いじめはどうしてなくならないのでしょう。人は弱きものをくじくものなのでしょうか?
自分の子供がいじめられた体験をして、いじめる側の子供をよく観察した結果、いじめっ子は親から、暴力、暴言、嘘をつかれていることがほとんどということがわかりました。
かわいそうにと思いますが、その子が自分の子供をはけ口にしていることは許されるべきことではありません。
今日の記事は、いじめっ子側の親の態度を考察し、いじめは親の責任であるということについて考えてみたいと思います。
いじめるのは、本人が親からいじめられているから?
前々回、音の保育園時代のお友達のヒロ美ちゃん、カズ子ちゃん、ナツ子ちゃんのことについて書きました。(ママ友と子供のいじめ6)
もう一度、復習したいと思います。
ヒロ美ちゃんは、音がすぐに謝るというところにつけ込んで、音の苦手なことや、失敗したこと、人より劣っているところを巧みについて、音から「ごめんなさい」という言葉を引き出してチクチク攻め立てる。
しかし、そんなヒロ美ちゃんは、はたから見て、決して幸せそうには見えません。ママは仕事を優先させ、パパは、「子供に興味がない」と公言する。だから、音は、私に「学校には来ないで。パパが来たら、後でヒロ美ちゃんに意地悪されるから」と頼む。音の頼みだからと、私は学校に行かなくなる。音は本当は来て欲しいのに、意地悪をされたくないから来ないでと言う。
これこそ、不幸の連鎖です。
不幸は、こうやって伝染するのです。
また、ヒロ美ちゃんは、ことあるごとに、人前でママから「この子は愛想がないし、かわいくない」と、言われ続けました。その反面、「家族思いで、弟の面倒をものすごくよく見てくれる。本当に優しい子なの」とも。
この二つの言葉は矛盾するように聞こえますが、ヒロ美ちゃんを巧みに誘導する話術のようにも聞こえます。「愛想が悪い。かわいくない」と言って、ママはヒロ美ちゃんに鞭を与え、「そう言われたくなかったら、愛想よくしなさいよ!」なのか、「女は見た目じゃない! だから、他のことで発奮しなさい!」と、ハッパをかける。ちなみにヒロ美ちゃんは美人です。でも、「あなたはとっても優しい。弟思いの子」と持ち上げ、自分が仕事で十分にできない弟の子育てをヒロ美ちゃんに分担させる。
事実、ヒロ美ちゃんは、いつも弟のことをかわいがっています。
それを、ただ子供に言うのではなくて、人前で言う。
これは、ただ叱る。ただ褒めるというのとは、違って、明らかにプレッシャーをかけているわけです。
そうやって、ママは巧みにヒロ美ちゃんのことをコントロールしている。
そういうつもりなのかもしれません。どんな時でも、子供は親の期待に応えようとしますから、ヒロ美ちゃんは、ほとんど笑わないけれど、弟の面倒をよく見る。勉強もすごくできる。
しかし、常にプレッシャーにさらされるヒロ美ちゃんの心が穏やかになることはありません。つい先日も、音はヒロ美ちゃんからこんなことを言われました。
音は歌が下手です。音痴です。音楽の時間、みんなで歌を歌いました。授業のあと、ヒロ美ちゃんは、
「ねえ、音ちゃん。音ちゃんが歌うたびに、男の子、みんな音ちゃんを見てクスクス笑ってたの知ってた? みんな音ちゃんのことバカにしてんだよ。でも、仕方ないよね。下手すぎるもん」
それに対して、音は、こう答えたそうです。
「ホント? やったー! ウケてたんだ。わたしの思ったとおり。やったね!」
「違うよ。ウケてたんじゃなくて笑われてたんだよ。歌が下手すぎて」
「うん。知ってるよ。だって、わたし音痴だもん。パパにいつも言われているもの。でも、歌ってると気分がいいし、それに、みんなが楽しいんだったら最高じゃん!」
「バッカじゃないの!」
そして、音は、わたしにこう言ってました。
「もしかして、意地悪じゃなくて、ヒロ美ちゃんのママみたいにわたしを励まそうとしてるのかな〜?」
もし、本気で音がそう思ったのだとしたら、ヒロ美ちゃんママの想いは、ヒロ美ちゃんから音へと、確実に伝染していることになります。
「励ましてくれてると思った?」
「いや、ぜんぜん」
「じゃあ、なんでそう思った?」
「親が言うから、人にもあんなこと言うんだよ。てことは、ヒロ美ちゃん、いつも親から意地悪なこと言われてるんじゃないかな〜。でも、普通は、親は自分の子供に意地悪しないよね。なんであんなこと言うのかな〜って考えたら、励ますことしかないじゃん。励ましてるつもりかもしれないけど、間違ってるよね〜」
10歳の子供でも、もう、これくらいのことは考えているのです。
親からのプレッシャーを消化できない子供は、どこかで、吐き出さなくてはならなくなります。どこに、吐き出すのか?
自分より、弱い相手にです。
親に反発できない子供は、別のところにその反発が違う形となって現れます。
自分より弱い相手に、いじめといういびつな形で。
ちなみに、音は、自分から「歌を習いたい」と、言い出して、歌を習っています。
「今度からお風呂は一人で入る」
そう言って、毎晩、お風呂で歌の練習をしています。
学芸会で独唱する担当があったので、立候補したそうです。
「ええ〜?! それは、さすがに無謀だよ‥ ね〜」
「どうせ歌うなら一人で歌いたいじゃん」
もちろん落選しましたが。
”いじめ”に関しては、これらもたくさんたくさん経験すると思いますが、とりあえず、音は、伸び伸び生きてます。
親が子供を「叩く」は伝染する。
親から暴力を振るわれた子は、やっぱり暴力を振るう確率が高いと思います。
統計を取った訳ではありませんが、わたしの子供の頃からの経験、わたしの周辺を見渡しても、やはりそう思うのです。
それが、殴る蹴るといった激しい暴力でなくても、母親から、ちょっと、叩かれたといった感じの軽い感じでも、同じです。
全然、痛くもない。習慣的に漫才のように子供の頭を叩いていたとしましょう。子供も叩かれて笑っていたとしましょう。だから、その親子間で頭を叩くということは、暴力じゃない。体罰でもない。あくまで親子のコミュニケーションの一環だと。
それを、肯定する親御さんは、きっとたくさんおられると思います。
「そんなもん、会話と一緒だよ。でも、友達を叩いたらいけないときちんと教えていますよ」
そうおっしゃったとしましょう。
言っときますけど、全然、説得力ありませんからね!
親が子を叩くのに、「友達を叩くな」?
全く、説得力がない。
だって、子供は、その程度の叩きは、許されると思っていますよ。親が認めているのですから。
あなたの息子が、冗談で、「なに言うてんねん!」とか、芸人の真似をして友達の頭をパーン!と叩く場面に遭遇することを想像してください。
ふざけてやっていることだとわかっていたとして、叩かれている友達を見て、なんとも思いませんか?
叩いている息子を見て、どう思いますか?
「ツッコミうまいな」「おお。やっぱり親子だな。叩いとる叩いとる」
って、感心します?
どんなに仲が良くても、冗談でも、ネタの練習でも、子供同士の叩く姿、叩かれる姿を見せられるというのは、気持ちの良いものではない。
それが正常の感覚だと思います。
もし、「なんとも思わない」「それくらいだったらいいと思うけど」
そう、思っておられるのなら、明らかに、そんなあなたの感覚は異常だと思っていい。
想像力がなさすぎます。
自分が叩かれたときのことを思い出してください。
自分が100パーセント悪くて親に叩かれたときのこと。先生に叩かれた時のこと。上司に軽く頭を叩かれたときのこと。友達から蹴りを入れられたときのこと。
「気持ちいい〜」
って、思いましたか?
わたしは、正直、どう思ったか?
「叩くやつの方がバカだ!」
って、思っていました。どんなに、真剣に自分のことを思ってくれて叩いてくれたのだとしても、人を叩く人間を心の底から信用することはできない。
そう思っていましたから。
父から叩かれたとき、
「口で言えばわかるのに、なんで叩くんだ?」
そう思いました。
中学生のとき、大好きな先生に叩かれたとき。どんなに自分が悪くても1対1の場面では決して叩かなかった先生が、全校集会で何人かを立たせて(もちろんわたしもいました)一人一人ビンタをしていった時、
「なんで、こんなパフォーマスをするんだろう。こんなんじゃ誰も反省しないよ。バカじゃん」
そう思いました。
そんなわたしも、かつて人を叩いたことがあります。蹴ったこともある。
中学時代、ボクシングやプロレスの真似事から、興奮してきて、
「お前が先に本気で叩いた!」「お前の手が先に当たった!」と、言い合いになり、本気の殴り合いの喧嘩になります。わたしのパンチが友達の左目に入り、大怪我をさせたこともあります。手にしていた学帽を振り回して相手を叩いたら、耳に帽子のつばが当たり、3分の1くらい切断させてしまったこともあります。
高校で演劇部の部長をやっていたときは、何度指導してもできない後輩を毎日怒鳴りつけ、蹴ってました。
音を叩いたこともあります。
今、思い返してみると、これらの行動のすべては、何一つとして、相手を思いやっての行動ではありませんでした。
自分の感情を満たすための行動です。
暴力で、自分が上だと認めさせる。
途中から泣かしたいと思うサディスティックな感情が沸き起こる。
自分で、自分の感情に興奮してくる。
つまり、
手が出た瞬間、制御が効かなくなっているんです。もしくは、制御が効かなくなったから手が出る。
「誰だってそうでしょう? 父親もそうだし、先生もそうなんだから」
わたしは、そう思っていました。
音が小さいとき、わたしは2度だけ音を叩いたことがあります。お尻を思い切り叩きました。
そのとき、思い知ったのです。
「わたしは、叩いた瞬間、音のことを心から思って叩いたのではない。感情に任せたのだ」と。
音は、わたしとの会話で、よくこんなことを言います。
「パパに怒られて怖かったベスト5(ワーストだと思うけど)はね〜…」
そして、自分が叱られたときのことを何度も口にして、
「あのときは本当に怖かったな〜」
思い出すように、自分に言い聞かすように何度も言うのです。しかし、叩かれたときの出来事は、ベスト(ワースト)5に入っていません。
「叩かれたときは怖くなかったの?」
「叩かれたときも怖かったけど〜、怖すぎて、なんで叩かれたのか全然思い出せないんだよね。叩かれたら痛いでしょう。泣いちゃったから全部忘れちゃったんだよ」
つまり、
反省したくても、反省なんてできないんです。叩かれた衝撃で覚えてないから。叩かれた瞬間にその前のことが全部吹っ飛んでしまったから。
これも、娘ができて、父親になることができたから気づくことができました。
だから、親は気付かなくちゃいけない。
体罰は、何も生まないということを。
学校での先生から子供への体罰は是か非か?
”非”です。
わたしは、断固として、「体罰は良くない!」
はっきりと申し上げます。
その答えは、やっぱり、
伝染するからなんです。
たとえば、
一人の生徒が喧嘩をして、自分より弱い友達を一方的に殴った。
これは、もういじめです。
先生が、いじめた生徒を”愛のムチ”と称して、愛情を持って断腸の思いでビンタした。そのあと、思い切り抱きしめてあげた。金八先生のように。
叩かれた生徒は、生まれて初めて叩かれた。親にも叩かれたことがなかったのに、叩かれたことがとてもうれしくってうれしくってたまらなかった。
「先生は、こんなに僕のことを思っていてくれたんですね。せんせ〜!」
お伺いします。
昔のドラマ以外で、こういう光景を見たことがあるかた、どれくらいいますか?
おそらく、見たことがあるかたもいるでしょう。
「自分がそうだった。あのとき、先生に叩かれたから更生できたんだ」
そう仰られる喧嘩に明け暮れていたヤンキーだった方もおられるでしょう。でも、そういうのを、わたしは、
”奇跡”と、呼んでいます。
そういうあなたは、たまたま幸運だったのだと思います。
では、ほとんどの場合は、叩かれた生徒はどう思うか?
「なんで、叩くなって言ってる奴が叩いてんだよ。弱いものをいじめるなと言っている奴が、権力を武器に弱い者を叩いてるじゃねえか。おまえ、言ってることとやってること、むちゃくちゃだよ」
そう思うんじゃないでしょうか?
少なくとも、先生に叩かれた生徒は、
「自分が叩かれた理由と同程度の理由があるなら、叩いてもよし」
そう思うと思いますが、いかがでしょうか?
「体罰も必要だ!」
そう主張される方々は、たまたま、叩いた側と叩かれた側の間に天使が舞い降りる奇跡に遭遇したに過ぎず、その奇跡は誰にでも起きると勘違いされておられる。
子供は、叩かれれば萎縮するか、反発心を生む。自分を叩いた人間に恐怖を感じることはあっても、黙って従うことはあっても、心から尊敬することはありません。
だから、体罰はやめましょう。
教師の仕事は、教育です。
教え、育てるのです。
心と体でぶつかって教える。
全身全霊で教えるということです。
叩いで、痛みを体に植え付けることではない。
体罰は教育ではない!
親の「嘘つき」も子供に伝染する。
子供の嘘も伝染します。
そう、親から。
親が、嘘を当たり前のように子供についていたら、子供もそりゃあ、当たり前のように嘘をつきますよ。
「親が付いている嘘と同じ程度の嘘だったら、全然ついても構わない。だから、わたしは悪くない」
そう思うのが子供です。
「でも、子供の嘘は単純ですから、笑えるからいいよね」
そう言っておられるのも、小学校に上がる前くらいまででしょうか。
今の子供の嘘は本当に巧みです。
「全く疑いもしなかった」
そういう嘘が実に多い。
「お父さんいないから‥。死んじゃったんだ」
その手の嘘をつかれたこともあります。こちらはびっくりして、その後の言葉が継げないくらいショックを受けます。
「知らなかった。ごめんね」
そう言うしかない。その数日後に、その子供が父親と一緒に歩いていました。普通に、
「◯◯の父です」
と、挨拶をされました。その横で、子供は普通にしているんです。あの時、わたしに嘘をついたこと、覚えてないのかな?
仮にそうだとしたら、「大丈夫かな?この子」と、心配になります。覚えていてその態度なのだとしたら、ちょっと怖い。
でも、残念ながら、後者の場合が多い。
そんな時、この子の親は、この子の心の暗部を果たしてわかっているのだろうか?
かなり心配になります。
それとなく探ってみると、まあ、当然、わかってない場合の方が断然多いのですが、仮に、わかっている場合。
わかっていても、そういう親は、ほとんどそれが問題だと認識していない。
「子供なんだから嘘くらいつきますよ」
的な、ことをよく言います。
でも、
子供っぽい嘘と、子供っぽくない嘘は、全然性質が違います。
そこを放置すると、子供の嘘はどんどんエスカレートしていきます。
本人でも嘘か真実かわからなくなってくるようなパターンも出てきます。
これは、とても恐ろしいことです。
本当に本当にとても恐ろしいことなのです。
例えば、
こういう人、あなたの周りにもいませんか?
嘘がいつの間にか、真実になってしまっている人。
わたしがお世話になっている業界にもたまにこういう人はいます。
一つの例です。
雑誌が、発売されたその日、クレームの電話が来たのです。
それは、
「取材は受けたが、記事に書かれたようなことは一言も言ってない。訂正してほしい」
と、いうものでした。担当したその年に新卒で採用された記者に確認すると、
「その男性は間違いなく記事に書いたとおりのことを言いました。取材ノートもあるし、録音もしています」
そう言うのだから、全員、記者の言うことを信じます。しかし、そのことを伝えても相手は、
「それはありえない。そもそもそんなこと言ってないし、全く逆の意味になっている。きちんと調べてくれ」
そして、上司が直接、取材録音テープを聞いたら、やはり、相手は、記事に書かれたようなことを一言も言ってないのです。
そこで、記者に改めて確認すると、
「彼の言葉はとても回りくどくてわかりにくかったので、わたしなりに解釈して彼のコメントとして記事にしました」
「つまり、取材相手は、このコメントに書いたことは言ってないんだな」
「でも、それを言っていることと同じです。わたしは読者にわかりやすく書いただけです」
「それを捏造というんだよ!」
「違います。彼は、明らかに、わたしが話を聞いた時は、そういうニュアンスで言ってたんです」
彼は、最後まで捏造を認めません。
つまり、彼の中では、全く嘘をついてないのです。
これは、ものすごい衝撃が広がりました。
本人に全くうそをついている自覚がないのか、それとも、嘘をついたということを隠すためにそのように振舞っているのか、誰も全くわからないのです。
全く新しい人種でした。2005年頃のことです。
ジェネレーションギャップ以上の衝撃でした。
「こういう嘘もあるんだな。これからは、取材をするにあたって、そこまで相手をしっかり見極める洞察力も必要になってくる」
そう感じたことを覚えています。
あれから、10年。
高度な嘘にも低年齢化が進み、ママ友が被害を受ける嘘も、ますます巧妙になってきています。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。