お腹が空いている時に温かい食べ物を食べると、体が温まり、幸せな気持ちになりますよね!
コンビニ料理やスーパーのお惣菜が味気なく感じるのは、機械的に作られていて、作った人の愛情が感じられないから。
料理が嫌いな人は、人のために作る喜びを知らないからです。そう、料理を作る人には、愛がいっぱい。
今日の記事は、料理はあったかい魔法があるということをお伝えするものです。
これを知れば、料理が下手だって料理したくなるはずです!
ごはんを食べるとあったかい
料理を食べていると、身も心も温かくなりますよね。
特に、恋人や奥さんが作ってくれた料理には、愛情がこもっていますから、その分だけより、
「あったかい」
と、感じるのではないでしょうか。(ひとまず、ここでは、「彼女の手料理ほど、うざいもんはない」などと言う”こじらせ男子”は無視してください)
「食べることは大好きだけど、作るのは大嫌い」
でも、食べることは大好きなんですよね? 食べている時って、幸せな気持ちになるから大好きなんですか? 単純に美味しいから?
じゃあ、その美味しい料理を提供してくださっている方はどなたですか?
奥さんですか?旦那さんですか? お母さん? お父さん? それとも、
「外食しかしないからお店の人」
ですか? それとも、
「コンビニ弁当。あと、カップラーメン」
でしょうか?
でも、食べることは大好きなんですよね?
コンビニ弁当もカップヌードル(大好き)も美味しいですよね。
食べたら、心も体も温まりますか?
「あったか〜い」
そういう気持ちになってますか?
もし、そういう気持ちになっているのであれば、そういう気持ちにさせてくれている人に感謝していますか?
「お金を払っているから、結果、感謝していることになるんじゃないかな」
お金は対価です。感謝の気持ちとは全然関係ありません。
提供していただいたサービスと料理に対して対等な関係にあるお金を交換したことに過ぎないのですから。
肝心なのは、お金を支払う時に感じる、
「ありがとう」
と、いう気持ちです。
その気持ちを素直に感じられる時に初めて感謝という思いがわき起こるのです。
つまり、何が言いたいかというと、
わたしたちの体は、頭の先から爪の先まで、食べたものでできています。これは、紛れもなく疑いようのない事実です。
毎日、家族の手料理を食べている人は家族の手料理でできています。毎日、コンビニ弁当の人はコンビニ弁当でできています。
人間の細胞は6年周期で入れ替わると言われています。
と、いうことは、今ここにあるわたし達の体は、この6年間食べたもので作られていることになります。
あなたは、この6年間、どのようなものを食べてきましたか?
そして、どれだけ食べ物に、料理に、作ってくださった方に感謝してきましたか?
その量で、あなたの細胞がどれだけ「あったかい」のか決まるのです。
体は食べたものでできている
考えてもみてください。
あなたの体は食べたものでできている。
それを作った人のおかげで、今のあなたは生きているんです。そう言った方々に感謝の気持ちを抱くのは、当たり前のことだと思いませんか?
コンビニ弁当だってカップラーメンだって、工業製品ではありません。食料です。きちんと人の手を介してます。
それを愛情を持って作ってくれている人はいるのです。
感謝するのは当たり前だと思います。
それを素直にできている人は、間違いなく心の”あったかい”人だと、私は思います。
言い換えると、
人のために料理を作っている人は、人の心を”あったかく”できる人なのです。
その人自身の心が温かいかどうかは別として、間違いなく、人の心をあったかくできる人です。
つまり、人に幸せを与えることができる。
これって、凄いことじゃないですか?
おそらく、人を幸せにできる、最も簡単な方法だと思います。
わたしは、ブログで何度も言ってきました。
自分が幸せじゃないと人を幸せにはできないと。
料理をおすすめする人
今、わたしは辛い。前に進めない。何をすればいいかわからない。何をやっても上手くいかない。
そういう方に是非、お勧めしたい。
自分のために、誰かのために料理を作って欲しい。
「でも、面倒臭いし。レシピ覚えるの苦手だし。料理教室通うの高いし」
ですよね。
ちなみにわたしの奥さん、茜さんもそのクチです。
料理は一切しません。でも、娘の音ができてからは、わたしが何日も家を空けたり、料理を作れない日が何日も続くと、
「どうしても外食中食ばかりでは、子供に良くないな〜。嫌だけど作るしかないか〜」
と、料理をするようになりました。
と、言っても、彼女はネットで検索したり、レシピ本を見るということは一切しません。冷蔵庫にある材料で、適当に、本当にテキトーに作るのです。あとで作り方を聞いたら、
「はっ? それだけ?」
と、わたしが唖然とするほどテキトー。
でも、そんな毎日食べているわたしの料理と、たまにしか食べない茜さんの料理。娘の音の評価は、
1対1の同点。
そんなもんなんです。
つまり人の味覚なんてそんなもの。
大切なのは、
「料理は愛情!」
どっかで聞いたようなセリフですが、この言葉に尽きるのです。
だから、美味い不味いは二の次。
まずは、やってみましょう。
そして、食べてもらいましょう。
人を幸せにするために。
そして、自分が幸せになるために。
レシピは舌
わたしは料理が大好きです。
わたしが東京に出てきて、一人暮らしを始めて、自炊をするようになってちょうど30年が経ちました。
お金がないから野菜屋さんで適当にクズ野菜を買ってきて、コンビニではなくてスーパーで、1個50円くらいの冷凍ハンバーグを何個も買ってきて、それを細かく切って焼いて野菜と炒めたり、野菜と煮て煮込みハンバーグにして、毎日アレンジをして1日の食費が100円以内に収まるようにして…。
それが、わたしの自炊の始まりでした。
しかし、世はバブル真っ只中。景気が良いのです。スーパーでもどこでも、安売りしなくても、ものは飛ぶように売れる。ものの値段はどんどん上がる。大学に通学しながらお芝居をやっていたのでアルバイトは日雇い労働のようなことしかできないので、お金がほとんどありません。当時はお酒もタバコも必需品だったし、銭湯のお金もバカにならない。
削れるものは食費だけでした。
しかし、1年間そのような生活をしているうちに、わたしの体重はどんどん減り、当時、上京時には59キロあった体重が、53キロまで落ちました。
いかんな〜。こんな生活を続けていたら死ぬな〜。
かといって、お芝居もお酒もタバコも銭湯も止められない。どれも、生きていくためには必要不可欠だった(そう思い込んでいましたね)のです。
となると、生きるために必要なのは、お金です。食費です。
お金を得られて食費もまかなえる方法は、たったの一つ。
そうです。飲食店でバイトをする。
しかし、飲食店でのバイトは、やりたいときだけやるというわけにもいきません。最低でも週3日勤務で1日8時間労働。週5日通えば待遇も良くなるし、給料も増える。でも、そのためには、物理的に何かを削らなけれなりません。
そうなると、答えは簡単です。お芝居が削れないのだから、授業に出席する時間を削るしかない。
そうやって、わたしは親の期待をいとも簡単に裏切り、ダメダメ大学生に落ちていきました。お芝居とアルバイト。良くある構図です。(結局わたしはお芝居でもダメダメでしたが)
と、言っても、ダメなことばかりではありません。
むしろ、この飲食店でのバイトは、わたしに良いことばかりをもたらしてくれました。
お芝居の先輩がバイトをしていた渋谷公園通りにあった超人気焼肉店で働き始めたのが大学2年生になった時でした。先輩はホールで接客でしたが、わたしは厨房で調理のバイトです。
1年間、自炊していたとはいえ、素人も素人。
できることは、厨房や焼肉網の掃除に皿洗いに届いた野菜を洗って切ることくらい。
そこから始めて、慣れてくると肉を切らせてもらえるようになります。そうなると、包丁も研げるようにならないといけないし、肉の部位や、塊をどのように切るか、覚えなくてはいけません。厚さはどれくらいか? 焼き加減はどのくらいか? 食べるのにベストな状態はいつなのか?
まな板の上でそういうことがある程度できるようになると、次に任させられるようになったのが、ガス台まわりです。いわゆる、火を使う料理を任せられるようになるのです。
6つ並んでいるガス台を一人で使いこなし、手際よく料理を作っていかなくてはなりません。例えば、一つのテーブルから焼肉チャーハン二つにクッパ一つ。キムチチゲ二つ、チャプチェ一つなんて注文が来たら、6つのガス台を同時に使って、ほぼ同時に料理を出さなくてはなりません。
ここは、判断力や応用力、全体を見る目が養われます。私はこの場所に立つのが一番好きでした。でも、当然、最初からできたわけではありません。失敗をして鍛えれられて自分で学んで時間をかけてできるようになるのです。
その入門編が、賄い(まかない)でした。
ガス台を任されると同時に、ホールと厨房で常時10人ほどいるスタッフのまかないを担当させられるのです。
夕方4時になると、店長から5000円を預かり、スーパーに買い物に出かけ、一人500円以内の材料を買い、戻って、まかない飯を作り、5時半までには食べ終わって、夜の準備が整った状態にしなければなりません。
二十歳そこそこの大学生のアルバイトに、その全責任が重くのしかかります。
わたしのお客さんは、お店のスタッフ。半分は社員さんです。みんな飲食のプロです。一人500円分の材料で、500円分の価値しかない料理を出したら、当たり前ですが大ブーイングです。材料費に500円も使ったら最低でも1000円払っても満足できると思えるものを作らなくてはなりません。
つまり、まかない飯は味はもちろん、見た目、センス、商売センスがあるかどうかまで問われるのです。
もちろん、わたしにはそのどれもない。
あるのは、舌の感覚だけ。
だから、
「うまい!」「これ、美味しいね〜。どうやって作った?」
そう言わせたい。
これが、わたしが料理好きになるきっかけでした。
レシピなんて言葉すら知らない。
自炊を始めて1年足らずのガキが、プロに料理を出すのです。
だからと言って、食べたことのないものを作ることはできません。
食べたことのあるものでも、作ったことのないものは作り方なんてわかりません。
今では、新しい料理にチャレンジしようと思えば、ネットで検索して、同じ肉じゃがでも100通りのレシピを見ることができます。スマホを目の前に置いて、調理動画を見ながら一緒に進めるなんてことも普通にできます。
それどころか、野菜を切って調味料をパットに入れてチンするだけで全部出来てしまうレンジもあるほどです。
でも、当時は、何もありません。レシピ本は本屋に行けばありましたが、そんなのお金がもったいなくて買えない。
そもそも飲食店の厨房でレシピ本を見ながらまかない飯を作ってたら時間が足りない。ドヤされます。
だから、肉じゃがだって、親子丼だって、カレイの煮付けだって、サバ味噌煮だって、定食屋でおばちゃんが作っていた姿を思い出したり、食べて美味しかった舌の感覚を思い出しながら作っていました。
でも、わたしの舌は”ゴッドタン”ではない。
作ったまかないのだいたい半分は不味いわけです。特に魚の煮付けなんて、臭みがそのまま残って食えたもんじゃない。下ごしらえなんて発想もないんだから当たり前です。でも、それでも、みんな食べてくれる。
「不味いな〜」
「これ、サバ、ちゃんと湯通しした?」
なんて言いながら。そして、店長がやってきて、
「おまえ、下ごしらえしてないだろ。こうやってやるんだよ。いいか、見てろ。一回しかやらないからな」
そう言って、余った魚の切り身を使ってチョチョチョイとやって見せてくれる。
そうやって毎日毎日、鍛えられていきました。
「あの〜砂糖は何杯入れればいいんですか?」
なんて、聞き直しても、
「おまえが美味いと思う量が適量なんだよ。家庭料理ってそういうもんだろ?お客さんに出すのはそういうわけにもいかないけどな」
そう言って口頭で。いわゆるレシピ的なことは何も教えてはくれませんでした。
ただ、お客さんに出す焼肉チャーハンやら、クッパ、チゲ鍋になると、そういうわけにもいかないので、きちんと作り方を教わります。
だからと言って、紙に書かれたレシピなるものがあるわけでもないので、最初は厨房の先輩の作り方を見て、見よう見まねで作るのです。
しかし、
「いいか、こうやって作るんだぞ」
と、言いながら作って見せてくれるA先輩とB先輩の作り方が微妙に違っていたりする。調味料の量も少しどころか全然違う。
例えば、ビビンパなんて、ご飯の上に5種類のナムルを乗っけて牛ひき肉と刻み海苔をパラパラと降るだけなのに、Aはご飯の量がものすごく少ない上にナムルを乗っける前にごま油をパ〜ッと振る。Bはご飯多めだけどごま油は振らない。
「えっ?どっちが正しいんですか?」
そう聞くと、AとBで、
「本当に美味いビビンバとは?」
の議論が始まってしまう。どちらも、
「俺のほうが美味いに決まってんじゃん!」
譲らない。仕方なくオーナー社長に聞くと、
「自分が美味いと思ったもんを出したら間違いないよ」
「でも、僕、ビビンバなんて今まで食べたことないんでわからないし、お客さんに出すのに統一したほうがいいんじゃないんですか?」
そう尋ねると、
「じゃあお前が美味いと思うビビンバを一つ作ってくれる?」
そう言われて社長に出すと、一口食べるたびに、
「うん。美味い。うん。美味い美味い。これでいいよ」
そして、全部平らげて、
「今までお客さんから美味いとは言われても不味いって言われたことないだろ? 美味けりゃ、ちょっとした違いなんて誰もこだわってないし、そもそもそんな細かいことわかりゃしないんだよ。日本料理やフレンチの客はそうじゃないだろうけど、ここは焼肉屋だから。美味けりゃいいんだよ。美味けりゃ、誰も文句言わないよ」
時代がバブル真っ只中で、世の中が細かいことを気にしない時代だったから適当でもよかったのかもしれません。ネットの評価が店の今後を左右する今の時代でこのようなことをしていたら、すぐに風評が広がるでしょうね。
ただ、オーナー社長のこの言葉は、なぜかものすごく私の心に響きました。
美味いと思うものを”自作”する喜び
それから、大学を卒業するまで、お芝居の公演期間を除いたら、ずっと週4日で1日10時間労働していました。
3年4年で130単位取って、ギリギリ4年間で卒業できましたが、就職活動もほとんど真面目にしませんでした。それでも、世はバブル。こんな私でも、OB訪問をしただけで、大企業の不動産デベロッパーに就職できました。
もし、あと2、3年若かったら、こんなわたしに就職口なんてあるはずないので、もう少しお芝居を頑張ってそのまま焼肉屋でバイトを続けていたと思います。そのあとは、お芝居を諦めて飲食業界で働いていたでしょうね〜。
それくらい、料理を作ることが好き好きで仕方がありませんでした。
なぜ、好きで好きで仕方なくなったかというと、
下手でも喜んで食べてくれる人がいたからです。
「下手だな〜。マズイな〜。でも、こうすれば美味しくなったと思うよ。今度は美味しいの頼むよ」
「美味しかったよ。ありがとう」
この言葉がたまらなく快感でした。
学生時代は、自宅に遊びに来た友達に手料理を振る舞いました。
「美味い!」
「これめちゃくちゃうめ〜!」
この言葉が、たまらなく快感でした。
「風の作る料理は、初めて食べる料理ばかりだもんな〜」
「こんなの食べたことないよ〜」
それはそうです。
わたしはとにかく肉でも野菜でも、スーパーで安いものだけを適当に買い、冷蔵庫に適当に詰め込んで、料理を作る時に、冷蔵庫を開けて、そこにある限られた材料と、限られた調味料の組み合わせを変えて、適当に作っていただけですから。
でも、それをずっと続けていると、不思議なものです。
センスが磨かれてくるのです。
お金はないけどファッションの大好きな人がよくやるアレンジと同じです。組み合わせを変えるのです。
センスが磨かれるのです。
そうなると、どうなるか?同じ材料と同じ調味料で、何種類も料理を作れるようになります。
そうなると、どうなるか?料理を食べてくれる人を簡単に騙せるようになるのです。
これは、とっても素敵な嘘。
これを、ぜひ、みなさんに知っていただきたいのです。
続きは、【冷えとりと食】料理はあったかい魔法2「身だしなみ&料理の見た目は大切」をご覧くださいませ。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。