ついていない、だめだなと思う時、どうしていますか?
私は50にもなっても、思い悩むことも多いし、いまだに人生惑わずという訳でもありません。
この記事は、ついていないときにどうすればいいのか、私のように思い悩む人に向けてコーチングの方法をお伝えしています。
ついていないときの私の体験談をぜひ参考にしてみてくださいね
富は無限にある
富は、限られた人のための特権ではない。富は他にもある。富には限界がないと気づいていた。
という、記者の話を最後に書きましたが、
その記者というのはわたしのことです。
わたしは、
「富は限られる」とは、思っていません。
「富は無限にある」
と、信じています。
そのことを、経験上、知っていましたから、同じターゲットを求めて争うことはしません。仮にその争いに勝ったとして得られるものはなんでしょう?
競争する数社との争いに勝ったという結果のでみす。
同時に何が生まれますか?
数社の敗者を生みます。そこにネガティブな感情が生まれます。
つまり、その戦いに勝つことで、勝者と敗者の二つの感情を生み出しました。富めるものと富めないものです。
本来、この戦いに勝つ目的は、この二つを生み出すための戦いだったのでしょうか?
違いますよね。
「読者の求める情報を提供すること」
これが、出版社と読者のwin・win(ウィン・ウィン)の関係です。
そこで、争わなくても他の証人で同じクオリティの記事が作れるのであれば、そちらのリスクを取ったほうがいい。そうすれば、競争相手も減り、敗者も減ります。敗者は、賞賛の声すらあげてくれます。
「そういう方法があったか〜。やられた。アッパレアッパレ!」
と。
なぜ、こんな話をするのかというと、みなさんに、
富は無限にあるということを知ってほしいからです。
そして、その富とは?
情報です。
情報が、すべての富の源泉です。
情報は、すべての人に得られるチャンスがあります。
そして、その情報をどのように使うかで、富は無限に広がっていくのです。
情報は富の源泉なのです。
わたしの仕事はその情報がすべてです。情報を得るためにどうすればよいのか、得た情報をどのように利用すればいいのか、どういう形で公にするか。
わたしには、23年にも及ぶ経験がり、蓄積があります。
わたしが取材して記事になった情報は、数えたことはありませんが、単純計算しても軽く1000は超えているでしょう。今までインタビューさせていただいた芸能人、スポーツ選手、芸術家、財界人、専門分野のエキスパートなど、一流と言われる方々は500人は超えていると思います。
もちろん、楽しい取材だけではありません。
地下鉄サリン事件や阪神大震災の被害者の家族や、拉致被害者の家族、殺人事件の被害者の家族の方から話を伺うこともありました。レイプ事件、ストーカー事件の被害者の女性に会うことも少なくありません。
詐欺事件や殺人事件の逃亡犯に取材したこともあります。
気がつけば、23年間、ずっと、人間の喜怒哀楽だけでなく、成功や失敗、歓喜や悲哀、羨望や嫉妬、熱愛に憎悪。人間のありとあらゆる姿を見てきました。
わたしはライターになると決意したときに、
「どんな取材依頼でも絶対に断らない」
と、これだけは決めていたので、気がつけば、このようにありとあらゆる世界に生きる人たちと会う機会に恵まれました。
今日、プロ野球で何十億も稼いでスポットライトを浴びてスターの頂点に立つような方に会って、明日は、レイプ被害の女性に会う。
そういう日々を23年間過ごしてきたのです。
このような生活を送っていますと、精神がかなり疲弊します。そういった方々の真実の言葉を聞くということは、その気を真正面から受けてしまいます。全てを全力で受け止めていると、身体が持たなくなるのです。だから、当然、感情が追いつかなくなることもあります。時には、感情を完全に除外して、相手の話を淡々と、流れ作業のように聞いてそのまま原稿に起こす。なんて、とんでもない失礼な対応をしたこともありました。
正直、40を過ぎたあたりから、体力的に無理かもしれない。と、弱気になることもあります。
だから、
「いつまでも、ライターという場所にいられない。もっと、上のステージに向かわなくては…」
と、焦る気持ちばかりが強くなり、考えることは先のことばかり。
今を見つめる。
と、いうことを、ずっと怠っていました。
今を生きる。
と、いうことを、ないがしろにしていたのです。
だから、多くの方がわたしに語ってくれた言葉は、その方から出た真実の言葉であり、
心の中をさらけ出した言葉
であったにもかかわらず、そのたくさんの言葉をわたしは今までずっと、タンスの引き出しに仕舞ったまま、ほったらかしにしてきました。
ありがたい多くの方の言葉が、わたしにとっての、ものすごい宝物であるということを考えもせずに。
それこそが、わたしにとっての富の源泉であるということに、ようやく気づけたのです。
同じ場所を動き回っていただけなりの成果
わたしは、自分の”心の毒”に、気づけないまま、
外に出たいと願いつつも、外に出られないまま、
同じところをグルグル回っていることを自分に気づかせないように工夫しながら、
日々の激務をただこなし、
たくさんの方々からいただいた多くの宝物の存在に気づかず、
タンスに仕舞ったまま肥やしにし、
気がついたらこの歳になっていました。
でも、こうやって気がつけたから、言える言葉ですが、
同じ場所をグルグル回っていただけかもしれないけれど、しっかり、動き回っていたことだけは事実なんですね。
しっかり、もがき苦しんでいたわけです。
口だけではなく、なんとか、現状を脱したいと動き続けてはいたわけです。
だから、時間がかかったぶんだけの貯金は、たとえ金利は少なくてもできていたわけです。
何が言いたいかというと、
人生は、動いている限り、進んでいく。
と、いうことです。
動かしている限り、大きくなっていく。
貯金をすれば、お金は溜まります。わずかな金利でも。でも、みんながみんなお金を貯金したら、経済は回っていきません。だって、お金は使うためにあるのだし、
「金は天下の回りもの」
ですから。
でも、多くの人は、この言葉の意味を履き違えています。
「給料が入るから、物が買える」「お金を貯めたから欲しい物が買える」「欲しい物があるからお金を貯める」「お金は使うためにあるのだから貯めたお金は使わなきゃ。だって、金は天下の回りもの」
「入るから出て行く」
これが、「金は天下の回りもの」だと、思っています。でも、これだと、入ってくる方向と出て行く方向が別々です。出て行ったらそれで終わり。決して戻ってはきません。「金が目の前を素通りしていった」だけです。
「お金は、お金を出すから(投資=人様の役に立つ使い方)、その出した方向から、グルリと回って自分のところに増えて戻ってくるのです。そして、その増えたお金をまた出す(投資する)」=「金は天下の回りもの」
なのです。
お金を出すというのは、投資のことです。つまり、払った以上のお金が帰ってくることにお金を使うのです。
料理教室に高い授業料を払って通います。料理が上手になった自分が出来上がります。そんなあなたは以前のあなたより、確実に人様のお役に立てることができるでしょう?自分自身に対して、カレに対して、家族に対して。そこに、お金を払った以上の価値があると思えれば、それをもっと多くの人様のために生かしたいと考えます。さらにスキルアップを目指し、次なる投資を考えます。その瞬間に完全にお金が回り始めるのです。
その状態のことを、「金は天下の回りもの」と言うのです。
だから、
お金はなくても出すのです。出すから入ってくるのです。
「ローンをして欲しいものを買う」と、いうのと、「借金をして学校に通う」というのは、全然違います。前者はただの借金。しかも、欲を満たすだけの借金です。目の前を通過するお金すらないのに、物を手に入れようとする欲です。後者が金を回しているのです。でも、その借金すらできない人はどうすればよいでしょうか?
お金がなければ、なにを出しますか?
あなたの時間です。労力です。アイデアです。
将来、自分にお金となって帰ってくることに投資するお金がなければ、アルバイトをしてお金を稼いで、そのお金で学校に通う。これこそ、投資です。
時間と労力をかけ、ビジネスのアイデアを出すのです。そして、行動に移す。企業にプレゼンに行くのでもいいでしょう。それが、「お金を出す」ということです。そうすると、そんなあなたに投資してくれるお金持ちが現れるでしょう。
つまり、お金も体も、
動かしている限り、大きくなっていくのです。
川の水も中心の流れが強いところは、水が澄んでいます。端の流れの弱いところ、流れが止まっているところは、汚れているし、ゴミも溜まっていきます。
家も、同じ新築で建てられた家が3軒並んでいるとして、すぐ売れた家と1年間まったく売れなかった家、どちらが痛んでいると思いますか?まったく売れなかった家です。
ガレージに止まったままの車と、外を毎日走り回っていた車。埃が溜まるのはガレージに止まったままの車です。
同じ不治の病いで寝たままの方と、辛くても毎朝、散歩していた方。どちらの方が長生きできると思いますか?
毎朝、散歩していた方のほうが長生きできそうな気がしますよね。
そもそも、人間は、血液が身体中を循環しているから、生きていられるのです。
人生もそれも同じです。
止まったらダメなのです。ダメな時ほど、動かなくてはなりません。
「休むな!」と、言っているのではありませんよ。休養はとっても大事。でも、それは、あくまで動くという主体性があってのこと。
動いていれば、必ず、進んでいくのです。
ただじっと止まって、待っていてはダメなのです。
「なにをやっていいのかまったくわからない」
だったら、その辺を散歩してみましょうよ。
ただ、歩けばいいのです。
歩いている限り、進みます。
進めば、必ず、新しい景色が見えてきます。
疲れたら休めばいい。
休んだら、ゆっくりでもいいから、また歩き始めましょう。
だって、それが人生ですから。
流れが止まると、悪い成果がすぐにやってくる。
わたしは気付きました。
だから、わたしは書き始めました。
このブログを。
『レスキュー女子es』を。
ダメな時だからこそ、始めることにしたのです。
ブログを始める数ヶ月前、自分を変える最後とがむしゃらに3年間働いたあと、なにも変わらない自分を再発見し、実は、自分は職人気質なのかもと気づき、以来、淡々と日々の仕事をこなすという毎日を過ごしてきました。
でも、やはり、わたしの深い奥底に眠っている”心の毒”がなんなのか、わかりませんでした。
なぜ、自信が持てないのか?
という、その原因となっている”心の毒”です。
でも、いままで書いてきたようなことに気づくことはできました。徐々に、これから自分がやるべきことの方向性が見えてきたのです。
わたしの経験をどうやったら、人様のために使えるのだろう?
「ブログを書く」
と、言う方法は早い段階から見えていました。
でも、正直、
「工夫ないな〜」とか、
「もっと違うやり方があるはずだ」とか、
「you tubeや電子書籍といった新しい発信方法もあるじゃないか」などなど、
頭には浮かんでは消え、ひらめいては否定するということを繰り返していました。
「この歳になって、今更、ブログなんてな〜」
「アクセス数の増やし方なんてのもわからないし」
ライター仲間に相談しても、大抵の人は、一度は必ず始めてはいるのですが、1年足らずでやめてしまったり、更新が面倒くさくなって放置したままになったり。結局は、日々の日記のようになってしまい、身内しか訪問しなくなっていたり。
「続けるというのはなかなか大変なんだな〜」
そう思いました。そもそもわたしはブログを立ち上げる方法すら知らないし、ネット環境をほとんど使いこなせていませんでした。HTML言語なんていまだにさっぱりわかりません。ブログを読んでもらうというだけでも、ものすごく遠い道のりだったのです。
でも、一旦、書き始めれば、「続ける」自信だけはありました。
なんせ、性格が職人気質です。続けると決めたら続けます。しかも、わたしの頭の中には、引きだしに仕舞ったままの情報で溢れていましたから。
そして、いまからちょうど2年前。わたしが、仕事をさせていただいている出版社との契約の関係で、収入が激減しました。わたしとしては、その決定に納得できませんでした。仕事の成果を上げていたにもかかわらず収入が減ったのです。ショックでした。常にトップを走っていると思っていました。しかし、それはわたしだけの勝手な思い込み。奢りというやつです。頭をガツンと殴られた思いがしました。
「調子にのんなよ」
そんな声が頭の中に響きました。
わたしは、
「なぜだ?自分のなにがいけなかったんだ?」
「なんで、収入が減ったんだ?どうやって減った分の収入を取り戻そう…」
収入が減ったことばかりに考えが固執してしまったのです。
つまり、流れを自分で止めてしまったのです。
そうなると、水は汚れ、ゴミが溜まっていきます。うまくいっていた仕事も成果があげられなくなったのです。
「収入が減った」ことに固執した結果、「減った」だけの仕事の成果しかあげられなくなったのです。
当然、これらの結果は、すべてわたし自信が招いた結果です。
「やばい…。どうやって自分を救おう…」
そのまま年末を迎え、年をこえました。今年の初めのことです。
ダメダメな自分を救うために始めたブログ
考えてもダメな時はダメなのです。
立ち止まって、ふと、考えることは大切なことですが、答えが見つからない時は、やっぱり、動くことです。
でも、
「あれ?いま、自分、落ちていってる?」
そう実感してしまうと、焦るし、考えないようにしても考えてしまうんです。こればかりはどうしようもない。ただ、
「早く流れを変えなければいけない」
これだけは確かです。淀んだ場所は流さなくてはいけない。悪い流れは変えなければいけない。自明の理です。
わたしはお正月、本屋さんへ行って、ワードプレスの教本を買いました。いま、わたしが利用させていただいている無料のブログシステムです。
なぜ、このシステムを選んだかというと、広告が一切付かないからです。見た目がシンプルでキレイだし、わたしのブログを読みたいと思ってくださる方だけに訪問していただけるので、読者の反応や傾向、どんな情報を必要とされておられるのか、わかりやすい仕組みになっているのです。
ただ、教本を読んで理解することは容易ではありませんでした。
なんせ、ど素人ですから。
そして、1月の一ヶ月。空いた時間のすべてをブログを始めるための時間に費やし、この『レスキュー女子es』を開始しました。
「あなたの経験や考えや、わたしが悩んだ時に、いつもわたしに話してくれていることを書けば、たくさんの女性の人の助けになると思うんだけど」
奥さんのこの一言で、ターゲットとなる読者層が決まり、タイトルも奥さんが決めました。わたしが決めたタイトルは、「ダサッ!」と、奥さんに一喝されました。(もちろん公表しませんよ。一生、墓場まで持っていきます)
2月頭から中旬までの2週間で、「心の冷えとりコーチ風宏がレスキュー女子esブログ始めた理由は女性の悩み解決に」の下書きをし、そして、開始。
広報宣伝活動は、一部の友人に伝えただけで、ほとんどしませんでした。出版社やライター関係、同僚には一部の女性スタッフを除いてはまったく話していません。
この「風宏」というペンネームも本名ではありません。
すべてを、ゼロから始めたかったのです。
もちろん、最初は誰も読んではくれません。最初の一週間は、数件のみ。二桁もいきません。
でも、書き始めたら止まりませんでした。
わたしの心の中の引き出しから、勝手に物が溢れ出てくるのです。
「俺を先に書いてくれ〜」「ダメよ〜。あたしが先よ!」
そんな感じで、テーマがどんどん頭に浮かんできます。
それが、わたしがブログを始めた種明かしです。
『レスキュー女子es』は、
本当は、ダメダメな自分を救うために始めたブログだったのです。
自分を救うために書くことで、少しでも、ほんの少しでも、人様のお役に立てられれば…。
そう思えることが、モチベーションだったのです。
だから、訪問者が少なくても、気にならなかったのです。
わたしはわたしを救うために書いているのですから。
結果、わたしは救われたのでしょうか?
間違いなく救われています。
なぜなら、
ずっとずっと、わからなかった、”心の毒”の存在について、ようやくわかってきたのです。
わたしの抱えてきた問題を、ブログのテーマとしてずっと書き続けることによって、自分の心の奥底にあって、ずっと気づくことができなかったことが、ようやく見えてきたのです。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
続きは、風宏の心の冷えとりコーチング「心をさらけ出せ!4」書くことは自分を内省できるけれど、それ以上に大切なことをご覧くださいませ。