生後8ヶ月で子供がアトピーになり、私たち親子が、解決方法を求めて右往左往した記録です。現在子供は中学生になり、脱ステロイドの記録をこちらのブログでアップしていますが、アトピーと知った時の私たち夫婦のショックはかなりのものでした。
この記事は、アトピーの子供を持つ親の皆さんに向けて、書いたものです。
父親のわたしは甲殻アレルギー
わたしが小学校4年生のとき、お歳暮で、立派な桐箱をいただいた。
「宏、開けてみい」
父に言われるまま桐箱を開けてみると、木屑の中から、たくさんの車海老がピヨ〜ン!ピヨ〜ン!ピヨ〜ン!飛び出てきたのだ。
「うわっ!すごいすごい!やったー!やったー!」
わたしは桐箱の横でピョンピョン飛び跳ねた。かわいいペットがまた増えるのだ。庭の鳥かごにはセキセイインコや文鳥が10羽。池にはたくさんの鯉が泳いでいた。この桐箱の中にはいったい何尾のエビが入っているのだ?
「おおっ!こりゃすごいの〜」「うん。すごいすごい」
父も兄も大喜びだ。
わたしは、当然、お庭の池に放すもんだと思っていたから、
(エビって慣れるのかな?)(卵たくさん産むのかな?)(うちの池が海みたいになるやん)
と、想像を膨らませた。そのときだ。
「これなんか、旨そうやの〜」
「えっ?」
父が、手にした一尾のエビの頭をペキッと折って、ねじって、頭を取ってしまったのだ。
「ヒッ!」
父は満面の笑みのまま皮をむき、尻尾を持って、大きく開けた口の中へ放り込んだ。
「ほ〜。これ美味いの〜」
感嘆の声を上げている。つられるように兄が、同じように頭をちぎって皮を剥いて口に放り込む。
「ほらほら、あんたたちちょっと待ちって。これこれ」
そう言いながら母がボウルとしょう油を持ってきた。そして、三人は、呆然自失にフリーズしたわたしの目の前で、わたしのかわいいペットちゃんたちの頭をむしり、むしった頭や皮をボウルに放り、身だけを次々に口に放り込んでいくのだ。なんとおぞましい。なんて猟奇的。文明社会ってなに?ここはどこ?わたしはだれ?
「ひええええ〜」
「ひええ、や、あるかい。宏、おまえも早よ食わんとお兄ちゃんが全部食うてしまうぞ。ほれ、口開けてみい」
父に言われるままに開けたわたしの口に、むき身のペットちゃんが放り込まれる。もぐもぐもぐ。あれ?甘い。プリップリで舌に吸い付いてくる。少し痺れるような感じが気になるが、美味しい!
「どや。美味いやろ?」
「…うん」
ペットちゃん。ごめんよ。わたしは、ペットちゃんを3尾食べた。ほんとに美味しかった。でも、幸せな時を過ごせたのはその一瞬だけだった。
口かゆい…。
そのとたん、唇が見る見るサンダーバード4号人形のように腫れ上がる。口の中から喉から、胃袋の中まで、エビに触れた場所が痒くて痒くて気がおかしくなりそうになった。脂汗がどんどん出てきて、だんだん呼吸が苦しくなってきた…。こうなったら父も母もパニックだ。
父はわたしをおぶって、近所の病院に駆け込んだ。
わたしは父の背中で、
(エビの呪いだ…エビの呪いだ…ぼくはエビに呪い殺されるんだ〜)
と、我が運命とエビを食わせた父を呪った。
「エビのアレルギーですね〜」
以来、わたしはエビが食べられなくなった。
それからちょうど1年後、お歳暮で我が家にカニが届いた。生食用のカニ。
「おお〜!これはすごいの〜!」
今度は、さすがのわたしも食べ物だとわかった。さっそく父が足をもいで、ハサミで切ってしょう油をつけて口に放り込む。
「美味い!」
その言葉を皮切りに、わたしたち家族は、生のカニにむしゃぶりついた。もちろんわたしも。
「美味しい!舌が痺れる感じがするけど美味しいね〜」
「えっ?」
父と母と兄の目が、わたしの唇に注がれた。
「あれ?カニは食べてもいいんかいね?お父さん」
と、母の声。
「宏?……エビがダメやったらカニもダメやろ〜!」
と、兄の声。
「宏〜!食うたらい〜け〜んー!」
と、父の雄叫び。
時すでに遅し。わたしの唇は前回以上に腫れ上がり、その日のうちに、激しい嘔吐と下痢、そして、高熱に襲われた。一週間近くもそんな状態が続いた結果、我々家族一同の共通認識として、
『宏は甲殻アレルギー』
と、言う言葉がしっかり刷り込まれたのだった。遅っ!
アトピーって、わかっているけど、わからない
と、いっても、あの当時のアレルギーに対する認識なんてそんなもんだったんです。わたしは、たまたま死にかけたから『甲殻アレルギー』に気づくことができたけど、奥さんなんて、自分がアトピーってことに気づいたの、わずか9年前のことですから。
それくらい、
アレルギーの存在は微妙です。命に関わる重大事ではない限り、いくら家族であっても、当事者意識は薄い。
それが、アレルギーなのです。
たとえば、ピーナッツアレルギーやそばアレルギーといった、 はげしいアナフィラキシー(拒絶反応)
を、起こしてしまうようなアレルギーに子供がなってしまったら、家族は命がけで対処しなくてはなりません。一つ間違えてしまえば本当に命を落としてしまうからです。だから、保育園や幼稚園でも、小学校でも、何度も面接をして、確認をして、他の子と食事を分け、レシピを間違えないように細心の注意を払います。
でも、これが、杉花粉症やアトピーといった、いまやポピュラーと言えるアレルギーになってしまったらどうでしょう?
「うちの子アトピーなんだ」
「あ〜そう?たしか◯◯ちゃんもアトピーだってお母さん言ってたよ。多いよね〜」
「うん。でも、ステロイドってどうなんだろう?顔にも塗るのかな。なんだか、怖くて…」
「だよね〜。ステロイド怖いよね〜。◯◯ちゃん使ってるって言ってたかな〜。直接聞いてみれば?わたしはよくわかんないから」
「う…うん…」
おそらく、ママ同士の会話って、こんな感じじゃないでしょうか。子供がアトピーと診断されたママは、多大なショックを受けます。特に、自分がアトピーじゃなかったらなおさらです。でも、周りは、それを聞いてもそれほど驚いたり同情してくれません。
なぜなら、アトピーはいまやポピュラー。アトピーじゃなかったら、逆に「よかったじゃん」って、言われるほど相手の反応も薄い。
特に、アレルギー体質が家族に一人もいない人にとってみれば、まったくの他人事です。それこそ、アトピーという言葉は知っていても、アトピーのことはまったくわからない。
これは、頭痛持ち、生理が重い女性、鬱(うつ)などの症状を持つ人が感じる孤独感に似ている気がします。
つまり、これらが理由で、会社を休むということが、許されてない。
なぜなら、これらは、病気ではない。
そういう意識が社会に根強いからだと思います。
アトピーもそれと同じです。
アトピーは病気はありません。
しかし、症状が重くなると、皮膚はただれ、ぜん息を併発し、不眠症になり、精神的にも追い詰められます。
でも、
「アトピーがひどいので休みます」
と、会社に申告したら、どう思うでしょう。自己管理がなっていない。そう一刀両断されるでしょうね。
アトピーじゃない両親の子どもがアトピーになった
アトピーと診断された子供の両親のうち、どちらかがアトピーであれば、経験上落ち着いて対処できるでしょう。でも、両輪がどちらもアトピーじゃなかったら?
まず、どの病院に行ったらいいのでしょう?
ステロイドは使ったほうがいいのでしょうか?
自然療法もたくさんあります。いったい、どれが、うちの子に合うのでしょう?
アレルギー物質から遠ざけるべきなのでしょうか?それとも、取り入れて免疫を作った方がいいのでしょうか?
そもそもアトピーは治るのでしょうか?
アトピーは病気なのでしょうか?
アトピーって、どういう意味なの?
アトピーってなに?
なに?アトピーって?
結局、
アトピーって言葉は誰でも知っているのに、アトピーがなんなのか、誰もわからない
それが、アトピーの不思議なんです。
それが、アレルギーの盲点なのです。
それともうひとつ、わたしが、うちの子供がアトピーだと知ったとき、最初に思ったことは、
(いじめられないかな?)
でした。
わたしが小学生のころ、(あれはアトピーだったんだろうな〜)と、思い出す女の子が一人だけいました。顔がいつでも真っ赤で、顔の皮がむけて、いつも顔をボリボリ掻いていました。
「きったねえなあ〜。顔洗えよ〜。近くによるな!」
そう言われていじめられていたのを思い出します。当時は、まだ、アトピーという言葉が定着していなかったし、アトピーの子はほとんどいませんでした。だから、彼女はいつも一人ぽっちだった記憶があります。
わたしのアトピーは、そういうことでした。
(アトピーはいじめられる)
これが、わたしのアトピーに対する認識でした。
アトピーの現状がどうなのか、どれくらいアトピーの子供がいるのか、全然わからない。知識がない。だから、子供がアトピーと知って、ショックを受けました。
やっぱり、つらい知らせは突然やってくる。
うちの子ども(音ちゃん)のアトピーが発覚したのは、生後8ヶ月のことでした。
乳児は5ヶ月から7ヶ月の間に健康検査を小児科で受ける必要があります。
それまでは集団で保健所で予防接種をしたり、保険師さんが相談に乗ってくれるだけで、病気にならなければ医者にかかるのことはありません。ちなみに新生児は生後半年までは免疫力があり、病気にかからないと言われています。(ただし、兄弟姉妹がいるとうつります。と、いうのも、一般的に大人の菌は感染しませんが、子どもの菌は感染すると言われているのです。つまり、両親が風邪をひいても新生児に風邪はうつりませんが、兄弟姉妹が風邪をひくとうつると言われているのです。知ってました?)
音ちゃんも例外なく、生後半年までは、風邪ひとつひかず、肌もツヤツヤ、頬もパンパン。元気で明るい赤ちゃんでした。布団の上で、飼っているネコ(オスのマウ)と毎日、ゴロゴロ転がって。音ちゃんが毛をむしっても、ミャア〜とひと声鳴くだけで、マウはまるで自分が兄貴だとばかりにいっつも音ちゃんにくっついて離れませんでした。
わたしも奥さんも、このままマウと音ちゃんが兄妹として仲良く育っていくんだろうな〜って、なんの疑いもありませんでした。
だって、わたしも奥さんも、ネコアレルギーじゃないから。
だから、食物アレルギーは、わたしからの遺伝で、もしかしたらあるかもしれないけれど、ネコアレルギーがあるとは、微塵(みじん)も思っていませんでした。
それが、生後半年たったある日、突然、音ちゃんの頬に赤い湿疹が…。と、思ったら見る見る頰の全体に広がって、顔がものすごい勢いで腫れ上がってしまったのです。そして、夜には咳をするようになりました。咳をしながら顔をかきむしるのです。
まさか…まさかね…。
またでた。威圧的な医者
正直、このときはまだ、微塵(みじん)もアトピーだなんて思っていませんから、奥さんは最も信頼のおける産婦人科の女医さん(音ちゃんの首を押していた先生)から紹介を受けて、とある小児科に子どもを連れていきました。
しかし、と言うか、やはりと言うか、
医者が紹介する医者にいい医師はいない
と、いう確信を改めて強くする結果にしかなりませんでした。
その小児科医は初老の男性医師で、機械的にお母さんと赤ちゃんを並ばせ、ベルトコンベヤーのように診ていました。
つまり、患者のプライバシーもなにもない状態です。学校の体育館で行われる健康診断のように、行列をつくった状態で、仕切りもなにもないのだそうです。
奥さんの前に並んでいたお母さんと赤ちゃんが並ぶところを間違えたら、
「なんできちんと並べないんだ!」
と、大声で叱責します。
(ああ、また、失敗した〜)
音ちゃんの番になって、その医者は、ひと目見ただけで、
「ほっぺの湿疹ひどいね。これ塗っておいて」
と、説明もなく、白い軟膏を渡しました。
「次」
と、いうので、奥さんは勇気を振り絞って、
「この薬はなんですか?」
と、聞くと
「なんだっていいでしょ。塗ればいいんだよ、塗れば」
と、面倒くさそうに言われます。
「でも知りたいんです」
奥さんも食い下がりました。
「亜鉛華軟膏!!!」
吐き捨てるように言われました。
「どうしてこの薬が処方されるのですか?」
「ほっぺの湿疹、見ればあなたもわかるでしょうが。よくまあここまで放っておいて・・・。それ、ステロイドじゃないから大丈夫だよ。」
「ステロイドということは、アトピーということですか?」
「そう思いたいなら思えば!だったら薬塗りたくなければ塗らなければいいよ」
と、吐き捨てるように言われ、泣いて帰ってきました。
自分の子どもがアトピーかもしれないという不安と、医者はなんの説明もしてくれず威圧的だったからです。
自分に都合の悪いことを突っ込まれると、自信のない人間ほど威圧的になります。
その医者は、音ちゃんの頰の状態が、アトピーか乳児湿疹なのか判断がつかなかったのではないでしょうか。
乳児湿疹とは、赤ちゃんの体にできる湿疹のことを総称して、そう呼びます。
皮脂が多く分泌されることで、湿疹ができてしまうのですが、石鹸で洗って、保湿のクリームを塗ってあげていれば普通に治りますが、皮脂の分泌の多い赤ちゃんは、なかなか治りません。と、いっても、掻き壊さないように注意だけしていればよいので、爪を切ったり、清潔をきちんと保っていれば、大きな問題はありません。成長に従って徐々に消えていくものだからです。
ただ、アトピーとの見分けが非常に難しいのです。
仮に、両親のうちのどちらかがアトピーだったら、最初からアトピーを疑うでしょうから、発見も早くなりますが、両輪がアトピーじゃなければ、普通は、乳児湿疹だと思います。なかなか治らなくても、
「いずれ治るだろう」
と、いうことで、放置してしまいます。でも、これがアトピーだったら、どんどん悪化してしまうのです。
音ちゃんの場合は、まさにこのパターンでした。
つづきは、子供がアトピーになった!闘うアトピーvol2ドクターショッピングをご覧くださいませ。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
実は、子供のアトピーは脱ステロイドを経て、中学2年生のときにひどい症状はでなくなりました。
それについて、私たち家族がやってことをお伝えしていきたいと思います。