人間関係で疲れてしまうのは、自分が本来の自分を見せられずに無理をしているからです。
それでも自分を良く見せたいという承認欲求から頑張っている感をみせてしまうのも人間です。
でも実は、頑張り感を出している人間よりも、隙だらけの人間の方が愛されるということをご存知ですか?
今日の記事は人間関係で頑張りすぎて疲れている方に向けて、お届けするものです。
人間関係の中の頑張ってる感とは?
頑張っている状態と、頑張ってる感が出ている状態は全く違います。
そもそも、
頑張れば頑張っただけ成果が上がる人というのは、
頑張っている状態=集中力が持続している状態
ということが言えます。
つまり、頑張っている状態とは、
本人がその状態を俯瞰したり、評価したり、意識すらしていない状態。
ゾーンに入っている状態。
なのです。
それに対し、
頑張ってる感が出ている状態=集中していない状態
なのです。
つまり、
余裕のない状態。
だったり、
能力のキャパを完全に超えている状態。(そのことに気づいてない。もしくは気づいていても修正できない)
ということがいえるでしょう。
そして、もっと成果が上がってないのは、
頑張ってる感を出している状態=意識があっちの方向を向いている状態
になっているから。
つまり、
「頑張ってる自分」というところにだけ意識が向いている状態。
だったり、
そんな自分を身近な人にアピールすることを目的としている状態。
どうですか?
頑張っている時のあなたは、どの状態が一番多いですか?
人間関係で”たま”には甘えるのも悪くない
「これから何か新しいことをやろう」
「転職しよう」
「新しいプロジェクトを立ち上げよう」
だけじゃなく、
「よし!明日からカレができるように苦手な合コンにも出るぞ!」
とか、
「明日から、毎朝5キロウォーキングするぞ!」
とか、
「一月に10冊読書するぞ!」
「資格取得の勉強を始めるぞ!」
”頑張る”きっかけは、ある決断をするたびに訪れます。
今までやってこなかったこと、慣れないことにチャレンジする時は、ほぼ”頑張らなければならない”ので、
最初こそ、頑張っている自分を意識したり、頑張っている自分を人に見せたくなったり、応援してもらいたいという気持ちになるのは普通のことです。つまり承認要求ですね。
「それにチャレンジすることは素晴らしいことだよ」
「うん。向いてると思う」
「あなたならできるよ。大丈夫」
そういう言葉をもらうことによって不安感を払拭したい。
誰だって背中を押してもらいたい。
普通のことです。
でも、どんなにやっても、いつまでも「応援してほしい」「見てほしい」そういう状態が続くようでは、なかなか成果は上がりません。
なぜなら、そちらの意識が続いている限り、集中を欠いているということですから。
どこかで、承認要求を断ち切らないと、
結果、頑張っている感を出しているだけの人になってしまいます。
そんな意識すら忘れて、ただただ没頭する。
そういう状態にどれだけ早い段階で入り込めるか?
それがものすごく大事なんですね。
その状態を、
「ゾーンに入る」
というのですが、
だからと言って、人間そんなにいつもゾーンに入ったままの状態では入られませんから、
たまには、
「こんなに頑張っている自分を褒めてあげたい」
だとか、
「こんなに頑張っている自分のことをちゃんと見て欲しい」
とか、
「たまには『頑張ってるね』と、言って欲しい」
とか、甘えたくなるのです。
でも、それも「たまには」であることが大事。
いつもいつもでは、いつまでたっても成果は上がりません。
正直、わたしは自分にかなり甘い。だから、簡単にそんな状態に陥ります。
どんなに頑張っても、それが成果に繋がってないと感じた時は、
「こんなのいくら頑張っても無駄だよ!」
と、同僚に愚痴りながら暗に自分の頑張りをアピールする。
今日の仕事はものすごく頑張ったから、自分にご褒美をあげるという言い訳をしながら、しこたまお酒を飲んでしまう。
これ、”頑張るあるある”
ですよね。
でも、そんな時、同時にこうも思っているのです。
「愚痴ってる限り、成果なんか上がらないだろうな〜。ていうか、愚痴ってるから成果が上がらないんだよな、きっと。下手したら、愚痴りたいから頑張ってるフリしているだけなんじゃないの?自分」
「いちいち自分で自分にご褒美をあげないとできない仕事って、それって自分に向いてないってことなんじゃないの?」
「頑張った後にお酒を飲まないでいられるようになったら、本当の意味での頑張りの成果が出てくるような気がする・・・」
こういうことに気がついて、しっかりそこで立ち止まることが大切なんだろうな〜と思うのです。当然、立ち止まるだけではダメで、思った方向に進めなければ意味はありませんが。
じゃあ、進むために具体的にどうしているか?
奥さん(家族)や仕事仲間にフィードバックしてもらいます。
「今のわたしの状態で、ちゃんと成果を上げられると思う?」
そう聞きます。
奥さん「いや、いかにも頑張っている感が出てる。」
わたし「え?出てる?」
奥さん「出まくってるよ。だだ漏れだよ。気づいてないの?」
わたし「全然わからない」
奥さん「すごく自己主張してくるよ。だいたいあなたが自己主張してる時ってダメなのよ。俺、頑張ってる〜って。ほんとはやりたくないんでしょう?」
わたし「わかる?」
奥さん「わかるよ」
わたし「じゃあどうすればいいと思う?」
奥さん「やめれば。今はやっても意味ないし。少し時間をおいてみるといいかも。全然違うことをするとか・・・」
わたし「そうか〜。今やっても意味ないか〜」
こんな感じです。
で、思い切ってやめてみる。でも、そこでやめてみて、もっと悪い状態になってしまっても「奥さんのせいだ!」なんて言ってたらなんの意味もないので、そこは自分の責任としてしっかり受け止める。
で、また、別の方法を二人で考える。
カッコいい人とカッコつけてる人の違いは?
「カッコいいな〜」と思っている人と、「カッコつけてるけどカッコよくないな」と思っている人の決定的な違い。
なんでしょうか?
と、問われるまでもなく、全く違いますよね。
つまり、
知らぬは本人ばかり。
で、本人以外の人は皆が気づいてる。
そういうことなのです。
例えば、わたしの場合は、こういう現場に遭遇した時によく感じています。
街を歩いていて、前方からスタイル抜群の女性が歩いてきました。
顔も髪型もメイクもファッションもスタイルも、全て完璧。
「フェ〜、あのひとかっこいいな〜」
そう思いながら見ていると、その女性はショーウィンドウに映る自分にさっと目をやって全身をチェックするように目線を動かして、最後に、口角を上げてキメ顔を作りました。
「うわ〜、カッコつけてる」
そう感じた瞬間、「かっこいいな〜」というわたしの中の羨望の眼差しは完全に消え失せました。そして、
「カッコつけるなら隙を見せるなよ。ダサいよ〜」
そう思ってしまうのです。
もちろん、男性に対しても同じです。
人間関係での頑張り感には、周りのみんな気づいている
人は、人のことを見た目だけでは、心から、「かっこいいな〜」とは、思わないものなのです。
でも、芸能人はかっこいいと思う。
ですよね。
でもね、そのかっこいい芸能人のことをよく思い出してください。
あなたはその芸能人の見た目が好きという理由だけで好きなのですか?
確かに最初は、「見た目がタイプ」から入ったかもしれないけれど、仕草や話し方、その内容、バックグラウンド、その人の夢などに共感していったからではないでしょうか?
「見た目」プラス、目に見えないその人の内面に強く惹かれたからではありませんか?
わたしはマスコミ業界に長くいて、たくさんの芸能人とお話をさせていただいたのですが、やはりテレビで活躍されておられる方というのは、テレビでは見せていない部分もやっぱりかっこいいんです。
「かっこいいんだけど、なんかイマイチなんだよね」
事実、そう感じる芸能人もたくさんいるでしょう?
テレビというのは、恐ろしいくらい真実を映していますから。
もちろん、ドラマや映画ではわかりませんよ。トーク番組やバラエティに出ている姿は、とても真実に近いと思いますよ。
俳優さんや綺麗な女優さんがわざわざバラエティ番組に出て素をさらけ出す。最近では番宣で出るにしても、ただただ女優然と座っているだけでは視聴者は満足しません。ていうか、バラエティ番組でも女優然としていたらなんだか白けるでしょう。
でも、ドラマでは颯爽としている女優さんがものすごく親父ギャグを連発する人だったり(例えば天海祐希さんのように)、可愛い女の子の役ばかりをやっている女優さんがものすごく男性っぽかったりすると、もっともっとその女優さんに魅力を感じますよね。
つまり、そういうギャップのある人やたまに見せる隙に愛嬌を感じたら、ますますかっこいいと思う。
今の「かっこいい」って、そういう傾向があると思うのです。
で、
「カッコつけてる」のに、「カッコよくない」人っていうのは、
「隙」をうまく見せることができてないんですね。
おそらく、この「隙」こそが人を魅力的に見せるアイテムだということに気づいてない。
だから、ダサい。
この世に「隙」のない人間なんていません。
この世に「隙」を隠し通せる人間なんていません。
なのに、隠そう隠そうとするから、見えてしまった時に、その「隙」が、人には「愛嬌」ではなくて、「醜態」に見えてしまうのです。
真実を隠そうとする部分は必ず透けて見えてしまいます。
どんなにカッコつけていても、どんなに頑張っている感を出しても、見抜かれるんです。
知らぬは本人ばかりなんです。
本当に自分は頑張れているのかどうか?
本当は自分は案外、頑張ってなどいないのではないか?
頑張っているつもりが、頑張っている感を出しているだけだったのではないか?
成果が上がらないのは、目的と行動が一致してないからなのではないか?
もし、そういう意識に気づいたら、勇気を出してあなたのことをよく知っている人に聞いてみてはいかがですか?
「わたし、本当に頑張ってるのかな?」
周りはたいていの場合、本当のことを言ってはくれない
ただ、単純にそのように聞いたところで、周りは本当のことを言ってはくれないでしょう。
なんども言いますが、周りはほぼ間違いなく、あなたが本当に頑張っているのか、ただ頑張っている感を出しているだけなのか、わかっています。
わかっているだけに、頑張っている感を出している人には本当のことを言えないのです。
なぜなら、そこを指摘されて、
「ありがとう!」
と、言える人はほとんどいないから。
頼んでもいないのに、
「その頑張っている感、全然意味ないよ」
そう言われて感謝する人はほとんどいないし、それを平気で言う神経もどうかと言われた側は思いますよね。
仮に上司からそう言われても、「はい、わかりました!」と、素直に応じようにも、どう応じたら良いかわからないくなります。
だって、
頑張り方がわからなくなっているのですから。
「じゃあ、結局、どうすれば、純粋に頑張れるようになるんだよ!」
知りたいのはそこですよね。
頑張り感をやめて、目的と行動を一致させる
目的と行動を一致させる。
これに尽きます。
では、そのためには何を知り、どう行動すればよいのか?
それは次回書くとして、
「頑張り感を出してしまう自分を変えたい」
そう思っている方は、
まずはそんな自分のことを知って、
自分から信頼の置ける人にそんな自分を変えたいのだと言うことをきちんと話して、
事実、自分はどうなのか?
端から見て、「頑張り感を出してしまっているのか?」を聞いて、
「それはどんな時か?」
「じゃあ、どうすればいいと思う?」
そう言う質問をしてみるといいと思います。
そして、
そういう質問に対しては、友人、知人は必ず真摯に向き合ってくれます。
いつも冗談しか言い合わないような相手でも、真剣にあなたのことを考えてくれるでしょう。
なぜなら、その質問には、
あなたの本気が現れるからです。
「自分の本当の今の状態を知りたい」
と、願うあなたの本気が相手に伝わるからです。
それほど、自分のことを晒すのは難しいのです。
それほど、自分のことを知るというのは、大変なことなのです。
自分ほど厄介な生き物はいません。
まずは、そのことを知ることです。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
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風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。