離婚はバツがつくものでしょうか?私の兄、義理妹、義両親は離婚しています。友人にも離婚経験者も多いです。もはや、離婚は誰でもするものになってきているように思います。
私の奥さんの両親はずっと不仲で義母は、奥さんが成人したら離婚すると言い聞かせて我慢してきました。義母は自分の離婚が子供の就職に影響を与えると思い込んでいたからなのです。しかし、そんなことを聞かされて育った子供はどうなるでしょう。
今日の記事は、義理の両親の離婚を例に、離婚の原因とその理由を考えてみたいと思います。
人は本来、温かい
「ありがとう!」
「うれしい!」
「愛してる!」
「大好きだよ!」
「素敵だね!」
「かわいいね!」
「いただきます!」
「ごちそうさま!」
「美味しい!」
「大丈夫だよ」
「頑張ってね!」
「楽しんでね!」
「楽しいね!」
「元気でね!」
「また会おうね!」
「こんにちは!」
「おはよう!」
「おやすみ!」
「よろしくお願いします!」
普段何気なく使っているこれらの言葉は、人とのコミュニケーションを円滑にする上で、欠かせない言葉です。
車でいうと、エンジンを温めるためのアイドリングのようなもの。
だから、人とのコミュニケーションを円滑にするために、潤滑油の働きをする、
心を温める言葉でもあるのです。
当たり前すぎて、意識して使っている人はほとんどいないと思いますが、こうやって字にして改めて眺めてみると、これらの言葉の全てが「思いやりに溢れた言葉」だということがよくわかります。
だから、口にすると心が温かくなります。
と、いうか、心が温かいから、これらの言葉って素直に出てくるものだということが言えると思います。
もっと、わかりやすく言うと、
これらの言葉を発する相手に対して、あなたが温かい心を抱いているから素直に言葉が出てくるのです。
何が言いたいかというと、
人は誰だって温かい心を持っているんです。
そうです。
人間の心は温かいのです!
ベース。基本的に、人は温かい。
それをまずは念頭においてください。
冷える時
でも、これらの言葉を口にすることが苦痛になる瞬間って、残念ながらたくさんあります。
それはどういう時ですか?
これらの言葉を口にできない相手って?
その人は誰ですか?
「おはようございます!」
「お疲れ様でした!」
こういう挨拶をきちんとできない職場で働きたいですか?
もし、今現在、そういう職場で働いているのだとしたら、どうですか?
毎日、職場に顔を出していて楽しいですか?
「いただきます!」
「ごちそうさまでした!」
家族が食卓について、当たり前の挨拶がないのは、一体どういう状態でしょうか?
その食事は美味しいですか?
これは、決して心が良い状態とは言えません。でも、そういう状態に置かれている人は残念ながらたくさんいます。
それくらい、人は自分でも気づかないうちに心を冷やしてしまっていたり、人知れず、人に言えないことで悩んでいたり、苦しんでいます。
そんな時でも、
「ありがとう」
どういう状態でも、きちんと言える自分でいたいと思いませんか?
せめて、自分とコミュケーションを取る相手には不快な思いをさせたくない。
それが本来あるべき姿だと思います。
そのためには、あなたは、どうありたいですか?
もし、そういう質問をされたら、わたしだったら、
「常に自分に正直でありたい」
と、答えます。
「正直でありたいって具体的にはどういうことですか?」
そう聞かれたら、
「嫌だとか、辛いと感じたことに対して気づかないふりをするのではなくて、気づいたらしっかりその状態を受け入れたい。そして、解決に向かって動ける自分でいたいと思います」
そう答えます。
「そのためには何ができますか?」
そう聞かれたら、
「そうですね。落ちこむ時には落ちこむ。そして、落ち込んだら、なるべく早く前を見るようにしたい。それと、自分に起こった辛いことは、常に自分の責任と捉えて、なぜそうなってしまったのかしっかり見つめ、とにかく足を前に進めるように努力すると思います」
「そのためには最初に何をしますか?」
「そうですね。正直に自分の思いを相手に話すことでしょうか。その時に、相手の気持ちになって考えることでしょうか。相手はどう思っているか?でも、それがその時になって自分にできるかどうか。正直、自信はありません」
そう答えるでしょう。
もし、自分が離婚するようなことになったら、立ち止まってボロボロになっているかもしれません。でも、それは一旦冷え切った心の毒を外に出すためには仕方ありません。部屋にこもるかもしれない。泣き続けるかもしれない。でも、毒を出し切ったら、すぐに新しい道に向かって動き出せるようにはなりたいです。
心の冷えをすぐに取れるようにしたいと思います。そのために、できるだけ相手の気持ちに立って考えるということです。そうすると冷静でいられます。冷静でいられるということは、冷えたままでいるということではありません。自分自身をも俯瞰して見られるということです。荒波が立つような出来事が起きても、動揺することがあっても、荒波の上で漂っている自分を見ているもう一人の自分がいれば、少しは冷静な判断ができるようになっているかもしれません。そうなっていたら、最後くらい、何かしら言葉を発することはできるかもしれません。「元気でね」とか。
でも、これって、ただのキレイごとでしょうか。
失敗は誰でもする
離婚をしたほうがいいのか、しないほうがいいのか?
その議論はこの際、置いといて、
離婚は果たして失敗か?
と、いうことを考えてみたいと思います。
「失敗だ」
と、考える人が大半だと思います。
では、仮に失敗だとして、
失敗はダメなのか?
そこを考えてみましょう。
「失敗はダメじゃないけれど、失敗しないに越したことはない」
その通りですね。
では、
失敗しない人っているのでしょうか?
もしくは、失敗したことのない人っているのでしょうか?
一人もいないと思います。
この世の中で、失敗したことのない人って、一人もいない。
少なくとも、失敗したことのない人にわたしは会ったことがありません。
だから、どんな天才だって、どんな幸せな人生を送っている人だって、誰でも失敗するのです。
誰でも、失敗するのだから、肝心なのは、
その失敗を本人がどう捉えるか?
そこが大切なのです。
一番いけないのは、
その失敗を恐れて、何もしないことです。
離婚を失敗というのなら、離婚という結果を恐れて、何もしないというのが一番いけないことだと思います。
さっさと離婚してしまえ!と、言っているのではありません。
そういう不安、そういう危機、そういう差し迫った現実が実際にあるのに、問題を先送りにしてしまうことが、「離婚問題」を大きくしてしまう一番の原因だと思います。
もちろん、人それぞれだから、何もしなかったことが結果、良いことにつながったということもあるでしょう。
夫の浮気に気づいていたけれど、あえて、気づかぬふりをし続けた。夫を信じて待ち続けた。その結果、夫は浮気相手と別れ、何事もなかったように、今は夫婦円満でいられる。
そういう事例もたくさんあると思います。
でも、それは妻が何もしなかったから良い結果をもたらしたのでしょうか?
何もしない=あえて、気づかないふりをする
と、いう前向きな行動があったからこそ、最終的には望む解決に導けたのではないでしょうか。
それが、夫婦にとって一番良い方法だから、妻は、自分にとって一番きつい方法を選択したのかもしれません。
じゃあこれが、夫が戻ってくることなく、そのままズルズル何年間も不倫相手と関係を続ける結果になったらどうでしょう。
妻は、気づかないふりをしていたことを後悔するでしょうか?
後悔する人もいるし、かえって納得する人もいるでしょう。
では、その後悔の先にあるのはなんでしょう?
後悔=失敗=自分にとって、失敗とは何か?という問い
では、今度は逆に、夫に問い詰める妻は、どうでしょう。食ってかかり、手を挙げる妻はどうでしょう?
挙句、夫は出て行ってしまった。
妻は、絶対に別れたくなかったけれど、自分が問い詰めたことがきっかけとなって夫婦の全ては終わってしまったのです。
その時は、
「ああ〜。なんてことをしてしまったのだろう。なんであんな感情的なことをしてしまったのだろう。もう終わりだ〜」
と、後悔するかもしれません。
でも、時間が経てば、
「あの時はあれでよかったんだ」
きっとそう思うことでしょう。だって、
「もっと冷静にきちんと話せばよかったと思っても、あの時に、冷静になんてなれるはずなかったんだから」
後悔=失敗=失敗から何かを学ぶ=新しい道への第一歩
離婚に限らず、
人間は生きている限り、必ず失敗します。
失敗すれば、そこから学べばいいんです。
学んだつもりでも、同じ失敗を繰り返す人もたくさんいます。
それも、仕方のないことだと思います。
だって、人間は失敗する生き物だから。
少しづつでも成長していけばいいんです。
本当にダメなのは、失敗を恐れて何もしないこと。
失敗を全く糧に出来ないこと。
この二つです。
転職と離婚
転職と離婚はどこが違うのでしょう?
わたしには、この違いがよくわかりません。
と、いうか、実によく似ている。
就職は、会社と社員と相思相愛の関係から始まります。一目惚れもあるだろうし、お見合いの場合もあります。
お互いを知ってから結婚までの時間が短いという特徴はありますが、結婚してから、お互いの信頼関係を気づいていく。そして、会社も社員も好調な時もあれば、荒波に飲まれることもあります。そういった数々の壁を乗り越えて成長してゆく。会社が家で、商品が子供です。
でも、今いる会社より、もっと自分に合っていると思った会社が現れたら、誰もとは言わないまでもほとんどの社員がそっちの会社に転職します。
それを、人は、スキルアップと言います。決して失敗とは言いません。
転職はスキルアップだけど、離婚は失敗。
違うのは、ここだけです。
あれ?なんかおかしくないですか?
わたしがサラリーマンを辞めたのは1991年でした。
「会社を辞めてフリーライターになります」
と、上司や同僚に宣言したら、
「おまえはバカか!」「人生終わるぞ!」「のたれ死ぬぞ」「自分から落ちていきたいなら勝手にそうしろ!」
散々罵倒されました。
わたしのようなできない社員に対しても、
「絶対に辞めてはダメだ!」
と、毎日毎日、上司やら先輩やら同僚から説得されました。
「会社員辞めるのは人間辞めるのと一緒だよ」
そう言った上司もいます。
つまり、あの当時の価値観は、
転職=失敗
だったからです。
転職=失敗=離婚
全く同等だったんですね。
その3年後には、わたしに辞めるなと言ったほとんどの社員が転職をしました。会社が傾き、いよいよ危ないとなったら、皆、我先にと一斉に逃げたのです。
その時には、残っている社員に対して、辞めた社員たちはこぞって、
「おまえいつまでそこに残ってんだ。おまえはバカか!」
そう言ってました。
今、転職は当たり前。相思相愛じゃなくても入社するし、簡単に出ていきます。わたしは20年以上もサラリーマンではないので、この心理がよくわかりません。離婚よりもよほど節度がないように思うのは、わたしだけでしょうか?
そういう意味では、
離婚は、ものすごく大変なことだけれど、そこに、
「失敗という概念を持ち込むのは違う」
そろそろ、そう思ってもいいかもしれませんね。
熟年離婚
ここからは、私が知っている離婚に至るまでのいくつかのエピソードをお話ししたいと思います。
一つ目は、茜さんのご両親のケースです。
今まで何度も書いてきましたが、茜さんのご両親は、5年前に離婚しました(囚われの身 ~母と娘の相互依存~1、2)
その5年前には義母が弁護士さんに離婚の相談をしていたので、決意をしてから5年の歳月がかかったことになります。しかも、最終的には裁判所の調停でも折り合いがつかず、法廷闘争になったので、かかった時間とお金、そして、何よりも一番きつかったは労力です。気がつけば、義母の頭髪はその5年間で真っ白になっていました。
義父は、新聞社に勤める真面目なサラリーマンでしたが、毎日のように銀座や新橋で呑み歩き、帰りは必ず午前様でタクシー帰り。(東京から郊外にタクシーでしたから、一回の飲み代にはかなりお金がかかっていたようです)家庭にお金を入れることはなく、家計は義母の内職でやりくりしていました。
そして、義父の帰宅後は、決まって家の中で暴れ、義母は毎日のように暴力を振るわれ、それを止めに入った茜さんや義妹も殴られる。
子供達は、母に、
「あんな父とは早く離婚してほしい。私たちだけで暮らそう」
そう懇願しますが、母の口癖は、
「あなたたちがいるから離婚できない。親が離婚するとあなたたちの経歴に傷がつくし、就職や結婚も難しくなる。あんな父親でもいたほうがいい」
そう言っていたのです。
そんな義母が離婚を決意したのは10年前。義父が新入社員から勤めていた新聞社を定年退職した時でした。
義母は、退職金で家の大規模修復を考えていました。
結婚してから40年。家を建ててから一度も修復、改装をしたことがなかったので、いたるところが傷んでいました。何百万円をかけて大規模改修することをその何年か前から計画をしていて、工務店にもお願いし、口座にお金が振り込まれたらすぐに着手する計画になっていました。当然、義父もそのことには賛成をしていました。
ところが、
銀行口座に振り込まれていた退職金の金額が、『ー○○○万円』だったのです。
本来なら、「○○○○万円」振り込まれているはずが、金額の前に「ー」という線がついていたのです。
つまり、借金です。
義母は、卒倒しそうな状態で義父を問い詰めます。
義父の話によるとこうでした。
「数年前、後輩から借金を頼まれたので、通帳と印鑑を渡したんだ。好きなだけ使えって。そしたら、そいつが逃げた。仕方がないので、銀行ローンができる通帳とカードをいくつか作って、それでずっとやりくりしていた。いつの間にか自分の借金が膨らんだが、退職金で返せるだろうと思っていたら足りなかったみたいだな」
「お金をだまし取られた上に、お金がないのに毎晩借金してお酒を飲んでタクシーで帰ってたってこと?」
「まあ、そういうことだな」
「わたしたちの老後はどうなるの?」
「そんなの知らんよ。どうにかなるだろう」
義母は、ここに来てようやく離婚を決意するのです。
義父に、離婚の意思を切り出しました。義父は、
「わかった。じゃあ、いつ出て行くんだ?」
「何を言ってるの? 出て行くのはあなたよ」
「何を言ってるんだ? この家は俺の家だぞ」
「この家の土地は、私の両親が結婚祝いに買ってくれた。その土地の上に私たちで家を建てた。だから、あなたの家じゃない。土地の分を考えると私に理がある。それと、年金はわたしが全部もらう。あなたは今までほとんど家にお金を入れてくれなかった。全部、わたしがやりくりしてきた。だから、慰謝料として、この家と年金全額はわたしにもらう権利がある!」
「何を言っている。じゃあ、俺はどこでどうやって暮らすんだ? それに家は俺が働いた金で建てたんだから、俺のものだ。俺の金を俺が好きに使って何が悪い!」
「実家に帰って、お義姉さんと暮らせばいいじゃないの? ここはあなたの家じゃない。土地は私のものだし、お金はあなたの好きに使っていいというのは、そもそもおかしい。私はお金を稼いではいなかったけれど、家事を提供していた。その対価は無料ではないでしょう。そうやって、家は二人で建てたのだから、家が欲しいのなら、土地のお金を私に払って」
「俺の金だし、俺の家だ!!!!」
一緒に過ごした時間が長いほど
義母はすぐに弁護士さんに相談します。
市役所にある、無料相談です。
義母は、結婚してから40年間の夫婦の歴史について事細かく弁護士さんに語りました。家は自分の両親が買ってくれた家であるということ。夫はほとんど給料を家に入れなかったこと。お酒を飲んでは暴力を振るうこと。○○○万円という借金を抱え、自分にはその責任が全くないこと。
そして、
「慰謝料として家の引き渡しと、二人の年金を全額要求する」
と、いうことを。
しかし、弁護士さんは、こう言いました。
「残念ですが、あなたの訴えは何一つ認めてはもらえないでしょう」
彼女の前に立ちはだかったのは、義父ではありませんでした。
法の壁だったのです。
お話の続きは、離婚について2「熟年離婚2~お金の心配を解決して離婚」をご覧くださいませ。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)