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風宏の「心の冷えとり」コーチング5あきらめるのは自分を認められないから?

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新しい目標を持って、そこに向かって進むためには、一歩前に進み出さなくてはなりません。実は、第一歩を踏み出すことは、そんなに難しいことではありません。

新しい目標さえ見つかってしまえば、
「とりあえずやってみる」ことに抵抗感を覚えることはないからです。

その第一歩に少なからずお金がかかったり、周りの理解が必要な場合は、そこから考える必要がありますが、それ自体が第一歩ですから、前に進んでないということではありません。

それ以前に、難しいのは、「目標達成まで継続して行うこと」だったり、そもそも、「新しい目標を持つこと自体が難しい」と、いうことだったりしませんか?

今日の記事は、続けられない、3日坊主になって挫折してしまう方に向けて、同じように飽きっぽくて何回も挫折した心の冷えとりコーチの私が継続できるようになった理由をお知らせします。

継続して行うことは、そもそも難しい

「目標達成まで継続して行うこと」

の難しさを経験したことない人なんて、この世に一人もいないと思います。

継続して行うことは、そもそも難しいのですから。

 

例えば、

「大きくなったらお花屋さんになりたい」

小学生の時、あれだけ夢に見ていたのに、いつの間にか忘れてしまいます。

子供の頃の夢がそのまま継続することでさえ、稀です。

毎日、学校から出される宿題を忘れずに提出することがどうしてもできない。

自由研究のテーマを考えることは好きだけど、そもそも自力でやったことがない。

まっさらな日記帳が何冊もある。

中学、高校の部活で命をかけるほど熱心に取り組んだスポーツなのに、思ったような成績が残せなくて挫折してしまった。

やりたいことを実現させるためには希望の企業に就職しなければならないのに、就職活動がうまく行かない。

資格試験にどうしても受からない。

思ったような営業成績が残せない。

描いたような出世ができないから諦めた。

 

人間、生きている時間が長いだけ、やろうと決めたのに継続できずにやめてしまったという出来事が多くなります。

誰だってそうです。誰だって同じような経験はしています。

そこには対した差はないのに、

「自分は目標を持っても、どうせ達成できない」

と、自分を低く評価してしまう。その原因は、

その時の記憶を大事に残してしまっているからです。

「続けようと思ってもできなかった」

そこに、焦点を当てているから、

「なんでできない(できなかった)のだろう?」

と、考えてしまう。

「自分はどうして、何をやっても続けることができないのだろう?」

「できない」ことにばかり囚われているのです。

「できない自分」「できなかった自分」の過去の記憶ばかり再生しているから、

「自分はできない」と、思い込んでいる。

そういうことはありませんか?

つまり、

「できない」

と、いうのは、

「ただの思い込みかもしれない」

のです。

 

なぜ、そう言い切れるのか?

 

いいですか?

 

今までの自分の人生を振り返ってみてください。

今まで、あなたにとって、できなかったことはどれだけありましたか?

それに対して、できたことはどれだけありましたか?

ただ、頭で考えるだけではダメですよ。

紙に書いて、記憶の最も遠いところから最近のことまで、思い出すことを全部書き出してみてください。

必ずやってみてくださいね!

 

いつも自分のことを「できない」と評価している人は、「できない(できなかった)こと」の方が「できる(できた)こと」より、はるかに多いのではないですか?

反対に、

「自分はできる(できた)」と自分を評価している人は、「できる(できた)こと」の方がはるかに多いでしょう。

では、「できる」と自分を評価している人の書いた「できる(できた)内容」をざっと見たとして、その内容が他の人にはとてもできないような素晴らしいことが沢山書いてあるのかといえば、全然、そんなことないんです。

「できない」と評価している人が、その内容を見てみると、

「え?そんなことができたくらいで自分のことをできると評価しているの?甘すぎるんじゃない?」

そう感じてしまう内容ばかりだったりするのです。

また反対に、自分のことを「できない」と評価している人の書いた内容を「できる」と評価している人に見てもらうと、

「そんなの自分だってできないよ。そんな難しいこと誰もできてないよ。気にしすぎだよ」

「できないと言ったらそうかもしれないけど、そもそも、自分は「できなかった」んじゃないよね。やりたくなくなったから「やらなかった」んだよね

きっと、そう感じることでしょう。

 

つまり、

自分のことを「できない」「できる」の判断基準は何かというと、ただの個人差。ただの思い込みだったりすることがほとんどなのです。

「できる」と評価している人の書いた内容で、自分にも当てはまることを自分の「できる」ことに書き加えていったら、実はできることの方がはるかに多いということに気づいたりするものなのです。

 

とはいえ、

自分に「できない」という評価を下してしまっている人にとって、「自分は本当はできるのだ!」と、判断を覆すことは、とても難しいことだと思います。

なんせ「できない」と、思い込んでいるわけですから。

その思い込みを外すことは、正直、とても難しい。

 

そこを、

「よっしゃ!では、わたくしに任せなさい!」

と、解決に導くのがわたしの仕事です。はい。

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”できなかった”んじゃない。”やらなかった”のだ。

 

人は、「できなかった(できない)時」、

「どうしてできないのだろう?」

と、考えます。

「どうして」の部分はすぐに頭に浮かぶと思います。つまり、できない理由です。

「すぐに飽きちゃう」とか、「楽な方に流れてしまう」とか、「きついのはやっぱり嫌だ」とか。

「じゃあ、どうやったらそれを克服できるだろう?」

と、考えますよね。

「飽きないようにするにはどうすればいい?持久力をつけるとか」

「楽な方に流れないようにするにはどうすればいい?怠け癖を治すとか」

「きついのに耐えられるようにするにはどこを鍛えればいい?精神を鍛えるしかないとか?」

と、考えてしまうわけです。

で、結果、

「頑張って続けることが一番なんだ。継続できる力をつけないとダメなんだ」

と、結論づける。

でも、続けられないから「できない」という評価になってしまっているわけで、その評価を覆すためには「続けるしかない」って。

もうこれ、永遠に解決しませんよね。

堂々巡りです。

この堂々巡りの結果、

「自分は何をやってもダメ」

になってしまうのです。

そもそも、苦手なことを我慢して継続してやり続けることに意味あるのかな〜?逆効果なんじゃないかな〜?なんて、わたしは思うわけです。

それくらい、苦手なことを継続してやり続けることは誰がやっても難しいのですから。

だったら、好きなことをやったほうがいいですよね。好きなことは誰だって継続できますよね。

それと、「何をやっても」と、よく人は言いますが、本当に「何でもできることをやってみましたか?」

そう思うのです。

て、いうのも、はたから見ると、「同じことしかやってない」かったりするんですよね。

 

早起きできない人が、

「できることは何でもやったよ。目覚まし時計を二つにしたり、10個にまで増やした。ステレオをガンガン鳴らした。彼女にオハ電してもらった。でも、起きられないんだよ」

「それって、結局、やっていることは同じじゃん。寝酒をやめてみた?」

「それは無理。お酒やめたらかえって寝られなくなるし」

「やってみたの?」

「やっても無駄だから」

そういうことだったりするんですよね。

結局、やっていることは同じなんです。

自分の価値観、自分の記憶(できない記憶)の再生の中だけでやっているのです。

つまり、

別のアプローチをしてないんです。違うことにチャレンジしてないんです。

でも、それは、あなたが臆病でも怠けているからでもありません。

違う方法があるってことに気づいてないだけなんです。

視点を変えるってことに気づいてないだけなんです。

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大切なことほど見落としがち

 

「だったら、そこに気づかないことが、ダメじゃん!それだけで、自分なんて全然ダメだよ」

 

「できない」と評価してしまう人は、さらにそう思ってしまうかもしれませんが、はっきり申し上げましょう。

 

人間、そんなに簡単には大切なことには気づきません!

 

自分にとって大切なことほど、人間は見落としがちです!

 

だから、

人から教えてもらえばいい!

 

でもね、

人から教えてもらったことを簡単にできないのも人間です!できないのはあなただけじゃないです!

だから、

そんなことで落ち込まなくていいんです!

 

違う方法があるなら、その方法を人に教えて貰えばいいんです。

そして、今までは、

「そんな方法やっても無駄だよ」

そう思ってやらなかったことを、

「え?そんな方法で本当にできるようになるの?」

そう思ってもらえませんか?

そう思えたら、チャンスです

だって、その方法、やってみたことないってことですよね。

やってみたらタナボタかもしれませんよ。

人生は、びっくりするほど、そういうことだらけですよ。

人は、自分が望んでいることに限って、いろんな方法がそこかしこに転がっていることに気づかないのです。

なぜ、人は大切なことほど見落とすのか?

 

どうして、気づかないんでしょうね?

大切なことなのに、どうして見落としてしまうのでしょう?

 

では、まず最初に、その大切なことってなんでしょうか?

それは、あなたが

「できる(できた)こと」

です。

あなたが今、できていることです。

大切なこと = あなたができる(できた、できている)こと

 

 

でも、この当たり前のことを「大切だ」「ありがたい」と思わないから、人は簡単に忘れてしまうのです。

なぜなら、その人にとって、「できること」は「できて当たり前」のことだから。

だから、「大切」かどうか、気にも止めないのです。

その「当たり前」のことは、他者から見れば、とてもとても貴重なことなのかもしれないのに!

です。

あなたにとって、できて当たり前のことが、他者から見て、「できてうらやましいな〜」と、思えることだったら、それだけであなたの最大の武器になる。

そのことに気づいてない人がいかに多いことか。

 

例えば、わたしは最近ある方からこう言われました。

「わたしは感覚的な人間だから感じたことを言葉で表現するのがとても苦手なんです。でも、風さんはその感覚的なことをわかりやすく言ってくれるから、とてもわかりやすい」

と。

「その言葉を全くそのままお返しします」

と、言いたくなるほど、その方は話せているのです。でも、本人はそう感じてはいない。感覚的に感じたことをそのままストレートに口に出せていて、その言葉が思い切り的を得ている。と、いうか、的を得すぎていて、春の風のようにスーッとわたしの中に入ってくる感覚を覚えさせてくれるのに、彼女はそうは思ってない。

なぜ、そのようなことが起きてしまうのでしょう?

 

彼女が、感じたことを何も考えずにそのまま口にしたことは、全て当たっているし、彼女の明るさや優しさといった部分が全て言葉に現れています。

でも、彼女には、

「自分は感じたことを言葉に表現することが苦手」

と、いう意識があります。先入観と言ってもいい。

だから、感じたことを言葉にする時、

「あれ?こういう時、どういう風に言えばいいんだろう?」

と、考えてしまう瞬間が訪れる。そうなると、「思考」に囚われてしまって、大事な「感覚」の部分が置き去りになってしまっているのです。

人間、考えたことを言葉にすることはできても、考えながら言葉にすることは誰だって難しい。だから、わたしはほとんど考えずに感じたままを口にしているのです。考えてしまったら、わたしだって気の利いたことを言えなくなります。

誰だってそうなんです。

だから、彼女はできないところに焦点を当てるのではなく、できるところに焦点を当てるようにすればいいだけなのです。

そのことをわたしは伝えました。

「大丈夫。ものすごく伝わっていますよ。言葉がスーッと中に全部入ってきてますよ」

視点を変える

 

前回も書きましたが、わたしは書くことは大好きですが、わたしの文章を好きになれません。

いくら書いても、いくら読み直しても、わたしはわたしの文章を好きになれないのです。

「下手だな〜」

「面白くないな〜」

いつもそう思っています。

ある作家の方から、

「自分の文章が上手だな〜って思っているプロの作家は一人もいないと思うよ。そもそもそういう人はプロにはなれないし、プロで、そう思って書いている人の文章は面白いはずがない」

そう言われて少し気持ちが楽になりましたが、だからと言って好きにはなれない。本当は好きになりたいんです。好きになったらどんなに楽だろうって。

でも、読者の方から、

「面白い」とか、「ためになった」とか、「夢中になって読んだ」なんてご感想をいただけるようになって、ようやく最近、

「そう思って読んでくださる方がいるのだからそれでいいんだ」

って、思えるようになりました。

私の文章にとって「大切なこと」は、「読んでくださる方が喜んでくださること」なのに。そんなこと当たり前のことなのに、当たり前過ぎて、忘れていたんですよね。

「うまく書きたい」という自分の視点だけで物事を判断していたんです。

自分が「うまく書けた」と感じた文章は、読者からしたら、全く面白くないのかもしれないのに。

読者がいて初めて必要とされる文章なのに、読者の視点に全然立ってなかったんです。

みなさんにも、そういう部分、ありませんか?

きっとあるはずですよ。

 

それと、もう一つ、最近になって気づかされたことがあります。

わたしの言葉は、人様のお役に立てる。

と、いうことです。

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わたしの一番得意なことってなんだっけ?

 

わたしは、子供の頃から、「おしゃべり」が大好きでした。

母の実家が和カフェのようなことをやっているお茶屋さんで、5人姉妹で、家の中にはいつも溢れるほどのおばちゃんがいて、父にも5人の姉妹がいて、従兄弟にも1対2の割合で女の子がいて、物心ついたときには女性に囲まれた生活をしていたので、朝から晩までおしゃべりに囲まれた生活を送っていました。

だから、わたしは、いつも、そんなおばちゃんたちをいかに笑わせるかということばかりを考えて、山本リンダを振り付きで踊ったり、笑点の落語を真似てやって見せたり、水戸黄門に出てくる悪代官を真似たり、

「宏ちゃん、今日は何やって笑わせてくれるん?」

そのリクエストにいかに答えるか、期待を超えた笑いをどうやって提供するか、そんなことばかり考えていました。学校でも然り。大学卒業するまで演劇をやっていたので、ずっとずっと人を笑わせることばかり考えていました。

お笑い芸人のように自分でネタを書いて、お芝居で披露する。

舞台に上がってしまえば、お客さんの雰囲気や場の空気でなんとか笑いを取るできる自信はありました。

しかし、肝心のネタが書けない。

「いざ本番になったらなんとかなるんだから、ま、いいか」

そう思えれば、もっと面白いことができたように今となっては思います。

でも、わたしは、

「自分には面白いことが書けない」

そのことばかりに焦点を当てていたのです。

「もっともっと、書くことに力を注がなくては」

もし、あの時、

「書くことは上手な後輩に任せよう。自分は舞台でのパフォーマンスに集中しよう。自分の得意なところをもっともっと伸ばせばいいんだ」

そう思えていれば、もっと楽な、もっと楽しい人生が歩めていたような気がしてならないのです。

(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)

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風宏(Kaze Hiroshi)
この記事を書いている人

風 宏(Kaze Hiroshi)

 風宏

心の冷えとりコーチ

冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。