風宏の心の冷えとりコーチング PR

風宏の「心の冷えとり」コーチング11|気をつけても起こるママ友問題

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保育園入園してしばらくしてママ友は怖いものだと体験した奥さんの茜さんは、誰とも深く関わらないようになりました。

最初は、私は子供のためにそれは良くないとママ友と仲良くすることを奥さんに強制しました。

しかし、奥さんは無理して作る友達はいらない宣言をし、一歩離れて静観していました。

そんな私たちでしたが、それを快く思わないママ友やパパ友から悪く言われるようになりました。

何をしても嫌われるときは嫌われるものです。

嫌われる体験から、子供には火の粉がふりかからないことがわかりました。

今日の記事は、ママ友を自ら作らなかった奥さんの体験談をお伝えするとともに、やはり嫌われる勇気を持っている方が幸せに生きることができるということを断言するものです。

私が思い込んだママ友の世界

 

わたし「音のために、最初はおとなしく、ママ友とも仲良くして。お願い!」

茜さん「好きでもないのに、無理して仲良くするから、よくないことが起こるんだよ。だから絶対にヤダ! あえてママ友を作る気はない! 気があったら友達になる。」

二人の意見は真っ向対立しました。

平行線のまま、音は0歳8ヶ月から保育園に入園しました。

もちろん、茜さんはそれまで誰一人として、ママ友を作りませんでした。

入園からわずか数日後、登園し、茜さんが建物に入った瞬間に、事は起こりました。

後ろから突然、肩を叩かれ振り向くと、一人のママらしき人から、

「あなたに決めた!父母会の連絡係ね」

そう言われたのです。

相手の女性は自分の名前を名乗らず(2歳上のクラスを仕切っているママ)、

「あなた名前は?携帯電話の番号教えて?」

「いきなり、困ります」

そう言って、駅へ向かうために園を出ようとすると、

「あなた、逃げるの!ちょっと待ちなさいよ」

肩を掴んできたのです。

「急いでいるのですみません。本当にゴメンなさい」

そう言って、文字どおり逃げました。

その一件で、上の代のママたちからは、悪い意味で目をつけられるようになったのです。

わたしにしてみれば、「茜さんには是非、ママ友を作って欲しい」という望みに対して、まさに、

「出鼻をくじかれた感じ」

でした。

この出来事が、茜さんの態度をさらに硬化させてしまったことは言うまでもありませんでした。

だからと言って、代わりにパパであるわたしに、ママ達が何か告げ口するとか、誰かの悪口を言うとか、そういうことは決してないのです。

保育園に通っている間の6年間、一度もありませんでした。

基本的にはわたしが送り迎えをし、父母会的な集まりがあれば、わたしが出向き、バーベキューやお花見といったイベント(茜さんは音に、「ママも一度くらい来てよ〜」とせがまれ、バーベキューに一度だけ参加)に参加していました。

パパ友たちとも仲良くし、何度も飲み会の企画もしました。

携帯電話の番号やメルアドを交換していますから、直接、ママからわたしのところに連絡が来ることもありましたが、そんな時でも、まるで茜さんが存在しないかのように、茜さんの話題が出ることもありません。

入園してから5年間は、表面上は何もなく、穏やかに過ごせていたと思います。

茜さんは、基本的には誰とも深い付き合いはせず、誰の家にもお呼ばれせず、誰も家には呼ばず、ランチに誘われればたまには行く。そういう距離感を維持していました。

茜さんのそういった付き合い方が、音とお友達の関係に影響を及ぼすようなことはありませんでした。

基本的には、たまの送りとお迎えでしかママ友と接触しない茜さんでしたが、それでも、茜さんに他のママ友の悪口を言ってくるママ友や、明らかにノリだけで話しかけてきて、嘘と分かる嘘をついてくるママ友はいました。

 

 

「私、◯◯さんにこういうこと言われたんだけど、本当に悔しくて…。ねえ、茜さん。ひどいと思わない?」

「そうなの?そんなこと言われたの?」

「普通あんないうこと言う?自分が言われたらどう思う?」

「もし、そんなこと言われたらそりゃあ傷つくけど…」

「でしょう?だよねー」

完全に誘導ですが、たったこれだけの会話で、

「茜さんも言ってたわよ。◯◯さんがひどいって」

そういうことになってしまうのです。

そのことを知った茜さんは、そのまま黙っているような人ではありませんから、誤解を解くために動き始めるわけです。

「茜さんも言ってたわよ」

そう言った人には、

「わたしはあなたにそんなことは一言も言ってない」

と。

「茜さんも言ってたらしいわよ」

そう言った人には、

「誰から聞いたの?」

と。

 

すると、今度は、パパ友の一人がわたしにこう忠告をしてきたのです。

「うちの妻が、みんな音ちゃんのママを怖がっているって、言ってましたよ。ちょっとしたことで大騒ぎをして血相変えて犯人探しをしているって。そういうのやめたほうがいいですよ」

それはちょっとおかしな話だと、今度はわたしが、そのパパに聞いたのです。

「みんなって誰ですか?そのことをあなたの奥さんに確認してもいいですか?」

すると、

「ほら、そうやって夫婦揃ってムキになって、やだなぁ〜。そういうところですよ。嫌われるの〜!」

「ムキになっているのではなくて、そう言われたら、事実関係を確認するのは当たり前のことですよね。誤解を解くことがいけないことですか?」

その瞬間から、私たち夫婦はその保育園のママ友パパ友の間で孤立していきました。

気がつくと、わたしはパパ友の飲み会に呼ばれなくなっていました。

そのことに気づいたきっかけは、音のこの一言でした。

「こないだの日曜日、みんなでバーベキュー行ったらしいけど、パパ知ってた?」

「みんなって?」

「保育園のみんな。なんで音ちゃんは来なかったの?って聞かれた。パパ知ってた?」

「いや、知らなかったよ。みんなってクラスの音ちゃん以外の全員?」

「全員じゃないけど、◯◯ちゃんとか〜、◯◯ちゃんとか〜、◯◯ちゃんとか〜」

「ああ、4〜6人でしょう?」

「そうそう。音ちゃんも来るって思ってたって言われたよ」

「行きたかった?」

「行きたかった」

「もし、今度、誘われて行きたかったら行ってもいいよ。パパは行かないと思うけど」

「どうせママも行かないよね〜」

「行かないね〜」

「じゃあ、音も行かな〜い」

親は嫌われても、子供に、

「音ちゃんと遊んではいけません」

なんて、そこまでひどいことを言う親はいなかったようです。

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どうですか?

茜さんと同じような目に遭われた方、たくさんおられるのではありませんか?

勝手に言いがかりをつけられて、知らないうちに、「あの人は変だ」「あの人が悪い」と悪者扱いされて、イベントや集まりに呼ばれなくなる。

親だけでなく、親子で集まるイベントにも呼ばれなくなり、子供まで孤立してしまう。

「ひどいいじめだ」

と。

そう解釈してしまえば、それは、「いじめ」になってしまいます。

でも、わたしも茜さんも、「いじめ」だとは思いませんでした。

音の同級生は全部で15〜18人いました。その中の3〜5名のママたちが茜さんを悪者呼ばわりしただけで、他の10人以上のママたちは、基本的には、トラブルには巻き込まれたくないママたちです。

つまり、騒いでいるのは全体の4分の1です。

その中で、茜さんのあることないことを吹聴しているママはリーダー格の一人か二人。残りは、ノリでそこに同調しているにすぎません。

であれば、その連中さえ無視できれば、問題がそれ以上大きくなることはありません。

ただ、”ネットいじめ”でもそうですが、ほんの一部の悪意に満ちた行動が、大きな問題を引き起こす世の中ですから、油断はできません。

こちらも、ただ無視するのではなくて、監視の目をしっかり持つ勇気も必要になります。

「親のケンカが子供の世界に波及していないかどうか?」

を見る、監視の目です。

 

親の自分がもし、いじめられる立場になってしまったら?

「いじめられている」「仲間はずれにされている」

と、気づいてしまったら、

「どうしよう?どうやって関係を改善しよう」

そう悩んでも、あまり意味がないと思いませんか?

そうなってしまったら、自分の力ではどうしようもありません。自分一人に対して、相手が3人、4人となってくると、その集団心理をあなた一人の力で変えることは到底無理です。

一旦、距離を置くか、関係をストップさせるか、辛くても、一旦、思考を止めるのです。

そして、自分と子供のことに切り替える。

「わたしは大丈夫か?子供は大丈夫か?」

と。

「子供まで仲間はずれにされてはいないか?」

と。

そして、子供にまで波及していたら、それはもうあなた一人の問題ではありません。

ありとあらゆる手段で、子供を全力で守る。

それだけです。

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人間関係は、答えが出ないのが当たり前

 

それにしても、私と茜さんで、この件については、今でも話し合うことがあります。

あの時、何が原因で私たちは嫌われることになってしまったのか?

あの時、私たちは何を間違えたのか?

「わたしたちは意図的にハメられたの?それとも、不幸な偶然が重なっただけ?」

「ただ、いちいち目くじらを立てずにスルーすべきだったのかもしれないね。そういう選択もあったかもしれない」

「でも、スルーしたら、わたしが悪口を言ったって嘘が既成事実になっちゃう。それは違うから絶対に嫌だ」

「違うアプローチの仕方はあったかもね」

「例えば、あなたがそれとなく探りを入れるとか?」

「そうだね。他には何かなかったかな?」

「保育士さんに相談してみるとか?」

「それもありだね」

「あなたが聞いても、保育士さんが聞いても、本当のことは言わないよ」

「つまり、彼女たちは嘘を重ねるということ?」

「たぶん。嘘をつく人はその嘘を真実にするためにまた嘘を言うから。決して真実はわからないと思う」

「だよねー。真実はわからないんだよね。いくら問い詰めても。他には?」

「悔しいけど、何もしないとか?でも、何もしないと認めたことになるし。だから、あれでよかったんだよ」

「やったことで、何かよかったと思えたことはあった?」

「わたしにひどいことをしたら、あとが面倒くさいということが彼女たちにはわかったんじゃない?」

「彼女たちが?本当にわかったのかな?それも想像だよね?」

「だよねー。結局、何もわからないってことか」

「正確にはわからないよね。自分の気持ちはどうなの?スッキリした?」

「スッキリとまではいかないけど、わたしは誰の悪口も言ってないってことだけは、はっきり主張した。わたしのやるべきことはやったって感じ」

「この後、どうするの? 彼女たちとは音が小学校に上がってからも、顔を合わす機会は増えると思うけど」

「基本的には無視。挨拶はするけどね」

「それでいいと思うよ」

いくら振り返っても、どんなに反芻(はんすう)しても、やはり正確なところはわからないのです。

ああは言っても、茜さんには結構、執念深いところがあって、小学校に上がった後も、

「あの時、なぜ、あのような状態になったのか、事の経緯を知ってる?」

と、ママ友たちに直接的、間接的に聞いていました。

「みんなが音ちゃんのママを怖がっている」

そうわたしに言ってきたパパの奧さんにも聞きました。

「あの時の私、怖かった?ゴメンね」

物腰柔らかく、慇懃に。でも、そのママは、

「え? わたし、そんなこと旦那に言ってないし、その話、よく知らないんだけど」

そう言って、ポカンとしていたそうです。

これが、嘘か本当か、やっぱりよくわかりません。

そうなのです。

いくら、事情聴取をしても、

本当のところは、やっぱり、よくわからないのです。

その後、茜さんが、保育園時代のママ友と言葉を交わすことはありません。学校の行事で会ったり、道ですれ違えばニコリと笑って挨拶くらいは交わしますが、その程度です。

一人のママ友だけは、その後、本当の友達になり、現在でも仲良く交流しています。だからと言って、その友人に当時のことを持ち出して、話すということはしてないそうです。

茜さんにとって、保育園時代のママ友問題は完全に過去のこととなりました。

 

では、わたしはどうなのか?

かつて、音ちゃんが保育園に入る時、

「音のために、最初はおとなしく、ママ友とも仲良くして。お願い!」

と、主張していたわたしです。

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人の心はわからない

 

人間って、本当に複雑で、ややこしい生き物だと思います。

長年の知り合いだというだけで、その人のことをわかっているつもりになっていますが、わかっているのは、あくまで、

自分と接するその人のその時の見える、感じる部分

だけです。

その人が、自分がいない時に、他の人とどのように接しているかなんて、決してわからないわけです。

想像するか、人伝に聞くことでしか、わからない。

「既読スルー」に、ムカつく人は多いかもしれないけれど、その人は返信する時間がなくても、慌てて読んでくれたのかもしれない。本当は、もう「送ってくれるな」と、いうメッセージなのかもしれない。

だけど、それは想像です。

その少ない情報量を元に、”想像するしかない”領域で、人は、対人で、悩み続けるのです。

悩んだ結果、答えが出てくることもあるでしょう。結果、その答えを元に行動に移す。結果、対人関係がうまくいけば、結果オーライ。

うまくいかなければ、思ってたのとは違った。

それだけのことなのです。

相手の本心は、決してわからない。そこは変わりません。

わかっているのは、

「人は常に、自分が、心地よい想像に落ち着ける状態にありたい」

 

恋愛なんてまさに、これです。

その状態を目指して、考え、悩み苦しみ、胸を傷めるのです。

「恋は盲目」

とは、よく言ったもので、気になる相手であればあるほど、自分のメガネだけで相手を見てしまうので、相手の気持ちや考えていることがさっぱりわからなくなってしまう。

これは何も恋に落ちた人だけに言える言葉ではないということです。

こんな言葉があるばかりに、

「実は人間関係はすべからく盲目なのだ」

 

と、いうことが、ボカされているだけだということに誰も気づかないのです。

盲目なのは、恋に落ちた人だけではない。

 

人の気持ちがわかるなんて、実は大きな思い上がりで勘違いで、お互いが、ただ、

わかっているつもりになっていて、多少のズレや違和感を許容しながら良好な関係を築いている

と、いうことに、気づいてないだけなのです。

 

「恋に落ちると何も見えなくなっちゃうからね。わたしも独身時代はそうだったわ〜」

なんて、恋心に揺れる同期の独身女性の相談に、余裕綽々な態度で、他人事のように赤ちゃんを抱っこしてママとなった二人の友達が答えている。

そう話しているママとなった二人は、相手がいない時はいつだって、独身女性に相手の悪口を言っている。

知らぬは当人同士。

でも、その「知らない」と、いうことが、人間関係においては、とても大切だということなのです。

「知らぬが仏」

です。

茜さんのように、

「トラブルに巻き込まれたくないから最初から付き合わない。知らぬが仏だもん」

それを徹底させていても、火の粉というのものは必ず降りかかってきます。

車の運転の大好きな人が、

「飛行機が怖いから絶対に乗らない」

と、徹底的に飛行機を避けても、交通事故に遭うかもしれません。その方がよほど確率が高いし、確率論だけを参考にすれば、とてもナンセンスです。

だからと言って、

「車の方が危険なんだから飛行機の方が怖いというのはおかしい」

と、他人がいくら言っても説得力はないし、心には響きません。

つまり、人の心というのは、計算で測ることもできません。

何度も言いますが、

人の心は、いくら考えても、優秀な研究者がどんなに研究してもわからないものはわからないのです。

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自分の心を知ってる?

 

でも、自分の心を「知らぬが仏」ではダメなのです。

自分の心だけは、知っておきましょう。

 

”自分の心を知る。”

 

「人から嫌われたくない」

のであれば、

「自分の心を知る」

のです。

なぜ、嫌われたくないと思うのか?

「他人が自分のことをどう言っているのか気になる」

のであれば、

なぜ、気になるのか?

それは、その前に自分の起こした行動に起因しているのではないか?

自分の性格にあるのではないか?

では、その性格は、どのようにして作られていったのか?

内観するのです。

 

そして、自分の心の真実を掘り下げつつ、

では、そんな自分が、

何をすれば気にならなくなる?

同時に考えるのです。

続きは、風宏の「心の冷えとり」コーチングとは?12ママ友公園デビューは誰のため?をご覧くださいませ。

(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)

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風宏(Kaze Hiroshi)
この記事を書いている人

風 宏(Kaze Hiroshi)

 風宏

心の冷えとりコーチ

冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。