わたしは猫が大好きだ。
奥さんも猫が大好き。
音ちゃんも猫が大好き。
まあ、我が家は猫大好きファミリーなんだけど、もともとは、わたしも奥さんも猫が大嫌いでした。
それは、音ちゃんが生まれる少し前までの話。
とにかく、猫が大嫌い!
理由ははっきりしている。
わたしも奥さんも子供のころに買っていたインコを食べられたから。
だから、わたしの両親も奥さんの親も猫が大嫌い。
昔は犬のほうが好きだった
わたしの実家では、一番多いときでインコ14羽と池に大量の鯉を飼っていました。だから、昼間は、気がつくと、ベランダに吊るした籠の下で猫がピョンピョンジャンプしてるし、夜は夜で、池の鯉と格闘している音がする。
父は、あらゆる猫除けを考案して、猫に嫌がらせをするものだから、猫も負けじと庭のありとあらゆるところに糞尿をして嫌がらせをする。もうこうなったら完全に父と猫のイタチごっこ。
わたしが担当だった頭の一部が禿げたかわいいピーちゃんを咥(くわ)えて悠然と塀の上を歩いている姿を見せつけられたときは、「あいつぜったい殺してやる!」と、わたしは本気で思ったものでした。
奥さんの子供時代も同じような感じだったようで、
だから、
わたしも奥さんも猫が大嫌い!
でも、動物は好きなんですよ。
本当は、犬が一番好きだったんです。でも、家では飼わせてもらえなかった。
それは、わたしが12歳の頃にさかのぼります。
ど田舎の山の中にある父の実家では、黒猫3匹と大きな秋田犬を飼っていました。当時、わたしは猫が大嫌いだから、彼らと戯れることはなかったけれど、黒く大きく膨らんだダニが体に食らいついているときは、
「取って〜」
と、体をスリスリやってくる。そして、ダニを線香の火で炙って落とす。
猫は線香の火が怖くて、「フギャ〜ッ!」と、爪を立て、ジュっと熱くて、「やめろ〜!」と、わたしの腕を引っ掻く。
「おまえが取ってくれって来たんやろ!」
皮膚からはがれ落ちたダニを大きな石で潰して退治する。猫はわたしの膝から逃げるように飛び降り、
「絶対許さね〜」
と、わたしを睨みつけ、礼も言わずに去っていく。
「なんなんだ!!自分勝手な!」
その良さが、子どものわたしにはわからなかったんですね〜。
秋田犬のゴン
当時6歳の秋田犬のゴンは、祖父が山や畑に行くときのお供であり、用心棒であり、道しるべでありました。だから、いつも放し飼い。その集落には4件しか家がなくて、隣の集落まで1キロ以上離れているような山の中ですから、ゴンは行きたいところに勝手気ままに遊びに行っていたわけです。
賢いけれど、イノシシと喧嘩をしては傷だらけになって帰ってくるやんちゃ盛りで、かなりの女好き。いたるところに子どもをつくって、そのたびにおいちゃんおばちゃんが菓子折り持って詫びを入れて里親探しに奔走する。
子供達が川に泳ぎに行くと一緒にバシャバシャ泳ぎ、溺れたふりをすると飛び込んで助けにきてくれる。背中に乗っても大丈夫。なんせあの巨体と強靭な筋力を誇る秋田犬ですから、悠然と歩く姿がたまらなくカッコイイ。どこに行くにもゴンがお供をしてくれるから、親たちも安心してわたしたち子どもをほったらかしてくれたのだと思います(ちなみに父は9人兄妹なので、従兄弟は総勢18名)。朝から晩まで入ったことのない山奥に探検に行っても、ゴンが家まで連れて帰ってくれる。
そんなゴンが大好きで、そんなゴンと過ごす夏休みがたまらなく楽しかった。
その楽しいはずの夏休み直前、突然、ゴンの死がやってきました。
ゴンが、隣のおばあちゃんを噛んでしまったのです。ゴンは保健所に連れていかれ、殺処分されてしまいました。保健所の担当者がやってきて車に乗せようとすると、ゴンは猛然と抵抗し、つながれた鎖を噛み切ろうとして歯が二本も折れて口が血だらけになっていたそうです。
おばあちゃんを噛んだ理由は、痴呆症のおばあちゃんが明け方に突然バットのようなものを持ってきてゴンを殴打したから。
おばちゃんは、ゴンをなんとか助けてほしいと懇願したそうですが、おいちゃんが、
「けじめはつけんといかん」
と、言って決めたそうです。
その夏、なにも知らないわたしが到着すると、ゴンの小屋には、似ても似つかない雑種犬がつながれていました。
以来、わたしの実家では、
「犬を飼いたい」
と、いう言葉がタブーとなりました。父も母もわたしも犬が大好きですが、飼うということができなくなりました。トラウマってやつです。
もともとインコは飼っていたのですが、それから、実家ではインコがどんどん増えていって、気がつくと14羽。そのうち文鳥が2羽。コザクラインコが1羽。
わたしが22歳のとき、最後の1匹のピーちゃん(ちなみにうちのインコの名前は全員ピーちゃん)が死ぬまでインコとの生活は続きました。
インコのチーちゃんとうさぎのウサコ
結婚してすぐ、インコを飼いました。チーちゃんです。奥さんの実家ではインコの名前は代々チーちゃん。わたしの家はピーちゃん。ここは奥さんに譲って、名前はチーちゃん。
昼はずっとカゴに入れてベランダ。夜はずっと家の中で放し飼い。眠くなったら自分でカゴに入って寝る。
わたしが料理を作っているときはずっとわたしの肩に乗って、味見をせがむ。晩酌のときはやたらビールを飲みたがる。飲ますとすぐにフラフラになって寝てしまう。
一番のお気に入りは、
「首を掻いて〜」
と、わたしの指に首を押し付けて伸ばす。掻いてあげると本当に恍惚の表情を浮かべるんです。
いたずらをして怒ると、本当にイジけた表情になる。あんな小さな動物にもしっかり百面相あるんですよ。
でも、5年目のある朝、わたしの不注意でベランダのドアのすき間から飛んで行ってしまいました。
そのショックで翌日から、わたし40度の熱を出して寝込んでしまったくらいです。
「悲しすぎてもうこの家には住めない」
と、引っ越しました。新しい家ですぐに飼ったのはうさぎでした。うさぎのウサコです。でも、彼女は生まれながらの奇形で、生後半年後には両後ろ足が関節から外側に90度に曲がり、下半身を引きずって歩くようになります。下半身の毛は摩擦で全て抜け、皮膚も破れました。だから、フローリングに対してよく滑るタオル生地を足にグルグルに巻いてあげるのです。
週一で動物病院へ行き、よくわからないどデカイ注射を打たれていました。一回7000円。
「この奇形は遺伝的なものだから治らない。とにかく、長生きしてもらうためにはこの注射を打ち続けるしかないんです」
よくテレビに出てくる超有名な動物病院のお医者さんの言葉です。
わたしたち夫婦も、すがれるものなら藁(わら)をもですから、その言葉を鵜呑みにしていました。
さらに、1年後には両目が失明し、1年半後には斜頸(しゃけい・首が横に傾いた状態で動かなくなること)し、完全に平衡感覚を失います。
その結果、完全な寝たきりに。こうなると、もう自力では食べることも飲むことも排泄することもできません。
このころ、ようやく、注射器の中身はただの生理食塩水じゃないか?と、いうことに思いが至ります。試しに近くの小さなペット医院にいくと、
「こんな小さなウサギにどんな注射を打ったって、絶対に治りません。注射を打たれるストレスのほうがよくない。それでも、こんな体で1年半よく持ちこたえましたね。この状態だといつ死んでもおかしくないですから、あとは、静かなところでゆったりとさせてあげてください」
そう言われました。
それから、死ぬまでの1年間、奥さんは仕事から帰ると、何をするでもウサコを横に置いて、ずっと介護をし続けました。
そして、ウサコに、何度も、
「早く楽になりたいね。辛かったら頑張らなくてもいいんだよ」
と、声をかけるようになっていました。
うさぎは声帯がないので、苦しくても声が出せないのです。だから、奥さんは自分のベッドの横にウサコの布団をつくり、夜中に何度も起きて寝返りを打たせてあげるのです。
食事も全部、口元に持っていってあげます。うさぎは草食動物特有の食糞(しょくふん)という行為をします。一度出した糞をもう一度食べるのです。賢いもので、食糞用の糞とそうでない糞は見た目も匂いも全然違うんですよ。そうしないと栄養が吸収できないのです。その糞も口元に持っていってあげるのです。とてつもなく臭いんですけどね。
排泄は、本来、小動物のうさぎは捕らえられないために走りながらやります。
でも、ウサコは走れない。というか寝たきりです。だから、下半身が糞尿まみれになります。だから毎日お風呂に入れてあげる。でも、ウサギは本来水浴びをしないので毛は水はけがとっても悪い。だから、ドライヤーで時間をかけて乾かして、皮膚が乾燥しないようにクリームを塗ってあげる。それでも、床擦れはできてしまう。
そういう生活が1年続きました。
最後、わたしの手のひらでキャ〜ンッ!という断末魔の叫びのあとの、大きな深呼吸を最後に息を引き取ったときには、わたしも奥さんもこれでもか〜ってな号泣でした。
享年2歳半。
「うさこはこの2年半、本当にわたしの心を癒してくれた。命の大切さを教えてくれた。ありがとうありがとう。うさこは本当にいい子だったから今度生まれ変わるときは、きっと健康な人間の子供として生まれ変わってくるよ。そのときは、わたしたちに会いに来てね」
葬儀場で、焼かれる前の棺に、奥さんはそう語りかけていました。
動物霊園から自宅に戻ると、その日から奥さんは5日間、トイレ以外、寝室からまったく出てこなくなったのです。
重度のペットロス
ご飯も食べないし、お風呂にも入らない。部屋から出てきて水を飲むのはいいけれど、シクシク泣いてどうしようもない。
わたしも、体調不良が続きました。この半年前、顔面の左半分が痙攣(けいれん)するような時期が少しあったのですが、その後、症状は治まっていたのですが、うさこの死をきっかけにまた出始めたのです。
「自立神経が参っちゃったのかな?」
そう軽く考えていました。
やっぱり、ペットの死はペットで補うしか、ないのです。
「新しいペットを飼いにいこう」
「でも、長生きできない動物はいやだ」
「じゃあ、犬を飼おう。マンションで飼える小型犬。チワワとかプードルとか」
「チワワがいい」
そう説得してなんとか家の外に連れ出して、ペットショップに通う事10数軒。
でも、なかなか気に入った子が見つかりません。
その当時、まだあった、二子玉川の『犬たま猫たま』という小さなレジャー施設のペットショップで見かけた小さなカゴに入った小さな猫に奥さんの目が留まりました。
但し書きには、
『エジプシャンマウ 5万円! 特有のスポット(斑点模様)がきれいに出なかったので血統書がつきません。だから、この価格でご提供できます。兄妹は20万円以上!だからお得!』
「あの子がいい」
「えっ?猫じゃん。猫きらいじゃん」
「あの子って決めたから」
「でも、目と目が合ったわけでもないし、全然こっち見てないし、運命的な出会いな感じ全然しないし……、なんで?」
「なんか…、あの子を飼ってあげなきゃって思ったんだもん」
「運命的な出会いじゃん」
「ん〜、そういうわけじゃないんだけど…。飼ってあげなきゃいけない感じがするんだよ」
「じゃあ、飼うしかないね〜」
やっぱり運命の出会い
エジプシャンマウだから、名前は「マウ」。
誕生日は2001年の3月15日。出会ったのが5月15日で、我が家にやってくるのは6月15日と決まりました。
それから、奥さんは日曜ごとにマウに会いに行き、来たる6月15日へとボルテージを高めていきます。
わたしと奥さんは、一度も猫を飼ったことがないわけですから、猫がどういう習性を持っているかなんてまったく知りません。
ただ、
「癒してほしい」
いま、思うと、結婚生活10年目を迎えて、子供がいない家庭内の長年仕事ですれ違って生きてきた夫婦のポッカリ空いたお互いの穴を、インコのチーちゃんとうさぎのウサコというペットという擬似子育てで埋めてきただけなのかもしれません。マウは、その後釜に過ぎなかったのでしょう。要は、ウサコはチーちゃんの代わりであり、マウはウサコの代わり。
でも、このマウの登場は、我々になにやら運命のようなものを感じさせずにはいられなかったのです。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)