安定を求める方はたくさんいます。
でも、変わらないことってあるのでしょうか?
小さい頃から常識と言われていたことがどんどんと変わっていく時代です。
将来何が起こるかわからない不安に支配されて生きるより、今をみていた方がきっと幸せになれるのではないかと思います。
今日の記事は、それでも安定を求めたい方に向けて、安定せずに生きたご老人のお話を紹介することで、安定について考えたいと思います。
バツイチがカッコイイ時代
40歳独身、未婚。両親と同居している男性。
40歳独身、バツイチ一人暮らし。
あなたはどちらの男性を選びますか?
答え。バツイチです。それが常識です。
では、同じ質問を25年前にしたらどうだったでしょう?
断然、両親と同居男です。それが常識でした。
どちらも、時代時代で、常識と思われている回答です。
25年前、世はバブルの真っ只中です。両親と同居する男性は、家という資産を受け継ぐ可能性が高い。未婚ということは、傷もついてない。バツイチ男は何か、問題を抱えている可能性がある。
そのように考えられていました。
しかし、今の時代は、「40歳で未婚。両親と同居」と、聞けば、
「どこかに欠陥があるから今まで結婚できなかったのだろう。両親とずっと同居している男なんて独立できてない。ちょっと気持ち悪い。親の介護は? わたしがやるの? そんなのごめんだ・・・」
そう考えるのではないでしょうか。
現在では、「必ず親の介護問題」がついてきます。25年前にも、もちろんありました。でも、「義父、義母の介護を嫁がする」ということは、ある意味、常識と考えられていた時代でもありました。だから、表立って「介護をどうするのか?」という話題が少なかったのだと思います。
どうですか?
たった一つのことでも、時代、時代で常識の概念は簡単に変わります。
あなたの”常識”なんて、本当は、どこまでが”常識”なんでしょうね?
それ以前に、”常識”って概念、本当に必要なのでしょうか?
では、質問を変えます。
さて、どちらの男性と結婚した方が、あなたにとって、より”安定”に近いですか?
彼が銀行員だと安定に近いでしょうか?
でも、彼が仕事にものすごくストレスを抱えていたら、どうですか?
それでも、あなたの生活は、安定は、保障されていますか?
一流企業でも転勤でどこか思いがけないところに行くことになるかもしれない。
親の介護をしなければならないかもしれない。
現状がそうであっても、将来のことなんて、誰にもわからないのです。
価値観も親の影響、常識も親の影響。
以前、わたしはブログで、
「親から刷り込まれた価値観で子供時代を生き、成長の過程で自我に目覚め、新しい価値観が生まれ、培われる」
と、いうことを書きました。
「常識」もそれと同じです。
「なんで日本一長い川がわからないの?常識問題よ!」
「なんで朝起きてすぐに顔を洗わないの!常識でしょ!」
でも、それは、
「日本一長い川が信濃川であるということをわかっているはず」
「どこの家でも朝起きたらすぐに顔を洗うはず」
と、いう親の思い込みを「常識だ!」という言葉を説得力の材料に押し付けているだけです。
日本一の川が信濃川なんて知らなくてもやりたいことはできます。今の時代、朝、顔を洗わなくても不潔だとは言われません。(むしろ洗わない方が潤いが残せるという美容法もあるくらいです)
そもそも、誰にも迷惑をかけてない。
わたしたちが子供の頃、
「汗疹(あせも)を防ぐために、ベビーパウダーを赤ちゃんに塗布するのは当たり前」
でした。肌荒れのひどい赤ん坊にベビーパウダーをつけない母親がいれば、ものすごい非難を受けました。
しかし、今ではベビーパウダーの粒子が赤ちゃんの汗線をふさいでしまうということで、使われることは無くなりました。
運動中、水分をとってはダメだと言われ、脱水症状を起こすと、頭から水をかけられ、グラウンドの横に寝かされていました。隠れて、水を飲んだやつは、罰として、直射日光の当たる場所に正座させられました。
しかし、今では、水は欠かせません。それは、昔も同じことだったと思います。ですが、禁止されていた・・・。
風邪をひいたら、「お風呂に入ってはダメ。卵酒を飲んだり、うどんやお肉など、精のつくものを食べなさい」
お医者さんからそう言われました。
しかし、今は、
「お風呂は入ってもいいですよ。むしろ、不潔にならないように入ったほうがいい。食べ物は薬を飲むために摂取する程度にしてください。本当は何も食べなくてもいい」
そうご指導を受けます。
化学調味料は、魔法の調味料と言われ、どの家庭にもありました。今は、まったくありません。
常識なんて、コロコロコロコロ、あっという間に変わってしまいます。
過去の常識、今の非常識。
今の常識、過去の非常識です。
常識を守るな!とは、言いません。
しかし、そこに囚われる必要は全くないのです。
まずは、常識といわれていることを疑ってみることです。
そして、自分の心に聞いてみるのです。
その常識を守ることで、自分は心地よいのか?
自分の気持ちは安定するのか?
そして、それが本当に正しいのか・・・。
今を生きる
つい最近、たまたまテレビを観ていたら、図らずもホリエモンさんがこんなことを仰っていました。
「過去にとらわれず未来に脅えず今を生きろ」
まったくその通りですね。
別の言い方で、
「今を一生懸命に全力で生きれば、お金は後から付いてくる」
と、成功者の方はよく言います。
それも、まったくその通りだと思います。
「将来が不安なのは、今を一生懸命生きてないからだ」
「安定を求めるのは、今を生きてないからだ」
まったくその通りです。
私はこう思うのです。
「残念ながら、今をどんなに一生懸命生きても、”将来の安定” だけは保証さない。”将来の安定” だけを求めて生きるのは、あまりにリスクが高すぎる」
つまり、将来の安定だけは、
どんなに一生懸命真面目に生きようが、
どんなに成功しようが、
保証されないのです。
人は、今しか、生きられないのですから。
美容整形について考え、常識、安定について思う。
かつての常識では、美容整形に関して口外することはタブーでした。
せいぜい、ゴシップ週刊誌にタレントの誰それが怪しいとか、イニシャルトークで書かれていたくらい。
わたしの親世代で、美容整形を肯定的に捉えておられる方は、まずいませんでした。(ピアスさえもです)
「親からもらった顔を傷つけるなんて!」
と、いうのが一番耳にする理由でした。
でも、わたしはそう聞くたびに、男脳で、こう思っていました。
「歯科矯正で健康な歯を抜くのは美容整形ではないの?」
「眼科のレーシック手術で眼球を傷つけるのはいいの?」
「お化粧って、お肌を傷つけている場合もあるんじゃないの?」
「肌を黒く焼くことの方がガンになりやすくないか?」
「顔を傷つけるのは良くない」というのは、口実で、本音は、こう思ってるんじゃないのでしょうか?
「美容整形してるってバレたらみっともない」
もし、美容整形の技術が今のように優れていて絶対にバレなければ、それでも、ダメっていうのかな?
もし、保険診療が使えたら? つまり、保険診療として国が認めたらどう?それでも、
「親からもらった顔を傷つけるな!」
と、言うのかな?
わたしの世代でも、どれくらいの割合で、美容整形を肯定的に捉えられているでしょうか?
「美容整形についてどう思う?」
そう聞かれたら、
「全然いいと思うよ」
男性も女性もそう言うでしょう。でも、それが数年前だったら、
「絶対にダメ!」
そう言っていたでしょう。
それもこれも、時代の常識が変わっていったからにすぎません。
テレビを観ていて、よくこんなシーンを目にします。
アイドルや女性タレントの昔の写真が画面に映ると、
「あれ?これ、ちょっと顔、今と違うんじゃない?」
男性タレントが、そういうフりをして、
「違いますよ。わたし、やってないですからね!」
と、アイドルが必死に否定する。
すると、何人かのひな壇が、
「ホント?怪しいな〜」
「ホントですって! やってないですって! ひど〜い!!」
そして、みんなでゲラゲラ笑う。
これを観て、面白いですか?
これを観て、面白いと感じられる方は、本音は、美容整形を肯定的には捉えてはおられないのではないですか?
これ、明らかに、差別だと気付いた事はおありですか?
「今や美容整形は常識」
と、声を大にして言いながら、その本音は、まったく逆なのではないですか?
もし、ご自分の娘が、このように言ったらどう思いますか?
「わたし、目だけが気に入らないの。目さえ二重になればすごく美人だと思う。お金だって高い化粧品を買うより安いからさ。ファッションと同じだよ。ね、プチ整形させて!」
というパターンと、
「わたし、目だけが気に入らないの。目さえ二重になればもっと自信を持って生きられる。ちゃんと前を向いて生きられると思う。お願いします。プチ整形させてください!」
と、いうパターン。そして、もう一つ。
「わたし、こんな顔じゃ生きられない。こんな顔じゃ外に出られない。だから、顔を全部変えたい。お願い。整形をさせて!」
この質問の答えを、30代の女性と50代の女性にしてみました。
30代女性の答えは、
「プチ整形だったら常識の範囲内だし、いくらしてもいいと思うんです。だって化粧と同じだから。でも、顔を全部変えるというのは、絶対にイヤ。もし、自分の娘が顔を全部変えたいと言ったら、絶対に反対します」
それに対し、50代女性の答え。
「いくらしても構わないと思う。それをやることで前向きに生きられるのなら、全然いいと思う。仮に自分の娘がやりたいと言ったら、心配もするし、話し合いもすると思う。でも、大事なのは、なぜやりたいか?だから」
そして、わたしの意見。
「メスを入れるプチ整形には反対です。見た目を良くしたい。ファッション感覚でやるのなら、化粧の技術を磨け!そう言いたい。それをしなくてもそこを補えるものを見つけなさい。でも、整形をしないことで『心の安定が保たれなくなる』ほどの切実な悩み、苦しみであるならば、顔を丸ごと変えてもいいと思う。むしろ、そうした方がいい」
どうですか?
皆さんはどのように思いましたか?
「顔に傷を入れる」
と、いうことだけで言えば、どれも同じです。違いはありません。
でも、
「プチ整形だけはいい」「整形してもいいけど、大切なのはその理由」「プチ整形はダメだけど、自分を変えるための整形はいい」
三者三様、これだけ言い分が違うのです。
つまり、3人いたら、3人分の違った常識がある。
でも、この三者三様の常識も10年後には全くの非常識になってしまうかもしれない。
常識なんて、もしかしたら、なんの意味もないかもしれないのです。
ただ、美容整形する側になって考えてみたとき、
わたしはふと、こんなことを思いました。
プチ整形をしたいと考える娘も、顔も全部変えてしまいたいと考える娘も、なぜ美容整形を求めているのか?
それは、
「きれいな顔を手に入れたい」
からじゃない。
「きれいな顔を手に入れる」ことによって、得られるものを手に入れたいからなのです。
それは、
”心の安定”
だと。
そして、その「安定」とは何なのか?
この問いに対する、一つの答えが浮かんだのです。
「ないという状態、満たされないという思い、苦しい思いをなくしたときに得られるもの」
なのではないか。
安定とは?
「妊娠安定期に入りました」
「血流が安定してますね」
大人気ドラマだった「下町ロケット」でも、こういうセリフが多かったですよね。
「数値が安定しています。成功です!」
安定とは、
不安定要素がすべて解消された時の落ち着いた状態。
それは、まさに、今この瞬間です。
今、この瞬間が、安定かどうか?
安定を計る物差しは、それだけです。
茜さんの知人の女性のように、「将来の安定のために」それを目指して生きるというのは、ずっと不安定要素を抱えて生きていくということを意味します。
なぜなら、
「将来の安定」を手に入れることはできないからです。
「安定」かどうかを計る物差しは「今」です。
「今」を生きているこの瞬間が安定がどうか?なのです。
今が不安定だったら、その不安定要素を取り除く行動をとればよいだけです。
将来は、関係ありません。
心が喜ぶ。心が楽しむ。心が落ち着く。心が和むことを、今、全力でやればよいのです。
もう一度、茜さんの知人の話をします。
ご主人は銀行員。彼女は専業主婦。お給料はいくらで、昇給はいくらで、生涯賃金はいくらで、子供を何人作って、家を何歳で買って。そういう計画をすべて立てているからなんの心配もない。だから、私たちの生活は安定しているのだと主張します。
ご夫婦の趣味はロッククライミングで、週末に二人で毎週のように出かけます。
そこで、わたしは茜さんに頼んで、こう聞いてもらったのです。
「平日の生活は、週末の生活に比べてどう? 同じように楽しい? 充実してる?」
それに対して、彼女はこう答えました。
「楽しいとか楽しくないとか、そういうのはあまりないよね。だって、夫は仕事だし。わたしは家事で忙しいし」
「ご主人は仕事、楽しいかしら?」
「楽しいとか、そういう感覚で仕事してないと思うよ。だって仕事だもん。仕事はお金を得るために割り切ってやるものだから。」
つまり、彼女は、彼女が求める”(将来の)安定”を手に入れるために、週のうち5日間は、楽しいとか楽しくないとかを感じない生き方をし、2日間はその5日間を忘れて、死のリスクを高めてまでも、楽しいものだけを実践して生きている。
それが、彼女の求める「安定」だということです。
わたしの書き方に悪意はあったでしょうか?
極力、フラットに事実だけを書きました。
でも、これだけははっきり言えます。
将来の安定を確実に手に入れる方法はありません。
安定は、今、この瞬間をどう生きるか?
答えはそこにあります。
最後に
最後に、この「安定って何ですか?1」を読んで、コメントをくださった読者の方の文章をそのまま添付したいと思います。
とても素敵なお話だったので、ご本人に確認し、掲載の許可を取らせていただきました。
本当にありがとうございます。
「めちゃくちゃ安定していない人を思い出しました(笑)私のお友だち、75歳のおじさんです。
私の職場の前にいつもトラックを停めてにこにこしていた大好きなおじさん。そのおじさんがとんでもなく不安定な人生。
19歳の頃、お酒の飲み過ぎで肝硬変になり120kgあった体重が45kgまで落ち、死ぬのかと思いきや、母親がかき集めた大量のキノコの漢方を片っ端から飲んでいたら復活し元気になったそう。何が効いたんだろうな~とか言って(笑)
若い頃は今と別の会社を経営していて、ものすごく儲かっていたそうで。いつも大金を高島屋の紙袋に入れて飲み歩き、ある日、池袋でエレベーターが開いた瞬間、頭を日本刀で切られ、気がついたら病院のベッドだったとか。時代劇みたいに頭から血が吹き出したんだ、ピューって。頭は切らねー方がいいぞ!と笑っていました。傷跡を見せてもらったら、長い傷跡が頭にあり、この人はどうして生きているんだろうと不思議に思いました。
いつも、「稼いでもみーんな無くなっちまうよ」というので、内訳を聞いたら、4回も結婚していて、過去3人に慰謝料を払っているのだという。人様に迷惑ばかりかけてきたから、今は、真面目にゴミを拾って生きてるんだ。(粗大ゴミの回収のお仕事)と笑ってました。
60代後半の時は脳梗塞になり、救急車で運ばれ入院。奇跡的にたいした後遺症もなく復活!救急車に運ばれている最中、詰まりがが取れたんだと、笑ってました。その後、肺気腫になり1日に5箱は吸っていたタバコを1日でやめました。酸素ボンベを引いて歩くのが面倒だから、そうなる前にタバコはやめる、とある日突然やめて……。
いつも、ハチャメチャだったけど、大好きです(笑)あんな不安定な人は見たことがないです。見てるこちらがハラハラする。でも、おじさんといると、すごく落ち着く。不安定なのに、なんだろうあの安定感は(笑)
安定感って何なんでしょうかね。でも、あの自信のある雰囲気が安定感ありましたね。借金地獄から這い上がり、死にかけては復活し、怖いものなんてもうないって感じ。
でも残念ながらおじさんは、先月、突然、亡くなりました。あっけなくいなくなってしまいました。潔くて、おじさんらしいけど……淋しすぎますね。まとまりのない感じになってしまって、すみません。読んでいたら、おじさんを思いだして…。安定感。よく考えると深いんですね」
以上です。
おじさんは、常に、今を生きていたんだと思います。
自分の人生に覚悟をもって、芯に一本太いものが貫いていたんだと思います。
あとになって振り返ってみると、安定なんて無縁で、波乱万丈だったかもしれないけれど、今を生きているその瞬間瞬間は、とっても安定していたんだろうな〜。
そんな想像がいとも簡単にできてしまう。
どうせ一度しかない人生。自分の残りの人生もそうありたいな〜。
切に、そう願うのです。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)