こんにちは。
冷えとりコーディネーターの風茜()です!。 @kazeakane
頭痛は20代から頻繁に起こっておりましたが、市販の頭痛薬でおさえにおさえた結果、発見が遅れ、聴神経をとらざるを得ない状況になりました。(三半規管を失い、片耳が聞こえなくなりました)
これに懲りた夫は、この手術以降、どんな小さなことでも身体に不調があると、病院に行って、原因を調べ、薬を飲むようになりました。
仕方がないと思います。
しかしながら、ここまでになった原因を作ったのは本人です。
原因があるからこそ、結果があるのです!
夫は、20代の暴飲暴食から、様々な病気を体験してきました。
肝炎、痛風、花粉症、痔の手術・・・。
まるで病気のデパートのような人でした。
当時は二人とも冷えとりを知りませんでした。
若く、欲にあふれ、あれも食べたい、これも食べたい、と心のままに、暴飲暴食をしておりました。
その結果が脳腫瘍という体からの毒出しだったのです。
脳腫瘍術後の脳のパニック(腫瘍画像あり)で体験したことのない頭痛
脳腫瘍の手術をすることになりました。
デザイナーズ病院では放射線治療を勧められましたが、有名大学病院の綿密な検査の結果、開頭手術となりました。
聴神経腫瘍なので、外科と耳鼻科の連携です。
手術には15時間ほどかかりました。
外科医の先生が、ボルトで頭を固定して、頭蓋骨を削ったあとに、耳鼻科の先生に交代して、左耳の組織を丸ごと取り出し、脳幹部近い聴神経のところにできた腫瘍をとりのぞき、耳の組織のあった部分に下腹部から取り出した脂肪を移植してポッカリ空いた空洞を埋めて、再び外科医にバトンタッチして、削った骨の変わりにチタン板をネジで固定して、完成です。
夫の希望で、脳からとりだした腫瘍を先生から預かりましたが、それを見たら3センチくらいあったように思います。
(麻酔から目が覚めたら、どれくらいの腫瘍が自分の頭の中にあったのか見たいとの希望で先生から預かったのです)
下部の脳に食い込む白い影が3cm台の腫瘍です。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
これでは顔面神経も圧迫されたことでしょう。
(だから、ぴくぴくしてしまったのですね)
結果的に、腫瘍は良性だったので、命は助かりました。
しかし、これから長きにわたる頭痛とのおつきあいが始まることになったのです。
術後に麻薬のような効果のある薬を処方されました。鎮痛剤で最強のロキソニン(当時は市販されていませんでした)も投与されました。これが切れるとものすごい痛みが襲ってきます。デパケンという癲癇(てんかん)予防薬も処方されました。
というのは、脳は頭蓋骨に覆われていて、空気に触れることがない場所です。
しかし、はからずも、手術という人為的な方法によって、一瞬でも空気に触れてしまいました。
頭蓋骨を削り、その部分にはチタンを骨の変わりにいれられました。
すると、脳が驚いて誤作動を起こすらしいのです。(異物が入ってきた!と)
術後直後は脳がもとに戻ろうとして、猛烈な痛みと、それに伴う発作に襲われると説明を受けていました。
そのために一時的に医療用麻薬を使用する(薬の名前は忘れました)し、ナースセンターに一番近いところにいたほうがいいと個室を勧められました。
最初、夫は個室の費用を気にして大部屋で良いと言っていましたが、手術前でも、神経質で同室の老人のいびきや咳の音が気になると言っていたくらいですから、術後の猛烈な痛みの中でそんな音が聞こえてきたら、本当に目もあてられません。
個室をお願いしました。(一泊3万円でした。そんな価値はあまりないような簡易的な部屋で残念でした)
術後はしばらくは起き上がることもできません。
(寝たきりになります)
これは脳髄液がでないようにするためです。
それと身体にたくさんの管がついています。
(点滴やおしっこの管など)
術後一週間が勝負で、絶対起き上がって、髄液を漏らしてはならないと強く言われていました。
この強い薬のせいで、幻覚を見たりするのですが、徐々に薬の量を減らされていくにつれて、そういうものは見えなくなっていったそうです。
それと、同時に今まで経験したことのない頭痛を経験することになったのです。
この強い薬は、痛みを忘れさせてくれるので、痛さのあまり、泣いて看護師さんに薬をお願いしたそうなのですが、減らされていく段階ではもういただけなかったようです。
そうして、徐々に薬を減らして、頭痛に耐え、ひと月ほどで退院させられました。
脳腫瘍術後の病院でのリハビリ
脳腫瘍術後、しばらくは、ごはんも寝たままで食べなければなりませんでした。(髄液をもらさないようにするために平行でいなければならなかったのです。ですから、介護は必要でした)
しだいに角度をあげて、起き上がれるようになってきました。
15度→30度→45度といった具合で、少しずつベットの角度をあげていきました。
病院食は簡素なもので、夫は大変不満足でした。
いつもお腹が減った、足りないから、なにか持ってきてと言っていました。
今考えると、術後食べ過ぎなかったことによって、免疫力があがり、回復したのではないかと思われます。
突然、退院を宣告されたときは、まだ普通に生活できない状況でした。
立って、下を向いてはいけない(鼻から髄液がもれないように気をつける。鼻から透明な液が出てきたらすぐに救急車を呼ぶ)など、日常生活を一人では送れない状態でした。
なのに退院?
どうするんだ?
正直、私はそう思いました。
先生はこう言いました。
「3ヶ月ほどかけて、ゆっくりと日常生活に戻していってくださいね。最初は家に慣れる。次に家事ができるようになる。昼に人の多いところ、駅前等に出かけてみて、人ごみに慣れる。次は夕方、外に出てみる。夕方の人ごみに行ってみる。最初は奥さんが付き添ってください。そして、そういうことをしてみて問題がなければ、一人でやってみる。最終的に一人でできるようになれば、社会復帰しても大丈夫です」
茜「車の運転は大丈夫なんでしょうか?」
「術後しばらくは無理だと思います。三半規管を片方とってしまったので、そうとうふらつきはあると思いますから。でも次第になれてきますので、まあ、日常生活ができるようになったら、トライしていいと思いますよ。この手術の後には、もとの生活に戻る方がほとんどですから・・・」
そう言われて、半病人のまま、台風の日に帰宅いたしました。
(退院日に猛烈な台風がきていたので、一日遅らせてくれと懇願しましたが、聞き入れてくれませんでした。次の患者さんが来るから無理ですと言われました。さすが有名病院でした。あとは、執刀医に「アメリカでは、手術の翌日に退院するから、問題ありません」と言われました。でも、ここは日本だし、アメリカ人ほど体力ないよね〜と夫と笑いました)
脳腫瘍術後の家でのリハビリ
家でのリハビリが始まりました。
基本的に横になっていることが多かったです。
が・・・。
食い意地がはっている夫は、私の料理がおいしくないと言って、自分で料理を作りたがりました。
でも、頭を急に下げて、髄液をもらしたら大変です。
調理は立って、包丁を使用するので、頭は下を向くので無理です。
すると、最初は横に立って、私に調理指導していましたが、そのうち、いてもたってもいられなくなって、座って調理をし始めました。
かなり不自然な感じでしたが、調理は完璧にできるようになりました。
食べる欲が冷えとりではあまりよくないとされていますが、このときばかりは食欲のおかげで、リハビリに一歩近づけたような気がします。
また、この頭痛からメニエルそして脳腫瘍への発見には、すべて家で飼っていた動物がかかわっています。
インコの逃亡によりメニエル病を発症し、うさぎの死により脳腫瘍を発見したのです。
そして、一緒に暮らしていた猫がリハビリに役立ってくれました。
まだ飼い始めの子猫でしたから、夫が体調が悪くたってお構いなしでした。
「遊んで〜!」「遊んで〜!」
そう来ると、夫だって相手にせざるを得ません。
猫と遊ぶうちに、みるみると日常生活に適合できるようになり、三ヶ月はかかると言われていたリバビリも半分の一月半で済みました。(仕事復帰まではずいぶんかかりましたが…)。
ある意味、動物に救われたと言ってもよいと思います。
昼間に人ごみに一緒に行くと、人が多くてふらふらする〜と言っていましたが、2〜3回行くと慣れてきました。
夜も一緒に散歩できるようになりました。
これも昼間の猫と過ごしてくれたおかげでした。
私も昼間は安心して、猫に夫を託して仕事に行けるようになりました。
こうして、少しずつ回復してきた夫なのですが、実は、この脳腫瘍の手術の結果、頭痛という後遺症に悩まされることになりました。
一度、触れることのない空気を脳に触れさせてしまう開頭手術をすると、脳腫瘍術後の頭痛は一生のおつきあいだと先生に宣言されてしまったのです。
(執筆者:冷えとりコーディネーター 風茜)
冷えとり豆知識
- もし、あなたが生命保険や簡易保険に入っていたら、大きな手術をしたときに請求するのを忘れずに!
入院日数が多いと、一日の手当もありますから、ずいぶんと助けてくれますよ。
保険の手続きは、わざと複雑になっていますが、(請求するのを断念させるのが目的?と思わせるように感じてしまいます)電話をすると、方法を簡単に教えてくれますから、あきらめずに。 - リハビリは気力でした。
夫の場合は、自分が調理しないとおいしいものを食べられないので、食欲が病気に打ち勝ち、調理をなんとかやりたいという気力のおかげで、回復が早まったように思います。
冷えとりでは、欲はよくないとありますが、こういう場合には、欲もいいときもあるのかなと思いました。
そんな夫のめんげんについて書いています。