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離婚について2「熟年離婚は財産分与を解決」主婦の義母の実例

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離婚をするのは簡単です。簡単に離婚できるのは、働いてお金を稼いでいる女性です。

では、主婦はがまんするしかないのでしょうか?

私の義母は、ある制度が施行されるのを待って離婚に踏み切りました。

今日の記事は、離婚したくてもお金や子供のことを考えて、離婚できない主婦の方に向けて、義母の実例をお伝えします。

けんか両成敗

義母は、離婚したいと義父に言いました。

そして、家(結婚祝いに義母の両親がプレゼントした土地の上に義父がローンで買った家が建ってる)の引き渡しと年金全額を請求しました。

義父は離婚には応じたものの、家の明け渡しと年金全額の請求を断りました。

「離婚するならお前が出て行け!家も年金の俺のものだ」

離婚に応じたと言っても、実際は、

「家も金もなくてどうやって離婚するんだ?できるもんならやってみろ」

そういうことです。

そして、はなから義母にそんな行動力はないとバカにしていたのです。

義母は役所の無料相談室に赴き、弁護士に相談します。

結婚40年間、義父はほとんど家にお金を入れてなかったこと。主婦業をやりながら家計は全て義母の内職でやりくりし、二人の子供を育てていたこと。義父はお酒を飲むと暴力を振るい、それが何年間も続いていたこと。退職金を自分の遊興費の借金の返済にあて、さらにウン百万円の借金を残してしまったこと。

これらを理由に「要求が全て通るように戦いたい」と。

しかし、弁護士の回答は、

「これらの要求が認められることはないでしょう」

と、いうことでした。

では、なぜ、義母の要求は何一つ通らないのでしょう?

大きな理由は二つです。

証拠がない」

そして、

「長年夫婦として暮らしてきた」

からです。

最初の理由に対して、義母は、

「私と娘の証言があります。夫も、そのことを追求されたら認めると思います」

こう訴えましたが、証言は証拠としては弱いというのです。

「もし、ご主人がそのことを否定したら、どうしますか? 証拠がありますか? 認めるだろうとおっしゃいますが、認めたら財産は全て没収されてしまいます。とても認めるとは思えません。裁判では、証拠がないと認めてはくれませんよ。それに、ご主人は大手新聞社のエリートサラリーマンで社会的信用もありますから、あなたより心象はどうしてもよく取られてしまうでしょう」

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失敗を恐れて結論を後回しにしていたツケ

では証拠とは?

家庭に一切お金を入れなかったという証拠です。

義父の収入の証明として給料明細が必要であり、義父が毎晩飲み歩いて、タクシーで帰宅していたという領収書が必要になります。

月の収入に対して支出はいくらか?それを何年間、続けていたのか?

継続的にどれだけ?トータルでどれだけ?

領収書やレシートがないのであれば、義母がつけていた家計簿にそのような記述があるとか、日記を毎日書いていたとか。

もちろん、そんなものはありません。(あったとしても、何十年分も保管している人がどれくらいいるでしょうか?)

次に、義母の内職だけで二人の子供を育てたという証拠です。

内職の給料明細。そして支出の内訳を証明するものが必要になります。子供達の養育費が義母の内職の稼ぎだけでまかなわれていたという証拠です。

そして、義父の暴力。月にどれくらいの頻度で暴力を振るわれたのか? 

病院に診断に行ったのか? 

レシートは?

診断書は? 

怪我の写真は? 

警察に何回相談に行ったのか?

義母は、病院で診断書を取ったこともなければ、暴力が原因で病院に行ったこともありませんでした。目を青く腫らしていたことがありましたが、茜さんが病院や警察に行くように言っても、

「家族の恥を外にさらしたくない」

と、義母は病院にも警察にも行かなかったのです。

では、せめて日記にその時の窮状を綴っていたのか? それもありません。

つまり、暴力の証拠が何一つない。

そして、最後。退職金すらなく、義父が多額の借金を作っていた件です。

この件について、弁護士さんはこのようにおっしゃったそうです。

「奥さんは、どうして通帳と印鑑が他人の手に渡り、借金が膨らんでいったことに気がつかなかったんですか? 法律上、夫の給料の一部は妻のものです。つまりあなたのお金です。そのお金を長年にわたって、夫が勝手に使っただけでなく、他人に通帳と印鑑を渡していた。そのことをいくら夫が隠していたからとはいえ、妻であるあなたが気がつかないというのは、あなたの落ち度以外何ものでもないのです。つまり、夫が借金を抱えてしまった責任はあなたにもあるということです」

さらに、追い打ちをかけます。

それが、二つ目の理由、「長年夫婦として暮らしてきた」ということです。

「何十年にもわたって、夫は家庭にお金を入れてなかった。何十年にもわたって家族に暴力を振るい続けた。にもかかわらず、妻であるあなたは、何一つ行動を起こしてない。これは、長年にわたる夫の行動を認知していたことになります。つまり、認めていたことになるのです。家計や子どもの養育に関しても、仮に夫が家にお金を入れてなかったとしても、あなたの内職の収入でまかなうことができた。つまり、問題はなかったということになります。今まで何十年も我慢してこれたという実績は証明されています。それがあなたとご主人にとっての夫婦の形なんです。『今までそれで40年間、やってこれたんでしょう?』ということ。つまり、今まであなたがおっしゃったことは離婚理由にならないと裁判所は判断するのです」

義母は、呆れて否定します。

「そんなことあるわけないじゃないですか! 暴力が怖くて、二人の娘を暴力から守るために、ずっと我慢していたんですよ。逃げられるものだったら逃げてました。でも、家を出て行ったら二人の娘を育てるのは、経済的にも無理です。我慢するしかなかった。普通に考えればわかりますよね」

しかし、弁護士は、

「法律は、同情や義理で判決を出すわけではありません。私だって、あなたが夫の暴力やお金を入れなかったことを認めていなかったことくらい分かります。しかし、裁判では、証拠がなければ、訴えは、何一つ認めてはもらえません」

「…では、わたしは何ももらえないということですか?」

「お互いに過失がなく、専業主婦が夫と離婚した時に請求できるのは、資産の半分です。ですので、土地家屋の評価額の半分と財産の半分。借金に関しては、いくら夫婦とはいえ、夫があなたに隠していたのは事実ですから、彼に非があるのは明らかです。あなたにその責任が及ぶことはないと思います」

「どうして、土地家屋が折半なんですか? 私の両親が買ったんですよ。彼が買ったのは建物だけです。建物はほとんど価値がありません。だから、土地の評価額分は娘である私に受け取る権利があるはずです」

「しかし、名義はあなたとご主人で2分の1づつです。あなたのご両親はあなたにではなく、あなた方ご夫婦に買ってあげたということです。これは絶対に覆りません」

「でも、主人は家を売る気はないと思います。このまま居座るつもりです。だから離婚しても、わたしはもうあの家には住めないし、売ることもできません」

「それと年金ですが、離婚した場合、年金は全額、夫のものになります。離婚したらあなたは一銭も受け取ることはできません」

「何故ですか?」

「それが法律だからです」

さらに、

弁護士の言った一言が、義母に与えたショックは多大なものでした。

「裁判で闘っても損をするのはあなたです。熟年離婚などとブームのように言われてますが、この歳になって離婚をすると損をするのは女性です。あなたは辛くても今まで我慢できたんだから、離婚しようなんて思わないで、そのまま夫婦生活を続けたほうがあなたのためにも賢明だと思いますよ」

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離婚時の年金分割制度の施行を待って

義母は、どうしても諦め切れませんでした。

「弁護士にも能力の差がいろいろあるから、セカンドオピニオンだよ。他の弁護士に相談してみたら?」

茜さんや、周囲の言葉に押されて、義母は別の弁護士に相談します。

その弁護士の見解はこうでした。

「今、離婚を裁判所に申し出ても、あなたの訴えは認めてはもらえないでしょう。夫に土地家屋を売却して財産を折半する意思がなければ、半分受け取ることは難しいと思います」

そこの部分は、前の弁護士と同じです。

しかし、弁護士はこうも続けます。

行動することが大事です。いいですか? こんな例もありますから聞いてください。ある相談者の方は、離婚をしたいという意思を別居するという行動で示しました。その人は5年の別居生活を経て、無事に離婚することができました。それは、その人に離婚したいという意思があったと裁判所が認めたからです。これは一例です。つまり、離婚をしたいと言いながら同居しているよりも、別居の方がその意思は強いとみなされるのです」

「別居すると、どうなるんですか?」

実質、夫婦関係は破綻していると裁判所が判断します。離婚したいという訴えは認められます。そして、お互いの財産についても、折半を認めてくれるはずです。もし、あなたが家を出て行ったらご主人は、あなたに戻れと言いますか?」

「言わないと思います。外面がよくてプライドの高い人です。本当は離婚したくないと思うんです。面倒臭いことが大嫌いな人ですから。だからといって、私が出て行っても、お酒を飲むお金があれば何も言わない人ですから、年金を全額自分一人だけのために使えるということで、かえって喜ぶと思います」

「よく夫が逆上して事件を起こすということもありますから、その人も別居先は夫には黙っていたそうです。用心に越したことはありません。5年間別居すれば確実に年金の半分を受け取ることができます。平成19年に『年金分割制度』が施行されます。そうなると、離婚をしても、年金の半分を妻が受け取ることができるようになるのです。だから、それまで待つのです」

 

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実行の日

義母は、義妹夫婦の近くにアパートを借りて、引越しの決行日を決めて、改めて義父に離婚を切り出しました。

「離婚してほしい。財産の半分を渡してほしい。家を売って得たお金の半分と、年金の半分」

しかし、義父は、一切応じません。

「この家は俺の家だ。年金も俺が働いた結果もらえるものだからお前に渡す理由はない。離婚したいならお前が勝手に出て行け!」

「裁判をすることになるけどいいのね?」

「かまわない」

「じゃあ、いずれ裁判所から書面が届くと思うから」

そう言って、荷物をまとめて出ていきました。

それから5年、夫婦の別居生活が始まりました。

義父は一度だけ、義妹夫婦のところにやってきて、義母の居場所を聞いたそうです。しかし、義妹が結婚した時から義妹とも絶縁状態だったので、当然、教えることはありません。

義父は、畑で採った野菜を置いて帰って行ったそうです。

そして、弁護士さんの言った通り、2009年4月に「年金分割制度」が施行され別居から5年が経った2012年、家庭裁判所に離婚の訴えを起こします。

義父は、義母の訴えを認めず、調停では合意できずに裁判まで争う姿勢を見せました。

結果は、「土地家屋、家財道具、年金を含めたすべての財産を折半」と、いうことになりました。

 

しかし、義父は、判決後も従いませんでした。茜さんの育った家に居座り、年金の支払いを拒んだのです。

裁判所は、年金口座を凍結し、強制的に半分が義母に送金されるように手続きをしました。家に関しては執行官が何度か家を訪れ、義父の説得を試みますが、拒否。

義母は諦めざるをえませんでした。

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結果、行動に移すなら、もっと早く

これが、40年以上、夫婦としてやってきた二人の結末です。

茜さんの家族は、ご近所さんからは羨望の眼差しを向けられるような理想な家庭でした。

高学歴の父はエリートサラリーマンとして高給を取り、毎晩銀座で飲み歩き、タクシーで帰宅する羽振りの良さ。

母もお嬢様育ちで美術系大学出身の上品な奥様。

娘二人は礼儀正しく、きちんと挨拶のできる真面目なお嬢さん。

「いい家族で幸せそうね」周囲からはそういう家族に見えていました。

しかし、家の中は、外から見える姿とは全く違っていました。

茜さん曰く、

「わたしが物心ついた頃には、父と母が普通に会話している姿を見たことがない。お酒を飲んでない時の父は、ほとんど自分の部屋にこもって本を読んでいるかラジオを聴いているか。お酒を飲みだしたら、機嫌がいいのは最初だけで、すぐに目つきが変わって、母に『なんでお前は男を生まなかったんだ!』と怒鳴り出す。そうなると、私たち姉妹は自分たちの部屋に逃げるしかなかった。そのあとは決まって暴力。母が私たちの部屋に逃げてきて、父が下で怒鳴っている。その声が怖くて怖くてたまらなかった。でも、翌朝には真面目なサラリーマンの父に戻っていて、きちんとスーツで着て出かけていく。近所の人には「おはようございます」ときちんと挨拶する。外面だけは本当に良かった。だから、誰も父の本当の姿を知らない。家族四人で食卓を囲んで笑うって、そういう家族が存在していることすら知らなかったんだから。ホームドラマの世界なんてすべて嘘だと思ってた。だから、父と母の離婚が成立した時、ようやく”嘘の家族”から解放されたと思ったよ。やっと私は、私たちだけの本当の家族(私と音と茜さんの3人)になれたんだって」

義父と娘二人は今でも絶縁状態です。

こういう問題で、”たられば”の話をしても、何の意味もないことはわかっていますが、もし、離婚があと10年早かったら、今頃は、義父との関係も違ったものになっていたかもしれません。あと20年早かったら、義父も自分の間違いに気付けたかもしれません。

却って、もっと良くない結果が待っていたかもしれません。

"たられば"なので、何を言っても意味はないのですが、少なくとも、今ある状態とは違うものになっていたでしょう。

最終的に、義母が、自ら行動を起こしたことによって離婚することができた。

これは、義母が、初めて誰にも頼らず、自分で自分を奮いたたせ行動を起こすことができたのです。

しかし、そこに至るまで、何十年もかかってしまいました。

「離婚したい」

と、娘たちが小さい時からずっと思っていました。その思いを行動に移すまで、40年近い歳月がかかってしまったのです。

もっと早く、行動に移すことはできなかったのでしょうか?

娘たちが小さい頃、家を出て行っていたら、本当に食べていくことはできなかったのでしょうか?

もし、義母の近くに誰か背中を押してくれる人がいたら、案外簡単なことだったのではないでしょうか?

あの時代、離婚は「失敗」以外、何ものでもありませんでした。義母のいうとおり、

「娘たちのために離婚しない」ことは正解だったのかもしれません。でも、あと10年20年早かったら、茜さん姉妹の心の傷はもっと浅く、もっと早く癒えたかもしれません。

それもありますが、何よりも思うのは、

義母の人生は、本当にそれでよかったのでしょうか?

40年前から、ずっと同じことを考えていたのなら、もっと早く行動すべきだったのではないか?

義母のケースに関しては、わたしはそう思わざるをえないのです。

義母は離婚をしてから生き生きと生まれ変わったように明るくなりました。とはいえ、すでに70歳近く。

「やっと自分の人生を生きられる」

と、言っても、あまりに遅すぎる。残りの人生を考えると40年間の辛抱はあまりに長すぎます。

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とはいっても、新婚でも離婚はあるのです。

次回は、離婚について3「新婚で離婚を考えた友人夫婦の実例をご覧くださいませ。

(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)

 

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