風宏の心の冷えとりコーチング PR

孫に勝手に食べさせる義母との嫁姑問題|風宏の心の冷えとりコーチング9

記事内に商品プロモーションを含む場合があります
SPONSORED LINK

嫁姑問題で嫁が快く思っていないことのひとつに、姑や舅がたくさん食べ物を買い与え、食べさせてしまうことがあります。子供の健康を考える奥さんとしては、それは許しがたい行為です。ましてや、アレルギーのある子供だったら、なおさら気をつけてほしいものですが、孫を甘やかす祖父母にはどうしてもそれは止められませんでした。

今日の記事は、アレルギーのあるうちの子供にダメだと言っても、どんどん食べさせてしまうことで起こる嫁姑問題についてお話します。

祖父母は孫に食べさせる生き物でも嫁はそれを許せない

 

じいじとばあばは、孫に食べ物を食べさせる生き物です。

いくら食べさせないように阻止しようとしても無理です。

だって、彼らだって食べさせるのに必死です。

それが彼らの仕事だからです。

食べ物さえ与えておけば、食べている間、孫の動きは止まります。その瞬間だけは、じいじとばあばを引っ張り回すことはできません。

腹一杯食べさせることに成功したら、あわよくば寝てくれるかもしれません。

そうすると、じいじとばあばには、愛らしい孫の寝顔を拝めるという、素敵な特典が待っています。

孫の寝顔を眺めながらお茶をすすって、午後のひと時をのんびり過ごせるのです。

だから、じいじとばあばは手を緩めません。

なぜなら、それが彼らの仕事だから。

とてもありがたいことなんですよ。

ご年配の方々は、人に食べ物を振舞うことが大好きですから。

(食べ物があまりなかった時代に育った人は、食べ物を振る舞うのが最高のおもてなしなのです)

本当にありがたいことなのです。

しかし、親は、彼らから、その仕事を奪わなければなりません。

なぜなら、それが、親の仕事だから。

「なんて酷い。なんて残酷」

あ、じいじとばあばの台詞です。

「食べ物を食わさないで、わしらに一緒に走り回って遊べと言うのか〜!?」

そうです。

そう言うのです。

だって、それが、じいじにとってもばあばにとっても、孫にとっても、一番身体に良いことだから。

 

でも、そんなメッセージ、通じません。

 

なぜなら、

彼らの仕事は、孫に食わすことだから。

これだけは、何度言っても聞かない

「だって、かわいそうやろうも。一緒にスーパーに買い物に行ったら食べたそうにしとるんよ。食べる?って聞いたら『食べたい』って言うんやもん。それで食べさせんのはかわいそうや」

「食べたい?って聞くからや! 食べたい?って聞かれたら『うん』って答えるよ。子供やもん」

「だって、食べたそうに見てるから、買ってやろか?って、聞いたら『買って』って言うんやもん」

「買ってやるって、言われたら、買ってもらうさ、子供だもん。子供はそういう生き物やんか。忘れたん?」

「あんたも、ばあちゃんによく買ってもらいよったやないの」

「そのたんびに、あんた、ばあちゃんに怒りよったやん。孫を甘やかさんといて!って。忘れたん?」

「わたし、怒りよったかいね。覚えとら〜ん」

 

まあ、これも、お決まりの会話ですね。

2、3日であれば、嫁も我慢するでしょう。

しかし、これがゴールデンウィークや夏休みで、滞在一週間くらいってなると、嫁も我慢の限界が訪れます。すると、またお決まりの、

「ダメやったら、ダメって、なんで最初にはっきり言ってくれんかったん? 最初に言ってくれたらわたしも気をつけたのに」

と、こうなる。

だから、最初にはっきり言っておかなくてはなりません。

茜「お義母さん、いま、音には虫歯がありますから、甘いものは絶対にダメです。それに、アレルギーだから卵や牛乳が入っているお菓子もダメ。夕食後のお菓子や果物も出さないでくださいね。ぜん息が出ますから。お願いします」

母「そんなダメ、ダメ言ったら食べられるもんがなくなるやん。いくらアレルギーがあるって言っても、なんでも遠ざけたらいいってもんやないんよ。免疫をつけることも必要なんよ」

茜「わかっています。もちろん、体調がいい時には食べさせています。そこは、わたしがきちんとやりますから、勝手にあげないでくださいね」

母「わたし、そんなひどいことできんよ。宏、あんたたちちょっと厳しすぎると思うよ。子供はお菓子が食べたいんよ。それを食べさせんのは、やっぱりかわいそうよ。そこは少し気持ちに余裕を持たんと」

宏「あのね、親が適当にしてしまったら、食べ物によっては重症化してしまう場合もあるんだよ。(アナフィラキシーという命に関わる症状で、音も一度なったことがあります)それが、アレルギーなの。おれたちも音に食べさせてあげたいんだよ。お菓子でも卵でもなんでも食べさせてあげたい。それができれるなら、やってるよ…」

母「はい、はい、はい。わかった、わかった。はい、はい、わたしが悪うございました。はい、もうなにも買いません。なにも食べさせません。お父さん、聞いた?わたしたち、なんもしたらいけんらしいよ。一緒にお菓子食べることができんで、なんが楽しいかね」

父「アレルギーやから仕方がないやないか! おまえは黙って従っとれ! 命にかかわるんぞ!」

 

そんな会話がどれだけ交わされても、彼らから大切な仕事を奪うことはできないのです。

f594d98b0844d77a86f26ceadac2d242_s

 

アレルギーの子供には食べ物NGがあるのを姑は理解できない

保育園には、3時のおやつがあります。

音ちゃんもみんなと3時のおやつを食べますが、卵、生クリームを使ったお菓子は食べることができません。本人もそれはわかっています。子供だってきちんとわかっているんです。

でも、せめて最初くらいは、みんなと同じ生クリームたっぷりのケーキをお皿に置いて欲しいんです。

一人だけ、乾パンのようなアレルゲンを除去したクッキーというのが、どうしてもイヤなのです。

だから、わたしたちは本人にしっかりと言い聞かせます。

「どうしても食べたくなったら食べてもいいけど、できれば生クリームはスプーンで避けて、食べてね。そうじゃないと、夜、ぜん息が出て苦しいよ。先生にも言っておくけど、できるんだったら自分で避けて食べて。できる?」

「うん、できる」

「よし、じゃあいいよ」

できなくてもいいんです。できなくて、食べてしまって、咳が出る。これも経験です。

なぜ、食べたらいけないのか。そこを本人にしっかりわからせてあげることが大切なのです。

保育園の献立を見て、ひとつひとつ、こういう確認をとって、できるだけ自分の意思で食べる食べないは、決めさせようとしていました。もちろん、保育士さんの監視付きですが。それくらい、食べ物には神経質にならざるを得なかった。これが、アトピー食物アレルギーの現実なのです。

ちなみにこの時、音ちゃんは、きちんと自分で生クリームだけ避けて食べることができました。

しかし、その日から、お友達から、

「音ちゃんは食べ方が汚い」だとか、

「出されたものをちゃんと食べない」とか、

意地悪なことを言われるようになりました。それでも、

「食べちゃダメなんだよ。身体に悪いものだから。ね、我慢しよ」

そう言うのではなくて、

音ちゃんがやったことは正しい。でも、辛かったね。今度我慢できなかったら我慢しなくていいよ」

そう言ってあげなければならない。

音ちゃんも本当は食べたい。食べたいのに、食べちゃダメだと親からも先生からも言われたから残したのに、残したら友達から「汚い」と、言われる。

こんな理不尽なことはありません。

でも、食べることはできないのです。

これが、アトピーや食物アレルギーの現実なのです。

 

悲しいかな、わたしの両親には、その苦労がわかりません。

 

わたしが、甲殻類アレルギーで、子供の頃、何度もアナフィラキシーを起こして病院に運ばれているのに、喉元過ぎれば忘れてしまうんです。

 

両親にとっても、3時のおやつは大事なひと時です。

今日1日が無事で平和である証でもあります。だから、マイセンのコーヒーカップに挽きたての豆で淹れたコーヒーをすすりながら、チョコやクッキーやら数種類の洋菓子を並べてゆったりとした時間を過ごすことが至福の喜びなのです。

我々が帰省しているからといって、その時間を放棄することはありません。だから、音ちゃんにはゼリーを事前に買って奥さんが用意します。

「やったー!音ちゃんも食べていいんだね」

そう言って本人は喜んでいる。「よかったねー」わたしがそう言い、

「ママ、ありがとう!」

本人も喜んでいる。そこで、ばあばが、

「そんなんおいしくなかろうも。こっちのほうがおいしいよ〜」

そう言って水を差す。音ちゃんは、当然、

「ちょっと食べてみたい」

そう言う。

「だから〜!」わたしが母に釘を刺して、

「ああっ、そうやった。音ちゃんごめんね。これは食べさせられんのよ」

で、やっと気がつく。いい加減覚えてちょうだい〜。でも、本人に覚える気なんてないから、結局は、その瞬間がやってくる。

そうスーパーで。

b7b59809c3b659d21448eb423daa9b03_s
母は、こういうのが大好き

孫に好きなだけ食べ物を与えたことから起こる嫁姑問題

 

夏休み、九州の気温は殺人的です。ご年配の方が、歩いて近くのスーパーに買い物に出かけるのは、ほぼ不可能。だから、必ず車を利用します。

「どうせ車を利用するなら、ちょっと遠くても大きなスーパーがいい」

って、ことで、巨大イオンに行きます。建物内は冷房完璧。散策するだけでけっこうな散歩気分です。トイザらスもあるし、子供服の店もいっぱい。特設コーナーもたくさんあってイベントも盛りだくさん。ありとあらゆるレストランが入っている。パン屋だけでも数店舗。試食だけでお腹いっぱいの世界。

東京生まれ東京育ちの音ちゃんにとっては、テーマパークです。

だから、じいじとばあばは夕飯の食材買い出しのために毎日イオンに行くし、音ちゃんを連れていきます。

音ちゃんをじいじとばあばに慣らすためにも、いざというときに二人に音ちゃんの面倒を見てもらうためにも、こういう瞬間は必要だとわたしたちは考えていました。だから、毎日買い物に連れていってくれるというのはとても有難かったのです。奥さんにとっても、気が抜ける時間だからです。

そう、わたしたちは気を抜いていました。

だから、最初は気付かなかったのです。

3人が戻ってきて、夕食の準備ができて、いざ「いただきます!」と、手を合わせても、どうも音ちゃんの食欲がない。

「音ちゃん、どうした?バテた?夏バテかな?」

「お腹減らないの」

「そうか〜。九州の味があわないのかな?」

最初はそう思っていました。

でも、実際は……。もうおわかりですね。

そうです。

イオンで、めっちゃ食べていたのです。

菓子パンにアイス。そして、試食の数々。

その結果、帰省して4日目か、5日目に、音ちゃんは夜中、猛烈なぜん息に襲われました。

そのとき初めて、音ちゃんはゲロッったのです。

「アイス毎日食べてたから〜とうとう咳が出ちゃった」

「どこで?」

「じいじとばあばと」

「イオンで?」

「黙ってたらわからないからって。パンもいっぱい食べた。ごめんなさい」

「我慢できなかったら仕方ないけど、咳、苦しいでしょう?」

「うん。もう、食べない」

でも、食べちゃうんです。

もう、音ちゃんにとって、イオンは、”美味しいものを好きなだけ食べられる場所”と、舌と胃袋が刷り込まれてしまったのです。

イオンに行けば、条件反射で、

「お腹が減った〜」

「なんで、さっき食べたばかりじゃん」

「そうなんだけど、ここに来たらお腹減るんだよね〜」

今年の夏の会話です。

『パブロフの犬』ならぬ、『パブロフの音ちゃん』です。

小さい頃に刷り込まれた『イオン=美味しいものいっぱい=食べる』が、未だに反応しているのです。

頭では覚えてないのに、潜在意識が、反応しているのです。

恐ろしいですね〜。

ちなみにこれ、じいじとばあばの得意技のようで、兄夫婦が子供を連れてきたときも、

「アイスを食べさせたらお腹を壊すので食べさせないでください」

と、いう笑美子(兄嫁・仮名)さんの言葉を無視し、毎日イオンでアイスを食べさせていたそうです。

「どんなに止めてくださいって言っても、やめてくれないの。本当にムカつく! しかもたくさん!!!」

そう憤っていた彼女の言葉を思い出しました。

 

yjimage
地元のイオン

責任がない子育てのいいとこ取りの姑、あとのことは嫁に

 

これは、おそらく、

 

じいじとばあばのゲームのようなものだと、わたしは解釈しています。

じいじとばあばにとっても、イオンはテーマパークなのです。

テーマパークに行く仲間が一人増えた。何も知らない仲間に「ここが楽しい」「これが美味しい」って教えたくなるんです。

そして、冷蔵庫の中のおやつを勝手に食べてしまうみたいに、わたしたちに内緒で孫とアイスを食べて、なにか秘密を共有しているようで、楽しくて仕方がない。

だから、わたしたちに叱られるのも、想定内。

わたしと奥さんに対する、小さな小さな反逆なのでしょう。

 

人生はゆりかごから墓場まで。

幼児  →  成人  → 老人 →  幼児 

 

なのだと思います。

 

だから、じいじとばあばは、孫とは遊ぶけれども、面倒はちっとも見てくれないのです。

友達とは遊ぶけれど、面倒までは見ませんよね。そんな感じ。

姑が頑なに拒むこと

赤ちゃんのとき、ばあばにいくら頼んでも、オムツを替えてはくれませんでした。

「わたし、紙オムツ替えたことないけね〜」

2歳のとき、初めてわたしと音ちゃんと二人きりで実家に戻った時、初日の夜にわたしは扁桃炎にかかり、翌朝39度の熱を出しました。

それでも、じいじとばあばは、音ちゃんの面倒を見てくれませんでした。

「あんたが赤ちゃんのとき、わたしは40度の熱があっても普通にあんたをおんぶして買い物に行ったよ」

そう言って、ご飯を食べさせてもくれない。お風呂に入れてもくれない。

その理由は、

「なんか、間違いが起きたら責任取れんから」

でも、外には遊びに連れて行ってくれるんです。イオンには。

扁桃炎二日目、まだ熱が38度ありましたが、突然、母が、

「音ちゃん、今日は白鳥見に行こうかね〜。大きな湖におるんよ」

「行く行く〜」

なぜか、わたしも行くことになり、車も運転させられました。

「なんだ?これ、修行か?気合いで治せってことか?」

おかげで、その夜には熱も引き、母は得意げに、

「ほら、治ったやろ。寝とっても治らんよ。熱があっても、ばんばん動かな」

と、息巻くのです。

 

絶対、お風呂にも入ってくれない。

「溺れさせるかもしれん」

寝る時も決して一緒に寝てはくれません。

「落ち着いて寝れんやろも」

 

「普通、おばあちゃんってもっと孫の面倒見るやろも!」

そう言うと、

「あんたが娘やったら見るかもしれんけど」

う〜ん、よくわからない。

 

音ちゃんのことは、可愛くて可愛くて仕方がないと言いつつ、

細々とした面倒は一切見てくれない。

たくさん食べさせたがるけれど、食べる手伝いは全然やってくれない。

 

姑にとって孫は”オモチャ”、その姿を見なければ腹が立たない嫁

男兄弟と女姉妹

 

要するに、

オモチャなのかな?

腑に落ちました。

オモチャは最初は楽しい。でも、必ず飽きます。

母は、必ず、私たちが帰省して3、4日すると、突然、スッと力が抜けたようになって、音ちゃんの相手をしてくれなくなるのです。

その変化に最初は戸惑いましたが、

「オモチャに飽きたのかな?」

そう気付くと腑に落ちました。

オモチャと言っても、”成長と学習するロボット”のように、とても高度なオモチャです。

家に届くと、かなり興奮します。

箱を開くと、想像以上のクオリティに大喜び。3日間、夢中になって遊びます。

しかし、悲しいかな、体力がありません。

疲れがピークになるのも三日目あたり。

四日目の朝、虚脱感が全身を覆います。

オモチャは、今日もテンションマックスでそこにいます。そのテンションについていけない。むしろウザい。

一気に興奮と熱が冷めてきます。

そういうサイクルが、わたしの母の中で起きていることに気づいたのです。

 

この読みは、見事に当たっていました。

 

その後も、母は、久しぶりに会うと大喜びで音ちゃんと遊びます。イオンに行き、食べさせたいものを食べさせていろんな場所に連れていきます。運転手はもちろんわたし。そして、四日目に電池が切れる。1日、ぼーっとして、5日目にようやく落ち着いた感じでゆったり過ごす。

 

ところで、奥さんはというと、

音ちゃんが生まれて最初の2年間は一緒に帰省していましたが、ばあばの食べさせ騒動以来、

「わたしも一緒に帰ってあの光景を見ると、また喧嘩になるから、もう一緒には帰らない。ご両親もそのほうがうれしいと思うんだ」

そう言って、ある時期から帰省しなくなりました。

 

だから、わたしの地元九州に帰るときは、常にわたしと音ちゃんの二人きり。

 

それが、奥さんにとってもじいじとばあばにとっても、すごく良い形だったのです。

 

ですが、

 

2011年3月、東日本大震災のあの月、その九州で、またまた、起こってしまったのでした。

”嫁姑問題”が。そう久々に…。

(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)

お話は続きます。

風宏(Kaze Hiroshi)
この記事を書いている人

風 宏(Kaze Hiroshi)

 風宏

心の冷えとりコーチ

冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。