奥さんのお母さん(私の義母)は、完全に奥さんの心をコントロールしていました。そのコントロールは、結婚後も続き、奥さんはそれが当然のことと思ってきました。
今日の記事は、親との関係にお悩みの方に向けて、私の奥さんと友人の例をあげて、お話ししたいと思います。
人生は自分のものです。コントロールから抜け出して、幸せになるには、自分から変わらなければならないのです。
奥さんのお母さんから聞かされてきた言葉
「男は釣った魚には餌をあげない。結婚したら、絶対に浮気をする。料理を作って、待ってても勝手に外で美味いものを食べて外でお酒を飲んで帰ってくる。それが男。だから男のために家事を覚えるなんてことはやめなさい。あなたが働いて、家事をする人を雇うのがいい」
「子供ができても、家事も子育ても手伝ってはくれないよ。男はますます自由になって、女はただの召使い。男はいいよね、小さい頃はお母さんが全部身の周りのことをやってくれて、大人になっても妻がやってくれる。女は、小さい頃はお母さんがやってくれていたのに、ある日突然突き放されて、雑用係になる。女が家事はやって当たり前のこと。誰も感謝もしてくれない。夫だけでなく子供の召使い。ますます自由がなくなるくらいなら、子供なんていなくてもいい」
「あなたたたち姉妹は、きちんと勉強をして会社に就職して、安定した生活を送って、決して男の召使いにならないように。男よりも優れた人になるんだよ。ダメな人間でも、男というだけで優遇されている社会で抜きんでて生き抜けるように。男は男であるだけで優れているというのは嘘なんだから。女の方が絶対に優れている」
茜さんの母親は、呪いの呪文を唱えるように茜さん姉妹の耳元で囁き続けました。
「お母さんはどうしてそういうことを言うの? 男よりも女が優れているというのなら、お母さんがそうすればよかったじゃない? どうして私たちにそうさせるの?」
「おばあちゃんが私に働くことは恥だと言ったのよ。昔はね、女が働くということは恥ずかしいことだったの。特に田舎ではね。働きたくても働けなかった。だから、おばあちゃんの束縛から逃げてきたのよ」
「その時に働けば良かったじゃないの!自分ができないからというからって、私たちに押し付けるなんて!」
「わたしはおばあちゃんにやられた辛い仕打ちをあなたたちにやってきたつもりはないわよ。料理や針仕事や家事を命令したことなんて一度もないでしょう!家にはお金がないのに、少ない家計をやりくりしてあなたを大学まで行かせてあげたのは、誰のおかげだと思っているの?わたしでしょう。」
「・・・。」
「あなたの妹はわたしに似ているから大丈夫だけど、あなたはお父さん似だから信用できないのよ。働き出してお金が入った途端に自由になって、自分だけのためにお金を使うようになる。だから何度も何度も言い続けるしかないのよ。」
「信用していないのね?」
「そうよ・・・」
義父と義母
結婚前、義母はわたしたちの結婚には反対でした。
それは、わたしが会社員を辞めてフリーのライターになったきっかけで結婚を申し込んだからではありません。そもそも結婚に反対なのです。だから、わたしが会社員であろうが、フリーライターであろうが、関係ない。
「あなたはお父さんに似ているんだから、結婚生活に向いてない。宏さんはいい人かもしれないけれど、結婚してもいい人のままだとは思えない。そんな男、いないんだから」
茜さんは大学卒業後、すぐにでも結婚して家を出て行きたいと思っていました。
理由はたった一つ。義母がやったことと同じ。
「実家から逃れたい」
父は相変わらず酔うと暴れて母を叩き、茜さんが止めに入ると茜さんを叩く。妹は地方の学校で一人暮らしをしていたので、家の中はこの3人だけでした。
父親の暴力が手のつけられない状態になると、わたしが駆けつけることもありました。
でも、わたしが到着する頃には酔いつぶれて寝ているか、静かにおとなしく本を読んでいるか。
わたしの前では、この義父は決して、乱暴な姿を見せないのです。
二人で飲んだことも何度かありました。その度に、
「なんで茜なんだ?あの女のどこがいいんだ? 家事も何にもできないんだぞ。男のような女だぞ。お前さん、女を見る目がないな〜。もしくは、相当の変わりもんだな〜」
「お義父さんと同じですよ」
そう冗談で言うと、
「お前さん、案外わかってるね〜」
そう言って、嬉しそうに笑っていました。
「家の中では女3人に男は俺一人。あんな連中と一緒に酒飲んでも楽しくないだろ? 俺は息子が欲しかったんだよ。でも、あいつ(義母のこと)は女しか生まなかった。ダメな女と結婚したもんだよ俺は」
「でも、男が生まれるか女が生まれるかは、女性ではなくて男性の精子によって決まってしまうという説もありますよ。女の子しか生まれなかったのは、お義父さんの責任じゃないですかね〜」
「おいおい!そういうつまらん話するなよ〜。お主、男の会話ってのがわかってないんじゃないか? 男はそういうくだらんことは言っちゃあダメなんだよ。気持ち良く酒を飲ませるのが義息子の役目だろ」
「女がダメダメっていつまでも愚痴ってる男の方がよほどかっこ悪くないですか?そんなにオトコオトコって言うんだったら、外で遊んでもいいですけど、家にはちゃんとお金を入れて、どんなに酔っ払っても女には手を挙げちゃあダメでしょう?クズですよそれじゃあ」
「まあ…、まあな。お主は偉いよな〜。フリーで文章書いて生きてるんだもんな〜」
「お義父さんなんてエリートじゃないですか?僕は大手新聞社なんて入りたくても入れなかった口ですから。落ちこぼれだからフリーでやっていくしかないんですよ」
「周りから見れば俺はエリートかもしれんが、全然ダメだよ…。俺の人生こんなんじゃなかったんだけどな…。本当は、お主みたいに俺もフリーで世界を飛び回りたかったんだよ」
「なんですかそれ?そんなのただの無い物ねだりじゃないですか。現状が満足できないからって、ただないもののせいにしているだけじゃないですか。やりたい仕事ができない。息子がいない。手に入らないものを嘆いてどうするんですか?そうやって酒飲んで愚痴って最後は弱い者に暴力ですか?」
「相変わらずきついな〜お主は。まあ、茜を頼むよ。あいつは俺に似ているから大変だぞ。普通の女とは全然違うぞ」
「だから面白いんじゃないですか」
「娘ができたら大変だぞ。家に男の居場所なんてないんだから」
そう言って、最後はいつも酔いつぶれて、外で飲んだ時にはわたしがおぶって連れて帰ったこともあります。
わたしと二人きりになると、案外素直なところもあって、
(話せばわからない人でもないんじゃないかな〜?)
そう感じるところもありましたが、彼の生活が改まることは一向にありませんでした。
義母は義母で、わたしに本音で話をするということは決してありませんでした。
義母はそれとなく、
「生活費は大丈夫なの?」
「フリーの仕事って毎月決まったお給料は出るの?」
「仕事がない時はどうしてるの?」
世間話のように聞いてくることはありますが、わたしの回答に対して、
「ふ〜ん。そうなの。大変ね〜」
そう曖昧に相槌を打って、決して自分の本音は言いません。
わたしたち夫婦が家事を分担し、茜さんを何一つ拘束せず、職を転々としても彼女の意思に任せているわたしのことがどうしても理解できなかったのかもしれません。
わたしが家事をやることを逆手にとって、茜さんには、
「あなたは本当に何もできない。仕事もできないし家事もできない。そんなんじゃ離婚したら大変だよ」
わたしのいないところでは茜さんに、常にそう囁き続けていたそうです。
「でも、お母さんが料理なんてできなくてもいいって言ったんじゃない!仕事をしたことがないくせに何がわかるの!」
そう反論すると、
「それはあなたたちがいたからでしょう!ロクでもない父親のせいで、少ないお金をやりくりして、わたしが一生懸命家事をやっていたからでしょう。もし外で仕事ができてたら、あなたがやっている仕事くらい簡単にできたし、あなたみたいに簡単に辞めたりしなかった。とにかく、離婚したらいつでもわたしのところに戻ってきなさい。料理や家事はわたしがやってあげるから。あなたは働いて家にお金を入れればいいのよ」
結婚して10年経った頃、一度だけ義母は茜さんにわたしのことを褒めたそうです。
「料理のできる人でよかったね」
その一度だけ。
「なぜあのときああ言ったのか忘れたけど、その言葉はよく覚えてる。へ〜、この人が人を褒めることがあるんだ〜って思ったもん」
金銭の囚われ
「うちにはお金がない、お金がない」
そういう言葉を自分の母親から聞かされて育った義母の口癖も、
「お金がない」
でした。
そう囁き続けた義母に茜さんは結婚後もずっと仕送りを続けていました。両親にではなく義母に対してだけです。
「お父さん、結構稼いでいるんじゃない?うちなんかより全然お金あると思うんだけど…。お母さん、株だっていっぱい持ってるって言ってたよね」
「でも、お金ないって言うんだもん。『あなたのうちは共働きだし、東京に住んでいるんだから』って」
茜さんの祖父が亡くなったのは15年ほど前。職場の工場で倒れてそのまま亡くなったのです。遺言はなく、工場は長男が副社長として働いてはいたものの、実質ワンマン経営で全てを一人でやっていたので遺産相続で骨肉の争いが起こることになります。
葬儀の真っ最中、義母の妹(三女)が、葬儀そっちのけで絵画やツボなどを勝手に持ち出してどんどん車に積み込んでいました。
それをたまたま見たわたしたち夫婦に、
「金目のものは、今日のうちにとっておかないと全部なくなっちゃうよ」
満面の笑みを湛えた目は、まるで狂人のようでした。
(お金は人をここまで狂わせるのか…)
その行為をさすがに義母は咎めていましたが、わずかに残ったプライドもそこまででした。
工場は多額の借金で担保に入っていて、倒産を免れない状況に陥っていました。20名ほどいた従業員は路頭に迷うことになりました。
工場の実質ナンバーツーだった長男が借財を全て相続し、工場や祖父が残した資産を売却して返済。それでも、かなりの遺産が残りました。遺言がないので、それを祖母と4人の姉弟で相続することが決まります。
つまり、祖母が50%、姉弟で12.5%ずつ。
しかし、祖母が自分の持ち分を放棄し、全て長男に生前贈与する手続きを取ったのです。ただ、祖母は長男夫婦と同居しており、祖父の残した借財も全て長男が返したということもありますから、端から見れば当たり前のように思えます。
しかし、義母と三女の二人が訴えを起こしたのです。次女は長男と祖母に説得されて、遺産相続を放棄し、長男に生前贈与していました。
裁判は数年に及びましたが、最終的には姉妹たちの全面勝訴。結果、祖母の遺産を姉弟で三等分することになりました。
義母はかなりの資産を手に入れましたが、祖母や弟とは絶縁。茜さんも長男から「今後一切の関係を絶つ」と一方的に言われます。
しかし、彼女は、祖父の一周忌に一人で参列します。姉妹の親族は茜さん一人だけでした。
多額の遺産を手に入れた義母でしたが、茜さんに金銭を要求することは忘れませんでした。
そもそも、裁判で義母が遺産を手に入れたことを知ったのも、長男からでした。義母は、その事実を娘たちに隠していたのです。
遺産を手に入れた後も、茜さんの前では、
「お金がないお金がない」
と、言い続け、その事実を隠していました。
数年前、祖母が亡くなりましたが、義母は葬儀に、
「行かない!」
茜さんは義母に、
「行かないと一生後悔するよ」
そう何度も説得してようやく連れて行きます。一緒に裁判で争った三女は現れなかったそうです。
そして、そのタイミングで義母は家を出てマンションで一人暮らしを始め、義父との離婚を裁判所に申し立てます。
その裁判に5年を要し、ようやく離婚が成立したのが5年前でした。財産を50%分与するため義父の資産を凍結。
そして、妹夫婦がマンション購入のための資金を半分だし、妹夫婦と同居するようになったのです。
妹夫婦は最初は同居に難色を示していました。再婚したばかりで新婚生活を二人だけで過ごしたいと考えていたからです。
しかし、義母は、
「わたしに一人暮らしはできない。寂しくてつらすぎる。体を壊してボケてしまうかもしれない。わたしの面倒を見て欲しい」
そう妹に懇願したそうです。しかし、妹夫婦の生活はまだ安定してません。経済的には私たち夫婦の方が安定していたので、
「一緒に住んでもいいよ」
茜さんはそう提案しますが、義母は、自分の言いなりにならない茜さんとの同居を拒みます。妹夫婦に、
「マンション購入資金の半分を出す」
という飴を与えて同居にこぎつけます。といっても、半分を義母が現金で頭金を払い、残りのローンはすべて妹夫婦が払い続けるので、負担は大きい。
これが後々、茜さんと妹の関係を難しいものにしていくことになるのです。
義母の毒に妹夫婦が汚染され
つまり、今後、妹夫婦が母親の面倒を観ることになったわけです。
経済的に安定してない妹夫婦に義母の財産を当てにする気持ちがあったのは事実でしょう。マンションの頭金も現金で出してくれたのです。お金を持っているはずです。
しかし、義母は、妹にも自分の資産のことは一切何も言わない。
「頭金を出したからもう私にはお金はないのよ」
そういうばかりです。事実、期待したような生活費をカバーしてくれるような額を出してくれない。
「本当にもうお金はないのよ。私たちより茜夫婦の方がいっぱい持ってんだから」
妹は、義母の毒に汚染されていきました。
茜さんはずっと仕送りを続けていました。
「わたしは、ずっとお金で両親が喧嘩するのを見てきたから、お金でもめたくないの。お金で解決できるんなら、それでいいじゃん。損して得を取れって言うし」
だから、わたしも茜さん母娘の関係については一切、関与しませんでした。
しかし、義母と妹は茜さんを決して自由にはしてくれません。
義母は、ことあるごとに、茜さんに、
「あの二人、経済的に結構苦しいみたいなのよ。お姉ちゃんなんだから、なんとかしてあげたら?」
「あなた東京に住んでいるんだから、あの二人にもっといい仕事を紹介してあげて」
「もし経済的に苦しくなったらあなたが助けてあげて」
今度はそう言った囁きが始まりました。
はっきり言って、妹夫婦はかなりの浪費家でした。ご主人は趣味のギター(5本以上所有)や格闘技にお金を使い、CDやDVDやゲームソフトをコレクションし、リビングは子供のおもちゃで溢れていました。
そのことを指摘すると、
「ストレス解消することも大事だから」
わたしは、ここに来て初めて茜さんに言いました。
「もう仕送りしなくてもいいんじゃないの?」
それでも茜さんは、仕送りを続けました。そんな時、突然、妹が仕送りの増額を申し出てきたのです。それにはさすがに茜さんも困り顔でした。
「茜が言えないんだったら、わたしが言うよ」
そう言って、妹に電話をしました。すると妹は、
「お義兄さんには関係ないでしょう!これは、わたしたち家族の問題なの。お母さんとお姉ちゃんとわたしの問題。勝手に入ってこないで。お姉ちゃんに電話するように言って!」
茜さんは電話しませんでした。妹から電話がかかってきても出ません。
「妹はお母さんに頼まれて言わされているだけだと思う。お母さんと一緒に住む前はあんな子じゃなかったのに…」
茜さんは義母に言います。
「お金を増やせってどういうこと?」
それに対し、義母は、
「あなたたちの喧嘩にわたしを巻き込まないで。わたしは関係ないんだから」
「わたしは一体、いつになったら自由になれるんだろう…」
友人の鬱
茜さんは本当に強い人です。
物心ついた頃から、家庭の中で穏やかで静かな時間を過ごすとか、一家団欒とかというものを経験したことがないから、いつの間にか免疫ができていたのかもしれませんが、もし、同じことが他の人に起きたら、かなり精神的な痛手を早い段階で受けていたかもしれません。
わたしの友人、椿さん(仮名)は、ずっと鬱病の治療を受けています。
彼女は、その原因について、
「自分自身の心が弱いから」
と、自分を責めていますが、わたしはそうではないと思っています。
彼女は50歳近くになった今も、母親と関東近郊で同居しています。ずっと独身で母子二人だけの生活。数年前まで、母と二人で父親の介護をしていました。
彼女の鬱の原因は、この介護鬱でもありません。
かつて椿さん一家は東京の一等地の一戸建てに住んでいました。比較的、裕福な家庭です。彼女は、大学卒業後、大好きな服飾関係の仕事につきます。ブランドショップの売り子です。彼女はこの仕事がとにかく好きで好きで仕方がありませんでした。好きなブランドの好きな服に囲まれて仕事ができる。それが、彼女の最大の幸福でした。
その大好きな仕事を母親から奪われてしまったのです。
それがすべての原因でした。
続きは、毒親に育てられた娘と母の相互依存3母親介護で早期退職は正しいかをご覧くださいませ。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)