子なし夫婦だから、嫁姑問題は解決できないと思っていたところに、子供を授かりました。しめしめ子はかすがいということで、私は嫁である奥さんと姑である母が子を介して仲良くなってくれるものと信じていました。
ところが、子育てを巡って、嫁姑問題はさらに激しい展開になっていったのです。子供の命を守るために、ついに私が嫁姑のいずれについたのかをお伝えしたいと思います。
赤ちゃんとの初対面でミスコミュケーションの嫁舅
音ちゃんが生まれたその日、”ばあば”となった母は、九州の病院のベッドに寝ていたという、まあ、なんともトホホなタイミングなのでありました。
このターニングポイントとなる肝心の”時”において、わたしたち、風・ファミリーには必ずミス・コミュニケーションが生まれます。そういう運命なのでしょうか?
これは、わたしと両親との間で起きる”ミス”であり、
嫁と姑の間で起きる”ミス”です。
こじれている関係が持続している限り、こじれの原因となる出来事が当然のように次々と起こる。
自分たちではコントロールしきれない何かに弄ばれているような……、そんな気がしてなりませんでした。
音ちゃんが生まれた翌々日に父は一人で上京しました。
この状況に関しても、
「すぐに来てもらっても、音ちゃんはほとんど新生児室にいるし、わたしも疲れていて気をつかえないかもしれないから、退院してから来てもらうことはできない?」
奥さんは、そう言ったのですが、
「ひと目見るだけやから。見たらすぐに帰るけ」
そういう父に、「来ないでほしい」とは、わたしは言えませんでした。
この時点で、すでにわたしと奥さんと父の間でミスコミュニケーションが起きていました。
父は一旦、わたしの家に荷物を置いて病院へ向かいます。
「いや〜、もちろんまだ笑わないしサルみたいなんだけど、やっぱり女の赤ちゃんってのはよくわからないね。華奢すぎて」
「よし、じゃあ俺が赤ちゃんの抱き方教えてやるわい。おれ、うまいんぞ。おれ9人兄妹やろが。子どもの頃、抱っことおんぶして両手につないで、弟や妹の面倒見よったんぞ。年季が入っとるけんの〜!ガハハッ!」
父も上機嫌です。
病院に着き、二人で最初に向かったのは、新生児室でした。
真っ先に、赤ちゃんを見て奥さんの病室に行こうということにしたのです。
しかし、
新生児が寝ている小さなベッドが、たくさん並ぶ部屋にやってきてガラス越しに中を覗くと、昨日まで音ちゃんが寝ていたベッドのあった場所だけがポッカリ空間ができている。
「あれ? いない。どこ行ったんだろう?」
「おらんのか?」
「うん。おらん。奥さんのところかな?おっぱいあげてんのかな?」
そして、二人で病室へ。中に入ってみると、奥さんは横になっていました。赤ちゃんの姿はここにもありません。
「赤ちゃんは?」
「あ、お父さん。すみません。わざわざ来ていただいたのに。音ちゃん、黄疸が出てしまって、いま、光線療法をやっているんです」
音ちゃんは、生まれてからの24時間、まったくおっぱいを飲んでくれませんでした。まったく吸おうとしないのです。当然、栄養不足に陥ります。そうなると、肝機能に負担がかかり、すぐに黄疸が出てしまうのです。
お医者さんから、
「明日になってもおっぱいを飲まなかったら黄疸が出るかもしれませんね」
とは、言われていました。
いわゆる『新生児黄疸』という症状で、比較的多くの新生児に出る症状なので心配する必要はまったくないのですが、この症状を抑えるために、応急処置として人工的に作り出した紫外線(光線)に長時間当てる治療を受けなくてはならないのです。
新生児の日サロです。
と、いっても、新生児はサングラスをかけられないので、両目を塞ぐ大きな目隠し(白いガーゼでできたアイマスクのようなもの)をして小さな日焼けマシンに入れられるのです。その時間、なんと1日中。
つまり、
茜「今日1日、顔をみることも抱っこすることもできないんです」
わたし「え〜っ!そうなん?おやじ、いつ帰るの?」
父「明日には帰らんといけん。お母さんの病院に行かな」
わたし「え〜っ!じゃあ、抱っこどころか会うことすらできないじゃん」
茜「すみません」
父「まあ、仕方ないわい。治療のほうが大事やけ」
茜「わざわざ来ていただいたのに、本当にすみませんでした」
父「いやあ、ええよ、ええよ。じゃあ、今度はお母さん連れてくるけ」
茜「本当にすみません」
そして、父はまた一人、背中に哀愁を漂わせ、九州に帰っていきました。
奥さんは、
「だから、退院してからにしてくださいって言ったのに」
「まあ、それは、わたしが断れなかったから。断っても来てたと思うけど」
「お父さん、ちょっとイライラしている感じだったね」
「そう? そんなことないと思うよ。それはちょっと考えすぎだよ。自分が名前をつけた孫に会えなかったから落ちこんでいただけじゃない?」
「それもあるだろうけど、ちょっとわたしにイライラしてたみたい」
「そうかな〜?だって仕方ないじゃん。あなたが悪いんじゃないし」
「おっぱいを飲まないから、音ちゃんの黄疸は、わたしのせいだと思ってるんじゃないかな」
「そんなことないって〜。考えすぎだって」
「でも、わたしに『お疲れさま』とか、『大変だったね』とか、ひと言も言ってくれなかった・・・」
ばあばと孫の初対面でのミスコミュニケーションの嫁姑
それから、ふた月後、再び両親がやってきました。母も無事、退院し、すっかり元気を取り戻していました。
二人は兄夫婦の家に泊まり、そこで2、3日孫と遊んで、最終日に我が家にやってきて赤ちゃんと初対面して一泊だけして九州に戻るというスケジュールでした。
ここまでは、なんの問題もありません。
両親も多少は反省したのか、
「何日の何時に最寄りの駅に着くから迎えにきてほしい」
と、前日にきちんと連絡を入れてきましたし、
「茜さんと赤ちゃんの具合によっては、泊まらんでそのまま帰ることになってもかまわんけ、ちゃんと言っておくれ」
母もそう言うのです。
「わかった。じゃあ、そこは茜に言っておくよ。いろいろわかってきたじゃん」
わたしがそう言うと、
「そりゃあ、初めて孫に会うんやもん。お互いに気持ち良く会いたいやろうも。あんた、茜さんに余計なこと言わんでよ」
母もそう言って笑っていました。そのときまでは…。
そして、当日。
駅までわたしが迎えに行き、両親がやってきました。
会うなり、父がものすごい勢いで咳をしています。しかも、痰が絡む非常に質の悪い咳です。
「どうしたん?」
「兄貴がの、風邪ひいとって熱出しての。それを移されたみたいじゃ。ゴホゴホッ」
「風邪ひいてんの?辛そうじゃん」
「大丈夫、大丈夫。風邪くらいどうってことあらせん。ゴホゴホッ」
「インフルエンザ、すごい流行ってるけど、兄貴、インフルじゃなかった?」
「明日、病院行くって言いよったけ、まだようわからん」
「インフルの可能性あるね。あの子かなり熱あったけ」
と、母。
「え〜?! だったら、おやじもインフルの可能性あるじゃん」
「ない、ない。ただの風邪じゃ。ゴホゴホッ」
「そんなんじゃ、赤ちゃんや奥さんに会わせられないよ」
「大丈夫、大丈夫。赤ちゃんには免疫があるけ、風邪うつらんよ」
と、母。
「うつりにくいというだけで、うつらん訳ないやろ?」
「うつらんよ」
「母親にうつるとやばいんじゃなかったっけ?授乳しとるときにうつったら。免疫力もないし」
「う〜ん。そうかもしれんけど、大丈夫よ」
「だったら、せめてマスクして。いますぐそこのコンビニで買ってくるから」
「ああ〜、おれはマスク好かん。あれやると、口のあたりがもぞもぞして気持ち悪いけ、気分悪うなる」
と、父。
「あたしもマスクは好かん。ね、お父さん。わたしもあんなんつけんよ〜。あんた、あんなんつけても意味ないわね。うつるときにはうつるわね」
と、母。
「でしょ!? うつるでしょ?もしインフルだったら大変でしょう? だから、せめてマスクしてくださいって言ってんの! あなたたちの都合はこの際どうでもいいの! 赤ちゃんのためにマスクをしてください。お願いします」
「わかった、わかった。じゃあ、赤ちゃんの顔だけ見て帰るけ。それやったらええやろ」
と、父。
「そこまでマスクしたくないの?」
「あれは気持ち悪いけの〜」
そして、3人でマンションまで歩き、二人には玄関先で待ってもらい、奥さんに事情を話します。
「ダメ。会わせられない。絶対に無理。申し訳ないけど帰ってもらって」
「……」
わたしはなにも言い返せず、両親のもとへ。そして、
「今日は無理だから、駅前のホテルをとるから、とりあえず、そこにチェックインしてもらって、近くに日曜でも観てくれる病院があるから、そこで観てもらって、大丈夫だったら会うってことでどうかな? 一泊してもらってゆっくりして明日に会うってことでもいいし」
両親には、とても冷たい態度に感じられたことでしょう。でも、これが、わたしにできる精一杯の譲歩でした。
しかし、この一言で、母はその場でしゃがみこみ、泣き出してしまいました。
「お父さん、帰ろ。ここまでないがしろにされてまで言いなりになることないよ。もう、孫に会うのは諦めよう。息子は嫁の言いなりやし。こんなんで会ってもお互いによくないよ」
「そりゃそうやの。宏、ホテルはとらんでええけ。わしらこのまま九州に帰るけ。悪かったの」
「もう、わたしたちがこの家に来ることはないやろ。孫に一目ですら会わせてもらえんのやもんね。昔のあんたはこんな冷たい人やなかったけどね。変わったね」
「ごめん…」
そして、二人は、赤ちゃんにも奥さんにも会わずに、九州に帰っていったのでした。
ただ、奥さんはこの時のことを思い出して、こう感じたそうです。
「初めて、宏がわたしの思いを聞いてくれた。そして、両親にはっきりと反論してくれた」
と。
奥さんが、そう感じるまでに、結婚して13年の時間がかかりました。
想定外が当たり前の嫁姑
奥さん的には、評価の高い、この、
わたしの判断はどうだったのか?
正しかったのか?間違っていたのか?
未だにわかりません。ただ、ものすごく辛かったのは事実です。
でも、これが、ある意味、わたしが両親に対して、毅然とした態度をとった生まれて初めての出来事だったのかもしれません。
結局、兄も父もインフルエンザではありませんでした。一晩ホテルに泊まってくれて、のんびり過ごしてくれていたら、翌日には晴れて孫に会えたのだろうと思います。それ以前に、マスクをつけてさえいてくれたら…。
しかし、そこまですることなのか? 会うだけだったら会わせてあげればよかったじゃないか。いちいち大げさにすることだったのか?
そういう思いも未だに自分の中にあります。
どれが正解だったのか、まったくわかりません。
わかっていることは、
いくらこちらが万全を期しているつもりでも、物事は、こちらの想定を遥かに超えてやってくる
と、いうことです。
そして、そうなってしまったら、
慌てます。
わたしは、性格的にも職業的にも、不測の事態に対して、かなり冷静に判断できる人間であるという自負があります。
事件取材で、取材対象者から暴力を振るわれそうになったり、拉致されそうになったり、写真を撮られて脅されたり、日本刀の抜き身を首に当てられたりしたこともあります。
そういった数々の経験から、修羅場には滅法強いという自信があります。
しかし、相手が家族となると、まったく話が違います。
わたしは社会では、仕事に自覚を持ち、責任を持ち、自信を持って向かい合えますが、
両親を前にすると、甘えた息子になり、兄を前にすると自信のない弟になり、奥さんを前にすると小さな夫になってしまいます。
社会では、想定外の出来事は、わたしのような仕事でも滅多に起きませんが、
家族内では、ことあるごとに起きます。
これは単純比較できることではありませんが、わたしにとっては、
仕事のほうが、家族より簡単なのです。
いざとなったら、
仕事は逃げることができますが、家族は逃げることができません。
それが、家族なのです。
家族だから、ややこしいし、難しい。
でも、わたしはいつも思っています。
想定外のことがおきることが当たり前なのだ。想定外のことが起き、大きな壁が立ちはだかると、その壁が、自分をまた、ひとつ、大きく成長させてくれる。
だって、
越えられない壁は、目の前に現れないのだから!
「それ、ほんとう?」
そう聞かれたら、正直、わたしだって、「ほんとうかな〜」って、自分を何度も疑いたくなります。だって、何度も何度も何度も何度もず〜〜〜〜〜っと、続くんですから。壁をひとつ越えてもすぐ目の前に次の高い壁が。それをやっと越えてもまたより大きな壁が。
でも、大丈夫。
ドミノ倒しと同じです。
最初に小さな小さなドミノをチョコンと倒しても、次に少し大きめのドミノだったら倒れます。それよりさらに少し大きなドミノだったら倒れます。そうやって、最初から大きなドミノを見てしまったら、無理〜って思ってしまうかもしれないけれど、ひとつひとつ、順々に少しだけ大きな壁を乗り越えていったら、その先にある大きな壁もいつか越えられるようになるんです。
だから、大丈夫。
越えられない壁はありません。
嫁姑問題は越えられない壁はない!そう信じるしかないじゃありませんか。
結局、両親と音ちゃんが初対面を果たしたのは、それから時が経つこと7ヶ月後のことでした。
このとき、両親は我が家に三泊四日しました。
両親と奥さんの会話は、すべて音ちゃん経由という感じでした。
そうです。音ちゃんが、錆び付いた関係の優れた潤滑油となって、我々の中を縦横無尽に駆け巡り、愛という紐で繋いでくれたのです。
娘の存在は、”愛の結晶”
孫の笑顔は、”平和の象徴”
じいじとばあばは、音ちゃんさえ見ていれば、音ちゃんさえ触っていれば、ずーっと機嫌が良い。
母は、5人姉妹の末っ子だし、男の子しか育てたことがないので、奥さんにアレやコレや言いません。要するに、大人しい。
父には妹が3人おりますが、面倒見たのなんて遠い遠い昔のことだから、
「おれは女の赤ちゃんの面倒は、よ〜見たんよ」
と、昔の自慢話をするだけで、それさえ、聞いてあげれば終始ニコニコしている。
そんな舅姑を見て、奥さんも機嫌がいい。
小さな子供を前に、余計な言葉はいらないのです。
とっても穏やかな、なんのトラブルも起きない3日間でした。
そんな月日が2年ほど続いたでしょうか。
唯一、穏やかだった2年間。
でも、その2年間は、休戦に過ぎなかったのです。
長い長い新しい戦いのための、力を蓄えておくための休戦に、所詮は過ぎなかった。
音ちゃんという、”愛の結晶”であり、”平和の象徴”を巡って、新たな戦いが繰り広げられるのです。
戦いは”嫁姑”から、”ママとばあば”の戦いへと移っていったのです。
”食べさせ星人”の姑と舅の襲来
なぜ、再び開戦してしまったのか?
その理由を最初に書いておきます。
これ、参考になると思うので。
音ちゃんが、おっぱいからミルクに変わって、離乳食、普通の食事と成長したからです。
つまり、音ちゃんが、大人と同じものを食べられるようになってしまったからです。
そうなると、どうなるか?
そうです。じいじとばあばの本領発揮です!
「音ちゃん、これ食べ。あれ食べ。ここにもあるよ。あ、こんなんもあるよ。そうだ、これも食べる?じゃあ、あれも食べよっか?よし、じゃあ、いっそのこと全部食べよっか?よしよし、ええ子やええ子や、食べる子は育つで〜。食べ食べ。ぜ〜んぶ食べ。食べて大きくな〜あれ!」
「やめて〜っ!だ、だれか〜っ!あの人たちを止めてください!食べさせ星人をどうか、音ちゃんに近づけないで下さ〜い!」
こういうことです。
食べ物は、いつの時代でも争いの根源です。もっとも原始的な戦いです。
じいじとばあばは、孫に食べさせたい生き物です。
母親は、子供の健康管理のために日夜、四苦八苦しています。特に音ちゃんのようなアトピーや食物アレルギーの子供にとっては、この管理は非常に重要なものになります。
アトピー食物アレルギーは一度でも間違った食事を与えてしまうと、命に関わります。
だから、奥さんは必死です。
奥さんだって、音ちゃんに卵アレルギーがなければ、ケーキやドーナツ、卵焼きや目玉焼きを食べさせてあげたい。
でも、食べさせてあげることができないから、そういうものが音ちゃんの目につかないように、極力そういう場所に近づかないように気を配ります。
夜に果物を食べさせると、体が冷えるので、夜中、ぜん息の発作が出ます。だから、夜の食事は体を温めるものと決めている。
そういう、ルールを知っておきながら、ことごとく、いとも簡単に破るのです。
誰が?
食べさせ星人が。
「さあお食べ。なんでもお食べ。たくさん食べる子は元気になるよ〜。大きくなるよ〜」
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
お話は続きます。
風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。