まさかと思いますが、職場で暴力をふるう人がいる?
本当にいるんです。
言葉で通じないと、暴力で解決しようとする人が存在します。
暴力には暴力を!では、負の連鎖が起こります。
毅然とした態度をとる人がいなくて、泣き寝入りしていた人が多く、暴力をふるう人間を増長させていたのです。
どのように対処したら適切かを、心の冷えとりコーチ、風宏が実際にあったご相談より提案します。
暴力は決して許されない
どんな理由があろうとも、暴力は決して許されるものではない!
それが、たとえ不可抗力であっても、偶然のヒットであっても、絶対に許されるものではないのです。
ましてや、人の頭を叩くということは、人間の尊厳を傷つける許しがたい行為です。
みなさん、ご自分自身の人生を振り返ってみてください。頭や頬を叩かれた経験がありますか?経験がある人は思い出してみてください。思い出しただけでも、ものすご〜くイヤな感じがしませんか?子供のころの遠い記憶の出来事だったとしても、それでも、イヤな思いだけは鮮明に戻ってきませんか?
子供だって、頭や頬を叩かれたら、傷つきます。親に叱られて、肩を叩かれて泣かない子供でも、胸を強く押されると泣きます。胸を押されて泣かない子供でも、頭を叩かれると泣きます。それは、痛いからではありません。傷つくからです。自分を否定されるからです。親の愛情を感じられないからです。だから、毎日のように頭を叩かれることが習慣のようになっている子は、そのうち泣かなくなり、感情から”愛情”の部分がスポッと抜け落ちて、親の前では無表情になり、自分がやられたこととまったく同じことを友達や自分より弱い相手に攻撃するようになります。
それくらい、簡単に壊れるのです。
”頭を叩く”
行為は、
”人間を壊す”のに、もっとも手っ取り早い行為なのです。
わたしが中学生のころ、よく、
「愛のムチだ!」
と、言ってげんこつで頭を殴る先生がおりましたが、それは叩く側の論理。叩かれる側は、あとで、
「なるほど…あれは愛のムチだったのか…」
と、勘違いさせられることはあっても、叩かれた瞬間に、”愛”を感じることはありません。
屈辱と憎しみです。
初めて会う犬の頭を決して撫でてはいけませんと教えられます。それは、犬が攻撃してくる恐れがあるからです。
人間に服従することを喜びとする犬ですら、知らない人に頭を触られることだけはNGなのです。犬だって屈辱感を味わっているし、プライドもあるんです。
だから、
人を叩く
と、いう行為がどれだけひどい行為なのか、どれだけ、あってはならない行為なのか、やった側は、身を持って知る必要があるのです。
”許す”とは、行動することです
わたしは、この相談を受けたとき、まず最初にNさんに聞きました。
「Nさんは、この会社を辞めたくないの?それとも、辞めてもいいと思っているの?」
「辞めたくないです。小さな会社だけれども、きちんとこの仕事でキャリアを積んでいきたい」
「頭を叩いたAとは、今後、気まずくなるけどいいの?」
「気まずくなるのはいやだけど、辞めるのは絶対に嫌です」
彼女の覚悟を聞いて、わたしが最初に行ったことは、
「決して許してはならない」
と、いうことです。
「自分の尊厳を、これ以上、傷つけてはならない」
と。
「これから先、口頭で謝ってきても、決してすぐに許してはならない。きちんとケジメをつけなくてはダメだ」
と。
なぜ、ここまで強い口調で言うのかというと、やはり、女性に限らず、男性でもそうです。普通の人は、
トラブルを避けたい
のです。
だから、すでに起きてしまったトラブルに対しても、できれば、
なかったことにしたい。
これは、「加害者を許す」と、いう意識の現れではありません。許すも許さないもない。ただ、
なかったことにしたい。
気持ちはわかります。でも、なかったことにしたら、結果、加害者の”行為”を許す、自分を諦める。ということになります。
その結果、また、同じことが繰り返されるのです。その負の連鎖を止めるためにも、きちんと、
後始末をつけなければならない。
この場合の始末とは、
きちんと
公式の場で謝罪を受け入れる
ということ。勘違いしてはならないのは、
謝罪をさせるのではない
ということです。
このブログで何度も言っていますが、
相手に何かをさせることは、無理です。
しかも、
相手に何かをさせることに意味はありません。
相手に何かをさせるということは、強要と同じです。何かをさせることができたら、その場では気持ちいいかもしれません。無理やり謝罪させることはできても、心から反省させることはできません。本当に反省したかどうかは、加害者自身が考えることです。
根本的な解決にはなっていません。
大切なことは、
あなたが、変わることです。
あなたがしっかりと行動することで、相手も変わるかもしれません。
あなたがしっかり行動することで、相手も「変わらなきゃ」と思ってくれるかもしれない。
どんなに暴力に頭にきても、冷静になって解決することが大切
次にわたしがNさんに伝えたのは、
「決して、感情的になってはダメ。人に聞かれたら起きた事実だけを話す。そこに感情論を入れたらダメ。『起きたことだけを話してくれ』『女の話は信用できない』って言われるよ。そして、決して、自分からこの話を広めたらダメ。心配しなくてもどうせ広まるから。聞かれたことだけを話す。そこはブレないように」
いいですか。行動するとは、自分が被害者だと触れまわることではありません。
冷静に判断をして、理性で行動するということです。
暴力女Aと被害者Nさんのうさわはたちまち社内に広まっていきました。
うわさの主は、もちろん、二人の間に偶然出くわした第三者の女性です。このことが、Nさんにとってはある意味、救いでした。
「ねえ。叩かれたんだよね。なにがあったの?」
Nさんは、事の経緯を一切の脚色を入れずに時系列順に話して聞かせました。
「それはひどい。ちょっと、きちんと上に話したほうがいいんじゃない」
「でも、Aから絶対に誰にも言うなって言われたし…」
「ちょっと、それ、いくらんなんでもひどすぎない!わかった。わたしが上司に言ってあげるから」
このとき、二人の間で交わされた会話です。このときNさんは、まだ、行動を起こす気はありませんでした。
ただ、うさわは全員に広まることになりました。
普段なら自分から騒ぎ立てる暴力女Aですが、今回に関しては、誰にも言わないでしょう。明らかに自分にとって分が悪い。どんな言い訳をしても、どんな理由があろうとも、手を出したらお終いです。
それが社会の掟です。Aもそのことは十分、理解しているはずです。不可抗力とはいえ、叩いてしまったことは事実ですし、叩かれた側の怒りもわかっているでしょう。だからこそ、彼女にできることは、Nさんにきちんとその場で誠心誠意謝ること。それだけでした。それがAにできる唯一の後始末だったのに、それをしなかった。それさえできていれば、Nさんも理解してくれたでしょう。「もう終わったことだから」と言ってくれたでしょう。Nさんだってトラブルは避けたい。話が大きくなるのは本意ではない。
でも、もう遅い。賽(さい)は投げられたのです。
このときの自分を思い出して
女の武器は通用しない
Nさんはわたしに、
「Aさんと顔を合わせたくないので、明日は仕事を休もうと思います。一日ゆっくり休んで冷静に考えたい」
そう提案してきました。そこでわたしは、
「絶対にダメです。もし、休んだら、事情を知っている男性社員の信用を失います。『こんなことで休むなんて、結局は甘えている』と、言われます。会社でこれくらいのトラブルは当たり前。当たり前に起きているトラブルでいちいち休まれたんじゃ会社もたまらない。こういうことが起きたらこそ、絶対に休んではダメなんです。同僚にとって、二人のトラブルは、ただの厄介ごと。明日、Nさんが休んだら、今度は、その割を食った人からも嫌われますよ。関係ない人にとって二人は完全に同罪になる」
「じゃあ、わたしはやられ損ということすか?」
「そうです。暴力を振るわれた時点でやられ損なのです。自動車事故と一緒です。起きた時点で、被害者側にもなにか過失あったのではないかと警察も疑うのです。いまは、マイナスをゼロに戻す段階です。だからこそ、決して感情的になって自分からペラペラ話してはならないのです。つらい気持ちまで我慢する必要はないけれど、いまは、会社に迷惑をかけないように頑張ることが大切なのです」
翌日も、Nさんは出社しました。
「よく会社に来られたね。わたしだったら休んでるわ」
事情を知っている同僚女性が話しかけてきます。それが、同情なのか、皮肉なのかわかりません。
事件からわずか2日後、Nさんは上司に呼ばれました。
「明日、社長が二人を別々に呼んで、事情を聞きたいと言っている。その前にわたしに詳しく教えてほしい」
と、いう話でした。Nさんは上司にことの経緯を話しました。
「Aさんにも聞いたのですか?」
「これから聞く」
上司は多くを語りません。ただ、こう言いました。
「暴力事件が起きているみたいなことをみんなが話している。会社はこのまま黙っているのかと女性社員が騒ぎ始めている。だから、社長がきちんと事情を聞きたいと言っている。まったく迷惑な話だ。なんでみんなもう知っているんだ。どうせ、君が広めたんだろう」
やはり、これが、大半の男性社員の総意だということです。この状況を、
セカンドレイプ
と、言います。Nさんは、ここで、本当の意味での身の危険を感じました。
(まずい、このままでは、わたしはこの会社にいられなくなる)と。お尻に火がつきました。
「社長と直接、話をさせてください」
「わたしが伝えるから大丈夫」
「いえ。誤解があるなら解きたいんです。お願いします。社長にわたしから直接、説明をさせてください」
その数時間後、上司から、明日、社長に話すようにと言われました。Aさんも社長と話すことになりました。
そして、翌日、Nさんは社長に事情説明をすることになりました。
暴力事件後、解決しない社長直々のパワハラ
Nさんは、わたしにこう言いました。
「わたしは、Aさんにきちんと謝罪してもらいたい。そして、二度と暴力を振るわないでほしい。それを、約束してほしい。そのことを、社長に言おうと思っています」
「Aさんは社長に言われれば悪いと思っていなくてもいくらでも謝るでしょう。それは、なんの謝罪にもなっていません。本当に謝罪の気持ちがあるなら、書面で”謝罪文”を書いてもらって、その中にきちんと、「二度と暴力を振るわない」という文言を書いてもらってください。そして、署名と捺印をきちんとしてもらうこと。そこまでやれば、間違いなくAさんに対する抑止力になります。自分は100パーセント被害者でなんの落ち度もないこと。そこまでやらないと絶対に許さないという覚悟を社長に見せることにもなります。できますか?」
翌日、Nさんは社長と面談。ことの経緯を伝えたうえで、わたしが言ったことをそのまま伝えました。そのあと、社長はAさんと面談。そして、再び、Nさんは社長に呼ばれました。
「これでいい?」
社長は。一枚の書面を差し出しました。そこには、
「わたしの粗暴な振る舞いで大変不快な思いをさせて申し訳ありませんでした。二度とこのようなことがないようにいたしますので、お許しください。もうしわけありませんでした」
という、パソコンで打ち込んだ文と、日付とAさん直筆の署名がありました。
「捺印がありません。捺印がないと、公式な文書と言えません。捺印もいただきたいのです」
Nさんがそう言うと、そこまで、終始、静かな物腰だった社長の態度が一変しました。
「ぼくがわざわざ、Aさんに頼んで、君らの喧嘩の仲裁をしてあげて、謝罪文までこうやって持ってきたのに、それでも君は納得しないと言うの?」
「ここまで、やってくださったことには本当に感謝しています。わたしは、ただ、捺印もお願いしますと言っているだけです。最初に署名と捺印をお願いしますと申しあげました」
「じゃあ、君は、Aさんを訴えようというの?そこまでやらなきゃいけないの?署名があれば十分でしょう」
「わたしは、ただ、二度と暴力を振るわれたくないだけです」
「だったら、これでいいじゃない」
「ダメです。彼女とは、一昨日から今日まで社内で何度も顔を合わせています。でも、一度も謝罪はないし、顔を合わそうともしません。それに本来謝罪の気持ちがあるならパソコンで打った文書のはずはありません。本当に誠意があるなら自筆だと思います。誠意がないことはすでにわかっているので、文書に署名と捺印が必要なのです」
「きみね。ちょっと、おかしいよ。ぼくがここまでやったのに、それでもダメだと言うの?」
「そういうことではありません」
「前々から思っていたんだけど、きみ、ちょっと真面目すぎるよ。そんなんじゃ、お客さまに対してもそういう態度を取ってると思ってしまうよ。お客さんにもそうやって当たってるんでしょう」
「お客さまの話はこの場では関係ないと思います」
「そういう臨機応変じゃない態度がよくないとぼくは言ってるんです」
「言っている意味がよくわかりません」
「ほら、すぐにそうやって逃げる。精神的にちょっと疲れてるんじゃないの。ちょっと叩かれたくらいで騒ぎすぎだと思うよ」
「暴力を振るわれたくないだけです」
「だったら、心療内科を紹介しようか?ちょっと、そういう心配もあるんじゃないの。最近、ちょっと早口だし、会話をかぶせてくるようなところもあるしね。とにかく、捺印はもう必要ない。わたしが証人だから。これで、もう終わりにしなさい。わかったね。納得できないんだっだら、勝手に出るところに出ればいい。とにかく、この件はもう終わり」
これは、Nさんが、直後に取ったメモの一部始終です。
この社長の言葉からわかったことは、
◯この問題は女性同士の痴話喧嘩程度にしか思っていないということ。
◯社長という権威をふりかざすタイプの社長であるということ。
◯パワハラがなにかを全くわかっていないタイプの社長であるということ。
◯傍若無人にやりたい放題の人間が社長をやっている会社だということ。
◯社長に逆らうと、クビになる会社であるいうこと。
肯定的に迎合できるなら、迎合しなさい!
これらのことを踏まえて、わたしがNさんに伝えたことは、
会社にいたいなら、思い切り、社長に迎合しなさい。
ということです。
心で、
「こいつはバカかもしれない」「イエスマンだけを求めている」「わたしは本当はこいつの言う通りにはしたくない」「こんな奴についていけない」
そう思っていて、その通りに行動したいなら、
会社を辞めるべきです。
そんな奴が、社長に座る会社でも、そこでキャリアを積んでいきたいと思っているなら、
その想いが勝っているなら、
迎合しなさい。
そういうことです。
だから、わたしはこう言いました。
「そんな社長が率いる会社でもいたい?」
「いたい。辞めたくありません」
「だったら、社長にすぐに、
『今日はすみませんでした』
と、手紙を書きなさい。そして、自分が、いかに非礼であったか。社長の行為の有り難みをいかにわかっていなかったか。今後、今回のようなトラブルを二度と起こさず、誠心誠意会社のためにどのように尽くすのかを手紙にしたためさなさい」
と、伝えました。
「メールではだめですか?」
「ダメです」
「きちんとした便箋に、丁寧にしたため、明日、朝一で、社長が出社する前に社長の机に置いておくように」
そう伝えました。
「そうしたら、社長はあなたを一気に見直しますよ」
「なぜ、そこまでしなくてはならないのですか?」
「Aさんがそこまですると思いますか?」
「思いません」
「そこまでしてもらって、嫌な気持ちがする人間がいますか?」
「いないと思います」
「そういうことを手紙で社長に伝える人間が今までいましたか?」
「いなかったと思います」
「あなたがは、会社でキャリアを積みたいんですよね?」
「はい」
「だったら、それができない理由が他にありますか?社長が喜ぶことをしない理由がありますか?」
Nさんは社長に手紙を書きました。
翌、朝一番に会社に行って、手紙を置きました。
「社長が一社員のためにここまでしてくださったことを本当に感謝しています。昨日までのことは全て忘れて会社のために全力を尽くします」
そう手紙にしたためて。
いま、少なくとも、社長との関係は良好だそうです。
それどころか、社長の方から話しかけてくることがほとんどで、最近では、重要な案件も任されるようになったそうです。
暴力女AとNさんは、お互いがまったく絡まない部署に異動しました。
AはしばらくのあいだはNさんに話しかけてきませんでした。しかし、Nさんと社長が親しげに話している姿を何度か見て、Nさんのご機嫌をとるような態度を見せるようになったそうです。
何が正しいか?
他人は変えられません。
自分が変わることが正しいのです。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
心の冷えとりコーチングにつきましては、こちらをご覧くださいませ。
風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。