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パワハラ上司が新入社員を追い込んだ結果|社員を追い込むパワハラの実態4

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パワハラに耐えている方も多く、この記事を読んでいると思います。実は、私は会社員時代に先輩からのパワハラに耐えかねて、暴力をふるってしまいました。その後、私はどういう行動に出たのか?
けじめをつけて退職しました。その事件で多くのことを学びました。パワハラする人がどんな人であるかというのもわかったのです。

新入社員だった会社員時代にパワハラから逃げないと決めた

その日、わたしは一睡もしませんでした。

わたしは、Aさんを殴ってしまったようです。「ようです」なのは、言い訳でもなんでもなく、本当に記憶にないのです。いま、思い出すのは、わたしが先輩たちに羽交い締めにされて、Aさんが尻餅をついて倒れていた光景で、それ以前の記憶が飛んでいます。

でも、トラブルを起こして、わたしが皆に迷惑をかけたことだけは確かでした。

前にも書きましたが、

どんな理由があれ、手を先に出したほうが悪い。

これは、間違いありません。子供の喧嘩ではありません。企業に勤める社会人です。

暴力を振るったら、責任を取らなければならない。

一睡もせずに考えました。そして、決意したのです。

辞めよう。

でも、犯した罪のけじめはつけなければなりません。

わたしは、翌朝、7時に出社し、オフィスの掃除を始めました。床を拭き掃除し、社員全員の机の上の拭き掃除をし、固定電話一台一台、丁寧にフキンで拭きました。

わたしにできる皆へのお詫びは何か?

入社してすぐ、役員の方がこんなことを言っていました。「机と電話は毎日、きちんときれいにしないといけない」

その言葉を思い出しのたのです。新人の時の気持ちになって…。

こんなことしか思いつかなかったのです。

そして、Aさんが出社してくるのを待ちました。一人一人、出社してきた上司や先輩、同僚を出迎え、頭を下げ謝罪して回りました。皆、なぜか、

「えっ?ああ、いいよいいよ別に…」「うんうん、わかったわかった」

計ったように、腫れ物に触るような態度です。少しは期待したのですが、笑い飛ばしてくれる人は一人もいませんでした。それくらい、昨日のわたしは醜かったということだし、やっぱり、わたしの(笑い飛ばしてくれるかも)という考えは甘いということです。

出社時間ギリギリに現れたAさんは、立って待ち構えるわたしを見向きもせずに、席につきました。わたしはその背中を追いかけ、

「Aさん、昨日は申し訳ありませんでした。とんでもないことをしてしまったと自覚しています。ほんとうにすみませんでした」

Aさんは、なにも答えず、わたしを完全に無視したままでした。

その日以来、わたしが会社を辞める半年後まで、Aさんとは一度も口をきかないままでした。

業務で、話をしなければならない時は、何度もありました。それでも、Aさんは、徹底してわたしを無視し続けました。最後まで一度も目すら合せてくれなかったのです。

もっともだと思います。

彼はわたしの謝罪を受け入れる気がないのですから。

おかげで、会社を辞める決心がますます固くなります。

わたしが会社を辞める理由。

その理由は、

  1. 会社員という仕組みで働くことができない。
  2. 通勤ラッシュ、タイムカード、残業、チャイムが鳴ったらお昼ご飯が食べられる。上司や先輩の誘いを断れない。などなどの、慣習に素直に従うことができない。
  3. 先輩を殴るという暴挙を働いた自分に罰を与えなければならない。
  4. なによりも自分に嘘をつき続けていたことが許せない。この会社で会社員として働く自信がないと、入社前に気づいておきながら、自分に嘘をついて入社した結果、わたしのために指導、励まし続けてくれた上司や先輩を裏切る結果になったこと。

この4項目を見過ごすことができなくなったからです。

不動産の仕事は決して嫌いではありませんでした。でも、

 犯した罪は償わなければならない。

 このことから、絶対に逃げてはならない。

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そう、心に決めたのです。逃げるために辞めるのは簡単です。でも、わたしは、罪を償うために辞めるのです。

口でそれらしいことを言ってるだけだ、と言われれば、その通りかもしれません。

でも、わたしが、その意識から逃げないことが大事でした。

ここで逃げたら、一生逃げ続ける人生を送ることになります。

わたしは、真剣に生きてこなかった。ずっと逃げ続けていた。

もう十分楽をしただろう?

こんな自分という服を全部脱いで、真っ裸の自分に戻って、一から出直したいと思ったのです。

半年間、しっかり罪を償って辞めよう。

パワハラ後に身体を鍛えて、満を持して退職

わたしは、決して頭はよくないので、堕落した自分を変えるにはなにをすればいいのか?

そう考えたときに、

よし、身体を鍛えよう!

そういうことしか、思いつきませんでした。

スポーツクラブの会員になり、お酒を断ちました。

朝、出社前に5キロ走り、就業後、先輩のお酒の誘いを断り、スポーツクラブで2時間汗を流し、外で5キロ走って就寝。

3ヶ月で10キロ体重を落とし、就職前の体重56キロに戻しました。

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その過程で、あることに気づきました。

身体が軽くなると、頭が軽くなり、今まで真剣に取り組んでなかった仕事が楽しくなってきたのです。体力がついた分、仕事に集中できる。自信がついてくる。できなかったことができそうな気がしてくるのです。

皮肉なものです。

仕事を辞めると決心してからのほうが、仕事が楽しくなっていきました。

ものすごく、後悔をしました。

なんで、もっと早くこのことに気づかなかったのだろう。

なんで、もっと最初から真剣に取り組まなかったのだろう。

仕事を辞めると決意したとたん、

上司や先輩にお酒を誘われても簡単に断れるようになりました。そうすると、上司や先輩は、

「もうお酒辞めたんだ?じゃあ仕方ないか」

と、決して無理に誘ってはきません。そういうものなんだ…。

上司や先輩からの誘いは断れない。そう自分が思い込んでいるだけでした。

行きたくなければ断ればよかった。たったそれけのことが、わたしにはできなかった。自分の勝手な思い込みで。

お酒をやめたら、朝、シャキッと目が覚めます。身体がきついとか、ボ〜ッとすることがなくなります。難しかった仕事が簡単に感じました。

Aさんが、なぜ、わたしにあのような罵声を浴びせて、わたしにしつこくつきまとったのか、なんとなくわかる気がしてきました。

みんな会社のために、自分の生活のために必死で働いていました。そんな中、適当に仕事をしてもみんなと同じように給料をもらっているわたしが許せなかったのでしょう。

Aさんも決して仕事を真面目にしているようには見えませんでした。彼もおそらく片手間に仕事をしていました。それでも、「支社随一の頭脳」と称される能力で、みんなより仕事ができてしまいます。その自分の不真面目な姿勢や、やりがいのない仕事に憤りや苛立ちを感じていたのかもしれません。その部分がわたしと似ていると感じていたのかもしれません。わたしのような能力のない人間と頭脳明晰な自分に同じ部分があることが許せなかったのかもしれません。

次男である父が、次男であるわたしばかりを責める姿と同じかも…。

前回、わたしはこう書きました。

傷つく時というのは、自分でもうすうす気づいているんだけど、それは、自分の最も忌み嫌う部分で、普段、意識の奥底に隠してあるような恥部の部分に気づかれた時、そして、そのことを言われた時、そのことを皆にばらされた時です。自分の目の前で白日のもとに晒された時です。

それと、同じように、

人間というのは、

自分の最も嫌いな部分。自分が最も忌み嫌う部分(普段は意識の奥底に隠している部分)が、自分より明らかに弱い相手に似ていると、その部分を見せつけられているような気持ちになり、その人物をいじめたり、攻撃したりするようになります。

Aさんも、わたしに対して、そういう感情を抱いていたのではないでしょうか?

 近親憎悪

の、感情です。

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「好意」の表現が「征服」や「威圧」になっている大人がパワハラするのかも

それと、もう一つ、気がついたことがあります。

「好き」とか、 「好意・好感を持っている」と

いう感情の表現が、人とは違う人がいるということです。

好意を持っている相手に対し、素直にコミュニケーションを取って、対等な立場で接するということができない人もいるということです。

そういう人が、パワハラの被疑者(する側)になるケースも多いのかもしれないと思ったのです。

具体的にどういうことかというと、Aさんは、もしかしたら、わたしのことを後輩として好意を持っていたのかもしれない。と、いう可能性です。

Aさんは、わたしのことをバカにし、わたしを罵倒し続けましたが、その反面、飲みに誘うのはいつもわたしでした。わたしに会社や上司の愚痴を言い、自分がいかに優れた人間かということを延々と語り続けるのです。そして、二軒目、三軒目とはしごをして、最後はグデングデンになったわたしをその辺に捨てて勝手に帰ります。翌朝には、昨日の話が嘘のようにまたわたしを罵倒し続ける。夜になると、また、誘う。

一見、矛盾した行動のように思えますが、Aさんにとっては、これが、彼の心を開いた相手とのコミュニケーションの取り方だったのかもしれません。常に周囲を見下していたような人でしたから、好意の表現が、”征服”とか、”威圧”とか、そういうアプローチしかわからない人だったのかもしれないのです。

周りが、それに逆らうことなく従ってきたので、誰も彼を叱る人間がいなかったから、それしかわからないまま大人になってしまった。

そう考えると、そういうタイプの人は世の中に実にたくさんいます。

人との正しい接し方がわからないまま大人になってしまったような大人たちです。ガキ大将がそのまま大人になったような……。

少なくとも、そういうタイプの人には、はっきりと言いたいことを言って、わからせてあげることも一つの手ではないでしょうか?

思っていることを、はっきり言ってあげると、案外、パワハラは治まったりするのかもしれません。わたしのように暴力に訴えてしまってはお終いですが…。

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パワハラ後にフリーライターとして生きる決意

サラリーマンの慣習と思って忌み嫌っていたことも、そうでもなくなりました。

結局、すべて、わたしの勝手な思い込みだったのです。

わたしが、勝手にルールと思い込んで、わたしが、お酒を断れないと勝手に思い込んで、

わたしがわたしのルールを決めて、自分で自分を生き難くしていただけなのです。

辞める直前が、一番、仕事が楽しいと思えました。

正直、辞めたくなかった。

でも、もう、逃げないと決めたのです。

わたしは、ボーナスが支給される12月10日前に退職すると決めていた(これも自分への罰です)ので、

1991年、10月末日をもって退職しました。

その1ヶ月後の、1991年12月1日から、わたしはフリーライターとなりました。

作家や脚本家として生きることはできなくても、学生時代、演劇に打ち込んだときのように、なにか文章を書いて食べていきたい。

その思いから逃げない。

そう決意しました。ちょうど、声をかけてくださったのが、報道系雜誌の記者の方でした。

わたしは、反射的に「やらせてください」と、お願いします。

就職したときと同じパターンですが、あのときとは覚悟が違います。

12月1日、朝9時に編集部に足を一歩踏み入れた瞬間から、わたしはフリーライターになりました。右も左も、目の前で繰り広げられている議論も怒声も電話の音も何もわからない状態でした。

わたしはフリーライターです。だから、上司も部下もいません。誰も仕事の仕方を教えてはくれません。誰も、わたしの能力なんてわかりません。わたし自身もわかりません。でも、そこにチョコンと座っていても、仕事がもらえない限り、食べていくことはできません。

覚悟するしかない状況に自分の身を置いてみると、覚悟は勝手にできています。

その日の夕方、突然、副編集長に声をかけられます。

「いま空いてる?」

「はい」

「今日、これから、◯◯というコンピューター会社で、バーチャルリアリティの講演が行われるんで行ってきてくれる?」

「はい?でも、ぼくは今日入ったばかりなんですけど…」

「え?記者じゃないの?」

「あ、はい。記者ですけど…」

「空いてるの?空いてないの?」

「はい、空いてます…」

「だったら行ってきて。帰ったらすぐ原稿あげて」

「あの、バーチャルリアリティってなんですか?」

「それを取材に行くんだよ!」

「あ、はい!」

それが、わたしの初めての記者としての仕事でした。講演はすべて英語でした。まったくわかりません。そのまま編集部に戻って、烈火のごとく叱られ、慌てて講演の主催者に電話をいれて、説明を聞きにもう一度戻りました。そして、慌てて編集部に戻り、原稿を書き終えたのが、明け方の5時。それを読んだ副編集長は、

「なんだこれ?意味がさっぱりわからないよ。誰だよ!こんなやつ編集部にいれたのー!ボツだボツ?。もう帰っていいよ?」

一緒に講演に行ったカメラマンの撮影した写真もすべてボツになりました。わたしの原稿のせいです。わたしのせいで、カメラマンの写真もボツになったのです。

わたしの能力ひとつで、記事がボツになり、その結果、カメラマンが1日かけて撮った写真もボツになります。掲載するという条件で取材に協力してくださった多くの方を裏切ったことになります。もちろん、その謝罪も、全てわたしが行うのです。

全てわたしの、コミュニケーション能力、取材能力、原稿を書く能力いかんです。こんなにわかりやすい仕事が他にあるでしょうか。わたしは、全身の血が吹き上がるような興奮を覚えました。

その3週間後、12月21日まで1日も休まなかったわたしの体は限界を超え、血尿を出しました。

それでも、休みたいとは思いませんでした。

やったことすべてが、わたしの責任として、自分に帰ってくるのです。そこに曖昧な疑問を挟む余地はありませんでした。

わたしは、身震いするようなやりがいを毎日体感していました。

わたしは、この世界だったら生きられる。

この世界だったら、なにが起きても耐えられる。

そう感じました。

しかし、半年後、ようやくわたしがこの世界になれたころ、忘れていた、パワハラに再会することになります。

一人のベテラン記者さんが、わたしをクビにするべく画策していたのです。

つづきはこちらへ。

フリーライターなってもパワハラはある|社員が追い込むパワハラの実態5自分が会社員が向かないことがわかり、会社員からフリーのライターになりました。すべてがうまくいくと思い込んでいたのが間違えの元。人間関係はどこにだって、礼儀があるのです。最初の頃は私も自分はいけていると思い込み、随分失礼なこともたくさんしたと思います。その過程で、私はこころのスイッチを手に入れることができるようになったのです。今日の記事はフリーライターのパワハラ事例についてです。...

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風宏(Kaze Hiroshi)
この記事を書いている人

風 宏(Kaze Hiroshi)

 風宏

心の冷えとりコーチ

冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。