コーチングという言葉を私が知ったのは、奥さんがコーチングを受けたことによります。
パワハラを受けて、打ちのめされていた奥さんは自分を取り戻すためにコーチングを受けました。
最初はそんなことにお金を払って大丈夫なのかと疑心暗鬼だった私も、奥さんがみるみる元気になっていく様子を見て、コーチングってすごいなと思いました。
家庭で奥さんやお母さんが元気がないのは、火が消えたようです。
女性に元気になってもらいたい。奥さんの回復の姿を見た私はコーチになる決意をしました。
今日の記事は、心の冷えとりをしたら元気になった奥さんのことや、女性が元気であるとなぜ幸せなのかについてを書いたものです。
対等でありたいコーチ
「風さんは、異性だけど常に女性の味方でありたいと思っているコーチですね。私はそう感じました」
ある女性コーチから言われた言葉です。
その言葉は、私には、とても意外な言葉でした。
なぜなら、
「女性の味方でありたい」
と、思ったことなど一度もないからです。
誤解がないように、正確に申し上げると、
そこを意識したことがなかったということです。
女性に限らず、「理不尽だ」「明らかに間違っている」と、感じたら、きちんと正しい答えを導き出す行動を自分に真摯に正直にと、心がけているだけなのです。
それが、目上の男性であろうと、上司であろうと、女性であろうと、自分より20〜30歳若い男女であろうと。
誰に対しても、対等であるというのが人としての礼儀だと思って生きてきました。
でも、そう思いませんか?
「あいつのこと嫌いだわ〜」
と、思っていても、1対1で話しているときは、「嫌い」という思いを一旦はどこかに仕舞って、なるべくフラットな気持ちで話をしようとするでしょう?
それが対等であり、礼儀です。
だから、わたしの中では女性も男性もない。おっさんもガキもない。
みんな一緒!
みんな一緒!
なのです。
学歴も、職歴も、お金持ちも貧乏人も。
みんな一緒!
人は皆、平等とは、口が裂けても言いません。
それを言ったら、ただのきれいごとですから。
でも、
人は皆、対等だと思います。
目の前に100人いたら、この100人が全員平等だとは思いませんが、その人たちと1対1で向かい合ったとき、人は必ず対等である。
そのことに気づくことができれば、コミュニケーションがかなり楽になると思いますよ。
わたしのこの思いは、決して揺らぎません。
報道記者という仕事を始めたとき、そのことを教えてくれたのが、先輩記者であり、編集者の方々でした。
インタビュー相手が、世紀の大富豪だろうが、世界的アーティストだろうが、絶世の美女であろうが、ちょっとおバカなアイドルだろうと、犯罪被害者であろうとも、指名手配中の殺人犯であろうが、わたしからしてみれば、お話をさせて頂く方々です。
どんな立場の人間であろうが、その瞬間は、1対1なのです。
そこに、先入観や余計な障壁はないほうがいいに決まってますよね。
でも、人間ですから、どうしても、壁を作っている人はいます。だから、そういう人には、
「その壁を取っていただけますか?」
と、お願いするのではなくて、
ただ、自分の壁を取っ払う。
ただ、自分を晒す。
わたしが、常に意識的にやっていることは、それだけです。
だから、常に女性の味方だけをしているわけではありません。女性上司にセクハラされている男性部下がいたら、男性の味方をします。
セクハラ被害を受けたと訴えている女性がいて、その女性の話を何度も聞き、話の整合性が取れないところがあったり、どこかに嘘のあることがわかってしまうと、一方的に女性の話だけを信じることはできません。何れにしても、男性からも話を聞きます。
当然のことです。
が、この当然のことが、こと、女性問題がテーマになると、当然ではなくてなってしまう。
正しいことが正しいとジャッジされず、間違ったまま物事が進んでしまうということが、非常に多い。
わたしは、そこが気にくわないだけなのです。
曖昧なままの方がいいことも人間関係には沢山あります。
曖昧なままではいけないこともあります。
そういった一つ一つを解決していかないことには、人間は、前には進んでいけないのです。
わたしは、固結びで強く結ばれてしまって、女性一人の力では解くことができない紐を解くお手伝いをしているだけなのです。女性の力では二人揃っても解けない紐を男性であるわたしであれば解ける問題も沢山あります。
そういう問題をクリアにしていければ、わたしにも合点が行く。スッキリする。
そういうことなのです。
茜さんという強い個性
私には、25年間の取材経験があり、著名人から事件の被害者に至るまで500名以上の方々のインタビューを行ってきた経験があります。
その中で、長年、感じていたことは、
事件の被害者となるのはいつも女性で、それ以上に、世の中には事件として取り扱われないニュースにもならない問題がそこかしこで毎日のように起きていて、女性が被害者の場合、そのほとんど(レイプ、痴漢、セクハラ以外でも、目撃者のいない交通事故や第三者のいない不動産トラブルなどでも)が泣き寝入りという状況をつぶさに観てきました。
子供が生まれ父親となり、マタハラ、ママ友のいじめ問題、子供のいじめにも直面し、
「生きづらい」
と、感じている女性がいかに多いことか。
そういった女性の悩みや相談を受けているうちに、あることに気づいたのです。
「この問題さえクリアになれば、この人は、社会で優れた能力を発揮できるのにもったいないな〜」
この問題とは、例えば、
会社員になるたびに、からなず男性上司ともめる茜さんのような問題です。
上司ともめるというのは、上司とのコミュニケーションに問題があるから、そこさえクリアできれば気持ち良く仕事ができるわけです。
でも、彼女は、
「わたしは、男尊女卑目線でものを言ってくる人とか、間違っていることを平気で押しつけてくる人が嫌。わたしも黙って聞いてられないから、つい言い返しちゃう。男の人はそういう女性が嫌いでしょう?なんでも、はいはいって聞いて欲しいのはわかっているんだけど、できないの。だから、うまくいかないんだよ」
と、長年、何度も繰り返してきた失敗の経験値があまりに高いので、そこをクリアにする気が全然ありませんでした。
開き直っているのではなくて、諦めているのです。
だから、新しい男性上司と意見の食い違いが起きると、
「ああ、やっぱりこの人ともダメなんだ」
と、決めつけてしまう。
しかし、彼女は、わたしという決して上から目線ではものを言わない、どころか、30年近くもの間、彼女のわがままにひらすらウンウン頷いて従ってきたわたしという夫がいながら、それでも、
「男性上司」
と、いう立場の男性とはどうしても上手にコミュニケーションをとることができませんでした。
一種の「男性不信」だと思いますが、なぜ、そのような不信感を抱くようになってしまったのか?
そこをあえて掘り下げることはしませんが、日常の会話の中で、ことあるごとに出てくる言葉が、両親に対する不満でした。
彼女の父親は、学歴重視、職業ブランド意識が強く、一流大学を出て一流企業に勤めていましたが、酒に酔って帰ると、決して外では見せない顔を家族には見せていました。アル中暴力です。
彼女は、父親の外の顔と裏の顔の極端な二面性を見せられ続け、男性に対する不信感を募らせていきました。
お酒を飲まなければ寡黙で読書好きの父が、たった一滴のお酒で豹変する。母親は暴力に完全に支配され、その暴力に耐え切れず、長女である彼女を盾にするようになります。
彼女は、わたしと出会った頃には、男性だけでなく、家族というあり方にも疑問を感じていました。
「わたしは絶対に結婚しない。お酒を飲んだら人は変わる。結婚したら男は絶対に変わるから」
交際時代、何度も何度も彼女がわたしに語ったセリフです。
初めて、わたしの実家を訪れ、わたしと両親の会話を黙って聞いていた彼女は、わたしと二人きりになった時、
「ねえ、わたしに仲の良いところを見せるために仲の良い演技をしてるの?みんな楽しそうでなんか気持ち悪いんだけど。」
この時、わたしは思ったのです。
今までの20年間が辛かった分、一生をかけて家族の素晴らしさを体験させてあげよう。
あれから30年経ちますが、茜さんにとって、家族は一番大切なものとなり、家庭が一番大切な場所となりました。
夫であるわたしのことは、一番信頼の置ける男性(もしくは男性女性を超えた存在?)であろう(おそらく)と思いますが、
父親から受けた仕打ちを完全に克服するには至っておりません。
新しい家族を作っても、信頼出来る夫との人生の方が長くなっても、彼女の心に巣食う問題を解決することはできません。わたしが太刀打ちできるものではありませんでした。
そんな時、彼女が出会ったのがコーチングでした。
実は、彼女はわたしよりずっと前からコーチングのことは知っていて、コーチングを受けたことがあります。
彼女なりに、「これは自分の問題だ。いつか克服したい」という思いがあったのでしょう。
ちょうど、1年前の6月、彼女は、わたしに内緒(というより、「これはわたしの問題だから、あえて言う必要ない」という理由で)で3ヶ月間のコーチングを受けていました。コーチは彼女と同世代の女性の方です。
内緒なのに、なぜわかったかというと、たまたまわたしがコーチングを知り、彼女に、
「コーチングって知ってる?」
と、聞いたら、
「わたし受けてるよ」
「そうなの?」
そういう流れです。これも、やっぱり縁だったのでしょうね。
結果、
「克服できたわけじゃないけれど、なんかスッキリした。心のコントロールの仕方が少しはわかったと思う」
「3ヶ月で10回。どう?高かった?安かった?」
「すごく安かったと思う。コーチング受けてなかったらここまで前向きになってなかったと思う」
なんと、山が動いた。岩山のように硬く強固な茜さんの心が動いたのです。
わたしと30年近くも、この問題で語り合っても何も解決できなかった彼女が、コーチと10回程度話しただけで、長年のつっかえ棒が取れたかのように、すっきりとした顔をしている。
「コーチングってそんなにすごいの?」
「すごいかどうかはわからないけど、気持ちが上がるんだよね。普通に会話しているだけなんだけど、終わったら、よしやろう!って。体も心もすごく軽くなってんの。それはすごいかな〜」
あの頑固な茜さんが、コーチの話は素直に受け入れる。両親のことになると、
「これはわたしの問題だから宏には理解できない」
と、わたしの助言を受け入れようともしなかったのに、コーチの助言は、
「違和感なく、スーッと入ってくるんだよね」
「へ〜。コーチングってすごいね!」
そうなのです。皆様!
コーチングってすごいんですよ!
わたしと女系
男は、何をどうもがいても、いざとなったら女にはかなわないのです。
そういった揺らぎのない思いが、ある意味、わたしの人生を支えてきたと言っても過言ではありません。
なぜ、そういう思いを抱いているのかというと、わたしの生い立ちにその理由はあります。
私の父は9人兄妹です。男性4人、女性5人。母は、5人姉妹です。わたしには計10名の叔母がいます。
子供の頃、夏休みと正月は、その兄妹全員が大分県日田市の人里離れた山奥の父の実家に集まりました。従兄弟は全部17人。親戚一同全部合わせると30人以上。これが一同に会するのです。
もう合宿です。
叔母が5人に、男性3人の妻を合わせて祖母を入れると女性が9人。もうこれだけで姦しさと言ったら、ムクドリの集団のようです。
もうほとんど合宿生活のようなものですから、男たちは女たちの号令で動くといった次第。
と、言っても男たちは朝の野良仕事が終わると昼から酒を飲んでダラダラ過ごしているだけだけど、女たちは、ペチャクチャ喋りながら、早朝から夜遅くまでずーっと働いているわけです。
男たちが起きる前に朝飯を作り、男たちと畑に出て、腰を曲げて重たい作物を収穫し、持って帰った作物を仕分けしたり天日にしたり。休む間も無くお昼ご飯の準備にかかる。男たちを食べさせてから自分たちは食べ、後片付けの後も、口を動かしながらずっと何かしらの作業をしている。夕方から晩御飯の準備に取り掛かり、毎晩、お風呂も男たち全員が入った後。寝るのは午前0時を回ってから。そして、朝、日が昇る前に朝食の準備に取り掛かる。
パワフルなんです。
それでも、偉いのは男。
ご飯もお風呂も就寝も、男が先。そこに異論を唱える女は一人もいない。
男たちが晩酌をしながら馬鹿話に花を咲かせているその頃、女たちは飯場で包丁の音以上の大きな声でいろんな話をしている。
天気の話から始まって、料理の話、それぞれの家族の話。旦那の悪口で盛り上がり、それぞれのご近所さんの悪口で盛り上がる。病気の話で不安顔。そして、
「宏くん、ここから先はあんたには聞かせられん。あっち行っとき」
そう言われて聞けなかった話。
女たちの話は、バラエティに富んでいて聞いていて飽きない。リズムがあって笑いが溢れていて、お酒も入ってないのに、必ず泣きもある。
男なんかより、よほど浪花節なのです。
わたしは、そんなおばちゃんたちの会話をただ横で聞いているのが何よりも楽しかった。
母の実家はもっとすごかった。
商店街の会長をやっていた祖父母はお茶屋を営み、5人姉妹が交代で毎日店に出る。茶筒や茶箱が並ぶ番台の奥に大広間があって、そこには常に10人前後の来客があった。その大半は近所のおばちゃん。お茶と茶菓子を振る舞い、家の中が大音響の笑いで包まれていました。
祖父は、裸一貫で事業を起こし、そこそこ成功した人物で、わたしが物心つく頃には引退して毎日、真っ昼間から赤ら顔で晩酌しているような人でした。
この祖父を慕ってくる人もいれば、祖父が、どこからか連れてきたようなよくわからない人もたくさんいました。時たま、本当に空腹で道にぶっ倒れているような住所不定の人を連れてきて、
「婆さん、この人に飯を食わせてやってくれ」
そう言って、知らない人にご飯を食べさせ、何日間か寝泊まりさせたり、
「婆さん、これ、公園のそばの道ばたに座りこんどる人がおるから持ってってくれ」
いくばくかのお金を包んで、物乞いをしている人に持って行かせたり。
祖母は、店をやりながら、そういうことまでやらされていました。
でも、家の中で男は基本的には祖父ひとり。母は5人姉妹の5番目で、わたしが一番下の男の子の孫だったので、祖父は特別、わたしのことを可愛がってくれました。
わたしは、学校が終わるとまっすぐ自宅へは帰らず、必ず、お茶屋さんへ寄って、40円もらって貸本屋へ走る。漫画のコミック本1冊借りてきて、忙しく立ち働く祖母や母、大勢のおばちゃんたちの間を抜けて、奥の居間で晩酌をしながらテレビの相撲や時代劇を観ている祖父の横に座る。
マンガ本を読み終わると、それを見計らったように祖父が私に話しかけるのです。
「宏、女は強いの〜」
「そう?」
「そうよ〜。ばあちゃん見てみい。強かろうが」
「俺にはようわからん」
「この世で一番強いのは女やけの。よう覚えとき」
「そうなん?じいちゃん、女ばっかりに囲まれて怖いん?」
「怖かないけど、たまに怒られるぞ」
「じいちゃん、酒ばっかり飲みようけやろ?タバコもやめんし」
「それくらい許してくれ。わしの一番のたのしみやけの〜」
「でも、じいちゃん毎日、楽しそうやん」
「男は、女の手のひらで転がされとるときが一番楽しいんじゃ」
「そうなん?」
「そりゃそうやろ。そんな楽なことありゃせん。女は強い女がええぞ〜」
そんなことを二人で話していると、大広間の方からどっかのおばさんが、
「ヒロシくん、今日もなんかやってや〜」
と、わたしにリクエストがかかり、
「ほれ、宏、行って来い」
と、祖父に言われ、
「仕方ないな〜」
と、わたしは言いながら、大広間にいる大勢のおばさん練習の前で山本リンダの『狙い撃ち』を振り付きで歌う。(もしくは、ちあきなおみの『喝采』か、尾崎紀世彦の『また会う日まで」が十八番でした)
やんややんやの喝采。
そんな子ども時代を過ごしたのです。
祖父は、長い闘病の末に祖母が亡くなると、
「わしも早く婆さんところに行きたいの〜」
その言葉が口癖となり、早朝毎日10キロ歩いて、超がつくほどの健康爺さんだったのに、ちょうど1年後、母の付き添いで定期検診に訪れた病院の待合で、心臓麻痺を起こし、そのまま亡くなりました。
母曰く、
「先生の話によると、相当胸が痛かったはずなのに、じいちゃん笑顔で亡くなっとった。よっぽどばあちゃんところに行きたかったんやね〜」
結局、祖父は、最後の最後まで祖母の手のひらで転がされていたのです。
だから、幸せのうちに人生を終えることができた。
わたしの根っこには、祖父母の生き様があります。
だから、ブレないでここまでやってこれたのかなと。
女性は、もっと強くあるべきです。
てか、
もともと強い。
もっとそこを肯定していい。
自己肯定ですね。
わたしとのコミュニケーションで、本来の強さを取り戻すのです。
それが、元気のない男たちを元気にする、唯一の方法なのですから。
いつも最後まで読んでくださってありがとうございます。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
心の冷えとりコーチングについてはこちらもご覧くださいませ。
風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。