失意の子供を親として、どうすれば守れるのか?どんな言葉をかけてあげればいいのか?黙って見守っていれば、それでいいのか?とても難しいテーマです。
学校の先生のいうことはなんでも正しいのでしょうか?学校のルールは、社会のルールよりも正しいと思っているのはおかしなことでは?
子供は学校が全てだと思っていますから、学校的に正しくてもそれは社会に出ると間違いだとしたら混乱すると思うのです。
今日の記事は、運動会の判定で反則と判断されたことが陸連的には違反でないのにも関わらず、学校ルールとしては違反で失格だったという事実について考えてみたいと思います。
子供は親が大好き。親にいつでも見ていてもらいたいのが子供
今の子供たちはとても素直で、いい子ばかり。
本来ならば反抗期だと思われる年齢に達しても、反抗的な態度をとったり、グレたりといった子供の数は断然減ったように思います。
とはいえ、その逆に凶悪犯罪の若年化は進んでいる。
そんな犯罪に走る子供たちに共通するのが、劣悪な家庭環境です。
子供達だけでなく、いわゆる大人の犯罪者を見ても、彼らの子供の頃の環境を覗いてみると、やはり不幸な家庭環境だった者が殆どです。
だからと言って、不幸な家庭環境に育った人間が皆、そのような人間になるのかといえば、当たり前のことですが全然そんなことなくて、むしろ一廉(ひとかど)の人物になる確率の方が高かったりもします。
要は、
本人が、自分の育った環境や親との関係、友人とのつながりの中で何を感じるか?
だからと言って、
やっぱり子供なのです。
どこかで、誰かがフォローしてあげないと、最終的には孤独に負けてしまいます。
たとえ親じゃなくても、
「あの人だけは僕を(わたしを)見てくれている」
その確信が、あるかないか?
それが、ものすごく大事なのです。
なぜなら、
その人が、その場所が、その子供にとっての、逃げ場になるからです。
大人が作る理不尽な世界
さて、ここからは、わたしの娘、音の話です。
運動会の時のお話です。
全員リレーでの出来事です。
クラス全員参加でリレーをして勝敗を決めます。
運動会では最も盛り上がる花形競技といえるでしょう。
走者は走る順番に胸に大きなゼッケンをつけています。第1走者は「1」、第2走者は「2」と。
わたしはビデオカメラを構えます。
レースが始まり、音の順番が回ってきます。音は2位でバトンを受け取りますが、バトンを渡す瞬間、音はバトンをつかみ損ね、地面に落とします。そのバトンを拾って音は走り出しました。その時、順位は当然ビリ。
しかし、音は一人だけ抜き、バトンを次の走者に渡します。
みんなの列に戻る音の顔は今にも泣きそうに歪んでいます。
その時、音にバトンを渡した前の走者の男の子が後ろから音に何かを言いました。振り返り、呆然とする音。
しばらく、その場に立ち尽くしたままです。固まったような表情になっています。
何を言われたかわかりません。
しかし、音のクラスは頑張りました。
最終的には1位になりました。
音も、その前の男の子もガッツポーズをして喜んでいます。
自分たちのミスを後続のみんなが頑張ってカバーしてくれたのです。
よかったね。
私もそう思いました。
しかし・・・・
先生たちが4人くらい集まって何か協議をしています。
普通なら、マイクを持った先生が、
「1位○組。2位○組・・・・・」
と、発表して終わりです。
しかし、マイクを持った先生はこう発表したのです。
「ただいまの協議について、ご説明します。〇組の第○走者(音のこと)が、前走者の落としたバトンを拾ってしまいました。よって、第○走者がルール違反を犯しましたので、○組は失格となります。よって順位は○組が1位○組が2位・・・・・」
そこから後は、わたし自身よく聞いていませんでした。
と、いうより、何も聞こえなくなりました。
音を映したビデオを回したまま、目が音に釘付けになりました。
音はこちらに背中を見せて固まっていましたが、悲しみが全身から噴き出しているのがわかりました。
前走者の男の子も見るからに肩から崩れ落ちたように背中を丸めています。
すぐに数人の女の子が音の元に駆け寄り肩を抱きかかえたり、両肩を揺すったりして慰めてくれているのがわかります。
「選手退場!」
の声がして、全員が立ち上がり、走って席に戻ってきます。
わたしは音が通る通路の先頭に行って、音を待ちました。
少し頬を赤く染めて、両袖をお友達に抱えられるようにして宙を見つめたままの音が歩いてきます。
すぐにわたしに気づきました。
わたしはニコニコ満面笑みで音を迎えました。
「パパ。違反しちゃった〜。みんなに迷惑かけちゃった〜」
音はそう言いました。
わたしは、音の肩をバンバン叩きながら、
「パパも運動会で同じことやったよー。やっぱりパパ似でおっちょこちょいだな〜。どんまいどんまい。でも、そのあとめちゃくちゃ早かったじゃん。あの走りは良かったよ。気にするなよ!」
もちろん、わたしはバトンを落としたことはありません。嘘も方便というやつです。
音は、
「あああ〜!」
と、大声をあげて席に戻って行きました。
泣いてはいませんでした。
強くなったな〜。
わたしの正直な感想です。涙を流さないだけでもすごいと思いました。親バカですが、娘の言葉、態度に感動したのです。
しかし、
問題はそこではありません。
わたしは、この結果に全然納得していませんでした。
どこが?というと、
音がルール違反になったことです。
わたしは、自分の疑問を検証すべく、何度もビデオでバトンパスの瞬間を見ました。
間違いない。
音は、ルール違反を犯してはいませんでした。
下記は、日本陸上競技連盟(JAAF)が定めたリレー競走におけるバトンパスのルールについて書かれたものです。JAAFのホームページからそのまま引用しました。
第170条 リレー競走(14)「バトンのパスは受け取る走者の手にバトンが触れた時点に始まり、完全に渡った瞬間に成立する。」→「バトンのパスは受け取る走者にバトンが触れた時点に始まり、受け取る走者の手の中に完全に渡った瞬間に成立する。」この部分の修改正は、競技の中身を大きく変えます。IAAFの規則では受け取る走者の手に触れた時点が始まりであるとは書かれていませんでした。10年以上前から同じ記載でしたが気づかれずにいました。2006年にある県で起こった事例です。テーク・オーバー・ゾーン内で次走者の肘に当たってバトンが落下。それを次走者が拾ってレースを継続してしまった。ということがありました。2006年のルールではバトンパスは始まっていないと見なされますので「失格」と判定される事例です。しかし2007年のルールでは肘でも肩でも次走者の身体であれば触れればバトンパスが始まったと見なされますので「有効」と見なされます。
日本陸上競技連盟(JAAF)HPより
これは、2007年に改正されたルールです。
つまり、
バトンパスで、次の走者の体の一部のどこかにバトンが触れて落下した場合は、次走者が拾ってレースを継続しても「有効」とみなされると改正されたのです。
これは、もちろん陸上競技の正式なルールですから、小学校でも社会人でももちろん同じ。当然、統一化されているルールです。
わたしは、記者です。スポーツ取材もたくさん行ってきました。陸上競技の取材もします。
だから、このルールのことは知っていました。
オリンピックを見ていても、リレーでこのようなケースは何度もありますから、その度に解説者が同じ説明をします。
つまり、学校の先生であれば当然、知っているルールです。
しかし、音は失格となりました。
音の手に完全に触れて落下したのに。
しかも、一旦手の中に収まって落ちたと言っても過言ではないくらい、誰が見てもはっきりと見て取れるくらいに。
わたしは納得がいかずに本部に行きました。
だからと言って、怒鳴り込んだのではありませんよ。
本部に行くと、2年生の時の音の担任の女性教師の方がおられました。
「すみません。○○先生、お久しぶりです」
「あら、音さんのお父さん、お久しぶりです」
「今大丈夫ですか?」
「はい。なんでしょう?」
「今の全員リレーで音が失格になった件なんですが・・・」
「はいはい」(と、言いつつも顔が曇る。そりゃそうですよね。クレームだって思いますもん、普通・・・)
「陸上競技のルールブックによると、バトンパスの時に次の走者の体の一部にバトンが当たって落下した場合は、どちらの走者が拾ってレースを継続しても有効とみなされるとあるのですが・・・」
「はい」(まっすぐわたしの目を真剣に見つめている)
「先ほどのバトンパスでは、明らかに音がバトンをつかみ損ねて落としてます。ということは音の手に触れてバトンは落ちてます。それを拾って走ったわけですよね。つまり、音はルール違反はしてないと思うのですが。先生も目の前で見ておられてお気づきかと思いますが、私も何度もビデオを観て検証しましたが、明らかに音の手に当たってバトンは落ちてます」
「はい。そうですね」
「ですよね?」
「はい。ルールブックにはそう書かれているのかもしれませんが、○○小学校では、必ず前の走者が拾って次の走者にバトンを渡さなければいけないというルールになっていますので、ルール違反なんですよ」
「そうなんですか?日本陸連が規定した正式ルールとは別に、この小学校だけそういうルールになっているんですか?」
「そうなんですよ〜。日本陸連ではそうなのかもしれませんが、ここでは違うんです。だから音さんはルール違反をしたことになります。はい」
「そうなんですか・・・。わかりました。すみません。なんかクレームをつけたみたいで。知りませんでした」
「はい。大丈夫ですか?」
「はい。ありがとうございました」
大丈夫なわけ、ありません。
なんでしょうか?このルール。
てか、本当にこの学校にそんなルールあるのでしょうか?
先生がとっさに嘘をついたのでしょうか?
わたしは、納得がいきません。怒りがさらに噴出してきました。しかし、これ以上、何か言っても、先生が一度そう仰ったことを撤回するとはとても思えません。
わたしは怒りをグッとこらえて戻りました。
学校では何を教育しようとしているの?
わたしの怒りは何か?
それは、
ルール違反とされた子供の気持ちを学校はどう考えているのだろう?
と、いうことでした。
例えば、もし仮に音のやったことが本当にルール違反だったとして、
全生徒の前で、ほぼ名指しで「ルール違反者」と発表をされた子供の気持ちです。
これは、音だけに起きたことではありません。
他の競技を見ていても、「○番がルール違反を犯したので、そのクラスは失格となります」と、いうアナウンスが何度もされていました。
例えば、徒競走でコースの内側を走ってしまったとか、進路妨害をしてしまったとか。
しかし、そのルール違反を意図的に、つまり、故意にやっている生徒なんて一人もいません。一生懸命やった結果が、そういう違反になってしまった。
そういうケースばかりでした。
その子たちを名指し(正確には胸につけたゼッケン番号)で発表することに、何の意味があるのでしょう?
名指しされた子は、その罪を負ったまま運動会に参加し続けなければならないのでしょうか?
これが一体、何の教育なのでしょう?
ここから、生徒たちに何を学んで欲しいと思っているのでしょうか?
「決して故意ではなくても、ルールを犯した者は罰を受けなくてはならないのだよ」
と、いう教育なのでしょうか?
音のレースに話を戻しますが、音の後ろにはまだ15名ほどのランナーが控えていました。この子たちの頑張りによって、ビリから最後には1位になりました。生徒たちは喜びを爆発させてました。
しかし、結果はルール違反でクラス全体が失格です。
つまり、音がバトンを拾った時点で、すでに失格は先生たちにはわかっていたということです。にもかかわらず、最後まで走らせた。
このことに何の意味があるのでしょう?
救済措置も取られず、走らされた子供たち。
後続の子供たちは、一度は音がバトンを落としたことに腹を立てたり、がっくりしたことでしょう。
でも、一位になったことで、その罪を忘れたでしょう。
でも、今度は失格。怒りや悲しみはさらに倍の倍に膨らみます。
結果、
「音のせいで全員失格になった」
そう思いますよね。
事実、音の前の走者の男の子が音に言ったセリフは、
「お前のせいでビリになったぞ」
でした。
子供たちは一生懸命走っているのに、すでに失格を知っている大人たち。
バトンを拾ったことがルール違反だというのがわかったのなら、例えば、その組に一周ペナルティを課すとか、そういうことであれば、教育の意味が生まれます。
仮に故意ではなくても、違反をしたら罰を受けるのだ。
だけど、失敗は、また頑張れば取り戻せる。
これが教育だと、わたしは思うのですが違うでしょうか?
それ以前に、もう一度申し上げますが、
音は、そもそもルール違反をしてないのです。
学校には、クレームを言わないでという子供の気持ち
音の帰宅後、聞きました。
「あのルール違反について、具体的に音に説明があった?」
「何もないよ。でも、あれ本当にルール違反なのかな〜?」
「どうして?」
「だって、音が拾って走ってもいいと思うんだよね。だって、落としたのは音だもん。だから、絶対におかしいと思うんだよ」
「先生に言った?」
「そんなの言うわけないじゃん」
「どうして?」
「だって、文句言ってるって思われるから」
「思われるの?」
「思われるよ。だって先生が決めたことだもん」
「そうか〜・・・・」
そして、音が一枚のプリントを出してきました。『運動会の感想をお願いします』というプリントでした。
わたしは音に聞きました。
「ねえ、あのバトンパスのこと、パパもどうしても納得できないんだけど、そのことを書いてもいい?」
「え?・・・それはやだな〜」
「どうして?」
「だって、パパがクレーマーだと思われるから」
「でも、クレームじゃないよ。真実を書くだけだよ」
「でも、いいよ書かなくて。わたしも目をつけられたくないし」
音がこういうことを言うのには理由があります。
昨年の学芸祭の感想文に、奥さんが感じたことをそのまま書いたのです。
「お芝居がオリジナル脚本で、同じ役を数名の生徒が何人も入れ替わり立ち代り演じるのでわかりづらかった。(たとえばシンデレラ役が5名いて、場面でシンデレラを入れかわり立ち代わり演じるという意味)役が数名いるのだとしたら、もっとシンプルな誰でも知っているお話の方が、おじいちゃんおばあちゃんもいるので、わかりやすくていいと思います。次回はご検討ください。」
そう書いて先生に渡したら、音はみんなの前で先生からこう言われたそうです。
「音さんの親は文句ばかりだね」
だから、
「書いて欲しくない。目をつけられたくないから」
こうなるのです。
だから、わたしはこう書きました。
『子供たちはみんな、ただただ一生懸命でした』
「これでいい?」
音に見せると、
「うん」
と、言ってランドセルにしまいました。
「でもよく泣かなかったね。偉かったよ」
そう言うと、
「でも、みんなが慰めてくれるからさ〜。何度も泣きそうになったんだよ。ひどいことを言われても泣きそうになるし、慰められても泣きそうになるし、我慢するのが大変だったよ」
「ひどいことも言われたんだ?」
「言われたよ。お前のせいだって。でも、平気。だってわたしルール違反してないもん」
「ルール違反してないって反論しなかったの?」
「しないよ。そんなこと言ったら完全にハブだよ」
「そうか〜・・・」
そして、わたしは仕事に出かけました。
入れ替わりに仕事に行っていて運動会に行けなかった奥さんが帰ってきました。(運動会は雨で順延になったので奥さんは行けませんでした)
夜、奥さんによると、奥さんが帰宅すると、落ち込んた様子で半泣きの音がいたそうです。奥さんの顔を見るなり、涙を流したそうです。
「事情を聴いても何も言わないし、ただ甘えてくるから、仕方ないから甘えさせてあげたよ。まあ、でもあいつも強くなったよ。運動会の間、よく泣かなかった。成長したね」
「学校にアタマこないの?」
「学校?まったく期待していない。だって学校とか先生ってそういう感じじゃん。絶対間違いを認めないし、役所と同じだよ。子供の気持ちより、自分たちのプライド優先だし。とにかく自分たちに都合のいいためのルールじゃん。名指しされた子供の気持ちより、自分たちのやりいいようにするのが大事なんだよ。あの人たちは教育なんて考えていない。表面上だけは謝って、自分たちの都合ばかり考えている」
だからこそ、
親はしっかり子供にわかりやすいように見せてあげる必要があるのです。
「パパとママだけはわかっているからね」
「ちゃんと見ているよ」
絶対的な味方だということを。
親の愛は不変だということを。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
コーチングも随時受け付けております。
風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。