お金を嫌いな人はいないと思います。私もお金は大好きです。引き寄せ関係のお金の本もたくさん読みました。でも、読むだけではお金持ちにはなれないということに気がつきました。
実はお金持ちは行動力があるということに気がついたからです。
今日の記事は考え方を変えてお金を引き寄せる方法についてお伝えするものです。
日本のお金に関する言葉
愛想尽かしは金から起きる
商い三年
悪銭身につかず
一獲千金
商いは牛のよだれ
朝駆けの駄賃
朝寝坊は貧乏のもと
あるとき払いの催促なし
慌てる乞食は貰いが少ない
一銭を笑う者は一銭に泣く
いつまでもあると思うな親と金
海老で鯛を釣る
嫁ぐに追いつく貧乏なし
大遣いより小遣い
親子の仲でも金銭は他人
金があれば馬鹿でも旦那
金がものを言う
金と塵は積もるほど汚い
金は天下の回りもの
金の草鞋で探す
金なき者は金を使う
金に糸目をつけず
金の切れ目が縁の切れ目
金の光は七光り
金は三次くに溜まる
金持ち喧嘩せず
聞いた百文よりも見た一文
金字塔
地獄の沙汰も金次第
辛抱する木に金がなる
時は金なり
猫に小判
残りものには福がある
裸一貫
早起きは三文の徳
安物買いの銭失い
これ、お金に関することわざや格言です。ネットで「日本のお金に関する格言、諺」で検索したら、これだけの言葉を紹介されていたので、そのまま書かせていただきました。
これらの言葉、ざっと読んでみても、ピンとこない言葉は一つもありません。まさに言い得て妙。
お金の真理を読み解いた言葉ばかりです。
わたしは、若い頃から、こう言った言葉が大好きで、例えば、仕事でものすごくムカつくことがあっても、
「金持ち喧嘩せず…、金持ち喧嘩せずだぞ」
なんてブツブツ自分に言い聞かせながら我慢をしたり、どうしても欲しいものがあって、我慢できない時には、
「金は天下の回りものだしね。意味違うけどまあいいよね」
なんて言い訳に使いながら、自分を甘やかしたり。で、その結果、出て行ったきり戻ってこないお金のことを思いながら、
「やっぱり安物買いは回ってこないか〜。銭失いだったか〜。くそ〜」
と、思ったり。
そういう失敗を繰り返して、それでも、やっぱり、
「お金はたくさんあるに越したことはないよな〜」
と、お金の持つ力に魅了され、それなりにお金のことも考えて生きてきました。
ライターという仕事柄、いわゆる人生の成功者や億万長者と言われる方々にたくさんお会いして、彼らの考え方なり、知識なり、生き方なりを伺い、彼らの哲学を私なりに解釈し、実践できることは実践して、身銭を切って体験してきました。
にもかかわらず、
私は、今現在、残念ながら大金持ちではありません。(心の大金持ちですけどね!負け惜しみじゃないし)
本当に残念です。
このブログでお金について書く頃には、
「わたしは大金持ちである。だから、わたしの言う通りにしたら誰だって大金持ちになれるのだぞよ」
と、偉そうに上から目線で語れる人間でいたかったのですが、無念、そうではなかった。
でも、いずれ、そうなっているであろう未来のわたしが書いた文章だと思って、ぜひともお読みいただきたいと思います。
案外、いいこと書いているかもしれませんよ。ふふふ…。
お金の引き寄せ本や仕組みの本は読むだけではダメ
さてさて、巷にはお金に関する本が溢れています。
お金に関するセミナーや講習もたくさんあります。
「こうするとお金が向こうからやってくる」
「お金に好かれる方法」
といった、引き寄せ論、精神論的なものから、
「簡単に1000万円貯まる方法」や「株必勝法」「素人でもできるアパート経営」といった、具体的に資産を増やす方法など、大きな本屋さんに行くと、お金のことだけでワンフロアが埋め尽くされるほど。それだけ、売れている証拠です。
わたしもそういう本は大好きで、月に1、2冊は必ず読みます。そして、読んでいる途中、読み終わった直後など、もうすっかり、自分は生まれ変わったような、今日からお金が向こうから勝手に寄ってくるような、そういう気がして気がして仕方がなくなります。
でも、一週間もすると、また同じような本を手にとって、同じような内容を読んで、また同じような気持ちになっている。
これを何年も続けていると、本を購入したはいいけれど、
「あれ?この本どっかで読んだような気がするぞ。あれ?持ってたっけか?」
そして、本棚を漁ると、しっかり2冊もあったりして、
「あちゃー。また安物買いの銭失いしてしもたー!」
と、なってしまう。
これ、なんなんだろう?って思ってしまうんですね。
答えはものすごく簡単なんです。
行動してないんです。
ただ、それだけ。
本に書かれている内容を読んで知識はどんどん膨らんでいっているのかもしれないけれど、行動しなければ、全く意味がないんですよね。
「気持ちを切り替えるだけで、お金は向こうから勝手にやってくるようになります」
たくさんの本にそのようなことが書かれてあります。
で、大切なのは、その文章ではなくて、その文章の前後に書かれていることなんです。
「気持ちを切り替えるだけで」
どうやって?
大切なのは、ここ。
ここを、愚直に無欲に堅実にしっかり行動しているか?
そこを読み解いて行動に移さないと、お金は決してやってきてはくれません。
「お金が向こうからやってくる」
ような自分になるためには、その本に書かれていることが100だとすれば、その一つでもサボったら、99をどんなに一生懸命やっても、お金はやってきてはくれないのです。
これが真実です。
もし、その本に、
「100のうち、50できればお金は必ずやってきます」
と、書かれてあれば別ですよ。でも、そんな甘いことを書いてある本は一つもありません。
正直、そのやり方が自分に合ったやり方とも限らない。
本に書かれてあることを実践することがストレスになるようだったら、もう本末転倒です。
そもそも、この手の本には、「気持ちを切り替えること」が、いとも簡単なように書かれてあります。
「気持ちを切り替えるだけ。たったそれだけ。たったそれだけであなたはお金持ちになれる」
みたいな。でも、それって一番難しいことだと思うのです。
「明日から毎朝七時前に起きなさい。それを連続1000日続けなさい。1日でもできなかったらアウト。また最初から」
そう書かれてあれば、1000日を目指して早起きすれば良いのだからやろうと思えばできます。
でも、「気持ちを切り替える」ためには、メンタルトレーニングを継続して行わなくてはなりません。トップアスリートですら簡単にできることではありません。
目に見えて行動できることでありませんから、一日二日意識することを忘れてしまったらもうアウトです。
意識を変えるということは、それまで生きてきた基本的な思考を変えるということです。
いくら「お金持ちになれる」と、言われても、100パーセントそうなのかどうか、わからないことには付き合って入られません。
だから、本の言う通りにやるなら、無心で愚直にやり続けるしかないのです。
でも、それが一番難しい。
「本当に、これをやり続けたらお金持ちになれるのか?」
そういう気持ちが湧いたらもうダメです。
いくらその手の本を読んでもお金持ちになれない原因はそこにあるのです。
だったら、どうすればいいのでしょうか?
一番、確実なのは、自分独自のお金の増える法則を見つけることです。
「それができないから、本を買うんじゃないか!」
そうですよね。おっしゃる通りです。
でも、人のやり方を実践できないから、お金持ちになれないんですよね。
だったら自分で見つけるしかないのです。
でも、それってそんなに難しいことでしょうか?
お金持ちになる本は巷に溢れています。お金持ちになったたくさんの作家がいて、その人が実践した方法がいく通りも書かれています。
でも、どの本を読んでも、その根幹にある哲学は皆同じです。
「お金を大事にする」
「お金持ちになった自分を常にイメージする」
「自分という人間の価値を認める」
「お金を回す」
「お金に対するイメージを良くする。お金を好きになる」
こういうイメージを当たり前に抱けるようになったらお金持ちになれると書いてあるのです。
だったら、
そんな自分になれるためにはどうするか?
そこを考えて、行動に移せばいいだけです。
お金が好き、大事と言いつつ、ないがしろにしていませんか?
何度も申し上げますが、わたしもお金は大好き。
ある時期なんて、お金が大好きすぎて、茜さんに離婚を切り出されたことがあるほど、お金にとりつかれた時期もあったほど、好きです。(その話はまた後ほど)
なぜなら、お金ほど、
人を幸せにし、不幸にし、人生を左右するものはありません。
だから、とっても魅力的。
上手に付き合うことができれば、お金ほど強い味方になってくれるものはありませんが、だからと言って、そう簡単にうまく付き合える相手でもない。味方だと思って油断していると、簡単に敵に寝返るみたいな…。つまり、距離感が本当に難しい。
なんて言うか…コロコロ変える表情はつかみどころがなく、可愛くもあるし憎らしくもある。いけず〜!魔性の女とでも申しましょうか…う〜ん、表現がよくないな。
猫です。猫。
追いかければ逃げるし、追わなければ追いつけない。だからと言って、無視して気を引こうと思っても気になって仕方がない。そう思えば、忘れた頃にふと気がつくと(お金に関してはこれがものすごく大事。強く願ってポーンと手放す。そうするとお金はやってくる。でもこれも言うは易し)、いつの間にか横にピタッと寄り添ってくれている。
決して依存しあう関係ではなくて、共存するという関係性を築けたら、これほど頼りがいのある相手はいないでしょうね。
”ただそこにいる(ある)”ということが一番の心の支えになる存在。それが猫。
じゃない。お金です。
当たり前のことなんですよね。
人間以外に存在するもので、生まれてから死ぬまで、一瞬たりとも欠かさず、共に歩んでいくものがお金ですから。空気と同じ。
お金はそれほど大事。でも、意識すれば逃げていく。
そこが空気とは違う。同じだけど違う。
言わずもがな。
なのに、なんで、いとも簡単にないがしろにしてしまうんでしょうね。
「お金は大事だよ〜」
みんなそう言います。例外なくみんなそう思っています。
でも、簡単にないがしろにしてしまう。財布からお金を出す時、感謝の気持ちすらない。
空気にも人は感謝しない。あって当たり前のものだから。でも、汚い空気のところから綺麗な空気のところに移動したら感謝しますよね。
「空気気持ちいい〜。大自然よ、ありがとー!」
って。
見えないけどあるもの。その存在感を感じたら、人はそこに感情を付け加えます。
お金は常に見えます。そこに存在しています。
だから、人は常にお金の存在を感じているということです。
それが、
「お金欲しい欲しい」
です。
そこまでお金に恋い焦がれているのだったら、ちゃんと感謝していますか?当たり前ですよ。その当たり前、ちゃんとできていますか?
「たっけえなあ〜」
そう愚痴を言いつつ、乱暴にお金を財布から出す。
そんな人のところにお金は戻ってきたいと思うかな〜?
「ちゃんと大事に使ってますよ。無駄遣いしてないし」
そうですか?ほんとですか?
ちなみに、わたし、同僚や友人の間でも、無駄遣いをしない上手なお金の使い方の出来る男としてそこそこの評価を受けています。
基本的にはお金には困らない。
でも、最初からそうなったのではなくて、たくさんの失敗を経て、学習して、今ようやくお金の大切さを身にしみて感じているような次第ですが、そんなわたしでも、気がつけば、お金をないがしろにしていることがママある。
例えば、昨日1日の買い物を思い出してみてください。
さて、あなたはどれだけお金をないがしろにしたでしょう?
では、私の場合。
私は仕事に向かう時、必ず、カバンのポケットにペットボトルの炭酸水(ウィルキンソンの炭酸水500ml)を入れていきます。
常に自宅に常備していて、近くのディスカウントショップで箱買いをしています。1本74円。
しかし、わたしは、「常に」と言いつつ、よく忘れるんです。出先で飲もうとカバンに手を突っ込むとない。「わっ!まただ」
仕方なく、目に付くコンビニに飛びこみます。
1本103円
103−74=29
はい。ここで、もう29円もないがしろにしてしまいました。
でも、ここで、「お金持ちになる本」には大抵このような感じで書かれています。
「ここで29円多めに払うことになっても、それはあなたにとって必要な水。どうしても飲みたい水がその時29円高くてもそれがその時の相場というものです。あなたは103円で水を手に入れることができたのだから、103円に感謝して送り出しましょう。損をしたと思ってはいけません」
でも、私は、「損をした」と思ってしまうのです。私が怠けた結果だし、そう思ってしまう人間だから感謝の気持ちより、「29円ごめんね」と思ってしまう。だから、74円の水を箱買いしている。それを、
「セコい」
と、表現している本もあります。
でも、わたしはセコいとは思わない。そこを変えるつもりはありません。
「わたしはセコいのではない。無駄な出費をしたくないだけ」
なのです。つまりは、
お金をないがしろにしたくない。
「この29円をもっと有効なことに使えたかもしれない。ごめんね。じゃなくて、ありがとう。で、送り出せたはずなのに」
ね。セコくないでしょう?
もし、自分でこの行為がセコいと感じるようだったら、それはやめたほうがいいと思いますけどね。確かに、「セコい」は、よくはありませんから。
その日の夕方、吉野家さんで早めの夕食をとりました。
ネギ玉牛丼のAセット(生野菜と味噌汁つき)。
並盛りで610円。アタマ大盛り710円。ご飯大盛り780円。特盛りで910円。
ここで、わたしはしばし悩みます。ご飯を大盛りにすべきかどうか。
でも、わたしはわかっているのです。並盛りでも十分お腹がいっぱいになることを。ただ、早めの夕食なので、もし仕事が長引いて午前0時を回る結果になったら、結局、夜食を摂る羽目になるかもしれない。だから、
「ここは大盛りにしとくべきか?」
そう思考を巡らせます。この考えは正直、「セコい」です。
なぜなら、実際は違うから。本音はそうではありません。
もし仮に、仕事が深夜に及んでも、実際にはわたしはまったくと言っていいほど、食べ物を口にはしません。飲み会以外では、午後九時以降は何も食べない。どんなにお腹が減っても決して食べない。つまり、普通盛りにして腹八分でも十分なのです。そもそも大盛りにする必要はまったくない!
にも、かかわらず、わたしは悩んでいる。
「普通盛りにすべきか大盛りにすべきか?そこが問題だ!」
と。
結局、
「やらない後悔よりはやった後悔だ!」
と、自分に言い聞かせ、大盛りにしてしまうわたし。半分くらい平らげたあたりで、
「やっぱり大盛りは多すぎるな〜」
と、気づいて、あとは、「お米さんに申し訳ないので」と、無理やり腹に押し込める感じで食うておりました。
780−610=170
はい。ここでも170円をないがしろにしてしまいました。
「170円ごめんなさい。合わせて大盛り分のお米さん、ごめんなさい」
この日のないがしろ金は、合計29(怠慢)+170(セコさ)=199。
199円ものお金をないがしろにしたのです。
お金が大好きと言いつつ、たった1日で199円ものお金をないがしろにしました。
では、なぜ、お金に対して、このような不義理な振る舞いをわたしはしてしまったのでしょう?
無駄な欲です。
つまり、煩悩です。
要するに、「セコい」
もし、最初から、
「大盛りが食べたい!」
と、思っていて、大盛りを食べて大満足していたのなら、それは無駄な欲ではありません。お金も喜んで財布から出て行ってくれるでしょう。
でも、わたしは170円分、無駄に注文して、無駄に食べてしまったのです。
この「無駄」という意識は、すぐに忘れますが、潜在意識は忘れません。
「お金を無駄に使い、ないがしろにした」という、事実はわたしの潜在意識にこびりついています。
問題はそこなのです。
わたしは1日で199円ものお金を無駄にしました。
これが、事実だということなのです。
これを1年に当てはめると、
199×365=72,635円
10年間で726,350円
塵も積もれば山となる。
どうですか?
これが、誰もがやっているないがしろ金です。
確かに、コンビニと吉野家さんにはその分、ちょっとだけいいことをしたかもしれないけれど、
これだけのないがしろ金を寄付していたら、もっと多くの幸せを作れたかもしれない。
少なくとも、わたしはそう思ってしまうのです。
この気持ちを切り替えることは、なかなかできません。
では、このないがしろ金をなくすにはどうすればいいのでしょうか?
それは次回に書くこととして、
つまり、こういう一つ一つ目に見えることを実践によって変えていかなくては、
気持ちを切り替えることはできないのではないでしょうか?
人の意識は強くありません。
本を読んで簡単に意識が変わるのだったら、世の中、お金持ちだらけになっています。
最初の一歩は、強制的に行動を変えていく。
その積み重ねで意識が変わってくるのだと思います。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
お金のコーチングの話の続きは、「座敷童子との遭遇とお金のこと」心の冷えとりコーチング2をご覧くださいませ。
心の冷えとりコーチングはこちらもご覧くださいませ。
風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。