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無言電話の心を病む見えない相手とのコミュニケーション

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携帯電話が発達した現代では無言電話に悩まされるということはなくなってきましたが、まだ携帯も発達していなかった私の若き頃には電話は連絡の大切な手段でした。

今でも携帯を持たない私の親世代とは家の電話で話すことも多いのです。若い世代は無言電話や詐欺まがいの電話をすぐに切ることができるかもしれませんが、親世代や私のような体験があるとどうしても無下にはできなくなることもあります。

今日の記事は、私が春になると必ず思い出す無言電話の不思議な思い出について、お話ししたいと思います。

無言電話は相手はあなたを知っているが自分は知らない恐怖の相手

 

「・・・ねえ、桜を観に行こうよ〜」

 

確か、午前2時くらいだったと思う。

 

午前2時の無言電話が毎晩続き、10回目か11回目の無言電話のとき、受話器に向かって、

「もうごめん。無理。しんどい。今日を最後にしばらく電話線を切るし、電話番号を変える。だから、もうかけても無駄だよ。今日が最後。じゃあね」

そう語りかけた途端、一呼吸置いて聞こえてきたのがこの言葉だった。

気の抜けた若い女性の声。

虚を突かれた形になったわたしは、

「えっ!?女?誰?」

言葉を詰まらせた。すると、その声は、

「ふふふふ・・・」

嘘がバレた子供のような小さく笑い声をあげて、

「ねえ、桜。観に行きたいの。連れてって。いいでしょう?」

そう甘えるように囁いたのだ。

「・・・・・・」

「ねえ、桜、観に行こうよ〜。だって散っちゃうよー。一緒に行くって行ったじゃん」

「・・・誰だよ」

「いつ行く?明日?明日にする?」

「・・・誰なんだよお前は?」

「ねえ、桜、連れてって」

「ふざけるな!!!」

わたしは受話器を叩きつけて電話のコードを引き抜いた。

 

30年前の5月。大学3年の初夏の出来事だった。

当然、葉桜になっていた。

そのイタヅラ電話を初めて受けたのはゴールデンウィーク明けてすぐのことだったと記憶している。

 

東京高円寺のアパート家賃3万円。6畳一間の風呂なし。

いつものように酔っ払って雑魚寝をしていると電話が鳴った。

目を覚まし、時計を見ると午前2時。

「まさか・・・じいちゃん?」

 

電話に出られずに祖母の死に際に間に合わなかったトラウマ

 

わたしは、電話にことさらトラウマを抱えていた。

原因は二つある。

 

一つはその前年の祖母の死だ。

5月に、祖母を病気でなくした。

その前後、わたしは演劇の稽古のために数日部屋を明けたままにしていた。

5日ぶりに帰宅すると留守番電話のアラームがものすごいスピードで点滅している。

テープを巻き戻した。巻き戻しにも数十秒かかる。一体何件入ってるんだ?

ボタンを押すと慌てた様子の母の声だった。

「ばあちゃんが危ないんよ。早く、早く帰っておいで。この電話を聞いたらすぐよ。ピー」

「あんたどこにおるん?留守電聞いたん?聞いたならすぐに戻っておいで。間に合わんかもしれんよ。ピー」

「帰ってこれるの?これんの?どこで何しとんの?」

「・・・ばあちゃん死んだよ。明日お通夜で、明後日、葬式やから。お母さんしばらく家帰れんけんね。これ聞いたら帰っておいで」

「今日、葬式終わったよ。みんなで送り出したよ。来んかったんはあんただけよ。あんたは本当に・・・。夏休みにゆっくり帰ってきたらええよ」

結局、わたしは祖母の葬儀にも出なかった。

 

祖母の死後、祖父がめっきり弱ってしまった。

「わしも早う婆さんのところに行きたいの〜」

お酒に酔うと口癖のように呟いていた。

だから、東京で暮らしつつ、いつも祖父のことを気にかけていた。以来、母からの電話があるたびに、ドキッとするようになってしまったのだ。

祖父はその1年後、亡くなった。突然死だった。その直後、母からの電話には出られたが、祖父の最期を看取ることはできなかった。

 

いたずら電話だと思っていたら父の浮気相手だった

 

わたしが深夜の電話を恐れる理由がもう一つある。

それはもっと昔にさかのぼる。小学校5年生の時だから40年近く前。

自宅の電話は黒いダイヤル式の電話だった。留守電機能も何もない。呼び出し音はジリリリリーッ!!ジリリリリーッ!!と、けたたましいやつ。

午前0時ちょうど。その電話が初めて鳴った。僕は神経質な子供だったのでその音ですぐに布団から飛び起きた。自分の部屋を飛び出して居間に行くと、母がすでに受話器を握って、

「あなた誰?誰なんですか?」

そう小声で叫んでいた。

母は受話器を置いて、

「誰?おとっつぁんじゃなかったの?」

そう尋ねるわたしに、

「なんかいたずら電話みたい。何も言わんの。気持ち悪いね〜」

最初は笑っていた母だったが、それが1週間おき、2、3日おきにかかってくるようになり、毎日かかってくるようになった。

必ず無言電話で、こちらが切らない限り、向こうから切ることはない。

 

当時、父はドイツに数ヶ月間の長期出張していたので家の中は母とわたしと中学1年の兄だけだった。

兄はがり勉タイプの優等生で基本的にこういうことには無頓着だったので、ほとんど興味を示さない。気にもしない。電話がなっても自分の部屋から出てくることはない。

母は電話を恐れてどんどん憔悴して、兄に、

「今度、お兄ちゃんが電話とってみて」

そう頼んでも、兄は勉強以外にほとんど興味がないので、

「別に気にせんかったらいいんやない。電話も取らんでいいよ。ほっとけば」

そう言って意に介さない。だから、

「わかった。今度かかってきたら俺がとる。二度とかけてくんなって俺が言う」

わたしも怖かったが、母のためにそう宣言したのだった。

しかし、宣言してからと言うもの、なぜか2週間くらいかかってこなくなった。

「もうかけてこんのやないかね〜」

そう母も安心した5年生のクリスマスイブの夜。この日は、映画「スティング」がテレビ初放映される日ということで、わたしは朝からものすごく楽しみにしていたのだ。当時の私はポール・ニューマンの大ファンで、彼の伝記本や写真集やポスターを集めていた。

その夜、映画「スティング」は本当に面白くて、わたしを夢中にさせた。そして、午後10時半ごろ。映画も佳境に入ったそのタイミングで、ジリリリリーッ!突如電話はなった。きたっ!確信はあったが、わたしはテレビから離れたくなかった。

後ろ髪を引かれるような表情をわたしに向けながら電話に向かう母。わかっているのに、映画に夢中で気づかないふりをするわたし。心臓がバクバク鳴っていた。

受話器を耳に当て、黙ったままの母。聞き耳をたてるわたし。

「何ですか?こんな日にどういうおつもりなんですか?」

その言葉が聞こえてきた瞬間に、わたしは立ち上がり母から受話器を奪い取った。

「誰だお前は!?なんでこんなことするんか!嫌がらせはやめろ!」

そう叫んでいた。

「・・・息子さん?」

「えっ?」

「息子さんなの?」

きれいな若い女性の声だった。無音のはずの受話器から声が漏れたことにわたしは動転したが、

「お前は誰なんか!」

勢いをつけて怒鳴った。

「ふっ」

小さく笑う声。

「何がおかしいんか!?おまえのせいで家の中は無茶苦茶なんぞ!もうかけてくんな!」

「そうよね。ごめんね。もうかけないね」

「・・・・」

「本当にごめんなさい。お母さんにも謝っといてくれる?本当にごめんなさい。さようなら」

電話が切れた。そして、母に、

「女の人やった。お母さんにごめんなさいって」

そう言うと、

「・・・そう。ひろし、ありがとう」

なぜか母はとてもとても悲しい顔をしたのだった。

 

午前2時から4時のミスコミュニケーションで電話のトラウマを思い出す

 

大学3年の春、深夜の無言電話が鳴った時、その二つの記憶が蘇った。

「まさか・・・じいちゃん」

そう緊張すると同時に、「イタ電?どっち?」

反射的にそう考える。

結果、いいのか悪いのか、イタ電の方だったというわけだ。

 

今回は、決まって午前2時になると無言電話がかかった。最初は、気持ち悪いし恐怖心もあるので、「もしもし」と問うて反応がなければすぐに電話を切った。

翌日も午前2時に無言電話。その翌日も同じ。わたしは、そのうち怒鳴り、罵倒して、電話を叩きつけた。

そして、一週間が経っても無言電話が続いたその夜、わたしはお酒を飲みながら電話がかかってくるのを待っていた。

「今日はとことん付き合ってやろうやないか!」

何度も怒鳴り電話を叩き切っても、相手は同じ時間にかけてきて無言のままなのだ。だったら、相手が話し始めるまで、相手が何者かわかるまでとことん付き合ってやろうじゃねえか!と。

午前2時に電話が鳴った。受話器を取り、

「やっぱりかけてきたね。今日はさ、とことん付き合おうと思ってさ」

「・・・」

「やっぱり無言なんだ。あのさ〜、できれば教えて欲しいんだけど、男なの?女なの?男だと怖いけど、女の人だったらちょっと嬉しかったりするじゃん。って、しねえよ!でもさ〜、どっちにしろさ〜、俺に対してよくない感情があるからこんなことをするんだよね、きっと。でも、いくら考えても誰を思い出しても、思い当たる節がないんだよな〜。だから教えて欲しいんだよ〜。お願い!教えて!」

「・・・」

「やっぱり話しちゃくれんか。そりゃそうか。でもね、もう別に怖くないんだよ。麻痺しちゃってるから。だからね、明日もいいよ、かけてきて。たぶん同じように酔っ払ってるからさ」

「・・・」

そして、2時間経ったら突然電話が切られた。午前2時から午前4時。

翌日の午前2時にも電話がかかってきた。そして、2時間、わたしは一人お酒を飲みながら話し続けたのだ。相変わらず相手は無言のまま。そして、午前4時に突然、電話が切られる。

これはこれできつい。

そして、翌日。午前2時に電話がなる。受話器を取る。そして、わたしはこう言った。

「もうごめん。無理。しんどい。今日を最後にしばらく電話線を切るし、電話番号を変える。だから、もうかけても無駄だよ。今日が最後。じゃあね」

「・・・ねえ。桜を観に行こうよ〜」

力の抜けた若い女性の声だった。おそらく同世代。

虚を突かれた形になったわたしは、

「えっ!?女?誰?」

言葉を詰まらせた。すると、その声は、

「ふふふふ・・・」

嘘がバレた子供のような笑い声をあげて、

「ねえ、桜。観に行きたいの。連れてって。いいでしょう?」

そう甘えるように囁いたのだ。

「・・・・・・」

「ねえ、桜、観に行こうよ〜。だって散っちゃうよー。一緒に行くって行ったじゃん」

「・・・誰だよ」

「いつ行く?明日?明日にする?」

「・・・誰なんだよお前は?」

「ねえ、桜、連れてって」

「ふざけるな!!!」

わたしは受話器を叩きつけて電話のコードを引き抜いた。

 

しかし、翌日もわたしは待っていた。お酒を飲みながら、半ば確信を抱いて。

午前2時ちょうど、わたしは受話器を耳に当てた。

「明日。明日は連れて行ってくれるでしょう?そうじゃないと桜、散っちゃうよ」

「・・・もう散ってるよ。5月だよ」

「・・・桜、だって見たいんだもん」

「来年まで待たないと無理だよ」

「来年じゃ遅いんだもん・・・・。だから明日、一緒に行こうよ。桜見に行こう・・・。お願い」

「無理だよ。誰か知らないし。せめて名前教えてよ。じゃないと無理」

「・・・・・・」

そして、電話が切られた。まだ1時間も経ってなかった。

少しだけ心配になったが、なんで俺が心配しなきゃいけないんだ?!なんなんだこの生活は?どう考えてもこの状況は異常だろうよ!いつまでこんなことを続けるんだ?下手したら永遠に続くぞこれ。なんとかしなきゃ。そろそろ・・・決着つけなきゃ。

彼女のとの奇妙な関係を終わらせなければならないのだ。

当たり前のことだが、その当たり前がなんなのか、よくわからなくなってきたのだ。

ストックホルム症候群とまでは言わないが、なぜか普通じゃない彼女を知りたいと思い、半ば同情するような気持ちが芽生え始めていたのかもしれない。

そんなモヤモヤした思いを抱えたまま、翌日の夜を迎えたのだ。

帰宅してしばらくして電話が鳴った。午後11時を少し回った時間だった。彼女がかけてくる時間ではないので、何も考えずに受話器を耳に当てた。

「もしもし・・・風さんのお宅ですか?」

暗いトーンの知らない年配の女性の声だった。

「・・・はい。そうですけど」

「風宏さんでいらっしゃいますか?」

「・・・はい」

「実は私、毎晩電話をかけてご迷惑をおかけしている者の母です」

なんとなくそんな気がした。そんな気がしたけれど言わずにはいられなかった。

「娘が迷惑をかけているとわかっていて、今まで放置してたんですか?私がどういう気持ちで毎日を過ごしていたかわかりますか?」

「ごめんなさい。本当に申しわけありません」

「もうやめていただけるんですよね」

「実は・・・お願いがあってお電話申し上げました。ずっと我慢して娘の相手をしてくださった風さんだから、本当はこちらから謝罪に伺わなくてはいけないのに、お願いがあります」

「・・・・・・」

「実は・・・お気づきかと思いますが、娘は心を病んでおります」

「・・・・・・」

「それで・・・今晩も電話がかかってくると思いますが、絶対に電話を取っていただきたいのです。それで、決して風さんの方から電話を切ったり、娘の言葉を否定したりしないでいただきたいのです。娘が桜を観に行こうねと言ったら『そうだね。一緒に行こうね』そう言って欲しいんです」

「はあ?何言ってるんですか?そんな約束できるわけないじゃないですか!一緒に行くはずないし、彼女に嘘をつくなんて絶対にダメでしょう!?」

「いいんです。お願いです。嘘でもいいんです。娘は風さんのお芝居を観に行って、家に帰ってくるなり、『ママ、私を救ってくれる人がやっと現れたんだよ。私を一生守ってくれる人がやっと現れたの。だから私もう大丈夫』そう言ったんです。それまで、娘は自殺することしか考えてなくて。何度も何度も死のうとして・・・。そんな時、大学の中庭で風さんからお芝居のチラシをいただいて、それで観に行ったようです。お芝居の後、風さんとお話もしたし、握手もしてもらったって嬉しそうに話してました。電話番号はチラシに書いてありました。覚えてませんか?」

思いだした。今はもうない「キッドアイラックホール」という小さな芝居小屋で舞台の終演後、小屋の外で観客一人一人に「ありがとうございました!」と出演者全員でお礼の挨拶をしている時、一人の女性が突然わたしの手をギュッと握ってきたのだ。おかっぱ頭で、目の焦点がどこかあっていないような目線を向けて笑っていた。

「あ、ありがとうございます!」

わたしがそう言っても、何も言わず、ただただものすごく強い力でわたしの手を両手で握ってくるので、

「あ、はい。なんでしょうか?」

そう尋ねても何も答えずただただ手をしばらく握ったままの女性。同年代か少し年上に感じたが、正直、少し怖くなって、

「もういいですか他のお客様もいるので」

そう言いながら手を離した。それでも彼女はじーっとわたしの正面に立ったままでしばらくその場から動かなかったのだ。だから、わたしは一旦、小屋の中へ引っ込んだ。

「ヤバイヤバイ、外に変な子がいる」

そう言いながら。

おそらくその子だったのだろう。中庭でチラシを受け取ったとなると同じ大学の学生ということだ。

「おそらく、僕が想像している女の子だと思います」

「たぶんその子が娘です。彼女はやっと生きる希望をあなたに見つけたんです。だから、お願いです。我慢して、あの子に付き合ってください。そうじゃないと、また自殺するかもしれない・・・」

「そんな・・・」

「お願いします。風さんに全てがかかっているんです。後生ですから」

「・・・・・・わかりました」

 

 

それから、毎日毎日毎日午前2時から4時までの彼女との時間が続いた。

 

と、言っても、それほど長い期間ではなかった。

2週間ほどは毎日の電話が続いたが、一日開くようになり、三日開くようになり、1週間、2週間と間隔が空いて言った。それに比例して彼女の反応はどんどん鈍くなっていった。突然寝息を立てたり、全く呂律が回らなかったり、わたしの名前を思い出せない日もあった。定期的に母親から電話が入り、安定剤の影響で常に眠気が襲っているような状態になっていったのだそうだ。医者からはすぐに入院を勧められているが、本人が拒んでいるという。

そして、とうとう1ヶ月経っても全く電話がなくなった。

わたしは気にかけないようにしていたが、「もしかして・・・」。正直、最悪の事態も想定していた。

そんな時、母親から電話がきたのだ。

「風さん。もう娘が風さんに電話をかけることは2度とないと思います。今までありがとうございました」

「どういうことですか?」

「娘の症状はかなり深刻で、今は入院しています。もう大好きだった風さんの名前すら思い出せないみたいです。「あの人に電話しなきゃ。桜一緒に行かなきゃ」って・・・。おそらく良くなることはないと思います。今まで本当にありがとうございました。娘のことはどうかお忘れになってください」

「お見舞いとか、行かなくていいんですか?」

「お気持ちはありがたいですが、それが風さんにとっても娘にとっても良いことだとは思えません。今までお付き合いくださって本当にありがとうございました。本当に心から感謝しております。娘に変わってお礼申し上げます」

「あの・・・娘さんのお名前はなんておっしゃるんですか?」

「それは・・・勘弁してください。もう2度とお会いすることはないわけですから・・・では失礼致します」

大学3年の夏。八月の暑苦しい夜だったと記憶している。

受話器を置いて、全身から力が抜けた。その時感じたことは、

「終わった〜」

だった。

電話のコミュニケーションをもう悩むことは終わりに

 

あれから30年経ったが、春が近づき、桜の開花が近づくと必ず思いだす。1月、東京で20度近くまで気温が上がった年に、

「春だな〜」

初めてそう感じた瞬間、あの時の記憶が蘇った。毎年そうだ。

 

結局、わたしは最後まで彼女が誰なのか、何者なのか、本当にあの時の女性なのか、わからないままだ。

以来、わたしは深夜の電話が大嫌いだし、固定電話の呼び出し音に異常なまでの反応を示す。

長電話が極端に嫌いだし、どんなに付き合いの長い友人だろうと、電話での深刻な話には正直、付き合いたくない。

顔が見えない状態の相手といくら話したところで、何もわからない。

わたしはそう思っている。

 

近年、skypeというとても便利な機能のおかげで動画で相手と会話ができるようになった。

 

しかし、女性は男性のわたしと動画機能を用いて話すことを嫌う方が多い。

 

もちろん、お気持ちはよく分かります。

 

だから、せめてわたしは、わたしの表情の変化や気持ちを少しでもわかっていただきたいと思い、わたしの表情を見ていただける設定にする。

相手の顔は見えなくても、相手にはわたしの顔が見えているわけだ。

 

それだけでも、安心していただけるのではないかと思う。

 

彼女が今どこで何をしているだろう?とは、今さら知りたいとは思わないけれど、

あと少しでも、わたしにできることはなかったのか?

今だったらどういった対応ができただろう?

春が近づくたびに想いに耽るけれど、何も答えは見つからない。

 

そんな問いをこれ以上増やしたくないと思う。

 

だから、わたしは、解決したい。

 

50歳になった今だから言える。

 

春にして君を想うことはもう終わりにしたい。

 

「よかったね」

 

そう言って終わりたい。

(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)

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風宏(Kaze Hiroshi)
この記事を書いている人

風 宏(Kaze Hiroshi)

 風宏

心の冷えとりコーチ

冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。