私の奥さんは、転職ばかりしてきました。アラフィフでも正社員になりました。彼女をみていると転職は簡単のように思えてきますが、本人は転職したくてしているわけではなさそうなのです。
では、なぜ彼女は就職が難しいこの時代に容易に転職ができるのでしょうか?
今日の記事は、転職のコツを知りたい方のためにこんな方法があるということをお伝えしています。
転職したくてしているわけではない
奥さんは、今まで、転職を1回、2回、3回………。数えるのが面倒臭くなるほどしてきました。
そのうち、社員採用が新卒1回、中途が4回。契約や派遣採用が4回……だったかな?
彼女にとって、転職は、全然難しくないのです。あくまで数字上では、ですけれど。
でも、実際は、
転職したくてしているわけではない。
と、いうことです。
つまり、奥さんは転職魔でも、スキルアップのためだけに転職をしているのではないということです。
転職したくてもできない女性にとっては、全然意味がわからないでしょうね。
しかし、彼女は一生懸命生きれば生きるほど、真面目にやればやるほど、会社のことを考えれば考えるほど、そして、彼女が全身全霊を傾けて仕事をした結果が、転職という形になって現れているのです。
まるで、謎かけのようですが、事実、そうなのだから、彼女の転職遍歴を傍で見てきたわたしからすると、
「よくまあ、こんなしんどい生き方してるよな〜」
と、感心するのです。
そもそも、
「会社勤めが向いてないんじゃないの?」
と、いうことだと思うのですが…。
妻の転職遍歴 新卒から最初の転職
大学生時代。彼女は美術館で現代アートに関わる仕事がしたくて、学芸員の資格を取りました。ちなみに大学は芸術系の大学ではありません。普通の大学です。
だから、独学。
世はバブル真っ只中。圧倒的な売り手市場で誰でも簡単に就職できる時代です。しかし、社員を募集する美術館は皆無でした。学芸員という仕事は、美術館という特殊な環境での職場ということもあって、若い人よりもベテランを重宝する世界です。一度、その美術館に就職したら定年までそこにいる職場でもあります。
人の入れ替えがほとんどないのです。だから、学芸員という有資格者が定年退職しないと新たに募集しない。
さらに、もともと職場がとても少ない。彼女は芸術系の大学を出てないので、紹介やコネもない。それこそ、当時はコネがとても生きる時代でしたから、その時点でも競争に負けています。
そこで、美術館に空きが出るまでのつなぎとして、彼女は普通の会社への就職を試みます。大企業ばかり。しかも、当時大人気だった旅行代理店とマスコミ。理由は、
「ただで旅行できて、本を好きなだけ読めるから」
なんじゃそりゃ?ですよね。旅行はわかりますが、なぜ本を読めると思ったのか、よくわかりません。転職でお困りの方、申し訳ありません。あまりに軽くて。でも、あの当時は、この程度の熱意でも少しのコネがあって、面接に長けてさえいればそれなりの会社に就職できました。なんせ、メガ売り手市場でしたから。
しかし、旅行代理店にマスコミです。当時は大人気企業です。業績はうなぎのぼり。倍率20倍30倍なんてもはザラでした。奥さんにはまったくコネがありません。コネがあっても、こういった大企業だとさすがにそれ相応の勉強をしていないと入れません。
それ以前に、
「この人が、お客さんのわがままを黙って聞いてられるはずないんだけどな〜」
わたしは、知っていました。
奥さんは、
物事の判断がイエスかノーだけでできている人です。つまり、はっきりものを言いすぎる傾向にあります。だから、嘘もつけない。「不躾ですが…」と、前置きすらしないで、平気で不躾なことを言ってしまうような人でした。
「だって本当のことだし」「ダメなものはダメ」「いけないことはいけない」「間違っていることは間違っている」
今でこそ、子どもができて冷えとりをやって、それなりに歳をとって穏やかになりましたが、ま〜あ!昔の奥さんは、気性が激しかったのなんの!
相手が上司だろうが、社長だろうが、「ダメなものはダメ」「間違っていることは間違っている!キーッ!!」後先考えずに食ってかかるような人でした。
だから、
「とりあえず、美術館の社員募集があるまで、普通の会社に就職する」
と、聞いたときは、
「無理だろうな〜。どうせ、長続きしないだろうな〜」
そう思っていました。
「茜さんは会社勤めは向いてないと思うよ。美術館みたいに芸術家や特殊な環境にいる人ばかりの世界では、まだ大丈夫だと思うけど、普通の会社はね〜。だって、我慢できないでしょう?」
「なんで、我慢しなくちゃいけないの?」
「ほらほら、そういうところ。君みたいなタイプは、自分で会社作っちゃった方が早いと思うんだけどな〜」
そういう忠告にまったく耳を貸すわけもなく、奥さんは小さな広告代理店に就職しました。
「わたしなら大丈夫。ここは、ただのつなぎだから。もし、美術館の学芸員の募集があったら競争率が何倍だろうと、わたしは絶対に受かるから。だから、1年もいないし」
わたしは絶対に受かる。
「その自信、どっからくるの?」
「ただなんとなくそう思うの」
ただなんとなくそう思う。
小さな会社とはいえ、世はバブル。社長は札束でパンパンに膨れた財布を手に、5時きっかりに退社して銀座で豪遊するような人で、セクハラパワハラ当たり前の時代。入社するなり、
「おまえ男いるのか?」「ちゃんとセックスしているのか?」「たまには俺の飲みに付き合え」
お尻触るの当たり前。頭叩くの当たり前。もの投げつけるの当たり前。無理やりお酒飲ますの当たり前。
夜、10時までの残業のあと、銀座の会員制高級クラブへ連れまわされるという日々を送っていました。社長の命令である以上、それは業務命令ですから真面目な彼女は同行しますが、言いたいことは言います。
「社長がこんなことでは社員は尊敬できません。わたしも業務に支障をきたしたくないので、こういうお誘いは困ります!」
しかし、社長は、聞く耳持たず。
「おまえの男がそんなくだらないことを吹き込んでるのか?じゃあ、その男を呼んでこい。おれが男とは何かそいつに教えてやる!」
そう言われて、わたしはプンプン?モードで会いに行きました。
「金持ってるからって調子に乗りやがって!」
そういう思いで。
初対面で帝国ホテルでお寿司をご馳走になって、大トロとアワビばかりを食べさせられて、銀座の会員制高級クラブを2、3軒ハシゴして、夜中の3時に超高級ホテルのラウンジで1個3000円のハンバーガーを無理やり食べさせらて、
「このホテルのスイートをとってあるから、女でも呼んで遊べ。今日、おまえのために150万以上使ったよ。どうだ〜。金があるとこんな遊びが毎日できるんだぞ。男だったら血反吐を吐いても働いて遊んで大きくなるんだよ。あんな女とはさっさと別れちまえ!」
そう言われて無理やり、ビリヤード台やらランニングマシーンやらウェイトトレーニングルームまで付いた馬鹿みたいに広い部屋にベロンベロンに酔っ払った状態で宿泊させられました。目が覚めて慌ててチェックアウト。わたしはヘロヘロ。社長は翌朝も元気に出社したそうです。
これ、本当の話ですからね。バブルの時には、わたしだけでなく、誰にでもこういうわけのわからない変な話がたくさんあるんです。
しかし、それからわずか3ヶ月後、奥さんは都内の二つの美術館が学芸員募集していることを知って受験。二つとも合格します。その一つは現代アートを所蔵し、現代アートを中心に展覧会を開き、若いアーティストを支援している美術館でした。彼女の希望をすべて叶えてくれる美術館です。当然、そちらに就職しました。
最初の広告代理店はわずか3ヶ月。まさにつなぎ。会社から言わせれば勝手気まま。ひどい話です。まあ、彼女も若かったですから。
でも、その社会に出ての最初の3ヶ月間の体験は、彼女にとってはものすごい大きな貴重な経験となりました。
バブルの狂喜を乱舞する人々を、日本の中心で目の当たりにできたのです。
「分不相応の金は人を狂わす」
そのことを身を持って知ることができました。そして、その間に彼女は、
「お金に踊らされる人間とは?」「本物のお金持ちとは?」
もっと知りたいという思いが湧きました。
少なからずお金の使い方を学び、
「わたしは、ああいう人間には絶対にならない。お金との正しい使い方さえわかれば、お金は絶対に裏切らない。もうわたしは一生大丈夫」
もうわたしは一生大丈夫
そう自分に確信を持ったそうです。
そうです!ここでも、”引き寄せ”です。
彼女のそのときの確信が、彼女のお金に対する自信となっていきました。
その数年後、広告代理店は倒産。多額の借金を抱えた社長のその後のことはいっさいわかりません。
美術館業務
学芸員は、美術館業務全般を行いますが、彼女の就職した美術館では、美術品の管理、展覧会の企画、アーティストとの交渉、パンフレットや画集の編集、実際の展示、会期中の見回り、イベントの司会、アルバイトの手配などなど。全てを行います。
だから、ものすごい激務。しかも、交渉の相手のアーティストは、エキセントリックな人間ばかりなので、それこそ、思っていること、言いたいことをはっきり言わないと好き勝手に物事を進めてしまうような相手です。
彼女にとっては、まさに水を得た魚でした。
しかし、給料は薄給。こんなに少ないの!?と、引くくらい。だから、好きでよほどの信念がないとできない仕事です。でも、彼女は、
「大丈夫。わたしは一生、お金に困らない人間だから」
わたしは一生、お金に困らない人間
根拠なんてありません。でも、彼女はことあるごとにそう言ってました。
「大事なのは給料の額じゃない。本物の一流の人間と同じ空気を吸うこと!」
仕事の相手は超一流アーティストばかり。その大半は外国人です。浅草に行きたいといえば連れて行き、芸者に会いたいといえば手配をして同行する。今から展示物の変更をしたいといえば美術館へ急行。日曜日だろうが、夜中だろうがおかまいなし。
まさに、彼らは本能のままに動く。見た目はそういう感じなのですが、実際は違います。
一流の人間は、瞬時に考え判断し、決断すると、すぐに行動に移します。一連の動きに何一つ迷いがありません。
しかも、一緒に仕事をする相手にも、それ相応のフットワークと能力を求めてきます。学芸員がアーティストに気に入られないと、それだけで展覧会が中止になるなんてこともあるほどです。
奥さんは、そのための準備を長い時間をかけて行い、アーティストと行動を共にし、信頼関係を築いていかなくてはなりません。
そんな展覧会を1年間に4回。経験が少なかろうが、そのうち1回は責任者を任せられます。
ビジネスパートナーは金額をつけられないような国宝級の美術品や、超一流アーティストです。交渉相手は外国の美術館や、美術商。そして、アーティスト本人です。常人離れした世界に生きる人々です。
その方達との仕事で、彼女の中で、
「仕事のプロとはなにか?」
が、育まれていったのです。
美術界にも暗黒時代到来
しかし、10年後、不景気の波は美術界にも及び、彼女の勤める美術館の親会社が美術館の閉鎖を決めたのです。学芸員は全員、他部署への異動を命じられました。しかし、彼女は抵抗します。
「この美術館には貴重な所蔵品がたくさんあります。これらをきちんと管理するには、わたしたちのような専門家が必要です」
しかし、会社は、これらの貴重品をすべて売却することに決めたのです。美術館を閉鎖するとはいえ、代々のオーナーが収蔵してきた貴重な美術品を売却することに彼女は激烈に怒ります。納得のいかない彼女は、散々悩んだ挙句、会社を退社したのです。
新しい美術館で働けるあてなどありません。他の美術館の状態も似たりよったりです。長年勤めてきた美術館を失うということは、学芸員にとってそれまでのキャリアを失うということに他なりません。学芸員は、その美術館の歴史とともに成長していく仕事だからです。
奥さんは、学芸員という仕事を完全に辞めてしまう決意をします。
そのまま親会社に残っても学芸員の仕事をすることはできません。この会社に残っている限り、学芸員の仕事はできないのです。そうするしかなかったのです。他に選択肢はありませんでした。
美術業界から離れた彼女は文字通り抜け殻になりました。
なんせ、美術の仕事しかしてこなかったのだから、他のことはなにもできないのです。
もちろん、家のことも何もできません。
美術を愛し、展覧会を開くことだけに命を燃やしていた結果が、このむごい結末です。完全に燃え尽きてしまいました。
だからと言って、
”働かざるもの食うべからず”
できないのに、「はい。できますよ」と、言ってのける
「働かざるもの食うべからず」
これは、わたしと奥さんの間で結婚するときに取り決めた約束事。しっかり働いてもらわなくてはなりません。
しかも、いいのか悪いのか、ちょうどそのタイミングで、わたしの脳腫瘍が見つかり、長期休養を強いられます。
つまり、我が家の家計は瞬く間に火の車に。
「なんだ、こんなことになるなら仕事辞めなかったのに…」
それと、同時に、
「なんか…子供欲しいな〜」
と、わたしの病気をきっかけに母性に目覚めます。
そうなると、
「子供ができたら仕事ができなくなる。だから、正社員になるのは諦めて、いつでも辞められる派遣社員になろう」
そう考えた彼女は、とりあえず、派遣会社に登録します。
わたしが手術をし、リハビリ生活を続けて半年が経ち、「もう大丈夫だ」と、判断した彼女は、仕事を始めます。
派遣された会社は外資系銀行。
しかも、債務を担当する部署。次々と倒産する企業の担保となっている不動産を査定し、売買する業務です。当時、日本を食いまくっていた外資系企業なので、外国からの問い合わせも多数あり、奥さんの業務はその電話の取り次ぎや書類の整理などでした。
だから、上場企業の世に出ていない情報が扱われるため、厳重な守秘義務が課せられ、最低限のビジネス英語が話せなくてはなりません。
最初、派遣会社から依頼された業務は、社長秘書業務でした。
彼女が学芸員時代、多くのビップの方の対応や秘書業務(5年間ほど、外国の国宝級の芸術家の日本での秘書もやらされていました)もやっておりましたので、お手の物でした。しかも、時給もむちゃくちゃいい。しかし、彼女には、最初に就職した広告代理店の社長の嫌な思い出があります。
「芸術家ならまだしも、エロおやじのような社長だったら最悪。もう人のペースで働きたくない」
そう言って断り、次に依頼されたのが外資系銀行だったのです。
「あれ?君は英語、話せたっけ?」
「話せないよ」
「じゃあ、なんで採用されたの?」
「英語を話せますか?って聞かれたから、イタリア語だったらできますって言ったんだよ。『じゃあ英語もなんとかなりますね?』って聞かれたから『はい。大丈夫です』って答えちゃった」
「ビジネス英語でしょう?しかも電話でしょう?相手はネイティブでしょう?すぐにバレるでしょう」
「大丈夫じゃない?ダメだったらどうせクビになるんだし。お金のことも勉強したいし」
彼女の強さはココ。
できないのに、”できます”って、簡単に言っちゃうこと。
若い社員を、「責任感がない」と突き放すあなたに責任感ありますか?
確かに、無謀で責任感がない。そう見えます。事実、そういう人は多い。特に中途の場合、会社は当然、即戦力として採用しているのに、仕事はからっきしダメ。学力はあるのに、頼まれたことしかやらない。望むは給料や自分のスキルばかりで会社に貢献しようという意識は皆無。自分に向いてないと見るや、さっさと辞めてしまう自分大好き人間。
「最近の若い社員は新卒も中途もそんなんばっかりだ!」
わたしと同じ世代の会社員からよくそんな言葉を聞きますが、そんな人間、いつの時代もたくさんいます。若い人ばかりではありません。
わたしたちおっさんも同じ。段階の世代の方たちも同じ。高度経済成長時代の方々も同じ。わがまま勝手なやつはいつの時代でも同じです。
ただ唯一違うのは、今の若い世代の人たちには、
「あの時代はよかった〜。みんなが元気だった〜」
と、郷愁にふけられるような時代を感じられる瞬間が一度もなかったということ。
だから、子供のころから、「将来の夢は〜…」ではなくて、「将来は…」という常に現実問題として捉えられるように刷り込まれてしまっているということ。
だから、物事を余裕をもって大局で観るということが得意ではないのです。
そういう風に育てたのは誰でもない。我々です。
我々のツケを若い世代が払わされている。
「あいつら使えね〜。責任感もまったくないし」
そう言って突き放すのではなく(周りを見ていると本当に悲しくなるほど、突き放す人間が多い)、そんな彼らを責任感のある人間に育てることが、企業の、そして、上司や先輩の責任だと思います。
試されるのは有言実行”力”
会社のために働き出しても結局、英語が使えなかった。英語の書類の整理ができない。そうなったら、そういう人間はタチが悪い。間違いなくタチが悪い。
でも、彼女は、そこから猛勉強するのです。帰宅するなり、英語を聞きまくり、辞書を引きまくり、声を出して話す。
「ああ、電話の相手が何言ってんのが全然わかんないんだよ〜!クソ〜!自分にムカつく〜!」
そう言って、ひたすら勉強をする。ビジネス英語のDVDを借りて寝ながらイアホンをつけて聞いている。
そうやって、猛烈な勢いで、自分をもう一つ上のステージへ引っ張りあげていく。
気合の入った自分が、ダメな自分を、
「ちゃんとせんか!」
と、強引に引っ張り上げる。そして、気がつくと、ちゃんと、
「はい。できますよ」
の人になっているんです。
「”会社のために働く”なんて、そんな意識は今さら持てない」
だったら、自分のために、やればいい。
どんな人にも、
自分の中に強い部分、得意な部分、自信を持てる部分は少なからずあるでしょう。その自分だけに奮発してもらうです。
そして、自分にはちょっと、しんどい課題を突きつける。それを超えていく。
人との比較ではありません。
自分一人だけの勝負です。
こういうとき、奥さんはいつも必ずこう言います。
「知ってた?乗り越えられない壁は絶対に目の前に現れないらしいよ」
乗り越えられない壁は現れない
このお話の続きは、できない女のスパイラル〜転職できない女3できる女の場合2をご覧くださいませ。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。