結婚したいのにできない30歳
結婚したいのに、結婚できない知人の女性がいる。
彼女は30歳。独身。職業会社員。年収500万円弱。
彼氏あり。知り合って10年。友達から発展。交際5年。同棲歴2年。
趣味。漫画を読むこと。映画を観ること。
一方の彼氏。
30歳。脱サラしてIT系で起業。年収2000〜3000万円。
趣味。音楽を聴くこと。映画を観ること。
二人の住居兼彼の職場。賃貸マンション家賃12万円。家賃は折半。
外食も、日常経費も全て折半。
お互いに誕生日やクリスマスプレゼントの交換はしたことがない。
二人とも物欲がほとんどない。
高級フレンチや高級寿司を食べに行ったこともない。
稼いだお金は、将来のビジネスのために貯金。
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本音を言い合えない?
わたしには、さっぱり意味がわからない。
「わたし、年齢も年齢だし、子供が欲しいんです。だから、早く結婚したいんですけど…」
だから、わたしには、さっぱり意味がわからない。
「じゃあ、結婚すれば?」
二人の基本データを照らし合わせると、当然、こういう質問になる。
「そうなんですけどね…」
「?????????……なんか障害ある?」
「それがないんですよ〜」
「じゃあ、なんで結婚しないの?」
「彼がなにを考えているかわからないんですよね」
「????????……ん〜…、つまり、どういうこと?」
「わたしは早く結婚したいんですけど、彼がどう思っているのか、わからないんです」
「ん〜…、てか、二人の日常の会話はどうなってんの?」
「普通に会話してますけど」
「その、つまり、『いつ結婚しようか?』とか、『結婚のこと、どう思ってるの?』とか」
「いやいや(大きく両手を横に振りながら)、そんなこと聞けませんよ!……(ちょっと考えて)いや、聞けない」
「なんで?」
「だって、ドン引きされるかもしれないし。プレッシャーかけてるって思われたくないし」
「だって、て…。同棲してんだよね」
「でも、そもそも結婚前提ってわけじゃないし…。お互い、行き来するくらいだったら同棲のほうが楽だし、経済的にも助かるし」
「付き合って5年だよね。同棲して2年。聞くのが普通じゃない?」
「そんなことないですよ。そんな核心を突くようなこと、聞けないです」
「でも、結婚したいんでしょう?」
「したいというか、子供が3人くらい欲しいからそろそろ年齢的なことも考えないといけませんよね」
「それは、まだ全然焦る年齢じゃないと思うけど、考える順番が違うんじゃない?彼にその気があるかないか?そこじゃない?で、そこ、白黒ハッキリさせたほうがいいんじゃない?」
「あるか、ないかと聞かれたら、『事業が軌道に乗れば、いずれ君と結婚するけど今はまだ考えてない』というのが答えだと思うんです」
「だったら結婚はまだできないんじゃない?」
「でも、子供早く欲しいんですよね〜。事業が軌道に乗るのがいつかわらないし、そこまで待てませんよね」
「年収2000万円いじょうだよね。……十分、軌道に乗っていると思うけど。てか、成功者じゃん」
「まだまだ不安だって言ってました。なにが不安なのか、よくわからないけど」
「事業の話、しないの?」
「お互い、仕事のことはノータッチなんで。あまり興味もないし」
「向こうもそう?あなたの仕事に興味なし?」
「なしですね」
「……」
計画的デキ婚
「………友達はなんて言ってるの?」
「友達も似たようなカップルばっかりなんで参考にならないんです。デキ婚っていうパターンが一番手っ取り早いんですけど、わたし、そういうのは嫌なんですよ」
「今でも多いの?デキ婚」
「めっちゃくちゃ多いですよ。わたしの彼もそうですけど、優柔不断な男が多いから先に子供作っちゃうみたいな」
「つまり、計画的デキ婚?」
「そうです。そうです」
「男は結婚したくないんでしょう?」
「そうです。だからデキ婚なんです」
「男は結婚したくないのに避妊しないの?」
「そうなんです。そんな男ばっかりですよ。なんも考えてないんです。わたしの彼もそうです。避妊はしてるけど、避妊しなくてもいいって言ったら避妊しませんよ、きっと」
「言いなり?」
「そう。なんにも考えてないから」
「………だったら、やめちゃえば?そんな男。そんな男は結婚してもずっと優柔不断だと思うよ」
「でも、今別れたら、付き合っていた5年間が無駄じゃないですか」
「無駄なの?」
「無駄ですよ。”なんだったんだ、わたしの20代”ってことになりますよね」
「無駄になるのが嫌だから結婚するの?そんな優柔不断な男と?」
「そういう風に言われたらそうですけど、彼のことは好きなんですよ。だから、結婚したいんですよ。子供が欲しいんですよ」
「でも、結婚したいって言えないんだよね。無駄になるのが怖いから。だから、子供つくって結婚しちゃおうって考えている女性がたくさんいるってことだよね」
「少なくとも、わたしの周りでは、そうです」
「実際、子供ができたら、男は『堕ろせ』とは言われないの?」
「今どきの男の子はそういうことは絶対に言わないです。優しいんです。子供ができたら、すんなり結婚してくれます」
「それって優しいのかな〜」
「優しいと思いますよ」
「責任感がないだけなんじゃないの?」
「責任感はありますよね。だって、デキたら結婚してくれるんだから」
「当事者意識が薄いのかな〜」
「それはあるかもしれません」
「決断力がないのか」
「そうそう!て、いうか、決断しない」
「決断しない男ばっかりなのか〜。想像力もないのかもね。子供ができたらどうなるのかって、考えてないってことだもんね。でも、君はデキ婚は嫌なんだ」
「はい。そんないい加減な形で子供は作りたくないです。わたし、結構考え方が古いので、こういう順番はきちんとしたいんです。本当は彼が言ってこないとおかしいんですけどね」
「そりゃそうだよ。でも、言ってこないよね、それじゃ。………だったら、やっぱり彼に聞かないとね。結婚する意思があるのかないのか?」
「それが聞けないから困っているんじゃないですか!なんか良い方法はないですか?風さん」
女はわがままな生き物である。では、男は?
「…………浮気はどうなの?してないの?」
「はい。してません。(キッパリ!)」
「言い切れないよね」
「言い切れます。だって、彼は、ずっと家のパソコンの前で仕事をしてますから。一日中、家にいるんですよ。ほとんどオタクです。ありえないです。そもそも、いまの若い男の子はそういうの(浮気)あまりないと思います。女の子のほうが積極的だし」
「浮気は女の子のほうが多いってこと?」
「そこまでひどくはありませんが、今は、”浮気は男”ってことではないってことです。女の子でも浮気する子はします。で、そういう子、けっこういます」
「男と女が逆転してんだね」
「でも、女の子は、やっぱりどこかで男の子に肝心なところでは引っ張っていってもらいたいんです」
「わがままだな〜」
「女はわがままですよ」
「そりゃそうだ。でも、いつまで待っても引っ張っていってはくれないと」
「そうなんですよ〜。どうしましょう?」
「どうしましょうって。俺らの時代の話をしても、感覚が違うだろうしな〜」
「たとえば?」
「デートで割り勘はありえない。それは、旅行でも同じ。食事代も100パーセント男が払う。で、デートで居酒屋やラーメン屋はありえない」
「よく聞きますけど、本当にそうなんですか?」
「本当にそうだったよ。しかも、あの頃の女性のほうが、強かった。もっとわがままだった。もっと、人生を楽しんでた。もっと、遊びに命をかけていた。君たちは男の子も女の子も本当に真面目だよ」
「え〜。その時代の女の人が羨ましい〜。男の人、大変ですね」
「大変だったよ。それが当たり前だったから。でも、私たち世代は、その大変さを楽しんでいた。大変でいたいというか。それが、男だ!みたいな。別に男が全部お金出したってモテないんだよ。みんなそうだから。アッシーなんて言葉が生まれたのもあの時代でしょう。(女性の手となり足となる男のこと。お金も車も全部出す男)完全に女性上位の時代だったんだよ。そういう意味ではいつの時代もそうかもね。女に利用されてなんぼみたいなのもあったかもね。それを男が望んでた。まあ、男もわがままだからね。というか、男のわがままで歴史は作られてきたでしょう。だから、今の男の子を見ても羨ましいとは思わないよ。かわいそうだな〜って思う」
「どうしてですか?」
「だって、男は女に見栄を張ってなんぼでしょう?見栄も張れない男はつまらないでしょう?」
「見栄を張るって…よくわからないです」
「だよね。だから、今の男の子の対処法として、わたしの話が参考になるとは思えないんだよな〜…」
ジェットコースターのような時代の結婚
わたしはバブル世代です。
1985年に高校を卒業し、大学に入ったころには世の中好景気に浮かれまくっていました。北九州の田舎から東京に出てきて、明治大学に入学しました。お坊ちゃん学校でもなんでもない、田舎者がたくさん集まる大学にもかかわらず、当時、BMWやらベンツやらに乗って、肩の張った紺ブレを着て、グッチあたりのセカンドバッグとローファーを履いたガキが、ワンレンボディコン女子を助手席に乗せて、車をそのへんに路駐して登校する姿が如何に多かったことか。
車は買えなくても、ワンレンボディコンに相手にされなくても、わたしのような演劇に明け暮れる典型的な貧乏学生でも、アルバイトをすれば、月に20万円以上稼ぐことはそれほど難しいことではありませんでした。
わたしは週4日焼肉屋でバイトをしていて、時給1500円。月給22万円くらいになりました。賄いで、お酒飲み放題、お肉食べ放題。
だから、働けばお金はいくらでも稼げたのです。
当然、仕送りをしてもらう必要もない。
就職活動も超楽勝でした。学生であれば誰でも。
医療系の一流企業に入社試験を受けに行って、試験に名前だけを書いて、「もうそれ以上なにも書かないで〜」と、試験官に止められてそのまま提出したら合格通知が来たという同期もいました。彼は今もその会社で働いています。
わたしも、OB訪問だけして試験も受けずに採用連絡が来たのが3社。
入社した会社で、取締役に言われた最初の言葉は、
「いま、借金がある人は言いなさい。会社が全て返済する。その代わり、最初の給料で革靴を5足揃えなさい。サラリーマンにとって最も大事なアイテムは靴だ。週5日分の靴を買って、毎日、磨いて、毎日きれいな靴を履きなさい。その靴が、歩き回る君たちの足を支え、お金を生んでくれる。働けば、お金なんていくらでも稼げる。だから、血反吐を吐いても歩き回って、お金を稼げ!」
そう言われました。その言葉に鳥肌が立ちました。お金を稼ぐ男はカッコイイ!と、本気で思ったものです。
「お金なんていらないから休ませてくれ〜」
わたしの新人時代に抱いた感想の一つです。それくらい、寝る間がないほど働き、酒を飲み、遊んでいました。
1990年当時、埼玉県の浦和市あたりで80平米のマンションが1億円近くしました。今の相場では、90平米で6000万円以下。値付けがどれだけ無茶苦茶だったかよくわかりますよね。でも、そんな1億円以上のマンションが飛ぶように売れていました。ちなみに当時の住宅ローン金利は、最も低いもので6〜7%。銀行ローンだと12%くらいだったと記憶しています。
若きサラリーマンが毎晩飲んで、二次会はキャバクラ。帰りがタクシーは当たり前。
「宵越しの金は持たねえ!」
なんて、昭和の大物芸人のようなセリフを吐くサラリーマンだらけでした。
つまり、働いて稼いだ金は女の子との遊びやお酒と高級ブランドや車で全部、使っちまう。貯金なんてまったく考えていません。
少なくともわたしの周りはそういう人ばかりでした。
もちろん、そんな時代は長くは続かず、入社2年後にバブルがはじけます。本当におもしろいもので、いきなりはじけるのです。
全社員、在庫処分の営業に回され、残業はカットされ、社員は次から次へとグループ会社へ移動。頭金ゼロで投資用マンションを所有していた先輩たちには膨大な借金だけが残りました。
「働けば働くだけ金は稼げる」と、豪語していた取締役は、最後に姿を見たときには人目を避けるように社内を歩いていました。その後、どっかへ飛ばされました。
先が見えないと判断したわたしはわずか入社1年半でサラリーマン生活に見切りをつけ、フリーの報道記者になる決意をします。
上司や先輩からは、
「これからが大変なのに今辞めるのはバカだ!」「おまえはこの会社を裏切るのか!」
と、かなり激昂されました。
わたしの父は高校教諭でした。祖父は商売人でしたので、当時はまだ会社に生涯を捧げるのが当たり前の時代でしたが、わたしには、そういう感覚はまったくありませんでした。だから、会社では、わたしが、いの一番に逃亡を企てたので、目立ってしまったのです。
と、いっても、
わたしに激昂した上司と先輩はどちらもそれから2年以内に転職。その後、二人とも起業されて大成功をおさめました。あの会社はいまは、存在していません。
わたしは、フリーの報道記者となり、週休4万円から再出発しましたが、まったく不安はありませんでした。なぜなら、
「働けば、いくらでも稼げる」
と、思っていたからです。バブルが弾けたとはいえ、事実、そういう時代でした。
その一方で、
「とはいえ、このままだと食べていけない。どうしよう……?よし、結婚しよう!」
そして、当時、美術館に転職したばかりの奥さんに結婚を申し込みました。
「一人だと食えないので、一緒に住もう。だから、結婚したいんだけど」
と。
事前に同棲するという感覚もまったくありませんでした。
同棲は無責任の象徴だ。責任を取れない男の意識が現れた生活スタイルだ。その当時、わたしはそう思っていましたから。
奥さんは、
「そうだね。お互いのために、そうしたほうが便利だもんね」
「でも、お金はないから、結婚式できないよ」
「結婚式だけだったら安くできるところいくらでもあるから大丈夫。でも、新婚旅行には行きたいな」
そして、近くのカトリック教会を覗くと、3ヶ月間、毎朝、日曜学校に通って信者さんに認めてもらえたら、5万円で式を挙げてくださると言うのです。
わたしたちは、毎週日曜日の朝、ミサに参加し、神父さんのお説教を聞いて、信者さんと交流しました。それもこれも、結婚式のためです。
ウェディングドレスは、奥さんのお母さんが着たものを、お母さんが縫い直してくれました。わたしのタキシードは農協のレンタル。
結婚式は教会で挙げ、ピアノは奥さんの妹が弾き、教会を飾る花は奥さんの友人が用意してくれました。写真だけはプロの方にお願いしました。教会のお庭を借りて、安いワインと近所のケーキ屋のアップルパイとスナック菓子を大量に用意し、そこで立食パーテイーを開きました。参加費は無料。ご祝儀はお断りということにして、ありとあらゆる知人に招待状を送りました。教会のご近所の方も来たりして、全部で150名くらい来てくださいました。
当時、ジミ婚という言葉はありませんでしたが、新郎25歳、新婦24歳という早い結婚で、同期でも最初のほうだったし、時代は、暗黒時代へと向かっていましたから、若い友人たちは、
「そうか!こうやって式を挙げればお金もかからないし、オリジナルの手作りの結婚式ができるんだね」
と、大喜び。
「そうだよ。お金がなけりゃ、お金がかからない結婚式をすればいいんだよ。大切なことは、来てくれた人が楽しかったと思うことだから」
結婚指輪は、貯金をはたきました。約60万円。サラリーマン時代の給料の3倍というわけにはいきませんでしたが、報道記者の給料の3倍以上というノルマは達成しました。これも、精一杯の見栄です。
新婚旅行はイタリアに14日間。二人で120万円。
このお金は、全額ご祝儀から出しました。
あれ?ご祝儀はお断りじゃなかった?
そうなんです。『お断り』と、招待状には書きましたが、皆さん、持ってきてくださるんです。一人1万円としても、150万円集まります。実際はそれ以上。
120万円を旅行の費用に当て、残りを全額お土産やご祝儀返しに使いました。
これも、ある意味、見栄です。
そんな時代があったなんて、今の30代の方にはまったく想像できないでしょうね。
でも、「時代がよかったからできただけじゃん」
なんて、思ったら違います。
どんな時代でも、できない人はできない。できる人はできる。
できる人は、やる人。できない人はやらない人。
違いはそこだけです。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
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