コーチングを学んだ我が家の子育ての ”三つ子の魂百まで”で、やったことを書きたいと思います。
挨拶をする、ダメなことをダメだと教える、食べてはいけないものは食べさせない、やりたいと思う気持ちを育てるでした。
今日の記事は、私たち夫婦が子育てで大切にしたことをお伝えしたいと思います。その結果、子供は絵が上手で、歌と踊りが大好き、算数が好きな心優しい女の子に成長しました。
1.きちんと挨拶のできる子供
皆さんはどう思っておられるかわかりませんが、
昨今、挨拶のできない子供が多すぎる!
と、思います。
なにも「子供の方から挨拶をしなさい!」と、言っているのではありません。
大人が、「こんにちは」と、挨拶をしたら、「こんにちは」と、挨拶を返すのが当たり前。礼儀です。
「おはよう!」商店街のおじさんが言ってくれたら、「おはようございます!」と、返すのが当たり前です。
それができない子供があまりに多い。
わたしはそう思います。
その理由のひとつに、
親が挨拶しないから
これが元凶なのですが、なぜそうなってしまったのか?
その要因の一つが、
集合住宅の増加にあると思います。
都市部では、マンションなどの集合住宅に住んでいる家族のほうが一戸建てに住んでいる家族より断然多い。
そうなると、どうしても横のつながりは希薄になります。マンション住人同士がきちんと挨拶をする関係を築くことはとても難しく、お互いにすれ違うときは挨拶をするという関係すら築けない。
親同士が挨拶をしない姿を子供は見て育ちます。
親が挨拶をしないのだから、子供は絶対に挨拶をしません。
つまり、自分が挨拶をしないことは、悪いことではないのです。
事実、挨拶をしなくても、「挨拶をしなさい!」と、注意してくれる大人もいない。学校では、先生に挨拶をしないと注意されるでしょうが、それは子供にとってはあくまで学校内でのルール。学校内でやらされていることを外ではやりません。
だから、
わたしたちパパとママが挨拶を徹底しました。
同じマンション内に住む人には、徹底して挨拶をします。
すると、子供も真似をして、挨拶をするようになります。
「小さい頃はそうだったけど、小学校に上がって大きくなると、それもしなくなるよ。風さん家はまだ小さいから」
確かにそうですね。音はいま11歳です。わたしたちがいない所では、やらないこともあるでしょう。
一緒に歩いている友達が挨拶をしないのに、自分だけすると、
「なに良い子ぶってんの?」
そう言われる年頃です。
「それでも挨拶だけはしなくてはダメだ!」
とは、言いません。言いませんが、
「パパとママは、きちんと挨拶をしているよ」
と、いう姿を見せています。そこで、彼女がわたしと一緒に挨拶をするかしないか、それは11歳の彼女が決めることです。幸い、音はきちんと挨拶をします。それは、3歳までにしっかり、
「挨拶をしなさい」
と、教えたからです。
「挨拶をするとパパに褒められる」
そのことに気がついた幼児の音は誰彼かまわず挨拶をします。道端ですれ違うおばさんに工事現場のおじさん。女子高生。
彼らは、
おばさん「あら、かわいいね〜」
おじさん「いい子だね〜(頭をなでる人が多い)」
女子高生「やべ〜。ちょ〜かわいいんだけどぉ〜」
わたし「ありがとうございます」
女子高生「はっ?おっさんに言ってね〜んだけど。マジうぜえ。ちょ〜かわいくね〜。やべ〜よこいつ」(これ、本当に言われた会話です)
と、反応してくれます。音はさらに調子に乗ります。暗い感じのお兄さんや、明らかに世の中に対する怒りを溜めこんで歩いている感じの人にも。そうなると、彼女の期待した反応が帰ってきません。音の心に疑問が浮かびます。
「どうしてあの人はこんにちはって言わないの?」
そこで、わたしは、
「返事をしない人もいるよ」
と、教えてあげるのです。それだけです。
「なんで?」
と、聞かれても、
「わからないな。人は一人一人考えていることが違うからね」
そう答えるだけです。
そのうち、音もだんだん気がついてきます。
「知らない人に挨拶するのは、ちょっと違うみたい」
社会性が付いてくるんですね。
わかる年頃になっても、挨拶をしなければならない場面で挨拶をしなかったときは、わたしは烈火のごとく音を叱ります。
たとえば、
音のお友達の家に家族全員が呼ばれて、玄関を開けて「こんにちは!」。家に上がるときは、「おじゃまします!」ご飯をいただくときには、「いただきます!」食べ終わったら「ごちそうさま」。そして、お皿を片付ける。
そのうちの一つが欠けただけでも、あとでしっかり叱りつけます。
その場では、叱りません。
彼女にもプライドがあります。
叱られている姿をお友達に見られるのは、屈辱以外なにものでもないでしょう。
いけないこと、失礼なことをしたら、もちろんその場で叱りますが、こういった態度を叱るときは、家に帰ってからです。
【追記2020年7月】この挨拶教育のおかげで、小学校、中学校の先生からの受けは絶大でした。
2.ダメなものはダメ。理屈じゃないことを理解させる
わたしは料理が大好きです。だから、1日3回キッチンに立ちます。
パパが料理をしていると、パパが常に持っている包丁に興味を持ち、フライパンや鍋の下でユラユラ揺れている火に興味を持ちます。
よちよち歩きができるようになった音は、まな板の上に置いてある包丁をなんとか掴もうと腕を伸ばします。
そんなとき、わたしは有無を言わず、パチンッと手を叩きます。ビックリした顔をしてわたしを見上げます。
わたしは、しゃがまず立ったまま、上から目線で、
「ダメ!触っちゃあダメ!」
と、包丁を指して言います。ワギャ〜〜〜!と泣きます。そりゃそうです。なんで怒られたかわからないんだから。
でも、ここで、なぜ、この包丁が危ないのか?なんて、説明してもわからない。だから、
理屈抜きで覚えさせるのです。
包丁触りたい → チャレンジ! → 手を叩かれる → 痛い → 包丁触ったら手が痛い → パパ怖い → でも、やっぱりチャレンジしたい → チャレンジ → 手を叩かれる → 痛い → 包丁触ったら手が痛い → パパ怖い →でも、やっぱりチャレンジしたい → チャレンジ → 手を叩かれる → 痛い → 包丁触ったら手が痛いということを学習 → 二度とやらない
それでも、音は3回チャレンジしてきました。
危険察知分野の脳の回路がつながるのに、3回の体験が必要だったということです。これは、普通なのかな?それとも、音が聞き分けのない子だということなのかな?つながるスピードの遅い子なのかな?
平均がわからないので、深くは考えません。いずれにしても、
子供はちゃんと学習してくれます。
ただ、危なすぎて学習させられない体験もあります。と、いうか、そっちのほうが多いというか…。
鍋の下でメラメラと燃える火さわりたい → パパが目を離した隙にチャレンジ → 間違って五徳(ガス代の鍋を乗せる台のこと)を触る → 激烈に痛い → 激泣 → 病院へ直行 → 痛いの長続き → 二度と触らない
この場合は逆に抱きしめて、
「ごめんね。パパがきちんと見てなかったから。ごめんねごめんね」
ヨシヨシと慰めてあげました。叱る必要はありません。音は、体を張って危険を体験したのです。本人も最初から悪いことをパパの目を盗んでやってしまったという実感がありますから、パパが怒ってないとわかると、
「音ちゃんが悪いの。いけないことやったからバチが当たったの」
子供は、ちゃんと自覚しているのです。
つまり、こういう大事故にならないために、
ダメなものはダメ!理屈じゃない。
これをはっきりと認識させなければいけません。
3.食べものに関することを理解させる
幼児は、落としたものを食べてはいけない。ということもわかりません。
だから、家でご飯を食べているときに落としたものに手を伸ばしたら、その手をつかんで、
「ダメだよ。落としたものを食べたら汚いよ」
と、普通のトーンで注意してあげます。その程度の注意なので、子供はこのチャレンジは止めません。何度止めても、手を伸ばす。食べようとする。もちろん、注意するだけで叱るようなことはしません。
それは、食べ物に関しては、
どんなに強く、きつく叱っても、食べてしまうものだからです。
それだけ、幼児にとって食べ物は、魅力がいっぱいです。
だって、考えてみてください。今まで、ミルクしか知らなかったのに、世の中には、おいしいものがたくさんあるってことを知ってしまったのですよ。
幼児は、食べたくなくても栄養のために食べなくてはならないなんてことは、知ったこっちゃないし、知ったところで、食べたくないものは食べません。おいしくなければ食べないのです。
逆に、おいしいものは、落とそうが踏んずけてしまおうが、食べたい。だって、頭の中は、
食べる食べる食べる食べる………しか、ないんですから。
だから、きつく叱ってもダメです。
でも、なにも言わないと、いつまでたっても覚えないので、普通に注意する。
食べ方は自分で覚えていくものですから。
ただ、
絶対に食べちゃいかんもんはいかんのです!
そのときは、とめます。そして、叱ります。
それが、家の外で落としたものに手を伸ばしたときです。
3歳のとき、家族で旅行に行きました。泊まったホテルのロビーにサービスとしてコンペイ糖が置いてありました。女の子の音ちゃんは可愛くてきれいなものが大好き。
口に入れると甘さが口に広がって、音ちゃんの目がものすごい勢いで輝き始めます。
「10個だけ。10個だけだったら食べていいよ」
手のひらに10個乗せて、ロビーのソファに座って一つ一つ大事そうに食べていました。そして、最後のひとつ。なかなか口に入れられず、いつまでも、手のひらの上で転がっていました。
落としそうだな〜。落とすんだろうな〜きっと…。
そう思って見ていたら、案の定、ポトン。落ちました。
その瞬間、さっとしゃがんでさっと手を伸ばし、さっと口に入れた。
「ダメーッ!!」
音は、パパからその一言が出る前に、急いで口に入れたのです。
わたしは、手を出して、
「音ちゃん、汚いからここに出しなさい!」
その瞬間、ゴックン!
「音ちゃん!」
わたしは、音を抱きかかえ、急いで部屋に戻りました。パパの怒りを察知した音は大声で泣きわめきます。
部屋に戻り、
「床や道にはたくさんのばい菌があるから、落ちたものを食べるとお腹痛いになっちゃうんだよ、わかる?」
と、一応、言い聞かせますが、わかっているのかわかっていないのか、正直、わかりません。だから、もっと簡単な方法で、落ちたものを拾って食べてはいけないことを教えます。約束していた温泉上がりのアイスクリームを禁止したのです。
「落ちたものを食べてお腹にバイ菌がいっぱい入ったからアイスクリームは食べられないよ」
その一言で、音は、また泣き出しました。
「アイス食べた〜い〜。ウエ〜ン!」
「でも、音が落としたもの食べたから仕方ないんだよ。お腹のばい菌が出るまでアイスは無理だよ」
このことも、彼女には一発で効き目がありました。
これ以降、音が落としたものに手をのばすことは一度もありませんでした。
4.やりたい!という気持ちを育てる
何度も申し上げますが、
三つ子の魂百まで
という言葉は、3歳の性格は100歳になっても変わらないという意味を持っています。
わたしは、3歳のころ、母の実家に親戚が集まった時には必ず、食卓の上に登ってみんなの前で歌を歌っていたそうです。母親が5人姉妹の一番下で、次男坊のわたしは、お店で忙しいおじいちゃんおばあちゃんの眼に留まるためにとにかく目立とう目立とうとしていたと言います。小学校に上がるころには、尾崎清彦の『また逢う日まで』や山本リンダの『狙い撃ち』、ちあきなおみの『喝采』を熱唱し、泥酔する親戚のおいちゃんおばちゃんから、ヤンヤヤンヤの”喝采”を浴びるようになっていました。
小学校高学年になると、創作落語をやったり、喜劇を書いたりしてクラスのみんなに見せたりしていました。中学校の学芸会でも創作喜劇を書いて披露して(昔話の山姥を男子にやらせて、シワシワオッパイぶら下がった着ぐるみを着せてふんどし一丁のわたしが追っかけまわされるシーンから始まります)全校生徒に大ウケだったような…。高校時代、大学時代もずっと演劇をやっていました。
気がつけば、文章を書いて生活しています。人の人生が少しでも楽しくなるように、コーチという仕事をしています。
3歳のころ、目立つために一生懸命にやっていたパフォーマンスが、文筆業やコーチという仕事に形こそ変わりましたが、
「自分を表現する。伝える」という意味ではずっと続いている気がします。
音にも、3歳までになにか一つ、興味を持ってもらいたいな〜。
そうずっと思っていました。
奥さんは、とにかく活字フリークなので、
「読書好きの子に育ってほしい」
と、思っていました。
「読書はすべてにつながるから」
と、いうのがその理由です。
わたしは、
「表現する人になってほしい」
表現するということは、「自分をしっかり出せる」と、いうことにつながります。
奥さんにみたいに、
「言うべき事は言う。やるべきことはやる」
と、いう竹を割ったような性格(男勝りとでもいうべきか)になってほしいと思っていました。
だからといって、特別、なにをするわけではありません。
家に帰ったら、絵本や色鉛筆が置いてあり、ディズニーやジブリアニメ、バレエのDVDが見られるようにしている程度です。おもちゃはほとんど買い与えていませんでした。
さて、その中で音ちゃんが、なにを選ぶのか?
なにに夢中になるのか?
なにをやりたいと言い出すのか?
ただそのときを待って、ほったらかしました。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
続きは、暇な子は個性が育まれる|心の冷えとりコーチの子育て論4をご覧くださいませ。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。