冷えとりができない義両親宅でのインフルエンザA型発症
インフルエンザA型と診断されてから、しっかりと私は座敷に隔離されました。
三度の食事もそこに運ばれてきます。
しかも、運んでくれるのは子ども(音)の仕事・・・。
そこから出るときはトイレのみ。
義理の両親は私を病院から連れて帰ってすぐに、自分たちがインフルエンザにかかったら大変ということで、かかりつけの医者にタミフルをもらいに行って、飲み始めました。
インフルエンザにかかる前に予防で薬をあらかじめ飲んでおくのがいいとのことです。
そうすると、もしインフルエンザにかかっても軽くて済むということなのですが、
予防しているのか、していないのか、私には理解できない部分もあります。
だって、かかることが前提ですよ?
それなら、かかってから飲めば?とも思いますが、
西洋医学を信奉している舅と姑(ご年配の方にとっては当たり前のことですが)にとっては、薬を飲むということが安心できることなのだと思います。
冷えとりをやっている私からしてみれば、
- じゃあ、もしインフルエンザにかかったら、結局また薬を飲むことになりますよ?
- そうすると、2度も薬を飲むことになりますよ?
- そのほうが身体によくないんじゃないですか?
と、つっこみたくなります・・・。
もちろん聞く耳は持ってくれないと思いますので、静観です。
さて、インフルエンザの新薬のおかげで、私の熱は一時的に下がるのですが、
(熱が出ているときは身体が闘っているときだから、本当は下げてはいけないのにな〜)
後悔しきりです。
本当は高熱のときに24時間半身浴をやって熱を下げたというのを体験談で読んだので、それを実験してみたかったのですが、このときは自宅ではなかったので、チャンスを逃しました。
今度機会があったらやってみることにしましょう。
追記:しかしながら、この時以来、まったく風邪もひかなくなってしまいました。かれこれ8年は風邪をひいていません。
夕方になって薬がきれてくると、また熱がぐんぐんあがります。
(戦っている!戦っている!)
熱があがると、普通はがっくりするものですが、私の場合は身体が免疫力をあげて戦っている!とわくわくしていました。
ただ、熱のためにのどが乾いて仕方ありませんでした。
春先なので乾燥も激しく、湿気がほしくて仕方なくなりました。
そういうことも気がついてくれないので、自分でタオルに水浸らせ絞って、ハンガーにかけておきました。
それもあっという間に乾いてしまうほどの乾燥です。
するとしばらくたってから、義母が、
「タオルの水が滴って,畳に落ちて畳が痛むから、やめて」
と言ってきました。
九州では本当に女性の地位は低いのよ〜と言った耳鼻科の女医さんの言葉が思い出されます。
この頃になると私も病院置き去りの事件で、はっきりと言わないと命にかかわるという危機感が生まれましたので、今までは遠慮してきて言えなかったことも、
「部屋が乾燥してのどが痛いんです・・・」
主張できるようになっていました。今までは何も言えなかったのに・・・、命に関わることは言えるようになるものですね。
でも、姑は畳の傷み具合のほうが大切のようでぶつぶつ言っています。
心の中で毒づきます。(心の毒5000倍)
さすがにこれには、舅も私に同情したのか、バケツと洗面器を使って、加湿する方法を提案してきました。
「これなら畳も傷まない」
(いや、タオルを濡らして脱水したものを干した方がいいような気が・・・)
冷えとりをしない姑から食事攻撃
病院置き去り事件から、私は命の危機を感じていて、一刻でも早く体力を回復して、東京に帰ろうと決意しました。
放射能も怖いけれど、それよりもここにいたら死んでしまう・・・・。
真面目にそう思いました。
それと早く家に帰って、冷えとりを自由にやりたい!
冷えとりさえできていたら・・・
冷えとりが思うようにできない今、手っ取り早く回復するには免疫力をアップするしか方法はありません。
それには、食べないことです。
しかし、今度は食べさせられることとの闘いになったのです。
舅姑は、
◯病気のときこそ,食べて治す
という方針の人たちだったので、三度三度の食事がごちそうでした。
朝はバタートーストにはちみつたっぷり、ヨーグルト、リンゴ山盛りといったような喫茶店のモーニング並みの量。
昼はお店で食べるような具がたくさん入っているうどん
夜はハンバーグステーキ
これをすべて食べていたら、いつまでたっても免疫力があがりません。
そこで私は食事は食欲もないので朝だけでいいですと言ったら、
「そんなことでは、病気は治らない!」
叱られてしまいました。
西洋医学を強く信奉している舅姑は、昔の考えが実は間違えもあることもあまり知らないようでした。
確かに昔は病気のときは栄養をとる、だったかもしれません。
舅姑が、私のためを思って、たくさん食べろ!と、言ってくれている、その気持ちは痛いほどわかります。
実際に、私の親もまったく同じ考えですし、私も子どもの頃はそうしてきましたから・・・。
でも、親の世代には、もういくら言ってもわからないでしょう。これ以上けんかになるのもいやです。
だから、出されたものを仕方なく残すことにしました。
それから、お風呂に入りたいとお願いしました。
「病気で熱があるときはお風呂はいけない!」
(冷えとりでは、いついかなるときでも半身浴は大丈夫なんだけど・・・・)という気持ちをぐっと飲み込んで、何度もお願いしましたが、聞いてはもらえませんでした。
西洋医学の点から納得させようと思って、耳鼻科で今は病気のときにお風呂に入っても大丈夫なんだということを聞いたと言っても認めてもらえませんでした。
お風呂の蒸気が鼻や喉を潤すから病気にはいいと言ってはみたのですが・・・・。
仕方がないので、義両親と子ども(音)が遊びに出かけたすきに、勝手にお風呂をわかして入りました。
自分の好みの温度に設定して、40分間半身浴できました。
はあ〜幸せ!
今までされてきた数々の嫌なことも忘れるくらいの気分の良さでした。
湯たんぽのお湯もみんなが出かけているすきに自分で入れ替えました。
まだ熱があり、身体はふらふらはしましたが、身体も半身浴で温まり、湯たんぽのお湯も替えられて、なんだか治りそうな気分♪
そう思って、布団に入った瞬間、あのアクリル毛布のサンドイッチにそのいい気分も吹っ飛びました。
気持ち悪〜。
冷えとりができない義両親宅のお風呂問
私がインフルエンザにかかって、かれこれ3日。
子ども(音)は義父にお風呂にはいれてもらえましたけれど、髪の毛はまったく洗ってくれませんでした。
当時は5歳なので、もちろん自分一人で長い髪の毛を洗うこともできません。
だんだんカユくて頭をかきむしるので、頭を洗ってあげてほしいとお願いしました。
まだ私は38°度近くの熱を行ったり来たりしているので、音ちゃんと一緒にお風呂に入るのは難しかったのです。
すると、舅は「髪の毛の洗い方がわからん」と放棄。
姑は「私は洗えない」と拒否。
姑は音ちゃんとお風呂に入るのもいやだったようで、音ちゃんはお風呂はすべて舅と入っていました。
「シャンプーを使わなくてもいいので、お湯で流してくれさえすればいいのでお願いします」
とお願いしましたが、できないの一点張りです。
「じゃあ、私がやります!でも、まだ熱もあるし、密室のお風呂に私のインフルエンザ菌が蔓延(まんえん)してしますけれど」
インフルエンザ菌が蔓延するのは嫌だったらしく、ようやく引き受けてくれました。
お湯で流すだけ。
舅は髪の毛は乾かせないというので、姑が乾かすことになりましたが、
「なんで私が!」
「こんなに長い髪にして!短くすればいいのに!」
すごい文句です。
音ちゃんもあまりの剣幕に「迷惑かけてごめんね。ばあば」と謝っているのを聞いて、
たかが髪の毛を乾かすくらいでなんなんでしょう?と思いました。
ただ、髪の毛をお湯で流し、乾かすだけです。
音ちゃんは家でもシャンプーを使っていなくて、お湯で流すだけなので、頭にシャワーをかけてくれて、ドライヤーで乾かしてくれればそれでいいのですが・・・。
インフルエンザ発症後の再診
インフルエンザから5日経って、耳鼻科に再診察に行きました。
なるべく食べなかったおかげで、みるみる回復した感じを私は実感していました。
食べないことで身体の冷えがとれたんだ〜
免疫力もあがったんだ〜
病院には、また置き去りされましたが、今度はもう自分も体力も回復しているし、そのことについてはあまり気になりませんでした。
自分がそうされたら、逆にとても嫌だと思いますが・・・。
耳鼻科の女医さんに、
「インフルエンザはたぶんもう大丈夫でしょう。汗もいっぱいかいたんじゃない?シーツとかも何回も替えたでしょ?」
と言われましたが、そういえば一度もお布団のシーツや毛布は替えてくれませんでした。
そのことを言うと、女医さんは、
「本当に九州の嫁は大変ね」と苦笑いしていました。
そして置き去りにされた話しもしました。
「・・・・・・?」
先生も無言でした。
私はそういうわけで一刻でも早く帰りたいと主張しました。
しかしまだ、熱は微熱でも少しはあるし、この一週間は寝たきりだったから体力も回復していないし、あと一週間は待った方がいいと言われてしまいました。
(でも私は帰る!体力も大丈夫な自信がある!)
その前にもう一つ厄介なことがあります。
夫(風宏)への説得です。
そもそもこの九州への帰省は放射能から逃れるために始めたことです。
それは大人のためではなく、子ども(音)を放射能から守るためでした。
私がいくら帰りたいと言っても、夫はなかなかそれを聞いてはくれないでしょう。
今までの私でしたら、彼の言い分に我慢していました。
でも、今回のことで私は変わったのです!
自分の思っていることは我慢しないで言おう!
嫁姑問題では、夫から我慢しろと言われてきましたが、ついにこんなふうに思うようになりました。
(執筆者:冷えとりコーディネーター 風茜)
冷えとり豆知識
- 冷えとりを始めると、いろいろなことが変わります。
環境、考え方、習慣・・・。
抵抗しないで受け入れると楽になりますよ。 - 冷えとりを親に勧めたいと思っても、親はなかなか受け入れてくれないことがあります。「私は、そんなに靴下をはけない。」
「冷えていない。」
そういうときは無理強いしないで、「こんなに健康になったよ」と 伝えるだけでいいと思います。 - 家族から冷えとりを反対されても、スルーしましょう。
めんげんが起こったときに、冷えとりは医療ではないと言われましたが、それでも身体は健康になったことを体験しているのですから、どちらがいいか選ぶのは自分なのです。
宣伝です。家族の中での冷えとりで拙書が参考になります。