人は自分の信じることをしたい。嫁姑も自分の信じていることを譲りません。だから、揉め事が起こるのです。それがもし、命に関わることだったら、摩擦が起こるのは当たり前のことでしょう。今回の嫁姑問題は、私たち家族が行なっている冷えとりが帰省中にできなかったことで奥さんが参ってしまったことについて書きたいと思います。
東日本大震災直後の姑のもとへ帰省
東日本大震災が起こった直後から、東京も混乱の中にありました。
未曾有の事態に、わたしの仕事も先が読めない状況になりました。
わたしは、奥さんに音ちゃんを連れてしばらく九州の実家に戻るようにお願いしました。
奥さんもこのときばかりは反対せず音ちゃんを連れて九州に行きました。
地震から3日後、3人で飛行機で九州へ。わたしは1泊だけして東京に戻ります。
この一泊二日で、経験したことがないような感覚に襲われたことを今更ながら、はっきりと思いだします。
「放射能に汚染されたエリア」と、「汚染されてないエリア」
飛行機だったので境界線が定かではないので、どことは、はっきりとはいえませんが、地震直後、フランス人の知人は、フランス大使館から、
「最低でも大阪までは逃げてください」
と、言われたそうです。
北九州空港についたとき、出迎えの人々のあまりの、長閑な表情、光景に、
「ここは外国なのか?それとも、わたしたちが外国から帰ってきたのか?」
そんな錯覚に襲われたほどでした。
しかし、地震から遠く離れた九州にも影響は少なからず出ていました。地震からわずか3日しか立っていないというのに、空港近くのコンビニでは大きなペットボトルの水が不足していました。すでに、被災地へ送るために品薄になっているほどでした。
それでも、安心して外に出られる。安心して食材が買える。少なくとも放射線量は東京ほど多くはありません。
ここなら安心して奥さんと音ちゃんをしばらく預けられる。
もし、第3の爆発が起こってしまったら、このまま東京には住めなくなるかもしれない。少なくとも、二人は東京には戻れないかもしれない。
それくらいのことは覚悟しました。
翌日、わたしはすぐに東京に戻りますが、奥さんにとって舅姑は天敵。じいじとばあばにとっても嫁は天敵ですが、この際、そんなことは言ってられません。
東京の状況が落ち着くまでは、音ちゃんに頑張ってもらわなくてはなりません。
「場合によっては、東京を引き払って、みんなで九州に転居することになるかもしれない。それくらいの覚悟はしておいてね」
わたしは、彼らにそう言って東京に戻ったのです。
冷えとりを姑に取られて、冷えて、免疫力落ちる
その二日後、奥さんはインフルエンザにかかりました。回復するまで10日近くかかりました。
その間に、音ちゃんの体重が2キロ増え、膀胱炎にかかってしまいました。
回復後、奥さんは音ちゃんを連れて逃げるように東京に戻ってきたのです。
その数日前、
「もう少しだけ、そっちに居てほしい」
と、いうわたしの言葉に、奥さんが泣きながらこう言ったのです。
「このまま、ここにいたら、わたしは死んでしまうかもしれない」
後にも先にも、奥さんの泣き声を聞いたのはこれが一度きりです。
わたしはなにも言い返せませんでした。
放射能から逃れた先で死んでしまったら本末転倒です。
「じゃあ、治ったら帰っておいで」
結局、奥さんと音ちゃんが九州に滞在した期間は二週間。
そして、嫁姑は、さらなる険悪な関係に進化して、幕を閉じたのでした。
これはすべてわたしの判断で起こってしまった出来事です。
原発が水素爆発して放射能が飛散した。逃げる場所があるなら逃げろ!だから、わたしは奥さんと音ちゃんを逃しました。関係が良くない舅姑の待つ家へ。これが吉と出るか凶とでるか。賭けです。結果、凶と出た。嫁と姑の関係は悪化を加速させるだけになってしまったのです。
なにが起きたのか?
時は3月中旬。九州といえども夜はまだ寒い。しかも実家は古い一戸建てです。すきま風ピープー。冷えとりをやり始めてまだ2年しか経っていない奥さんの体はまだ冷え性が残っていました。冷えきった奥さんは当然、お風呂に入って半身浴をするつもりでした。しかし、
「今日はお風呂を沸かさんよ。うちでは冬は汗をかかんけ、3日に1度しか入らんけね。水道代もったいないやろ」
そんなルール、わたしですら知らない。
奥さんはそう言われてお風呂に入れない。暖房は石油ストーブだけですが、冬でも裸足(冷えとりでいう、”冷えのぼせ”の状態)の舅姑は、寒さをほとんど感じてない。だから、
「お父さんの心臓によくないけ、ストーブを焚かんでね」
確かにこのとき父は、心臓の病が見つかり、投薬治療を行っていました。
そう言われて、ストーブを入れるわけにもいきません。
その翌朝、寒気がするので熱を計ってみると39度の熱。今までインフルエンザに一度もかかったことのない奥さんは、まさか自分がかかっているとは思わず、1日、和室に閉じこもり布団の中でじっとすることにしました。
お昼頃、なんとか起きて、
「お義母さん、熱があるときはお風呂に入るのがいいので、お風呂に入れさせてください。お願いします」
しかし、母は、
「風邪のときにお風呂に入ったら熱が上がるよ。そんな自殺行為はさせられん。大人しく寝てなさい」
そう言います。
確かに、この風邪がインフルエンザなら、お風呂に入るのは自殺行為かもしれません。この当時、インフルエンザの場合、温かいお風呂に入って体温を上げると、ウィルスが急激に増殖し重症化すると言われていました。最近では、インフルでもお風呂に入っても大丈夫という医者が増えてきました。
しかし、単なる風邪なら、お風呂はむしろ入った方がいいと、最近の医学では言われています。汗をたくさんかくとウィルスが早く死滅すると言われているのです。
このとき、奥さんは単なる風邪だと思い込んでいました。母の反対を聞かず、自分で勝手に湯船にお湯を張り、お風呂に長時間浸かってしまったのです。
これには母も、かなり憤慨したようです。わたしのところにわざわざ電話をかけてきて、
「なんであんなことするんやろか。風邪ひどくなるばかりやのに。あんたからもやめるように言うて」
そう言ってきたほどです。
結果、母の言ったことが正しかった。ということになってしまったから、話がもっとややこしくなってきます。
嫁姑、病院選びで、もめる
翌朝、ついに40度を超え、意識も朦朧とする中、奥さんは、
「これは、おそらくインフルエンザだから近くの耳鼻科に連れて行ってほしい」
と、両親に懇願します。しかし、ここで、父がそれに反発します。
「ただの風邪なのにお風呂に入ったからひどくなっただけよ。動かんでじっと寝てれば治るよ。動く方がよくない」
そう言って、病院に連れていくことを拒否。
「いえ、この高熱は間違いなくインフルエンザです。お願いです。連れていってください」
そう言っても、
「その必要はない。寝とったら治る」
そう言って聞かない。
「わかりました。だったら、救急車を呼びます」
そう奥さんが言うと、今度は、
「わかった。わかったよ。でも、どうしても病院に行きたいなら、耳鼻科なんて信用できんから、僕の心臓の担当医のいる大きな病院に連れていってやるから。あそこはいい病院やけ」
となった。
「どうして、心臓なんですか? インフルエンザなんだからすぐ近くの耳鼻科でいいんです」
そう言うと、今度は母が、
「茜さんはなんでお父さんの言うことを聞かんの? 昨日は、私の言うことを聞かんから風邪がひどくなったんでしょう? だったら大人しくお父さんの言うことを聞いてちょうだい!」
「だからって、なんで心臓なんですか? インフルエンザなんです。心臓の悪い患者さんにうつしてしまったらどうするんですか?耳鼻科に行けばすぐにわかるし、タミフルを飲んだら一発で治るのでお願います。それに私には持病で鼻の粘膜の疾患があるんです。だから、耳鼻科に行きたいんです!!!」
そこで、母はわたしに電話をかけてきました。
「茜さんは、なんで、あそこまでわたしたちに反抗するんかね。あんたからも言って。耳鼻科なんかじゃ、原因わからんよ。ちゃんとしたお医者さんに行ったほうがいいよって。あんたが言ったら言うこときくやろ」
「おふくろ、茜の言う通りにしてやって。インフルは鼻の穴や口の粘膜で調べるから耳鼻科のほうがいいから。診察時間も短いからすぐに順番回ってくるし」
「やっぱり茜さんの味方するんやね」
「そういうことじゃなくて。病人の言う通りにしてあげて。頼む」
姑と舅に病院に置き去りにされる嫁
結局、病院には父だけでなく、母と音ちゃんも付いていくことになりました。
「茜さんが診察を待っている間にわたしと音ちゃんで買い物に行ってくる」
と、いうのが母の理由です。音ちゃんは予防接種を受けていましたが、ウィルスが蔓延している病院に連れていくことに反対しますが、
「お外に行くなら、私もつれていって〜! 音ちゃんも行きたいよね〜? 行こ! 行こ!」
はぁ?と茜さんは思いましたが、そこにさらに反論する気力は残っていません。
病院に着くと、待合室にはマスクをつけた人でいっぱいでした。待ち時間を聞くと1時間はかかると言われます。どの患者さんもインフルっぽく辛そうな人ばかりなので優先してもらうこともできません。
仕方なく椅子に座り診察を待ちます。その間、
「茜さん、僕たちはここにいてもスペースないから、その間に買い物に行ってくる。すぐに戻ってくるから、一人で大丈夫?」
「大丈夫です」
まあ、そういうしかありませんね。
こういう言葉の使い方は、ある意味卑怯です。
みなさんも気をつけてくださいね。
「あのケーキ美味しそうだね。食べたいね〜。食べる?」
こう聞かれたら子供は必ず「食べる」と、言います。これ、完全に言葉の誘導です。
「買い物に行ってくるけど、一人で大丈夫?」
こう言われたら、言われた側は、
「一人で我慢しててね。買い物に行くから」
こう断言しているようにしか聞こえていません。本当に心配する気持ちがあるなら、
「ここで座って待っていられる?看護師さんに言ってベッドを用意してもらおうか?」
と、言うべきで、「一人で大丈夫?」と、聞いている時点で「一人でいてね」と、言っていることと同じなのです。
相手を思いやる気持ちと、自分の気持ちのどちらを優先させたいのか?
そこを、はっきりさせないと、これがただ単に言葉の使い方の間違いだったら、起こさなくてもいいトラブルの元になるからです。
気をつけてくださいね。
結局、奥さんは一人、待合室に置き去りに。
そして、文字通り、そのまま置き去りにされたのでした。
と、いうのも、待ち時間は以外と短く30分で診察してもらい、予想通りインフルエンザでした。待合室に戻りタミフルを処方してもらいますが、肝心の彼らが戻ってきません。奥さんはお金を持っていない。
それから1時間が経ち、それでも戻ってこない。そのうち、意識を失った彼女が目を覚ましたときにはベッドに寝かされていました。
「重病の患者さんを置き去りにしてどういうつもりなんでしょうね。ベッド、本当は空きがなかったんですよ」
そう憤る看護師さん。奥さんは携帯も持ってきていないので、連絡もできない。
そして、ようやく3人が戻ってきたのは、2時間後でした。開口一番、母が語ったその理由は、
「音ちゃんが急にお腹減ったって言うから〜。音ちゃん、パン食べたかったんだよね〜? 病院も混んでたし、音ちゃんにうつすわけにはいかんやろ」
「それにしても2時間ってどういうつもりですか?お母さんは重症なんですよ!」
看護師さんにそう言って怒られても、
「すぐそこでご飯食べてたんですよ。茜さん、電話してくれればよかったのに」
奥さんは思い出したそうです。わたしが脳腫瘍の手術をした時のことを。術後、二日目、介護にこなかった両親のことを。その時の言い訳を。
「孫がもっと遊んでって泣くから」
まったく同じだと。
すべてのことを人のせいにする人たちだということを。
「ああ、この人たちは、家族に対する責任からずっとこうやって逃げてきたんだな」
そう思ったそうです。
姑から嫁は座敷牢に閉じ込められる
奥さんがインフルと知った両親の動きは早かった。
自宅に戻り、普段使っていない和室に布団を敷き、そこに奥さんを寝かせ、3人は慌てて家を出て行きました。
何時間か経って戻ってきて、両親が言うには、
「年寄りにインフルエンザが移ったら死んでしまうらしいけ、お父さんの心臓の担当医のところに行ってタミフルもらってきたんよ。インフルにかかってなくてもわたしたちも飲んでおいたほうがいいらしいって。それで、極力インフルの人とは接触せんほうがいいらしいから、茜さんはインフル治るまでこの部屋から出らんようにね。ご飯はここに持ってくるけ。音ちゃんもここには来させんようにするけね」
それから、奥さんの寝ている和室は完全に座敷牢になったのです。
奥さんの食事を運んできたのは、なんと、音ちゃんでした。
「音ちゃんが持ってくるの?」
「ばあばに持って行ってって言われた」
「そうなの?」
「うん」
「………」
言っていたことと、やっていることが違う。
普段はほとんど使われていない、納戸のような部屋です。だから、ほこりっぽいし乾燥している。インフルは咳がたくさん出ます。乾燥しているとウィルスが飛散する。
「すみませんお母さん。部屋が乾燥しているので、加湿器とかありますか?」
「そんなんないねえ」
「だったら、湿らせたタオルを何枚か部屋に干していただけますか?」
「あ、そんなことしたら畳にカビがはえるけね〜。大丈夫よ、茜さん。タミフル飲んどるんやから。気にせんで寝とったらええよ」
「でも、乾燥していたらウィルスも飛ぶのでお母さんたちにもよくないと思います」
「大丈夫、大丈夫。その部屋には近寄らんから。ご飯とか着替え持ってくるだけやけ。こっちは大丈夫よ」
「………(あたしが大丈夫じゃないんだよ!)」
奥さんは、その夜、みんなが寝静まったのを見計らい、起きてタオル数枚を濡らし、ハンガーにかけ、部屋に干しました。
(自分の命は自分で守らないと…、死んでしまう)
それでも、直接は言い合わない嫁姑の電話の応酬
翌朝早く、母から電話が入ります。
「宏、茜さん、インフルになって頭がおかしくなったごとあるよ。どうしよう?」
いきなりそんなことを言うのです。一瞬、わたしの頭によぎります。インフルエンザ脳症?
「どういうこと?」なにが起こった?」
「茜さん、濡れたタオルを部屋じゅうに干して、部屋の畳がビショビショなんよ!もう畳がダメになるんよ、あんなことされたら。どういうつもりなんか、ようわからんのよ。頭おかしくなったんやなかろうか。わたしが聞いてもようわからんから、あんたから言うて。そんなことやめろって。畳が腐るって」
「それはうちでもよくやることだから。音ちゃんがインフルや風邪をひいたら家中を加湿するよ」
「あんたんちは畳なかろうも」
「……畳と命、どっちが大切なん?」
「そういうこと言うとらん。だったら洋間に部屋を変えてあげたのに」
「そういうことでもせんと、やってくれんからそうしたんやない?」
「また、わたしが悪いんね。全部わたしが悪いんやね!」
「そういうことじゃないよ。そんなことはひと言も言ってないよ。ただ、病人を最優先してほしいだけ」
「もうええ。あんたにはなんも相談せん!」
それから数時間後、今度は奥さんから電話がかかってきます。
「ここにいたら死んでしまう。かえりたい。かえりたいよ〜。ウェ〜ンウェ〜ン」
悲鳴に近い声で、そう言いながら号泣するのです。そして、病院に置き去りにされたことやタオルの経緯を聞きました。
わたしには、謝まることしかできません。
次に父に電話をかけ、
「気に入らないこともあるかもしれないけれど、ここは我慢してほしい。茜の望んでいる通りにしてあげてほしい」
そう頼みました。父は、もちろん、争いを好まないので、
「わかった。俺ができることは俺がやるようにする」
そう言って、父が音ちゃんをお風呂に入れ、一緒に寝てくれることになりました。母は、やはりこの二つをやってくれません。
姑と舅に甘やかされて、子供が野生に戻る
奥さんが、座敷牢に閉じ込められている間に、音ちゃんはじいじとばあばの元で、みるみる野生に戻っていきました。
周りにはお友達もいません。ママにも会えない。退屈で仕方がない。じいじとばあばも用心して出歩かない。音ちゃんは、この間、おもちゃや漫画を買い与えられ、お菓子を食べまくり、体重が一気に2キロも太ってしまいました。
そして、どうしても外に行きたいと言う音ちゃんのリクエストに久しぶりに答える形で、ちょっと離れた大きな公園へお出かけしたとき、音ちゃんはトイレに行かせてもらえず、膀胱炎になってしまいます。
奥さんは、その事実を知り、ますます危機感を募らせたのでした。
続く。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
お話の続きはこちらをどうぞ。
風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。