実は、私は、正社員8回、派遣、バイトなど実に多様な仕事に就いてきました。この職歴の中で、共通なのは、非正規職員から始まって、正社員になり、パワハラで辞めざるをえなくなるというパターンが多かったのです。
なぜなのでしょうか?
パワハラで傷つき、仕事を失うことに意味があったのでしょうか?
今ならその意味がわかります。
現在の私からみたパワハラ受けまくりの私の闇過去人生を振り返ることで、今、パワハラという人間関係にお悩みの方の心のともしびになればと思って書くことにしました。
パワハラはその中にいるときはとてもつらいものですが、心の毒出しであると思えば、毒を出し切ってしまえば、大きく変化する大チャンスになります。
災難はそのときはいやなものだけど、あとになって大きな気づきも多いのが人生です。
そして、失敗しても、どこかに自分の合う場所が必ずありますし、人生なんとかなるものです。
私の失敗体験から探っていきましょう!
今回のお話は、公的期間の安定の職場でも、妊娠でマタハラを経験することになった私が勝ち得た育児休暇後にモラハラで仕返しされた仕事闇歴史をお伝えいたします。
マタハラを乗り越えた後に待っていたのは、男性上司からのモラハラだった
私は契約社員初の育児休暇取得者となりました。
自分としては当然の権利を獲得したと思っていました。
この公的機関では、前例がないと当然取れる権利をあきらめさせようとしていたので、自分の頭で考えて、しかるべきところに相談し、取得できるようになったのです。
こんなふうに権力で押さえつけてくる人には、権力でやり返すというのがその頃の私のやり方でした。
労働局機会均等室を味方につけて、無事に育児休暇をとれることとなったのです。
正規社員は黙っていれば当然取れる権利も非正規職員には権利がない...
育休改変を知らなかった男性上司は前例がないと調べもしないで私をあきらめさせようとしたので、自分で調べることは本当に大切なことだと学び、権利を得ることができました。
ところが…
そうはうまくいかないのが人生です。
育児休暇明けには、私のポストは移動となっていました。
(本来ならば元の場所に復帰させなければなりません)
理由は属していた部署の仕事が子供がいる人には難しいということでした。
これは明らかに私には嫌がらせとうつりました。
沽券を潰された上司が嫌がらせをしたとしか思えません。
揉めるのが面倒だから、仕方がなく移動して働くこととなりました。
私たち夫婦は共働きで周りに子供を見てくれる人はいませんでした。保育園には無事にいれることはできたものの、赤ちゃんの頃は何かしら病気になり、保育園を休むことになります。無事に登園できたとしても、具合が悪くなるとすぐに呼び出されます。
突然具合が悪くなると、赤ちゃんを見てくれる人がいないので、仕事を休まなければならなくなります。
新しい移動先の男性上司は、モラハラ野郎でした。
「子供が熱を出したので休みます。」と電話連絡をすると、
「ああん?子供の面倒をきちんと見てないから熱出させるんだよ!また熱で休むのか!」と怒鳴りつけられます。
これには本当に怖くて電話するのもつらかったです。
仕事は歯車のようにシフトが組まれているので、私が休むことで支障がでることはわかっていましたが、どうにもすることができません。怒られても休むしかできませんし、そこに移動させたのは育休を前例がないと認めなかったあの上司ですから、怒鳴るのであれば私ではなく、その上司に怒鳴って欲しいと思いましたが、下に怒鳴りつける人は上には弱いものです。あたりは私に強く出てきました。
怒鳴られるのが怖くて、夫に仕事を休んでもらって赤ちゃんをみてもらったり、自分が体調不良を我慢してまでも、出社するようになりますが、子供の病気をうつされて体調不良のまま仕事に行くうちに、ついに咳がとまらなくなりました。
電話応対の仕事も咳を止めることができなくなりました。
この直属の上司が大声で怒鳴るのが本当に耐えられなくて、その上の上司にも相談しました。その上の上司は直属の上司がしたことをメモを取るようにと言っただけで、特に何もしてくれませんでした。
咳発作がひどく、息が苦しくて眠れなくなり、耳鼻科で呼吸器をみてもらうと急性気管支炎と診断されました。
私はそれでも仕事に行かなければと思っていました。
耳鼻科の先生に仕事先でのモラハラを話すと、
「しばらく休職しましょう」と診断書を書いてくれました。
結果的にわたしはそのまま半年休職し、契約更新してもらえず辞めさせられることになりました。
そのときは、自分の中に眠る忖度装置が働いてしまって、
子供の健康 < 上司の機嫌
になってしまっていました。でも本能ではそれは違うということが、咳の発作で現れたのではないかと思います。
今の私から当時の私にいってやりたいです。
いくら忖度してもその人は家族じゃない。
第一に考えなければならないのは自分の子供だ
当時は忖度意識に振り回されていて、仕事第一でした。夫を仕事を休ませて自分が仕事に行ったり、自分の体調が悪いのに無理して仕事に行っていました。
それは仕事が好きだからでも、
仕事に支障があるわけでもなかったのです。
ただ、直属上司に怒鳴られたくなかっただけ…
いい子でできる自分でいたかっただけ...
父親くらいの男性に怒鳴られると、小さい頃、母と父が大げんかしていた記憶が蘇り、二人に仲良くなってもらいたい私はいい子になろうとしました。
それが発動してしまっていたのです。
そのときも、幼い頃も、本当に大切なものをないがしろにして、人の機嫌を取ることに必死でした。
このときはまだこのことに私は気づいていませんでした。
むしろ、目には目をのハンムラビ法典が始動し、労働局に訴えて、私にモラハラをした直濁上司を訴えようと意気込んでいました。
ところが…
夫は「金持ちけんかせずだよ」というので、あきらめました。本当は、労基に訴えてコテンパンにやつけてやりたかったのですが、咳の発作がひどすぎて、気力も湧かなかったということもあったと思います。
私は職場を去りました。
すると、数年後、その直属上司は私にしたパワハラと同じことを別の人にして解雇され、その上の上司は、管理できていないということを理由に定年後の労働を延長してもらえませんでした。
【人生転換のチャンス6】金持ちけんかせず
自分が仕返ししなくても、
自分がしたことは自分にかえってくる
自分で仕返しできずにとても悔しかったのですが、違う力できちんと制裁されるという世の中のシステムをこの時に学びました。
そして、私はじっくり休養して体調を回復させることとなりました。仕事は失いましたが、健康を失うことはありませんでした。ただずいぶん肺に負担をかけてしまったので、肺がん検査をすると、今でもCT画像には病変の跡がうつります。肺が悪い人は高熱を出しやすいので、もっと早く決断すればよかったと思っています。
この頃はまだ冷えとりを知らない頃でした。
健康あっての人生ですから、誰に何を言われても健康が第一ということを忘れてはいけません。
そして、どんなことがあっても、人を怒鳴りつける行為はあってはならないことです。その場合は、すみやかに処置をとることがやはりベストだと思いました。私のように我慢するだけ我慢していると体や心を壊すことになります。メモをとれなんて流暢なことを言っている上司の言うことを聞いている時間は無駄でした。
こうして私には体と向き合う転機が訪れたのでした。
【人生の転換のチャンス7】
健康あっての人生
どんな理由があっても、暴力暴言行為は許されない
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