風宏の自己紹介

九州男児だった、じいちゃんの ”結婚指輪”

 結婚指輪

 

 

今日は、結婚指輪についての話をしたいと思います。

 

わたしの祖母は1989年に85歳で亡くなりました。

腰の骨を折って、長年寝たきりだった祖母が亡くなってから、

「わしも早くばあさんのところに行きたいの〜」

が、口癖になっていた祖父が亡くなったのは、それからちょうど1年後の1990年。祖母と同じ、85歳でした。

上の写真は、祖父が左手の薬指にしていた結婚指輪です。

病気をしたことがなく、毎朝5キロのウォーキングを欠かさなかった祖父。わたしの母に付き添われて年に一度の精密検査に行った病院で、採血の順番を待っているとき、

「ちょっと疲れたから横にならせてくれんかね」

そう看護師さんに頼んでベッドに横になり、順番が来たので母が迎えに行ったら、亡くなっていたそうです。

「じいちゃん、笑顔のまま死んどったよ。笑いよるんよ死んどんのに。幸せそうな顔してね〜」

それが、わたしが母から聞いた祖父の最期です。

 

じいちゃんの結婚指輪

 

 

祖父は岡山県の農家の次男坊として生まれ、実家を継げないため、八幡製鉄所の好景気を当て込んで戦前に祖母と北九州に移り住みました。

そこで、かなりの財を築き、金貸し業を始めます。

地元の政治家や、有力者が顧客です。

しかし、祖父は、

「力のある奴ほど借りた金を返さない」

いつもそう愚痴っていたそうです。

 

それを元手に何もない街に商店を開き、その周辺に祖父を頼ってやってきた人たちに次々と店を持たせ、商店街を作り、街の発展に大きな功績をあげたそうです。

子供たちは女の子ばかりの5人姉妹。わたしの母は末っ子です。(ちなみに父にも5人の姉妹がいます。うちは、完全に女系家族です。)

母の記憶にはないそうですが、長女や次女は、そういった顧客たちの元へ、借金の返済の取り立てに駆り出されることもあったそうです。

「金貸し業は労ばかり多くてちっとも儲からんわい」

わたしが生まれたころには、祖父は第一線を退き、祖母が日本茶の小売店を営んでいました。

茶箱の並んだ番台後ろの広間は、いつでも大勢の人がお茶菓子を食べながらお茶を飲んで、ワイワイガヤガヤ出入りしていました。今でいう和カフェのような雰囲気だったかもしれません。

そんな店の手伝いに母や叔母たちは駆り出されていたので、夕方、わたしが幼稚園や小学校から帰る場所は近くにある自宅ではなく、このお茶屋さんでした。

祖母は常に店を切り盛りしていて、家族の料理をつくり、よくわからない身なりの決してきれいとは言えない人の世話までしていたり(行き倒れている人や夜逃げした人がいると聞くと、祖父はどんな人でも家に連れてきて祖母に食事を作らせ、お風呂に入れてやり、寝床やお金まであげていたそうです)、とにかくいつでも忙しそうに動いていました。一方の祖父は、真昼間から日本酒をひっかけ、すでに赤ら顔でちょこんと座って、初対面の人と酒を酌み交わしたり、相撲かプロレスかボクシングが時代劇を見ながらニコニコしていました。

そんな祖父の薬指に光っていたのがこの指輪です。祖母も叔母たちも母も誰一人、女性は指輪をしていないのに、祖父だけが大きな金色の指輪をしていました。その姿があまりにかっこいいので、わたしは、それを引っこ抜いて自分の指にはめてみたいといつも思っていました。でも、太くて短い祖父の指に食い込んでいて、どう引っ張っても抜けません。

小学生の、たしか4年生のころ、わたしは一度、祖父にこうお願いしたことがありました。

「じいちゃん。いつかこの指輪、おれにちょうだい」

「これか?これはやれんの〜」

「なんで?」

「指からはずれんけの。無理じゃ」

「じゃあ死んだらちょうだい」

「それも無理やの〜。これは棺桶の中まで一緒やけ、燃えたらなくなるやろ」

「ちょうだいちょうだい」

「これだけは、おまえの頼みでもやれんの〜。無理じゃ無理じゃ」

 

 

結婚指輪紛失

 

 

 

月日は流れ、祖父の亡くなった2年後にわたしは結婚し、結婚指輪に祖父と同じような金色の指輪を選びました。銀座ミキモトで買った指輪で6万円くらいだったと記憶しています。指輪は、結婚してから一度も外したことがありませんでした。それは、祖父がそうしていたからです。

わたしの中で、左手の薬指に金色の指輪をしている男はかっこいい  と、いう刷り込みがありました。

そして、2006年の春だったでしょうか。子供が生まれたのを報告するため、祖父母のお墓詣りに行ったときのこと。そのお寺には大きなゴールデンレトリバー犬がいました。しつけが全然なっていないものだからよく吠えるし、よく甘噛みするんです。わたしは行くたびにカレと少しだけですが、遊んであげていました。

それから、二日後のこと。ふと気がつくと、左手の薬指に指輪がないのです。外したことがなかったし、はめているという意識すらなかったので、無くしていることに気づかなかったのです。だから、どこで外れたのかまったくわかりません。

記憶をさかのぼり、考えました。

………………

思い出しました。あの犬に甘噛みされて、口の中に手が入ったときに外れたのだった。ガ〜ン!

あわててお寺に行き、コソ〜ッと犬の様子を覗いてみました。あいかわらず、元気よくワンワン吠えています。よかった〜。腸閉塞とかで死んでなかった〜。

指輪はウンチと一緒に捨てられてしまったでしょうか。たぶん、そうでしょう。

あきらめるしかありませんでした。

それにしても、じいちゃんのお墓詣りで犬に指輪を食べられるなんて…、そんなことって…ある?

 

 

嘘のような巡り合わせ

 

 

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東京に戻り、すぐに新しい指輪を購入しました。カルティエのタンクフランセーズウェディングリング。ちょ〜高かったけど、ギザギザがあって、これだったら絶対、指から抜けない。

そして、その半年後、東京に遊びにきた母から、

「じつはあんたに渡したいもんがある」

そう言われ渡されたのが、リングの部分が壊れた祖父の指輪でした。

「これ、じいちゃんの指輪やん!どうしたん?なんで持っとん?」

「あんた、これ覚えとるんね?」

「わかるもなんも、小さいころじいちゃんにくれくれ言うた指輪やもん」

「そうね〜。やっぱりあんたに渡せってことやったんかいな〜」

「どういうこと?」

「実はね…」

母の話はこうです。

 

 

祖父が亡くなったあと、遺言書が見つかり、祖父の所有する商店街はすべて無償で店子に贈与すること。

所有する土地、預貯金などの財産はすべて指定の施設に寄付することなどが書かれており、身内には何一つ財産を残してはならない。

と、あったそうです。

葬儀の日、出棺前の最後のお別れのとき、最後に母の番が来ました。

棺桶をのぞくと、組んである祖父の手の指から例の指輪が外れていました。リングの部分が折れて広がっていたそうです。母は、いけないと思いながらも、とっさに(せめて指輪だけでも)と握りしめて隠したそうです。

 

それから10年以上が経って、母が東京へ遊びに来ることが決まったとき、ふと、

「おじいちゃんの指輪、あの子にあげんと…」

わたしには兄がいますが、母は、なぜかわたしの顔が浮かんだと言います。

「だから、あんたが持つべきやと思うてね」

渡された指輪はリングの部分が折れたままでした。

わたしは、指輪についてずっと聞いてみたいと思っていたことを母に聞きました。

「じいちゃんは指輪しとんのに、なんで、ばあちゃんはしてなかったん?」

「あの指輪は、もともとはじいちゃんがばあちゃんにプレゼントした指輪やったんよ。事業で成功したときに純金で職人に作らせてプレゼントしたんよ。でも、ばあちゃんは『商売人がそんなんできるか』って頑なにはめようとせんかった。だから、じいちゃんがはめたんよ。小さかったやろ、あの指輪。指に食い込んどったやろ。それでも無理してはめたんよ(笑)。そしたら、ほんとに抜けんくなってね〜(笑)じいちゃんにも意地があったんや思うわ。まあ、それくらい、じいちゃんはばあちゃんを好きやったんやろね。『男はなにやっても女には勝てんけの〜』っていっつも言いよったやろ」

たしかに、祖父は、酔っぱらうと、いつもわたしに言うのです。

「女はこわいけの〜。女をバカにするようなことだけはしたらいけんぞ〜。女は強いけぇ」

 

じいちゃん!

 

じいちゃんの言うとおりやったばい!

 

女は強い!強すぎばい!

 

 

その指輪を祖父がわたしに託した?

 

 

いまとなってはそう思いたいです。

なぜだろう?

 

 

 

わたしの右手の薬指には、以来、祖父の指輪がはめられています。

いまは、お風呂に入る前にはきちんと外してますけどね。

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(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)