人と会って話すのが億劫だという人が増えています。
でも、人は自分の話をたくさん聞いてくれる人のことが好きです。
自分の話をたくさん聞いてくれる人が好きなのです。
できればそんな人と仲良くなりたいものですよね。
今日の記事は、会話を楽しむためにはどうしたら良いかについてをお伝えするものです。
一緒にいて楽しい人は会話を聞いてくれる人
あなたが一緒にいて心地よいと感じられる人はどんな人ですか?
よく笑う人。
いつも快活な人。
話題の尽きない人。
よくしゃべる人。
たくさん食べる人。
おおらかな人。
雰囲気の近い人。
大好きな人を思い浮かべながらこうやって書いていくと、いくら書いてもキリがありませんね。
そこに、あなたのパートナーは含まれますか?
例えば、夫や妻、恋人はどうですか?
ビジネスパートナーは?
好きになって一緒にいるはずなのに、目指している方向が同じはずなのに、
もしこれらの条件にあなたのパートナーが含まれていないとしたら、それはなぜでしょう?
おそらく、
話を聞いてくれない・・・・
からではありませんか?
あなたが一緒にいて心地よいと感じられる人の条件を、もう一度読んでみてください。
よく笑う人。
いつも快活な人。
話題の尽きない人。
よくしゃべる人。
たくさん食べる人。
おおらかな人。
雰囲気の近い人。
こういうイメージで思い出される人たちとの楽しいひと時を脳裏に思い浮かべた時、その人は、あなたの言葉にしっかり耳を傾けてくれているのではないですか?
今、思い浮かべることができなかった夫や妻、恋人、ビジネスパートナーも、かつてはちゃんと話を聞いてくれる人だったのではないでしょうか。
それがいつのまにか、人の話をきちんと聞いてくれなくなった。
なぜでしょうか?
でも、それは、相手だけの責任ではないかもしれませんね。
自分にも原因があるかもしれない。
そう考えたことはありますか?
あなたはどうですか?
ちゃんと相手の話を聞いていましたか?
誠心誠意を持って。
どうですか?
今のあなたは、
”話したい話したい星人”になってはいませんか?
そんなあなたの話をいつも黙って聞いてくれる相手の話を、
あなたはきちんと誠意をもって聞いてましたか?
「そういえば、ちゃんと聞いてなかったかもしれないな・・・・」
そう思えたら、今日から変わりましょう。
相手の話を誠意をもって、ちゃんと聞く。
仮に、あなたの意見や考えとは正反対でも、意見は意見としてきちんと聞くのは当たり前のことですよね。難しいですけれど・・・。
でもこれができるようになったら、
相手はあなたの話を聞いてくれるし、お互いが一緒にいて居心地の良い関係になれます。
そうなるための訓練をわざわざする必要もありません。
相手の話をきちんと聞く。
それだけですから。
だって、
人は自分の話をたくさん聞いてくれる人のことが好きなんです。
また、いつものようにすごく当たり前のことを書いてます。
そしてまた、いつものように毎度書いていることを書いてます。
人は、気づいてないんです。
自分の話を聞いてくれる人が求められている
視点を変えると、こうも言えます。
あなたのことを好きだとか、そばにいたいと言ってくれる人は、
あなたが相手の言葉をしっかり聞く人だから、あなたに好意を抱いてくれているのです。
おそらく・・・。
子供の頃を思い出してください
子供の頃のことを思い出してください。
あなたは、パパやママに話を聞いてもらいたくて仕方がなかったでしょう?
幼稚園で何が起きたのか息を切らして話してたでしょう。
学校で先生に褒められたこと。
今日、お友達とどんなことをしたのか。
お母さんが夕食の準備をしている時、テレビでどんなことをやっているか。
そして、聞きたかったはずです。
両親が楽しそうに会話している内容について。
「ねえ、なになに?なに話しているの?」
「子供には関係ないの!」
そう言われると、ものすごく悲しくなかったですか?
仲間外れにされたような気がしませんでしたか?
おじいちゃんやおばあちゃんとの会話を思い出してください。
小さい頃、おじいちゃんおばあちゃんの話って、とても面白かったですよね。
そして、あなたもおばあちゃんにたくさんお話をしてあげていましたよね。
でも、年齢が二桁になるあたりから、楽しく会話をしていたはずが、
なんとなく、おばあちゃんのペースに合わせるという感覚がどこからか生まれてきて、
「あれ?おばあちゃん、なんだかいつも同じ話をしてる。つまんない・・・」
そう感じるようになって、そのうち会話も億劫になっていって距離が生まれて、面倒臭くなって、話を聞かなくなってしまう。
おばあちゃんのあなたへの態度は一貫して何も変わらないのに、あなたの感情はどんどん変わっていきました。
それが成長段階で起こる自我の目覚めであったり、ちょっとした反抗期であったりするものなので、そこを非難するつもりはありませんが、あなたは自分の変化に気づかなくてはならないのです。
そして、
おばあちゃんは、あなたに自分の話をしたいのではない。あなたの話をただ聞いていたいのだということを。
あなたは、もうおばあちゃんに自分のことを話しても楽しくなくなったかもしれません。でも、おばあちゃんは変わらず、あなたの話をずっと聞いてくれていたのです。
その恩返しに、今度は、あなたがおばあちゃんにお話をしてあげる順番が来たのだということを。
会話の楽しみとは何か?
小さな子供にとって、会話の楽しみはひたすら自分の話をすることです。ひたすら自分の話を聞いてもらうことです。
10代の少年少女になっても、その傾向は変わりません。ただ、話したい相手が親から友達に変わります。
10代後半から20代を超えて、社会に出ると、友達や親や会社の同僚に話を聞いてもらい、相手の話を聞くこと(自分に話してもらうこと)が楽しみになります。つまり、ちゃんと会話を楽しむということができるようになるんですね。
人の話をちゃんと聞くことの楽しみかたがようやくわかってくるのです。
てか、この時期にこれをちゃんと経験していないと真実の言葉を口にすることが極端に減る大人のコミュニケーションが取れる人にはなれません。(本当はそんな大人になりたくはなかったですけどね〜)特に今の世の中はその傾向があります。
そして、大人の経験をたくさんして、たくさんの人と出会い、人生も後半に差し掛かる頃から、会話の楽しみ方が大きく変わってきます。
それは、
相手の話を聴くことが楽しみになるということです。
おばあちゃんと孫の会話なんて、まさにそこです。
おじいちゃん、おばあちゃんは、
「孫」という存在を手に入れた瞬間から、その孫が少女になっても、奥さんになっても、どんなに大きくなっても、ずっと、
「孫」の話を聞いていたい。
そこは不変なのです。
だから、「孫」は、そんなおじいちゃんおばあちゃんの期待に応えてあげる。
それが、「孫」の義務です。
義務だし、その義務をちゃんと果たせば、不思議なことに、「孫」自身もしっかりその時間と会話を楽しめるようになるのです。
なぜなら、
そこには、「普遍の調和」があるから。
祖父母と孫の会話こそが理想の会話ではないでしょうか。
わたしはそう思います。
だからわたしは、娘の音に、週に一度、日曜日の朝、必ず九州に住む祖父母に電話をかけて一週間の出来事を話してあげるようにと教えています。そんな祖父母と孫の会話は10年近く続いています。
今、音は中学生になって、祖父母との会話も正直、かなり面倒臭がるようになりました。
それでも、ちゃんと電話をかけさせます。
ある時、音がこう言いました。
「ばあばは、わたしが話をしてもさ〜。「他になんかない?」とか、『他にどんなんことがあった?』とか聞くばかりでさ〜つまんないんだよね。話することもないしさ〜。電話かけるの面倒くさい。やめたいな〜」
そう言いました。もちろん、その気持ちはわかります。わたしも子どもの頃、ある時期から祖父母との会話がつまらなくて仕方がなかったですから。
「じゃあ、ばあばにいろんなことを質問してみたら?ばあばが5年生の時はどうだった?とか。どんな中学校だったの?とか。そうしたら、ばあばもいろんなことを思い出して、ためになる話をしてくれるかもしれないよ」
「別にそんなこと聞きたくないし。そこまでしなくちゃダメなの?正直、つらいんだけど」
「じいじとばあばにとっては、音の声を聞けない方が辛いんだよ。考えてもごらん。もし、あと数年しか生きられなくて、唯一の楽しみが週に一度のこの音との会話だけだったら。あと何回、楽しめる?音にとってはただの電話かもしれないけれど、じいじとばあばにとっては、それが唯一の楽しみなんだよ。それを奪われたらどう思う?自分の立場になって考えてごらん」
「じゃあ、どうやって楽しませてあげたらいい?」
「会話は相手を楽しませてあげるものじゃないよ。お互いが楽しむものなんだ。たくさん質問してみな。質問するだけで、音も不思議とばあばとの会話が楽しくなると思うよ」
その日の夕方、音は改めてわたしの父母であるじいじとばあば、そして、奥さんの母であるおばあちゃんに電話をしました。
そして、普段はしない質問をたくさんしてみました。
「ばあばは小学校の時、どんな授業が好きだった?」
「給食はあったの?好きなおかずは?」
「じいじは友達と喧嘩とかした?強かった?」
「おばあちゃんは学校がお休みの日は何をして過ごしていたの?」
結局、3人と2時間。まるで友達のように、時たま「あはは〜」笑い声をあげて会話をしていました。これほど長く電話で話したのは初めてのことでした。
「どうだった?」
「じいじもばあばもおばあちゃんもいつも話している感じと全然違った。ものすごくよく喋るし、ものすごく楽しそうだった」
「音はどうだった?辛かった?」
「ものすごく楽しかった」
「どこが楽しかった?」
「ばあばがものすごく楽しそうに話してくれたからかな〜。なんだ、ばあばっていっぱい話すんだって思った」
「ねえ?じいじやばあば、おばあちゃんがどれだけ音と話したいと思っているか、わかったでしょう?その期待に応えてあげられたら、嬉しくないかい?」
「そうだね。なんだか気持ちいいね。嬉しい。今までわたしの態度悪かったからな〜。ひどいことしたな〜」
「それが自分でわかればいいんだよ。会話を楽しむってのは、そう言うことなんだよ」
「うん」
ネットの匿名の書き込みは会話でしょうか
わたしもこうやって、ブログで一方的にわたしの考えを発信しています。
でも、
わたしの考えていることが受け入れられているのか、そうでないのか、
いくら発信しても、どんなに呼びかけても、わからないものはわかりません。
だから、正直、時々虚しくなります。
わたしはSNS世代ではないので、やはり一方通行は不安になるのです。
だから人と会いたい。人と会って直接顔を見て話したい。
でないと、正直、相手のことなんて何もわかりませんから。
今の若い人は、一方的に発信することに慣れすぎてしまっていて、不特定多数の見えない相手に対して言っていいことといけないことの境がよくわかってないのだろうな〜と思うことがよくあります。
あるSNSの意見に対して、仮に反対意見を持っていても、その発信がきっかけとなって自分が炎上するかもしれない。その恐れから発信できない人がいる。逆にあえて、炎上を煽る発言もあるでしょう。その炎上に乗っかる人もいる。それが友達同士のグループラインでも同じようなことが起こる。
場をコントロールすることに優越感を感じる人は、常に最初に過激な意見を発信するし、それに追随する人はどんな時でも追随し続ける。
その状態が、ただただ自分にとって心地いいからそうしているのでしょうが、人と人との会話というのは、そんな単純なものではありません。
だからと言って、難しいもので決してないはずです。
でも、
複雑=面倒臭い
こういう発想になってしまうと、もう面と向かっての会話は、億劫なものでしかなくなってしまいます。
そうなってしまった人を見ていると、
コミュニケーションの素晴らしさを知っているわたしとしては、とても悲しい気持ちになります。
ただ、知っておいて欲しいのは、匿名であろうが軽はずみに言った言葉であろうが、SNSの書き込みには、必ず証拠が残る。つまり、あなたの発言は2度とかき消すことはできないと言うことです。
それが意味することは何か?
発言には常に責任が伴うと言うことです。
相手の顔の前で相手に発した言葉より、匿名で書き込んだ言葉の方が責任は重い。
今はそう言う時代です。
それだけ多くの人の目に触れるし、影響力も大きいのです。
にもかかわらず、その人の眼の前では言えない言葉を、平気で書き込む。
これはもう完全にコミュニケーションの逆転現象です。
こう言う状態のまま、少年少女から大人に成長した人間が社会にでて、大人の会話をきちんとできるようになるのか?
わたしには甚だ疑問です。
だから、
もっと若い時から、
会話とは何か?を成長とともに順を追って経験することが大切なのです。
会話を純粋に楽しめる人になるために
子供の時の親との会話はどうだったか?10代、20代、30代となってどう変わっていったのか?
友達のとの会話は昔と今ではどうなのか?
社会人になって、上司と上手にコミュニケーションが取れないのはどうしてか?
その原因はどこにあるのか?
いつから自分は人と直接会っての会話を楽しめなくなってしまったのか?
大人になっても、子供のままの心地よさを会話に求めてはいなかったか?
大人になってしまった会話の苦手なあなたはいまさら、子供からやり直すことはできません。
人と直接会って話をすることは、やはり億劫なのです。
そんなあなたが会話を楽しめるようになるためにはどうすればいいのでしょう?
「まず与えん」
やはり誠意をもって相手の話を聞く。
ここに立ち戻るしかありません。
富は、まず与えるから得られるのです。
労働力をまず提供するから、その対価が得られます。
人の幸せを第一に考え実行する人のところに富は集まります。そうすれば、富がより速いスピードで多くの人に分配されるからです。
会話もそれと同じです。
人の話を誠意を持って聞いてくれる人のところに人は自分の話をしに行きます。
自分の話を積極的にする必要はありません。
まず、相手の話を聞くのです。誠意をもって。
意識してやることはそれだけです。
それだけで、あなたは会話を楽しめるひとになっているでしょう。
心の冷えとりを改善したくなったら、お問い合わせくださいませ。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
心の冷えとりコーチングはこちらもご覧くださいませ。
風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。