12歳くらいまでの子供の命運は、両親が握っていると言っても、過言ではありません。
特に母親の影響は、男の子だろうと、女の子だろうと絶大です。
言わずもがな、です。
だから、
間違いなく、母親が願ったとおりの子供になります。
今日の記事は、子供の前で子供の欠点を平気で言う親や子供が好きではないと公言する父親の話を例に子供のことを考えてみたいと思います。
子供は母親の願った通りの子供になる
お母さん!
赤ちゃんのころからどのように子供に接していたか、思い出してください。
子供に、どのような言葉を毎日かけていたか、思い出してください。
子供のいないところで、周りの友達やママ友に自分の子供のことをどのように言っていましたか?
「うちの子ってね、実は………」
たとえばです。
子供本人には、
「あなたは本当に家族思いの、とってもいい子だと思う。わたしはあなたのことが大好き。あと、もうちょっとだけ愛想が良かったら、ママうれしいんだけど」
そう言って、ママ友には、
「うちの子、全然愛想ないんだよね。可愛げがないっていうかさ〜。人見知りっていうかさ〜。はっきり言うと、かわいくないのよ。性格だね、あれは」
と、言っていたとします。
すると、子供は、見事なまでに母親の期待に応えて、
人見知りで可愛げのない、愛想のよくない性格を守り続けます。決して、愛想のよい子供にはなりません。
それに対して、あなたはこう言うでしょう。
「そんなこと、願ってないし、期待なんかしてない。直してほしいだけなのよ。直してほしいから、ママ友にも話したんだし」
もちろん、そうでしょう。でも、あなたがそう心から願っていたのだとしても、あなたが、
”子供の可愛げのない愛想のないと思っている状態”を肯定し続ける限り、その想いは子供に通じ、子供はその状態を保とうとします。
「あと、もうちょっとだけ愛想がよかったら」=「あなたは愛想が悪いのよ」=「ママはうれしくない」=「ママはあなたが子供でうれしくない」
そう宣言していることと同じだと気付いていますか?
だから、
「かわいくない」と口にすれば、その「かわいくない」状態を子供は必死で守ろうとするのです。それが、子供なのです。
子供は、いつでも、ずっと、常に、親の期待に応えようとする。それを、純粋に願い、純粋に実行に移す。どんなときでも親の様子を伺っています。
だから、あなたが、子供に直接言った言葉ではなくても、あなたが、いつも子供に対して思っていることは、子供に伝わってしまうのです。
あなたの心の声は、子供に聞こえていると思った方がいい。
子供も意識を持って、
「ママはわたしのことを人見知りだと思っているから、人見知りのままでいよ〜」
と、行動しているのではありません。本当は、
「ママが期待するきちんと挨拶のできる子供になりたい」
そう思っています。でも、その意識にプレッシャーがかかりすぎて、そう思えば思うほど、その状態を保つ方向に力が働いてしまうのです。
思い出してみてください。人前でスピーチをしなければならなかったとき、絶対に間違えてはダメなところで必ず間違える。
絶対に遅刻してはならないとプレッシャーを強く感じると、なぜか遅刻してしまう。
それが、大人ならまだ克服する手段をあれこれ考えることができますが、子供はコントロールする術を知りません。それに抗う方法も克服する方法もわからない。
簡単にその状態に服従してしまいます。
子供の欠点をなんとか直してあげたい。そう思うことを否定しません。その方法をいろいろ考えてあげるのも、親の愛情です。
でも、それを口にするのは止めましょう。子供のいるところではもちろんですが、子供がいないところでも。
「うちの子はダメなんだよね〜」
あなたが口にすればするほど、あなたの言葉通り、子供はどんどんダメになっていきます。
見た目が似ていても、中身が似ているとは限らない。
ヒロ美ちゃんのママ、ヒロ子さんは、口を開けば必ずこう言っていました。
「音ちゃんはかわいくていいな〜。ヒロ美は全然かわいくないからさ〜。愛想が悪いっていうかさ〜。なんであたしに似なかったんだろう?」
わたしの横には音がいる。ヒロ子さんの横にはヒロ美ちゃんがいる。そんな状況でのセリフです。
「音ちゃん、今日の服とってもかわいいね。いつもおしゃれだし〜」
「ありがとう……」
そう音が答えると、
「挨拶もきちんとできるし〜。全然ヒロ美と違う。ねえ(ヒロ美ちゃんに向かって)、あなたも音ちゃんにみたいにちゃんと挨拶しようね」
「ヒロ美ちゃんもいつもおしゃれじゃないですか!ヒロ美ちゃんのその服、ちょ〜かわいいじゃん!」
わたしはいつも慌ててフォローする。でも、そんなのフォローにもなんにもなりません。ヒロ美ちゃんは当然、わたしの言葉を無視するし、ニコリともしない。
当たり前ですよね。ニコリと笑って、
「ありがとう!」
なんて、言えるわけがない。その時の彼女の傷を想像するだけで辛い。自分の子供の前で平気でそういうことが言えるママの心理がまったく理解できませんでした。
本人を前にして、
「そういうことを言わないでください」
とも、言えない。音も、二人と別れたあとで、
「ヒロ美ちゃんママ、なんであんなひどいことを言うの? あれじゃヒロ美ちゃんかわいそうだよ。音ちゃんも本当は『ありがとう』って言いたくなかったの。だって、ひどいと思ったから」
4歳5歳の女の子でもわかるようなひどいことを、なぜ、母親は言うのでしょう?
「自分も親からずっと同じことを言われてきたんじゃないかな?」
これが、茜さんの回答です。
「でも、ヒロ子さんは愛想がいいし、けっこう美人だよね。学歴も職業も申し分ないくらい超一流でしょう。たまに保育園に来ていたおじいちゃん、おばあちゃんを見ても、とても穏やかそうな方だし。とてもそんな風には見えないけど?」
わたしが感じていたことをそのまま、疑問符をつけて口にすると、
「ヒロ美ちゃんだって、かなり美人なんだよ。お母さんと顔そっくりじゃん。お母さんはいつも笑っているけど、ヒロ美ちゃんの笑顔、見たことないもんね」
「確かに。よくよく見ると、顔そっくりだね」
「ヒロ子さんは、自分も親から同じようなことを言われ続けて、その劣等感を発奮材料にして、努力で自分を変えた人なんだと思う」
「だったら、そんなこと言われた娘がどう思うか、わかるじゃん。だったら、なおさら言わないじゃん。わたしと同じ想いをさせたらかわいそうだって。そう思うんじゃないの?」
「普通はね。でも、彼女は不屈の精神を持っているんだと思う。めげなかったんだと思う。だから、ヒロ美ちゃんにハッパをかけてるつもりなんだと思うんだ。自分がこの方法でやれたんだから、娘もできるはずだって」
「そうなんだ…」
「そうじゃないと、まったく理解できない。わたしにも言うんだよ。ヒロ美ちゃんの目の前で。『音ちゃんはかわいくて明るくていいな〜』って。ヒロ美ちゃんに聞かせるように。だから、わたしは会うたびに、あの人が口を開く前にヒロ美ちゃんを褒めてあげてたの。でも、あの人は必ずそれを否定する。だから、もうヒロ子さんとは口を聞くのはやめようと思ったの」
子供に興味を持てない父親
ヒロ美ちゃんの不幸はこれだけではありません。
お父さんは、教育に携わるお仕事をしています。たくさんの子供に多くの夢や目標をもたせてあげることが彼の仕事です。その彼と何度か飲む機会があって、その度に、彼は、自分の夢を熱く語ってくれました。
そんなある日。5、6人で飲んでいた時、彼が、こういうことを言い出したのです。
「風さんは、音ちゃんのことが本当に大好きですよね?」
「もちろん。世界で一番好きですよ。なんで?」
「いや〜。これ、マジな話なんですけど。ぼく、娘に興味ないんですよね〜」
「は?」
「変だと思われても仕方ないんですけど。全然かわいいと思わない。顔とかそういうことじゃないですよ。興味が持てないんです」
「だって、子供たちに教えてるじゃないですか」
「生徒はものすごくかわいいんです。ずっとずっと、こいつらと一緒にいて、応援してあげたいって思えるんですけど、自分の子供のことはなんとも思わないんですよ。やっぱりおかしいですよね」
「おかしいっていうか……」
決して、子供の前で口に出してはいけないことがある!
「おかしいっていうか……、それ……、ぼくたちを信用してくれているから、誰もに言えないことを吐露しているんですか? それとも、飲むたびにそういうことを言ってるんですか?」
「周りには、けっこう言ってますね。他の親はどうなんだろうと思って」
「みんな、なんて言います?」
「頭おかしいって言われます。でも、事実だから仕方ないですよ。どうしても興味が持てない」
「興味を持ってみようと、努力してみる気持ちはあります?」
「う〜ん。どうですかね〜……」
「あの〜。一つ、言ってもいいですか?」
「はい」
「そういうことは、どんなに心の中で思っていても、決して口に出してはいけないと思います。お酒の席だから、心情を吐露したいと思う気持ちはわかります。もちろん、わたしも秘密にしていたことをついついポロっと言ってしまうことはあります。でも、映画の『男はつらいよ』の寅さんも毎回、言ってますよね。『それを言っちゃあおしめ〜よ〜(お終いよ)』って。お父さん、それを言ったら、父親としてお終いですよ」
「そうですよね〜。風さんもやっぱりそう思いますか〜」
「でも、わかるな〜俺。その気持ち」
黙って聞いていた一人の男性が口を開きました。彼にも娘さんがいますが、ものすごく仲がいいことはみんな知っていました。
「たまにあるもん。こいつがいなかったら、もっと自由に遊べたのに、とか、転職できたのにって」
「ありますよね〜」
ヒロ美ちゃんパパは、味方を得たように声をあげます。
「そういうのだったら、確かに俺もあるけどね」
「まあね、確かにね。あるある」
次々と他の男性もそういう声をあげる。そして、最初のヒロ美ちゃんパパの告白が、肯定されたような空気になっていきました。
(おいおい、ヒロ美ちゃんパパの話とみんなの話は全然次元が違うぞ)
なぜ子供の前で決して、口に出してはいけないのか?
なぜ、口に出してはいけないのか?
もう、おわかりですよね。
彼は、「子供に興味を持てない」という、自分の想いを口に出して、自分にそれを事実として言い聞かせ、自分を肯定しようとしているだけだからです。
「子供に興味が持てない」「全然かわいいと思わない」
そういう言葉を口にすることで、「子供に興味のない自分」の存在を再確認し、それでも、やっぱり、
「興味が持てないんです」と、改めて肯定している作業に過ぎない。
彼は、最初からわたしに意見を求めているのではなくて、改めて自分の想いを肯定するために口にしているだけなのです。
だから、努力してみる気持ちがあるのかどうかを聞いても、「う〜ん、どうですかね〜」。つまり完全否定です。まったく努力してみる気がないという気持ちの現れた言葉です。
彼は、たくさんの知人から、否定されたでしょう。わたしが言ったようなことは、散々言われたはずです。
自分でも、「父親として、失格だ」と、いう自覚はある。自覚はあるから、いろんな人に聞いて回るのです。
でも、今回のように、肯定してくれる人も必ず一人や二人はいる。そこで、
「あ、自分は変かもしれないけど、自分だけじゃないんだ。そうだよね。こういう人間はいくらでもいるさ」
もう完全に肯定です。
彼は、それでいいのかもしれない。
でも、彼が父親であることは間違いありません。彼のヒロ美ちゃんに対するその想いは、間違いなくヒロ美ちゃんに届いている。
そこまで、考えて欲しいのです。
ヒロ美ちゃんは、きっと父親になにも言わないのだと思います。
「一回、学校に来て!」「次は来れるの?」
最初は言っていたかもしれません。でも、おそらくですが、今はなにも言わないでしょう。
あとになって、
「あのとき、ちゃんと見てやればよかった」
もし、そう思う日が来たら、どうしますか? そこから、やり直しますか? お父さんが、そう思ったとき、子供は喜んでくれると思いますか?
子供のときになにも期待できなくなった子供が、大きくなってから、親になにを期待するというのでしょう。
子供は、あなたが、願った通りの子供になる。
子供は、父親のことなど、まったく興味がなくなるでしょう。
この言葉を肝に銘じてほしいのです。
ママ友が欲しくてもできないママへ
実は、わたしは茜さんに、たくさんのママ友を作ってほしいと願っているパパでした。
その理由は、わたしの母が、まったくママ友のいないママだったからです。
わたしの母は専業主婦でした。実家の商売の手伝いには行ってましたが、毎日忙しいというほどではありません。
でも、わたしの記憶には、幼稚園のときも、小学生のときも、友達がママと一緒に家に遊びに来たという記憶がまったくありません。逆に、わたしと母が一緒に友達の家に遊びに行ったこともありません。だからといって、非社交的であるとか、人嫌いというのでもありません。むしろ逆。社交的すぎて、人が好きすぎて一緒にいて恥ずかしいくらい。
でも、ママ友は一人もいなかった。
なぜだと思います?
そういう概念がなかったからです。
子供は歩き始めたころから勝手に家の外で遊んでいたし、3、4歳くらいから、勝手に一人で公園に行ってました。すると、いつもその辺にいる大人がなんとなく子供の様子を見守ってくれていました。
母親が公園に同行する必要性がまったくなかったのです。
子供のことでわからないことがあれば、誰かご近所の人に聞けば事足りていました。幼稚園や小学校で、親が出向く行事は年に2、3度しかありません。親同士がコミュニケーションをとる機会もゼロに近かった。そもそも田舎なので、友達の家とも離れている。
「ママ友欲しいと思った?」
母に聞いてみました。
「ママ友ってなんね?」
そう聞き返されました。
でも、それは、すべて昔も昔、大昔の時代の昔話です。今は、やっぱり、公園にはママが同行します。砂場やブランコ、滑り台の周りには、子供達の遊びを見守っているママがたくさんいて、その中には楽しそうに談笑しているママもいれば、一人、ポツンと離れて立っているママもいます。
ママ友はたくさんいたほうが楽しいだろうな〜。
わたしは子供ができたころ、単純にそんなことを考えてました。
しかし、茜さんは、
「わたしはママ友つくらない派だから」
最初に宣言しました。
「つくらないの?」
「つくらないよ」
「寂しくないの?」
「今だって、そんなに友達いないけど平気だよ」
「子供のためにママ友をつくろうとは考えないの?」
「あのさ〜。今までもなかなか友達がつくれなかった人間が、子供ができたからって、公園に行ったからって、簡単に友達が作れると思う?」
「でも、情報交換とか、必要じゃない?」
「ネットがあるし、ママ友にならなくても、知っているママに聞けばいいし、どうしても必要な情報だったら、その道のプロに聞くのが一番だと思うよ」
「子供のために必要じゃないのかな?」
「子供のためにはまったく必要ない! ママ友がほしいと思っているママには必要だけどね。孤独を感じていたり、同じ境遇のママと和気あいあいと話がしたいと望んでいる人とか。あと、ハロウィーンとかクリスマスとか、家族だけじゃなくて大勢で楽しみたい人とかね」
「じゃあ、ママ友がほしいけど、作れないママはどうすればいいのかな?」
「う〜ん。わたしにはわからない。ほしいと思ったことないから」
つまり、わたしの周りには、「ママ友がほしいけれど、できないママ」がいません。
わたしはこう思うのです。
ママ友といえども、価値観や子育てに関する考え方や、経済的レベルがあまりに違うママと知り合いになっても、やはりうまくいかないと思うのです。
同じ地域に住んでいる。同じような生活時間で過ごしている。お互いに「そうそう!」と、言い合える価値観を持っている。プラス、同じくらいの年齢の子供がいるママ。
簡単にママ友といっても、これくらい、条件が一致しないと、やはりどこかで我慢をし、自分を抑えないと関係を保っていくのは難しいと思うのです。
たとえば、「生活エリアが近くて趣味が同じで、同じような年齢の子供を持つママ」を条件にSNSで友達を探すとか。
いまのわたしには、そういうことしか、思いつきません。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。