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仕事の不安解消方法|肩書きがなくなる恐怖と対峙する人へ

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会社員でなければならないと私の奥さんは思い込んでいました。

人はそれぞれ肩書きがあります。例えば、奥さんは仕事をやめれば主婦。

どうして主婦という肩書きが嫌だったのでしょう。主婦だと見下されるからというのが理由でした。主

婦だと見下されるなんてことはないのに、そう思い込んで仕事での肩書きがなくなるのが嫌なために、なかなか会社員をやめられませんでした。

今日の記事は、そんな奥さんのように仕事の肩書きがなくなることに不安や恐怖を感じている方に向けて、お届けしたいと思います。

仕事の肩書きがなくなった時のあなたは誰ですか?

世の中にエリートという分類に入る職業についている人がたくさんいます。

 

お医者さん、弁護士さんはじめ、一部上場企業の大企業にお勤めのサラリーマンのみなさん。

 

かつて、わたしも某有名企業のサラリーマンでした。

わずか1年半でメンタルダウンしてしまったので、もちろんわたしなんぞエリートの端くれですらなかったのですが・・・。

でも、正直、もしあのまま踏ん張ってあの会社に居続けていたら、わたしはどうなっていただろう・・・。

 

そう想像すると、居続けられなくて正解だったのかもしれないな〜。

なんてことをしみじみ思うのです。

 

それは、「電通」の女性社員の方が自殺されてしまったあの「過労自殺問題」について考えさせられることがあまりに多いからです。

「電通」ではその数年前にも、若い社員が過労で自殺されてしまうということがあったにもかかわらず、社内では何一つ対策を講じてなかったということが問題視されています。

かつてわたしがサラリーマンだったのは1年半という短い期間でしたが、それはそれは過酷な日々でした。

毎朝、朝礼で今日の目標を大声で叫び、みんなで「エイエイオー!」と雄叫びをあげる。

毎月の営業ノルマが心を追い詰める。

やることがなくても先輩より先に会社を後にするなんてことは決して許されません。

接待、飲み会のない日は皆無。入社一ヶ月後に急性肝炎に。

終電で帰るのは当たり前。

週に二日は会社近くのカプセルホテルに宿泊していました。

一応週休二日ですが、週に1日でも休むことができたらそれだけで幸せで、休み明けの早朝5時くらいになると、胃がキリキリ痛くなって目が覚める。

それでも、当時はまだサービス残業なんて言葉はありませんでしたから、残業した分だけお給料はいただけました。

そこそこの大企業だったので、給料はかなり良かったと思います。

しかし、そんなお金も全部お酒で消えました。

接待のない日は、一人飲みで毎晩泥酔するまで飲んでいました。

それでも、入社当時はバブル真っ只中。

タクシーは長い列に並ばなくても、名刺を道端でパタパタ降れば止まってくれました。

ボロボロのわたしを支えていたのは、大企業のエリート社員という肩書きだけ。

先輩に連れられキャバクラへ行くと、

「え〜。名刺くださ〜い!わ〜すご〜い」

わたしのようなペーペ〜社員にも黄色い声を上げてくれるのです。

てか、正確には、わたしの名刺に黄色い声を上げるのです。

 

ふと、気がつくと、

「自分は一体誰のために何のためにこんなことをしてるんだ?」

 

そう気付いてからは会社を辞めたくて仕方がありませんでした。

そして、いざ会社を辞めてしまうと、次の仕事が決まっていなかったわたしは、あることに気づきました。

「あれ?俺の今の肩書きはなんだ?」

その感覚は、予備校生の時以来でした。

でも、予備校生には予備校生という肩書きがあります。

「今の俺にはなんの肩書きもない・・・・じゃあ、俺は誰なんだ?」

以来、わたしは肩書きを持つことをやめました。

 

もちろん記者の仕事をしている時には、

その出版社の依頼で仕事をさせていただいているので、その出版社の名刺を使わせていただきます。

コーチという仕事をさせていただくようになって、名刺も作りました。

「成功コミュニケーション実現コーチ」「心の冷えとりコーチ」

と、いう肩書きは自分で考えました。

でも、これはあくまでコーチとしてのわたしであって、

わたしという人間をすべて表しているものではないと思っています。

 

わたしは今まで仕事以外で出会った人に、自分の名刺を渡したことは一度もありません。

 

それは、「〇〇の風宏さん」と認識されたくないと思っているからです。

わたしは記者という仕事をしているけれど、〇〇は出版社や雑誌の名前であって、わたしではない。

 

それを職業意識、プロ意識が薄いと感じられる方もおられるでしょう。

それはその方の価値観であって、わたしの価値観は全く違います。

 

初対面の人に横柄な態度を取れる厚顔無恥な人もいる

 

では、肩書きというものを持つことをやめたことによって、何かいいことが起きたのか?

何か得することでもあったのか?

 

そういう疑問が湧いてきますよね。

 

そうですね〜。少なくとも、

人のことを職業や肩書きや身分、年齢、男女差で判断したり、態度を変えたり、言葉遣いを変えたりすることはなくなりました。

 

これ、できる人、ほとんどいないと思います。

例えば、タクシーに乗ると平気で、

「はよ、車出して」

「〇〇(目的地だけ言う」

タクシーの運転手さんに話しかけられても平気で無視したり、

「今、黙っといてくれる?」

そういう態度をとる人がたくさんいます。本当にたくさんいます。

店頭販売のお店に並んでいると、商品を指差して、

「これとこれ。あ、それとこれもね。早くしてね」

と、言いつつ、支払い時に、

「あ、やっぱりこれもね。急いで」

いますよね。

飲食店で注文するときに、

「オススメは?あっそう。じゃあそれ。なるべく早く持ってきて」

 

たくさんたくさんいますよねー。

 

てか、

「その言葉遣いの何がいけないの?ちょっと細かすぎない?」

読みながらそう感じておられる方もいるでしょう。

 

いいとか、いけないとか、そういう話ではありません。

 

そういう態度を取られた人の気持ちを考えたことがありますか?

 

そして、

 

あなたは、あなたの上司にも、あなたの尊敬する人に対しても同じような言葉遣いをしますか?

 

しませんよね。だったら、

初対面の方に平気でそのような態度をとっている自分のことを少しは恥じた方いい。

 

そう思うのです。

 

飲食店の店員さんだろうが、タクシーの運転手さんだろうが、

初対面の方なんです。

 

「できるだけ急いで目的地に向かっていただけますか?ありがとうございます」

「やっぱりこれもね。急いでいただけるとありがたいです」

「オススメはなんですか?あ、そうですか」

どうです?

ただ「です」「ます」をつけて、最後に「ありがとうございます」を足すだけ。

これだけで、無理を言われた相手も嫌な気持ちにはなりません。

それこそ、あなた自身が良い気持ちになると思いますよ。

 

いつも顔を合わせている上司には敬語で、初対面の方にはタメ口、もしくは命令口調。

そんな自分の態度を俯瞰して見てください。

 

恥ずかしいですよね。

 

それを、恥ずかしいと思わないあなたは、人としてどうかしている。

 

そんなあなたは、そんなに偉いのですか?

 

それは、あなたの肩書きがそうさせているのですか?

 

それとも、あなたは完全無欠の絶対無二の存在なのですか?天上天下唯我独尊ですか?

 

そもそも、

肩書きを外したあなたは、一体何者なんですか?

 

仕事の肩書きがなくなると、本当の人となりが見えてくる

 

だから、わたしは相手が大企業の社長であろうが、入社1年目の平社員であろうが、学生であろうが、

初対面の人には必ず敬語を使います。

学生であろうが、「○○くん」と呼ぶことはありません。

ある程度の信頼関係ができるまで、相手が心を開いてくれるまではしっかりある一定の距離を起き、相手が話しやすい距離感や環境を作ることに心を注ぎます。

普段、わたしが一緒に仕事をさせていただいている方々も全く同じです。

記者の先輩後輩。編集者のキャリア。カメラマンの年齢もわたしには全く関係ありません。

皆同じです。

 

わたしと同じか、それ以上。

 

つまり、誰であろうと目上の方に対する態度と同じ態度を取るように心がけています。

 

そうなると、何が見えてくると思いますか?

 

人が見えてくるのです。

 

特に若い人。

 

わたしより全然若い人。

 

仕事で知り合ったような若い人は、最初は、わたしのような目上の人間に対しては、誰だって緊張していたり、警戒していたり、手探り状態で接してきます。みんな優等生の態度です。

 

でも、わたしの態度がどんなときでも対等であり、自分の意見をちゃんと聞いてくれる相手だとわかるとすぐに心を開いてくれます。

 

当たり前ですが、人は初対面の相手には警戒をします。

 

でも、職場や楽しい場で出会った相手に対しては、できれば早くその警戒を解きたいと思っています。なぜなら、そのような場で出会った相手は「いい人に違いない」そう思いたい。

性善説ですね。

その本音は、無駄な労力を使いたくない。自分が早く安心したい。相手を気楽に話せる相手にしたい。という、甘えた感情です。

でも、本当に自分にとっていい人なのかどうかは、正直、わからないわけです。

その心配をわたしはできるだけ早く解いてあげられるように心がけます。

警戒していた若い子が心を開き、優等生が良い子の一面をたくさん見せてくれます。

そして、お互いにある程度の慣れのようなものが出てきたとき、ようやく、相手の本性が表面に現れるようになるのです。

「これから何でも教えてください」

「風さんには同僚に言えないことや愚痴でも何でも言えるからありがたいです」

「一緒にいいページを作っていきましょうね」

最初はそう言っていた若者も、時間が経つにつれて、

「どこまでわがままが言えるだろう?」

「これくらいの無理だったら聞いてくれる人かな?」

「ある程度、風さんに全部任せちゃっても大丈夫そうだな・・・」

「たとえ、自分がミスを犯しても、風さんだったらカバーしてくれるし、最悪、彼の責任にしてしまえばいいし・・・」

わたしのいないところで、陰口のようにそんなことを言っているという話を耳にするようになります。

そして、

「記者は編集者の言うことさえ聞いていればいいんですよ。やり方は全部こっちで考えますから」

「しょせんフリーですよね。社員の気持ちなんてわからないんだから、余計なことは言わないでください」

「記者なんて代わりはいくらでもいますからね。どうせ日銭が欲しいんでしょう?だったら黙って言われたことだけをやってくださいよ」

そういうことを直接、言ってくるようになる。

そのようにどんどん豹変していく若者をたくさん見てきました。

もちろん、若者だけではありませんね。40、50になってから豹変する人もたくさんいます。

管理職になった途端、昨日まで公言していたことと、180度全く違う主張をし始める人もたくさん見てきました。

 

本当にたくさんの人がこのような状態に陥っています。

 

本当に本当にたくさんの人がこのような状態に変貌していくのです。

 

なぜでしょう?

 

 

「電通」の問題を思い出してください。

自殺した彼女は、日々、とてつもない労働時間とノルマのプレッシャーを受けていました。その過程でどんどん心が壊れていったのだと思います。

ツイッターで自殺をほのめかす言葉を何度も書き込んでいるのに、社内に心の内を打ち明けられる仲間がいなかったのかもしれません。

会社を辞めると言う選択肢はなかったのか?

そう言う意見もありますが、その選択肢が浮かぶ前に心が壊れてしまったのだと思います。

ものすごく会社のことを信頼し、愛していたとしたら、辞めるという選択は一番難しい選択かもしれません。

わたしは運よく、心が壊れる前に辞める決意をしましたが、辞める意志を会社に伝えてから、実際に退職するまでの数ヶ月間は、本当に心が壊れてしましそうなくらいに辛かった記憶があります。

辞めて25年が経ちますが、今でも、その職場での夢を見るくらいです。しかも、それは決まって、仕事で自分が追い詰められているときです。

あの時の記憶が、いつまでも、何年経っても、わたしを追いかけてくるのです。

「絶対に忘れさせないぞ〜」

こうなったら、もうホラーです。

 

つまり、どんどん豹変していく若者も、これと同じだと言うことです。

特に編集者なんていう職業は、1年中、心の休まる瞬間なんて片時もありません。これが退職まで延々と続くのです。

自分の担当しているページに穴を開けることは絶対にできません。インフルエンザにかかっても休めない。(事実そうなのです。わたしは休みますけど)

上司からのプレッシャーはものすごいものがあります。

その上司もまた上の上司からのプレッシャーがかかる。

その上司もまた同じ。

 

わたしたちのような記者は、そういった組織の末端にいますから、逆によく見えるのです。

そもそも出世といったプレッシャーがない。

 

報道では、一回のミスが命取りになる。その雑誌の生命線に関わります。

もし、若い編集者がミスをすればどうなるか?

上司にも、その上司にも、そのまた上司にも責任が及び、編集長の責任となり、局長の責任となり、会社全体の責任になります。

常にそのようなプレッシャーの中で生きていると、どうなるか?

 

皆が皆、そのプレッシャーに耐えられる人間ではありません。

 

耐えられる素質のない人はどんどん豹変していきます。

豹変した結果、耐えられるようになった人は、自分を守るために自分より弱い立場の人を攻撃するようになるのです。

 

つまり、人として、どんどん落ちていきます。

 

会社はそこを救いあげてはくれません。

 

もし、自分がそんな立場になってしまったら、あなたはどうしますか?

 

もし、会社の中での肩書きがなくなったら、あなたは何者なのですか?

 

「素のわたしは、こういう人間です(きっぱり!)」

 

この発言を自分に対しても誰に対してもできる人が、これからの時代は求められるのです。

 

言い換えれば、

この発言が出てこなければ、あなたはこれからの時代を生き抜いていくことはできないでしょう。

 

社会は、優しくありません。甘くない。

 

あなたが人に対して、平等に敬意を抱けない人間なのだとしたら、

今は会社でうまくいっても、必ずしっぺ返しをくらいます。

 

だから、わたしは何度も聞くのです。

 

肩書きを外したあなたは、一体何者ですか?

 

もう一度、聞きます。

 

肩書きを外したあなたは、一体何者ですか?

一度考えてみると、職場での不安を取り去ることができるかもしれませんよ。

(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)

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風宏(Kaze Hiroshi)
この記事を書いている人

風 宏(Kaze Hiroshi)

 風宏

心の冷えとりコーチ

冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。