嫁姑問題

心の冷えとり あって当然。嫁姑問題7 〜嫁の周りは敵ばかり〜

親は自分の子供に優劣をつけるし、贔屓する。

 

奥さんの主張はこうです。

「親が子供を贔屓(ひいき)するのは仕方ありません。うちの親にもありました。あんな父親でも、父は妹よりわたしをいつも贔屓していました。だから、仕方ないと思えることもあります。親は自分の子供に優劣をつけるし、贔屓するんです。お義父さんもお義母さんもお義兄さんのほうが、宏さんより優れていると思っているし、贔屓しているんです。はたから見ていて、それが露骨にわかるほどです。それを親が自覚をしてないのがいけないんです」

しかし、父も母も、

「それは茜さん、あんたの親がそうであって、わたしたちは絶対にそんなことはしてないよ。それは絶対の自信を持って言える。親が子供に優劣つけるとか、贔屓するとか、そんなことがあるはずがないじゃない!それこそ、あんたは、自分の育った環境にあてはめているだけでしょ」

 

当然、お互いの主張はこのような平行線を辿ることになります。

 

翌朝、結局、両親は、奥さんに対する憤りをわたしに告げました。当然、共有してくれるものだと思っていた自分たちの主張に対し、わたしが、

「奥さんの言ったことは本当だよ。おれもそう思っているよ」

そう答えたわたしにさらなるショックを受け、上京してきた時と同じように失意のまま帰京してしまいました。

そのようにしてしまったことに本当に申し訳ないと思いながらも、わたしは後悔はしませんでした。いずれ、このような場面は必ず訪れたのです。そのタイミングがあまりに悪かったというだけで。

わたしは、退院後、休職中に一人で長期、実家に帰りました。そして、再度、両親と奥さんのことだけではなく、わたしの幼少からの人生をひとつひとつ振り返る形で、何日も毎晩、語り合いました。

子供のころ、兄はアニメを観ることが許されていたのに、わたしには大好きな映画を観ることすら許されなかったことや、兄には振るわれなかった暴力がわたしには振るわれたこと。兄にはつきっきりで教えていたスポーツをわたしには教えてくれなかったこと。兄の高校や大学受験での両親の力のいれ方、合格した時の喜び方と、わたしのときがあまりに違ったこと。

「それもこれも、すべて兄貴のほうが優れていたからね。スポーツでも勉強でも兄貴に勝てるものが何一つなかった。だから、仕方ないと思ったよ」

わたしの告白に、父は心底、驚いていました。

「おれはそんなこと考えたこと一度もないぞ。兄貴にテレビを許したのにおまえには許さんかった?そんなこと、ないと思うけどの〜…」

そういう、父の表情が、いかにも罰が悪そうに見えるのです。心当たりがまったくないという顔ではありませんでした。

「それこそ、おまえに暴力を振るったことなんかないぞ一度も。それは絶対にないやろ」

「それ本気で言ってるの?殴ったほうは忘れても殴られたほうは絶対に忘れないよ」

「そうかの〜。おまえを叩いたりしたかの〜」

トボけているというのではなく、本当に覚えてないようでした。

そこで母が、

母「したよ。あたしが止めたやんね」

父「そうやったかの〜。覚えとらんの〜」

母「わたし、宏に言われていろいろ思い出した。たしかにそうやったそうやった。贔屓しとるつもりなくても、宏からはそういうふうに見えたのかもしれんね。親としてひどいねそれは。悪かったね〜」

父「まあ、それが本当やったらそうやの。悪かったのう。でも、あれやぞ。おまえより兄貴のほうが大事なんて、そんなことは絶対ないけ。そこだけは、はっきり言うておくぞ(それも、ウソだったのですが)」

母「だからと言って、茜さんにあんなことを言われる筋合いはないよ。宏に言われたんやったら納得もいくけど、あの人になんであんな言い方をされないといけん?嫁が言うべきことやない!」

結局、そうなのです。奥さんは、風家にとってただの”嫁”。風家を名乗るよそ者なのです。

 

1d751fd91f085e6eca5291b2f75c4ddc_s運動も勉強もわたしより兄のほうが上。義妹よりも茜さんのほうが上。

 

味方ではなかった”兄嫁”

 

「しかし、茜さんはどうして、あんなにひねくれた考えかたをするのかね〜。それに比べて笑美子(仮名・兄嫁)さんはいいお嫁さんなのにね。何にでも気がつくし、子供が二人もおって大変なのに、いつでも好きな時に泊まってくださいって言ってくれるし、泊まったら泊まったで本当によくしてくれるしね。不満なんて一つも聞いたことないよ。やっぱり育ちの差かね〜」

 

母の言う笑美子さんとは兄の奥さんです。いつもニコニコ笑っていてとても穏やかな女性です。

しかし、案外、そうでもなく、わたしたち夫婦にはズバズバ言いたいことは言う女性に見えていました。

と、いうのも、両親が上京してくるたびに、必ず、笑美子さんから奥さん宛に電話があり、いつも愚痴を言っていたからです。

「なんであんなに何度も上京するんですかね〜。孫に会いたい気持ちはわかるけど、そんなに頻繁に来ても赤ちゃんの様子が変わるはずもないし、来ても自分たちが遊びたい時だけ遊んで、ちょっと買い物に行きたいから見ててくださいって言っても、『そんな責任とれんよ』って全然見てくれないし、全然役に立たないのよ。すっごい迷惑」

「そうなんですね。うちも、なんの連絡もなく突然来られるから、すごい困っているんです」

「同じ同じ。田舎の人って本当にやだよね〜」

「そうですね〜」

「茜さんも来てほしくないときは、ちゃんと言ったほうがいいわよ。わたしはハッキリと言うから。だから、そっちに迷惑をかけているんだけど。ごめんなさいね」

「いえ。お互いさまですから」

「愚痴りたいことがあったら、わたしになんでも言ってね」

「はい。ありがとうございます」

0f6591c11f47db549022d3451009ee3a_s一見、仲が良さそうに見えても…。

 

本当にこの日まで、笑美子さんと奥さんは良好な関係でした。奥さんは、信じ切っているとまでは言わないまでも、信頼はしていました。いつも両親のことを愚痴ってくるのは、笑美子さんのほうでしたし、奥さんはそれに対して相槌を打って共感する程度に対応していました。奥さんから両親の愚痴を言うことはありません。

笑美子さんに頼まれてうちに両親を泊めたことも何度もありました。

「どうしてもその日は泊めることができない」

そう言う笑美子さんに頼まれて、奥さんが電話をして、兄家族の家に泊まりたいという両親に、

「その日は是非、うちに泊まってください」

と、言って泊めたことも何度かありました。断ることができないという笑美子さんが断りを入れなくていいように、奥さんが気を使ってそう言ったのです。

それもこれも、

「風家の嫁同士、助け合っていきましょうね」

と、言う笑美子さんのためでした。

 

しかし、母は、わたしに思いがけないことを言いました。

「わたし、実は笑美子さんからいろいろ聞いて知っとうよ」

「なにを?」

「茜さんが、いつもわたしたちの悪口を言いようことをよ。茜さん、よく笑美子さんに電話してわたしたちの愚痴を言うんやろ。いろいろ聞いたよ。だから、ずっと前から知っとったんよ。茜さんがあることないこと言いよったこと。でも、こっちはずっと我慢して黙っとったんよ。愚痴くらい言わしといたろって思って」

「茜が?笑美子さんに?いや、それ、まったく逆だよ。茜がいつも笑美子さんからの電話で愚痴を聞いてあげてたんだよ」

「あら、茜さん、そんなウソまでつくん。呆れたね。言っておくけど、笑美子さんはそんなこと言う人やないからね。あの人は本当にできたいい人なんだからね。あの人が愚痴を言うわけなかろうも。言うにことかいて、そんなウソまでつくんね? 茜さんは」

「愚痴を言わない人が、弟の嫁の愚痴は姑にチクるんだ。茜さんがお義母さんの悪口言ってましたよって」

「もちろん、そんな言い方やないよ。茜さんにもっと優しくしてくださいね、とか。あの人は優しい人よ。きちんとした人よ」

「こうなったら、もう相性の問題だね」

「まあ、そうかもしれんね。でも、わたしは、一番の問題は茜さんの両親にあると思うけどね。あの家は家族の間に愛情がまったくないやろ。あんな家庭に育てられたら、親世代の言うことなんか信じられんのやろうね」

「なんでそう思う?」

「あの親を見ていたらそりゃわかろうも」

「どういうふうに?」

「愛情のかけらもないもんね」

 

e8367e169c20765fdd1f89d19b580524_s本当はどうなのか…。

 

茜さんのトラウマ

 

茜さんの妹も子供のころ、真珠腫性中耳炎という病気を患いました。切開手術をして患部を取り除かなくてはならなくなりますが、当時、大手新聞社で働いていた彼女の父は、自分の遊興費にほとんどお金を使ってしまい、家庭を一切顧みない人だったので、その手術費すら捻出できなかったと言います。

しかも、手術当日は、ハワイへの社員旅行の出発日。

父親は、

「手術は医者に任せれば治る。今さら娘の手術のためにキャンセルしてお金を返せなんて、そんなみっともないことは言えない」

そう言って、ハワイに向かいました。

母親が借金をして手術費をなんとか工面。手術も無事に終わり、父親から電話がかかってきたのはその翌日。そして、電話口で父親が最初に語った一言が、

「あんなに英語を勉強したのに、おれの英語がまったく通じないんだよ。参ったよ〜」

自分の誕生日には本をプレゼントしてくれる父なのに、妹の誕生日どころか、名前すらたまに忘れてしまうほど妹の存在を無視し続けた父。

酔って帰宅すれば暴れ、

「おれは息子が欲しかったんだ!」

と、母をなじり、時には暴力を振るう。しかし、朝になってお酒がぬければ、無口な大人しい父親でした。

母と妹は、そんな父親が暴れだすと、いつも茜さんの部屋に逃げては、茜さんに、

「あの人はあなたの言うことは聞くんだから、なんとかしてきて」

と、矢面に立たされ、

「あなたはお父さんに似ているから」

と、母に言われ続け、妹からも、

「お姉ちゃんは好かれてるだろうけれど、わたしは存在すら認めてもらえない」

そう言われ続け、「自分だけ父に贔屓されている」という思いが、彼女を苦しめました。

「長女じゃなけりゃよかったのに…」

父親に好かれた理由はそれだけではありません。妹より、勉強も運動もできたから。なによりも父の大好きな本が茜さんも大好きだったから。そして、父自身にも、

「あまえはおれに似ている。おまえが息子だったらよかったのに」

そう何度も言われたそうです。

3af9f79782e2f3386c790eb112a10ece_s似ていると言われて苦しむ親子関係って…。

 

だからと言って、父親から愛されていたかというと、そうではありません。酔って帰れば暴れるし、母に暴力を振るう父を止めようとすると、茜さんが殴られました。

そんな家族でも、外に出れば、仲のいい家族を演じさせられます。父親は大会社に勤めていたので、会合に家族が引っ張り出されることも何度もありました。その度に、父親は優しくて饒舌な父親に変貌し、母親は、父親や自分達に優しく微笑みかける母親に変貌します。

茜さんは、

物心ついた時から、”家庭”や、”家族”と、いった言葉が一番信用できず、一番自分を苦しめてきた環境で育ってきた彼女にとって、

家族とは、

自分には必要のないもの

という、認識だったのです。

 

長年、自分を呪縛し続けた”家庭”から逃れ、わたしと新しい”家庭”を築くことを決意した彼女が、わたしの両親を見て最初に感じたことが、

「宏の両親もわたしの両親と同じ。みんな演技をしているんだね」

でした。わたしは、まったく意味がわからず、

「あれが本当の姿だよ」

そう言っても、「本心を見せているとは思えない」

そして、

「宏はあんな扱いを受けて幸せだったの?」

「そんなひどい扱いは受けてないよ」

「そうかな〜?次男や次女は、ああいう扱いを受けるのが普通なの?」

 

ずっと、釈然としない思いを抱えたまま迎えたのが、この一連の騒動だったのです。

 

彼女が、子供の頃に見た風景。子供が重病を患っても自分たちの都合を優先する親。

その景色が、フラッシュバックしたと言います。

 

そういう意味においては、

わたしの母の茜さん分析もけっこう核心を突いています。

茜さんのわたしの両親に対する分析も、ほとんど正しいと思います。

 

つまり、

嫁も姑も、しっかり相手のことを観察している。

どうすれば、琴線に触れるのか、実はしっかり心得ている。

 

それがわかっているから、

長年、お互いの琴線に触れないように我慢しあってきた。

それが、ついに我慢しきれなくなった。

結果、

正面切ってぶつかりあったわけですから、これはもう、

なるべくしてなったとしか、言いようがないのです。

 

34b52a0b821201611b0ce30b176a8040_s似ていると言われて苦しむ親子関係って…。

 

2004年の妊娠、出産

 

それから、3年間。

時は穏やかに過ぎていきます。

両親が、わたしたちの家に泊まることはなくなりました。

両親は、孫二人の待つ兄家族のもとへ直接向かい、そこで宿泊し、わたしたちとは会わずに帰っていきます。

笑美子さんから、茜さんへ電話がかかってくることもなくなりました。

あの騒動のあと、奥さんは、

「わたしはもう二度と九州の実家には行きません!」

と、声高らかに宣言。

わたしも、

「致し方なし!」

と、受け入れました。

両親も、かえってそのほうがホッとしたのだと思います。

 

しかし、運命は、まだまだ風一族をそっとしておいてはくれません。

2004年12月末。奥さんの妊娠が判明。

子供ができたこと。自分が父親になれること。という、喜びはもちろんでしたが、わたしの中に、もうひとつ、企みのような思いがよぎりました。

子供が起爆剤となって、嫁姑の関係が改善されるかもしれない…。

 

わたしは、安定期に入った頃合いで両親に妊娠を伝えました。

もちろん、二人とも大喜びです。

 

「あんたたち、子供欲しかったんね?そうなん?なんね、一度もそんこと言ったことないけ、二人とも子供が好かんのやろな〜って思っとったよ。茜さん、あの人に子供育てられるかね?まあ、あんたがおるから大丈夫やろうけど」

母も、かつてのように、言葉を選ぶといった面倒な言い回しはしません。少なくともわたしには、思ったことを正直にズバズバ言うようになりました。

「わたしが行ってもストレスになるだけやろうから、茜さんのお母さんも近くに住んでいるし、大丈夫やね。わたしはなんもせんよ。無事に生まれることだけを祈っとるよ」

申し訳ないと思いつつも、それが一番よいのです。

しかし、このとき、奥さんの妹は妊娠6ヶ月でした。茜さんの母親はそちらのほうで手一杯。いざとなったとき、人手は足りないかもしれません。でも、わたしは、母には一切頼りませんでした。

 

2005年初夏に音ちゃんは生まれました。

 

出産の数日前、まもなく生まれるという知らせを電話します。が、電話に出たのは父だけでした。

出産当日、生まれたことを報告したときも電話に出たのは父だけでした。

そして、翌日、東京に駆けつけたのも父だけでした。

 

「あれ、おふくろは?」

「いや、実はな…。お母さん、入院しとっての〜。来られんかったわい」

「は?」

「「いや、実は、一ヶ月前に転けてな。肩を強打して骨折してしもたんよ。折れた骨が筋肉に刺さってな、内出血を起こして、危なかったんよ。それで手術して、肩にチタン入れて。おまえの頭に入っとるのと同じよ、そうチタン。それで、まだ動けんのよ」

「は〜?」

「いやあ、お母さん、おまえらに迷惑かけちゃいけんて言うて、子供が生まれるまで絶対に言うなって……。まあ、そういうことじゃ」

「そういうことじゃって……。障害は?」

「まだ今はチタンと皮膚がうまく馴染めんみたいで腕を動かすとけっこう痛いみたいやけど、慣れたら大丈夫って医者が言いよる」

「なんで言ってくれなかったん?気を使ったつもりかもしれんけど、それは違うやろ。そういうときに子供に頼らんでどうするん。こういうときは嫁姑は関係ないやろ。そういうことを知らせてもらえんほうが、おれも茜も悲しいよ」

「でもまあ、お兄ちゃんにすぐに来てもろうたけ。いろいろやってもらったけ大丈夫やったんよ。だから、おまえは心配せんでいいんよ。茜さんと子供のことだけ思っとったら」

「………」

 

両親の気持ちは痛いほどよくわかります。

痛いほどにです。

痛いのです。

わたしが、気を使ってくれた両親に、感謝という気持ちが素直に出てくるような心の清らかな人間だったらどれだけ救われたか…。

しかし、わたしは素直でも純粋でもない。

どうしても、素直に「ありがとう」と、言えない自分の心が、痛くて仕方がないのです。

 

いったい、どうすれば、心を通い合わせることができるのか…。

(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)

MOK_karasuyamasen-thumb-1000xauto-13595すれ違う電車のように、どこまで行ってもすれ違ったままなのか…。