もし現在、あなたの家庭で嫁姑問題が起こっていたとしたら、責任はすべて夫にあります。なぜならば、夫はいつまでも母親の子供でいたいし、妻にはたててもらいたいという幼稚な気持ちが抜けないからです。どちらにもいい顔を見せたいと思っている限り、嫁姑問題は終わりません。
そのことを理解して対応すれば、腹の虫もおさまるかもしれません。ところが、命に関わることになれば話は別です。我が家に起こった命に関わる嫁姑問題について、今日はお話したいと思います。
嫁姑の冷戦期間
1999年、大晦日に「引越し事件」が起き、恐怖の大王(茜さん)が舞い降りて以降、嫁と舅姑の関係は、完全にギクシャクしたものになりました。
前回のお話はこちらをご覧くださいませ。
奥さんは、両親の前では普通に受け答えはするものの、明らかに心を閉ざしたような態度を取るようになったのです。
それに対し、母は、奥さんに対してはなにも言いませんが、わたしに対しては、
「宏、茜さんはなんであんな態度を取るの?わたしたち、なんか、いけんことした? してないよね〜、言いたいことがあるなら、はっきり言ってほしいよね〜。なんか、気にいらんことがあったんやろ? 気をつけようにも言ってくれんとわからんよね?」
と、言ってきます。
母も、本人に直接、言うような人ではないし、父は父で、
「まあ、いろいろあるやろ。俺らのこともあるやろが、仕事のこととか、体調とかあるやろし。まあ、余計なことは言わんがええ」
直接対決だけはよくないとの主張です。
それに対して、わたしも、直接対決だけは、なんとか避けたい。だから、
「奥さんが怒っているのは俺に対してで、あんたらやないけ、心配せんでええよ」
なんて、言わなくてもいいことを言ってしまうものだから、今度は母が、
「でも、それは、わたしたちのことで、あんたに腹立てとるんやろうも。なにをわたしたちに怒っとん?」
と、いう疑問を持つというのも当然というもの。
そこで、わたしが、
「いや、そうやないよ。全然、別のことでずっとケンカしててさ。あれ、ただの八つ当たりだから」
とか、適当なことを言ってごまかしていればよかったのに、
そう突っ込まれてしまうと、
「う〜ん、まあ、気にせんでいいよ…」
なんて、そこで、また、思わせぶりなことを言ってしまうので、母は、ますます懐疑的になってしまう。
「茜さん、なんかわからんが、わたしたちに、よほど怒っとるいうことやね。はいはい。よお〜くわかりました。でも、はっきり言ってくれんと、こっちも直しようがないもんね〜。わたしたちだって、いろいろ茜さんには思うことあるんよ。でも、それはお互い様やろ。そう思って、こっちだって、いっぱい我慢しとるんよ。お互い言い争ったらキリがないやろも」
そして、母も意固地になるという流れ。
つまり、お互いに、直接にぶつかったわけでも、直接不満を言い合ったわけでもないのに、
結婚以来ずっと、夫であり息子であるわたしというフィルターを通し続けていたことによって、お互いがよく見えなくなってしまったのです。
息子であり、夫は、要するに嫁姑問題に当事者意識がない
ようするに、面倒臭いのです。
嫁姑問題の元凶は、夫であり、息子であるわたしです。
そのわたしに、いつまでたっても当事者意識がなかったことに一番、問題があるのです。
姑(母)が長年築いてきた「我が家のルール」というものが、「わたし」には刷り込まれています。
それが、未来の「嫁」(奥さん)と出会い、交際をし、同棲、結婚で徐々にに、「嫁」が育ってきた環境で培われてきた「嫁のルール」に「わたし」が刷り込まれ、それが、新しい家庭での「わたし」にとっての「我が家のルール」になっていきます。
自然の流れで、それは致し方のないことなのですが、「姑」は、「嫁」によって新たに「わたし」の中に刷り込まれた「我が家のルール」に違和感を感じ(それも自然のことであり、当たり前のことです)、「姑」なりの「これが正しい(こっちのほうが正しい)」と感じたことを「嫁」にあくまで「人生の経験者」として意見(時には忠告、また、時には警告、また、時には強要)するのですが、それに、「嫁」はどうしても反発してしまう(または、素直に受け入れられない。または、否定する)。
さあ、そうなってしまったとき、
つまり、「姑」のA案を採用するか、「嫁」のB案を採用するか、審査員は「わたし」です。
その「わたし」が、
「う〜ん。正直、どっちでも、いいんだよ。そんなことで争わないで仲良くやってほしいんだよね」
ここ!
ここなんです。ここで、
「お母さんごめん。今回は奥さんのB案でお願いします!」
と、はっきりと答えを出していれば、「姑」の憤りは「嫁」には向かわず、直接「わたし」に向かうので、「嫁姑問題」には発展しない可能性があった。
にもかかわらず、
「わたし」が、そういった、要所要所での判断をことごとく拒絶してきたばかりに、「嫁姑」が直接対峙しなければならない事態に発展していった。
そういうことなのです。
と、言いつつ、この後に及んでも、この分析に自信があるわけではありません。
まあ、これが、仮に正しくても、ほんの一つのものの見方に過ぎません。あくまで、「我が家の場合」です。
「姑」は、自分が育ってきた環境がこうなのだから、
「こうしたほうが正しい」
そう意見しているに過ぎないのだから。これも、ほんの一つの見方に過ぎないのだから、しっかり、意見や反論を示すほうが礼儀として正しいんですよね。
「お母さん。わたしがこれから作ろうとしている新しい家庭では、そのルールは当てはまらないんです。申し訳ありませんが、わたしたちは新しいルールでやりたいんです」
と、心で反発しながらも、体は一旦は応じてしまう。その積み重ねで、積もり積もったものが溢れ出て、突然、反論する。そうなると、姑にしてみれば、
「なにを今さら…。だったら最初に言ってちょうだい!」
そうなりますよね。
でも、「嫁」という立場上、言えない。
「なんで言えないの? 言いたいこと言えばいいじゃん」
そういう夫が、いちばん罪が重い。
「そもそも、あなたのことで姑と意見が対立してるんだから、あなたが代わりに言ってよ!」
奥さんがそう言うと、
「おれがお袋に言うと、話がややこしくなるだろ」
そう言って結局は逃げる。
だったら、最初から、
「言わないほうがいいよ。辛くてもお袋の言うことを素直に聞いてくれ。頼む」
そう言ってくれる夫のほうがまだいいのかも……。
そういう夫のほうが、まだ、当事者意識があるほうなのかもしれません。
ついに命に関わる問題が起こり、嫁姑問題開戦へ
ついに、そのときがやってきました。
それは、2001年8月3日。
その日、わたしは慶応大学病院の耳鼻咽喉科病棟の個室で痛みにうなされていました。
そうです。脳腫瘍の手術から二日後のことです。
問題はその3日前のこと。
手術前日、父と母が上京しました。病院内の一室でわたしと奥さん、そして、両親が担当医から説明を受けていました。わたしと奥さんはすでに知っている話でしたが、担当医が奥さんの母親とわたしの両親のために場を設けてくれたのです。
「良性なので、腫瘍さえ取り除けば、命の危険はない」
「左耳の聴力はなくなり、三半規管もなくなるので、日常生活を送れるようになるまで、リハビリが必要です」
医者ですから、言わなくてもいい最悪の事態も一応、説明します。
「あくまで最悪の場合ですが、手術中、脳の神経をもし傷つけてしまったら、識字能力がなくなる可能性があります。つまり、一生、字が書けなくなり、読めなくなるということです。なぜなら、識字をつかさどる神経のすぐ近くに腫瘍があるので、傷つけてしまう可能性があるからです」
「良性腫瘍ですから、命に別条はありませんが、12時間以上にも及ぶ大手術になるので、そのまま意識が戻らなくなる場合も稀にあります。また、直接、取り出した腫瘍を検査しないと、100パーセント良性とも言い切れませんので一応、お伝えしておきます」
約1時間の説明のあいだに、母は泣き出してしまい、父は言葉もなく顔面蒼白です。
わたしが、
「ただの良性腫瘍だから、デキモノを取れば治る病気だから。医者はああ言っているけれど、建前として最悪の事態を説明しなきゃいけない立場だから、ああ言っているだけだからね。絶対、字が読めなくなったり、悪性なんてことはないからね」
そう言っても、
「あんた、死んでしまうんね…」「もう二度と元の体に戻れんのやね」「仕事どうするん?これから、どうやって生きていくん?」
まるで、わたしがもう助からず、仮に助かっても重度の障害が残って、普通には日常が送れる体には戻れないと決めつけたような論調です。
父は父で、
「九州に戻ったら、俺のコネで食べていくくらいの仕事はあるけ、帰ってこい」「手術後は、九州に戻ってリハビリしたほうがええと思うぞ。茜さん一人じゃリハビリ生活も大変やろ」「最悪、働けんようになったらおまえと茜さんを食わして行くことくらいできるけ心配するな」
九州に戻って、親に介護してもらうのが当たり前のような論調になってしまっているのです。
「頼むから手術の前日に、手術が失敗したあとの話をするのはやめてくれ〜!」
と、言っても、
「でも、可能性があるんやったら、その覚悟をしとかんといかんやろ…。元気なあんたの姿を見るのもこれが最後かもしれんし…」
そう言ってまた泣くのです。
奥さんは、このとき、ずっと黙っていました。ほとんど、一言も言葉を発しなかったと思います。
あとから、聞いた話ですが、その夜、奥さんは、帰宅後、両親に少しだけ意見をしたそうです。
「お義父さん、お義母さん、大丈夫です。先生はああ言ってますが、絶対に大丈夫ですから、泣かないでください。手術をすれば元の体に戻れます。左耳が聞こえなくなっても、リハビリをすれば大丈夫ですから。ご両親がダメだダメだって言っていたら、かえって宏さんが心配しますよ。だから、あまりネガティブなことを考えないでください。大丈夫ですから」
「なんで、あんたにそんなことがわかるん!親の気持ちになったら大丈夫なんて思えんのよ。あんたにはその気持ちがわからんの!」
「わたしは、子供のころから何度も入院しているし、何度も手術しています。だから、お医者さんや看護師さんの雰囲気を見ているとわかるんです。だから、大丈夫です。安心してください」
「あんたは宏とは血が通ってないから、そう言えるんよ。そんな無責任なこと言わないで!」
そういうやりとりがあったそうです。
結局、母は、泣きながら1時間もトイレにこもり、しばらく出てこなかったそうです。
わたしの知らないところで、火蓋は切って落とされていました。
泣けばいいと思う姑。回復のためにどうすべきか考える嫁との考え方の違いから嫁姑問題が起こる
わたしも奥さんも子供のころから、虚弱体質でした。
体がとても弱かったのです。
奥さんは、3歳で目の手術入院をしたのを皮切りに、合計4度の入院、4度の手術をしています。20代前半まで入退院を繰り返していました。
わたしもすぐに風邪をひく、お腹を下す。中学校時代の1年間は膝軟骨が飛び出す症状で松葉杖で学校に通い、高校時代に鼻を2回骨折し、大学に入るとすぐに肝臓を壊し、痔の手術をした翌年に脳腫瘍の手術をしました。
こんな二人ですから、病気に対してクールというか。最初は慌てますけど、なってしまったら、もうまな板の上の鯉ですから、お医者さんに身を預ける術を心得ているというか。
もちろん、ただ預けるだけでなく、この医者を信用していいのか?自分の身体の状態はどうなのか?自分自身はどう思っているのか?
そういうことを、実はけっこう冷静に分析しているんですよね。
だから、わたしも奥さんも、言い方はおかしいですけど、病気に対する経験が豊富な分、対処法もそれなりに心得ているのです。
例えば、奥さんの身体が不調だと聞くと、わたしが奥さんに問診をします。
「どこが痛い?」「昨日とどこが違う?」「朝起きた時、なにがおかしかった?」「2、3日前、同じような症状が起きなかった?」などなど。
そして、病院に行くべきか行かないべきか。わたしはすぐに「病院に行こう!」と叫ぶ派ですが、奥さんは「病院には行かない!自力で治す!」派なので、病気治療に対するお互いの考え方も違うので、しっかり議論できます。
だから、いざというとき、冷静。つまり、
逆境に強い!
それに対し、わたしの父も母も、身体がすこぶる強い!まず、風邪をひいたことがない。
父と母が喧嘩して、母が寝込むことがあっても、病気で寝込む姿を見たことが一度もない。
そんな両親だから、子供のころ、わたしが風邪で学校を休みたいと言うと、
「おまえ、それでも男か!」
と、父に怒鳴られ、布団を剥ぎ取られて無理やり学校に行かされ、2時間目終了時には高熱で、母親が学校から呼び出されて連れ帰るなんてことが何度もあったほどです。
だから、わたしの両親は、身近な人が重症だと聞くと、見るも無残に慌てふためいて、フリーズしてしまうのです。
病気になった経験がないから、医者とほとんど関わったことがないし、病院にも行ったことがないので、知識もない。結果、いざというとき慌てふためく。
逆境に弱い!
だったら、経験値も知識もある虚弱体質者のわたしたちの言うことを聞いてくれればいいのに、すんなりとそうはならない。
これは、わたしの両親に限ったことではないと思います。
子供のころから健康優良児だった人は、虚弱体質児を無意識に見下していた部分が少なからずあったと思います。
全員がそうだと言うのではありませんよ。
本当に心も体も強くて優しい正義の味方のような友人は何人もいました。でも、大半は、ちょっと、見下していたんじゃないですか?
だから、ずっと体が強いまま生きてこれた人は、体が弱い人の気持ちがなかなかわからない。
それは、スポーツのシーンでもよくあることです。
逆上がりが簡単にできる子供には、いくら頑張ってもできない子供の気持ちはなかなかわかりません。その気持ちがわからないまま大人になったら、やっぱり、わからないままなんです。
自分が、同じ立場にならないと人間というものは、本当の意味で弱者の気持ちを共有することはできません。
人間は、本当に不器用な生き物ですから。
嫁姑問題からみる本当の意味でのポジティブとはなにか?
わたしの母は、奥さんを、
「あなたは宏があんな状況なのに、なぜ、そう冷静でいられるの?本当に冷たい人だ。」
と、言って攻めました。奥さんは、
「違います。だって絶対に治りますから。大丈夫ですよ。ただ、ポジティブなだけです」
そう言って、反論しました。
ポジティブとは、
「風邪なんて気合いを入れたら治る!」
そう叫ぶことがポジティブなのではありません。それは、ただの無知無謀です。
本当のポジティブとは、
根拠あるプラス思考
のことです。
わたしの親が理解できていなかったのは、
「脳腫瘍を手術する」という状況は、すでに、快方に向かっている。
と、いうことです。
手術をしなければならないほどの病気というのは、大変大きな病気です。
でも、いざ手術をするという状況になったということは、
気持ちも方針も、これから向かっていく方向も全て、決まった結果
だと、いうことが言えます。
だから、
手術をすることが決まった時点で、”運が良い”。
あとは、お医者さんに任せるだけ。それを、
「手術がうまくいかなかったらどうしよう」とか、「術後、どうやって生きていったらいいのだろう」とか、クヨクヨ考えても、まったく意味がありません。
そんなことを考えていたら、そういう状況を自ら引き寄せるだけです。
そのことを、わたしも奥さんも経験から知っています。
悪いことを考えたら悪いことを引き寄せるのです。これは、過去に何度も書いてきましたが、
自明の理
です。
わたしは、脳腫瘍を知ったとき、ものすごいショックで、めまいがして、吐き気がして、頭がパニックになるというのはこういうことなのかと思い知らされました。
泣きたかったけれど、涙も出なかった。だって、そんな暇ないんですもん。
「自分が仮に死ぬということはどういうことだ?」
そう考えてしまったとたん、それまでにできることを猛烈な勢いで頭が考え始めていました。そして、ノートを取り出して、病院の待合で猛烈に生きている間にやらなければならないことを書き始めたのです。
そのとき、ふと、気づきました。
今日の今日まで、頭に脳腫瘍があることに気づいてなかった自分は、ずっと幸せだった。→ でも、これって本当に幸せなのか?
今日の今日、頭に脳腫瘍があることに気がついた。なんて不幸なんだ。→ でも、これって不幸なの?
ちょっと、待てよ…。
これって、脳腫瘍に気付く前よりは、確実に幸せに向かっていっているんじゃないか?
↓
なぜなら、脳腫瘍に気づかないまま時間が過ぎていたらわたしは確実に死んでいた。気づいたから死なずにすむ。こんな幸せなことないじゃないか。
↓
だったら、クヨクヨ考えても仕方がない。絶対に病気に勝つ方法を考えよう。
↓
治療の方向性を考えよう。
↓
病院を選ぼう。
↓
自分が納得のいく治療法を選ぼう。開頭手術か?放射線治療か?どちらがいいんだろう? ああ、忙しい忙しい……。
これは、わたしや奥さんのように、ある意味、病気慣れした人特有の思考かもしれません。しかし、こういったポジティブ思考で、よくない方向に向かうことは決してありません。
しかし、わたしの両親のように、ずっと病気知らずで生きて来た人にとっては、
病気=死に近い=ネガティブ=フリーズ
こうなります。もちろん、そうなんです。病気が良いはずがありません。
でも、不幸にもそうなってしまったのなら、
病気=死に近い=脱する方法を探す=行動するのみ(感情は切り離す)=行動=任せる
そういう意味では、わたしの病気に関しては、「嫁」(奥さん)のほうが人生の経験者でした。「姑」(母)のほうが、未熟だったのです。
だから、「嫁」に全てを委ねてくれればよかった。
しかし、それができなかったのです。
術後、2日後、ついに、嫁姑が、一騎打ちするこになるのです。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
お話は続きます。
風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。