転職や退職を躊躇するのは、年齢という壁があるからではないでしょうか?
歳をとるとなかなかいい仕事が見つけられないからという思い込みがありませんか?
例えばうちの奥さんは40代後半で会社員になりました。
ところが、奥さんにはお金を稼ぎたいという欲があまりなく、すぐに退職することになります。
奥さんにはいつでもすぐに就職できるという自信があるから、転職は怖くなかったし、すぐに新しい仕事を見つけることができたのです。
仕事をやめる要因は別の思い込みにあったのです。
今日の記事は、年齢は就職の壁にはならない、壁になるのは自分の本当の気持ちだということをお伝えしたいと思います。
転職するには遅すぎる?
茜さんは、38歳で出産しました。
産休を経て、それまで勤めていた職場に復帰しました。
しかし、マタハラを受けていた上司(妊娠を機に退職を強要)から、今度はパワハラを受けて(子供の発熱などで早退願いを申し出るたびに、暴言を浴びせるなど)、退職に追い込まれました。
ちょうど、40歳。
子供が一番、手のかかる時期です。
「子供が小さいうちは家庭にいた方がいい」
茜さんの母親はそう主張していました。
確かに、年齢的にも再就職は難しい。
子供は運良く保育園に通っていましたが、それでも退園時間は午後7時15分までです。
仮に再就職できても、フルタイムで働くことはやはり難しい。
そうなると、再就職はできません。
子供の手がかからなくなるまでは、働くことは諦めて、専業主婦になるべきか?
でも、そうすると、再就職しようと思った時には40半ば。もっと、難しくなる。
はて、どうすべきか?
いやいや、そこで悩むような女性ではありません。茜さんは。
なぜなら、
彼女には「専業主婦」という、その選択肢だけはないからです。
ん?
どこか、おかしい?
確かに!
夫のいる女性であれば、専業主婦は、必ず選択肢に入るカテゴリーのはず。
でも、彼女には何をどう考えても、専業主婦という職業は、選択肢にはありませんでした。
理由は、
「人間は外で働く生きものだ」
と、いう強いも考えがあったのも確かなのですが、
「私は家事が好きではないし、料理を中心とした家事全般だけでなく、夫や子供サポートという激務をこなす専業主婦という状態にある自分を全くイメージできない。だって、外で働く方が楽だもん」
だから。仮に自分が専業主婦になってしまうと、
「外に逃げたいと、いう思いがますます募って、働きたくても働けない、というストレスを宏や音の責任だと押し付けてしまう可能性がある。だから、わたしは専業主婦をやってはいけない人なのだ」
と、確固たる自信?があったのです。
これこそ、思い込みではなく、”己を知る”と、いうことなのかもしれません。
だから、彼女には、
「激務である子育てを中心とした家庭の仕事は、夫婦が協力して同じ負担量で行うものだ」
と、いう一環とした考えもありました。
「わたしは茜さんの何倍も稼いでいるのだから、その分、何倍も茜さんが子育てをするべきではないのか?」
そんなことを言おうものなら、彼女は烈火のごとく怒り、
「子育ての割合も収入の割合によって決まるの?それ、どういう理屈?一見、理にかなっているように聞こえるけど、そんな理屈はただの屁理屈であって、全然、理にかなってないからね。それ、ただの職業差別だからね」
結局、彼女は全日制のインテリア学校に1年間、通います。
「え?お金を稼ぐのではなくて、お金を使うの?1年間も?」
「投資投資。自分への投資よ」
で、学校を優秀な成績で卒業して、あっさり再就職します。
しかし、そこも、
「社風が思っていたのと全然ちがう。向いてない」
と、あっさりと辞め、自分にあったまた違う会社へアルバイトとして働き始めるのです。
その会社への貢献度が評価され、社員へ昇格するも、またしても辞めてしまいます。
「今回は、もう少し我慢して頑張ってくれないかな?せっかく出世のチャンスも出てきたのに。もったいないよ」
一応、私も言いたいことは言いますが、茜さんは我慢しません。
そして、最近の茜さんの口癖は、
「わたしが働いてお金を稼いでくると、あなたが楽するもんね。それはどうかと思うんだよ。やっぱり、一家の大黒柱たる男は、ガンガン働いて、退路を断つ覚悟がなきゃ。だから、わたしは専業主婦になる!」
「今さらかい!!」
茜さんも、アラフィフ。
ああは言っても、本当は、今さら転職は難しいと、諦めただけなのでは、ないかい?
いいえ。
彼女は諦めません。
ああは言ったものの、自分の性格、自分のペースに合って、子育てに負担がかからない。そして、大好きな美術やインテリアに関わる仕事を密かに探していることをわたしは知っている。
少なくとも、彼女の語彙には、
「アラフィフで転職は難しい」
という言葉は全くございません。
つまり、彼女にとって、
転職に、年齢は関係ないのです。
社会復帰に、年齢は関係ないのです。
年齢は関係なのいのだから、20歳年下の上司に命令されても、素直に従うことができるのです。
言い換えれば、茜さんにとって、
年齢は、ブロック要因にはならないということです。
お金のブロック
しかし茜さんは、こと、お金を稼ぐということだけに関しては、全く縁のない人です。
今まで働いてきた会社は薄給な会社ばかり。それなりに出世すれば昇給もあり得るという会社に就職しても、昇給前に辞めてしまう。あと、少しだけ我慢すればボーナスがもらえるとわかっていても、そのあと少しが我慢できない。
わたしが、
「もらえるものをもらってから辞めても遅くないよ」
そう言っても、その言葉は茜さんには全く響きません。
それは、彼女が、
「お金を稼ぐために働くということに興味がない」
そう思い込んでいるからです。
それが、思い込みだということに気づいたのは、つい最近のことです。
就職しようと思えば、簡単に就職できる。アラフォーを過ぎても、彼女が転職に苦労する姿を見たことは一度もありません。
しかし、どういうわけか、収入には恵まれない。
「だって、それは私が就職条件に待遇を考慮してないから。やりたい仕事を選んでいるからだと思うよ」
彼女はそう主張します。
「それなのに、どうして長続きしないんだろうね?」
「やっぱり人間関係のトラブルが大きな原因だと思う。そうなった時、私は言いたいことを言うし、正しいと思うことを主張する。でも、それじゃあ、会社員を続けていくことは難しい。正しくないと思っても、従わなければいけない時もある。それが会社員だよね」
「果たしてそれだけだろうか?」
「他に何があるの?」
「人間関係とは全く関係のないところで、他に不満は本当になかったの?」
「う〜ん。無理やり考えたらないことはないけど…」
「たとえば?」
「自分がやりたいと思った通りのことができないとか。でも、それは会社組織だから仕方ないんだよね。企画を通すためにはいろんな手続きが必要になるしね。自分一人ではできないことばかりだし」
「そうだね。他には?」
「他に?う〜ん。そりゃあ、言えばきりがないよ。どんなに効率よく仕事をしても、営業成績が一番になっても、あれだけ残業をして会社に貢献しても、できない男性上司よりベテラン女性社員の方が給料が少ないって、やっぱり理不尽だと思うんだよね。あれじゃあ、一人暮らしの女性は生活していけないよ。ああいう理不尽は納得できないというか」
「つまり、待遇が悪すぎた?」
「そうだねー」
「給料が低すぎた?」
「でも、それは言いたくないんだよね。お金のために働いていたって思いたくないし」
「茜さんが、就職したい条件に優先順位をつけたらどうなるの?」
「1番はやりたい仕事ができるのかどうか。2番目は、会社の雰囲気。面接に行った時の感じとか、その会社がどういう雰囲気を持っているか?3番目は、就業時間。やっぱり子供がいるわけだから、残業は出来ないし、土日祭日出勤も難しいよね。4番目は、給料かな?でも、給料で選んだことは一度もないかな。選んでたらもっと稼げてるよね(笑)。今まで待遇のいい会社いっぱいあったもん。でも、仕事が好きになれなかった。あとは、通勤時間とか」
「今まで、何回も会社を退職してきたけど、もし、同じ仕事で給料を倍もらっていたらどうしてた?やっぱり辞めてた?」
「う〜ん。どうだろうね〜。仕事に見合った分だけもらってたら辞めてたのか?ってことだよね。考えたことなかったな〜」
「そうだね」
「う〜ん。辞めてなかったんじゃないかな〜。」
「給料が良かったら辞めてなかったかもしれないんだよね」
「そうなったことがないから、わからないけど。高給だったら辞めないよね。多少のことは我慢したかな。たぶん」
「てことはだよ。仕事を辞めた理由は、本当に人間関係だけだったのだろうか?」
「だけってことはないかもね。やっぱり、給料が少なかったことも影響してると思う。やっぱり、お金はたくさん稼げた方がいいに決まってるもん」
「それなのに、仕事を探すとき、待遇や給料の優先順位は、どうしてそんなに低いのだろうか?」
「それはやっぱり、私たちの世代は多いと思うよ、そういう人。給料で仕事を決めたり、給料が少ないって不満を言うのは意地汚いって。そんなこと言うもんじゃないって親から言われたでしょう?宏もそうでしょう?」
「言われた言われた。就職活動も、お金で選ぶなって。お金の話はするなって。品性を欠くって」
「そういう世代だよね。だから、お金は二の次だって、ずっとブロックがかかってるんだよね」
「そう!そこだよ。ブロックがかかってるんだよ。だって本当は、お金、たくさん欲しいでしょう?」
「たくさんはいらない。せめて労働に見合った分は頂きたいってこと。搾取されるのは嫌」
「つまり、たくさん欲しいんだよね」
「たくさんっていう表現には抵抗あるな〜。たくさんって、なんか卑しいよね」
「卑しい?たくさんもらうことが?身近にいるお金持ちの人を見て、卑しいと思う?」
「思わない。なんでだろうね。でも、自分が、たくさん欲しいって思うことが、なんか卑しく感じてしまうんだよ。仕方ないんだよ。そういうブロックがかかってしまっているから」
「そうだよね。それもブロックなんだよね。ブロックさえ、取れればいいんだよね」
「取れるかな?」
「取れるよ。取りたいと本気で思えば」
「ブロックが取れたら、変わるかな〜?」
「ブロックが取れたら、確実に変わるよ」
行動に移すのに、一瞬、躊躇してしまう年代
そうです。
茜さんは、お金のブロックを取り除く必要があったのです。
茜さんに限らず、40代以降の世代の人たちは、アナログの時代からデジタルの時代へとものすごいスピードで時代が移り変わっていく変遷の真っ只中を生きてきました。
その過程で、20年まで常識だったことが、いつの間にか非常識になっていたり、我慢や目立たないことが美徳とされ、教えられてきたことが、ただの古くさい慣習と言われるようになり、どんどん時代から置いてけぼりを食う感覚を、身を持って思い知らされた世代でもあります。
例えば、
face bookで仲の良い友人でもない人と繋がるのが苦手ではないですか?絵文字やtwitterの使い方がいまいち把握できていない?Lineは既読スルーが怖いから未だに参加できない?(これ、私です)自撮りにものすごい嫌悪感を抱いてしまう?
こういう方が、たくさんおられます。
そして、40代にして、
「再び社会に出たい。もっとももっと自分はお金を稼ぐことができるし、そのポテンシャルを持っている」
と、自分では思っているけれど、
「お金をストレートに求めることには抵抗がある」
そのジレンマの中で、結果、
「お金は稼ぎたいけれど、そのために、自分自身をどのようにアピールすればわからない」
そうなってしまっていませんか?
「自分をアピールすることができない」
今、この文章を読んでおられる方は、
「これからお金をたくさん稼げるようになりたい。その方法を教えてほしい」
と、望んでいるはずです。
”社会復帰=お金”
この意識が明確なはずなのです。
「まっすぐ、お金に向き合える自分になりたい。そのためには、どうすればいいのだろう?」
もっと、わかりやすくいうと、
社会に復帰する=新しい自分に生まれ変わりたい=お金をしっかり稼げる人になりたい。
と、いうことだと思うのです。
もしくは、
社会に復帰する=もう一度やり直したい=少なくとも、以前と同じくらいは稼ぎたい。
そう考えておられる方もいるでしょう。
ここで、明確にしなければならないことがあります。
上記の二つとも望んでいる。「どっちもどっち」と、いうわけにはいかないということです。
自分の望みが、
「新しい自分」
なのか、
「もう一度、やり直す自分」
なのか、どちらなのかを、明確に自覚しなければならないのです。
「社会復帰のために新しい自分」
に、なりたいのであれば、 ブランクの間に過ぎ去った時間を取り戻すのではなく、苦手なSNSを使いこなせるようになる方が確実に有利だし、全くべつの分野の人たちと交流をした方がいいのかもしれない。
「やり続けていた仕事にもう一度、復帰してかつての自分と全く同じように働きたい」
と、思うのであれば、失われた数年間を埋める作業をしなければならないのかもしれません。
細かいことですが、一つ一つを明確にしていくのです。
自分が本当に求めていることは何なのですか?
そこを明確にしないと、お金を今以上に稼ぐというスタート位置には到達できません。
だから、
「社会復帰して、お金をもっと稼げるようになりたい」
のであれば、極論は、
給料の良い仕事、会社を探せばいいだけです。
「でも、給料の良い仕事を選んでいたら、自分のやりたいことは見つからない」
その通りです。
「やりたい仕事では、給料の良い仕事には就けない」から、悩んでおられるんですよね。
二兎を追える人は、そもそも悩みません。二兎を追いたいけれど、二兎を追えば一兎も得ず。に、なってしまうのを恐れて、悩んでるんですよね。
だから、そのような方は、まず最初に、
一兎を追いましょう。
そのためには、
自分の中にある価値観と社会の価値観を一致させる必要があります。
「自分のやりたいと思っていることから復帰したい」
のであれば、収入に関しては、ひとまずは考えず、やりたいことをやらせてくれる、やりたいことができる仕事を探すべきでしょう。
ただ、
「それだと、以前と同じように、多くの収入が望めない。結局、また、同じことの繰り返しになってしまう」
もし、そう考えてしまうなら、やりたいことへのアプローチを今まで違ったものに変える必要があるでしょう。
「石の上にも三年」とか、「好きこそ物上手なれ」とか、「お金は後から付いてくる」とか。
歴史のある言葉は、真理を突いてます。
その哲学を信じて長期計画で、やる道を選ぶとか。
たとえば、就職という道を捨てて、
フリーランスでやれるだろうか?
とか。
そうしろと言っているのではありません。
頭の中は自由です。
まずは、もっと頭を自由に、あらゆる可能性を信じて、イメージしてみるのです。
わたしは、よく空を自由に羽ばたく自分の姿をイメージしています。
「空だって飛べるのです。できないことはない」
まるで子供の夢のようですが、たったこれだけのことで、
「できるかもしれない」
簡単にそう思えるようになるのです。
つづきは、風宏の「心の冷えとりコーチング」とは?15 アラフォー転職問題をご覧くださいませ。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
心の冷えとりコーチングはこちらもご覧くださいませ。
風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。