風宏の心の冷えとりコーチング PR

風宏の「心の冷えとり」コーチング7現状を変えるヒント

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本気で自分の心の内を打ち明けられる人がいますか?

若い頃にはたくさんいた友人も、歳を取るにつれて、介護や病気で人のことどころではなくなって、そんな大変な友人に自分の悩みを打ち明けづらくなってしまいました。

近しい人に悩みを打ち明けると、いろいろな感情があって、かえって傷つくこともあります。

そんな時、私はコーチングに出会い、今までできなかった自己開示ができるようになったんです。

他人に本当の気持ちなんて打ち明けられない。

そんなふうに思うかもしれませんが、コーチとクライアントは信頼関係に基づき、一緒に歩んでいくのでお互いに成長できるということがわかりました。

今日の記事は、自分をさらけ出すことがなぜ大切なことなのかについて、感情を表に出せなかった私が出せるように変化したことをお伝えしたいと思います。

目標そのものが持てない社会

 

「新しい目標を持つこと自体が難しいのではありませんか?」

どうですか?

 

今、問題になっている保育園不足問題について考えてみたいと思います。

 

待機児童を抱えるお母さんにとっての当面の目標は、

「子供が入れる保育園を見つけること」

です。わたしも都心部に住んでいますので、周りを見回せば、そんなお母さんばかりです。

今や、女性の社会進出を阻む大問題です。

正直のところ、政府もどこから手をつけていいのやら、さっぱりわかってないのではなかろうか?と、思うのです。

そもそも保育園を必要とするご家庭の抱える事情には、実に様々な理由がありますが、共通しているのは、

”母親の職場復帰”

です。

 

「母親となって初めて働く」

これは、女性にとって新しいチャレンジです。

そのためには、保育園は必要不可欠です。

しかし、子供が保育園に通えないとなると、その新しいチャレンジを断たれることになる。

探そうにも保育園がないということになれば、

「働きたいという目標を持つことすらできない」現実に直面することになるのです。

 

「保育園が足りない」

この状態が常識となってしまっている日本で、

「結婚後も仕事を続けていきたい」と考える、これから婚期を迎える女性たちは、果たして、

「子供が欲しい」

と、心から純粋に願うことができるでしょうか?

「子供は欲しいけど、保育園がないから、子供はどうする?つくる?やめる?」

子供を欲しいと願う夫婦がこのような会話を普通に行っている社会が、果たして健全と言えるのか?

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政治は、ようやく重い腰をあげました。

と、いうか、重い腰を上げざるをえなかった。

それは、

「保育園落ちた日本 死ね」

この言葉が社会に強烈なインパクトを与えたからです。

多くのお母さんたちが、この言葉に触発され、”一斉に”立ち上がりました。

と、同時に、

「言葉が汚い」とか、「書いた人間は名乗るべきだ」とか、この言葉に対する批判もたくさん噴出しました。

 

賛同する声が上がれば上がるほど、批判する声も増えるものです。

プラスが増えれば、同じだけマイナスも増えていきます。

その分だけ”声”も大きくなり、メディアも大きく捉え議論の場も増え、大きな社会現象となっていったのです。

だから、政府は動かざるをえなかった。

数年前から、

「保育園を増やして欲しい」

という声は、いたるところで上がっていました。しかし、その声を政府は無視し続けた。(正確には後回しなんでしょうけど)

お母さん一人一人が、何年も前から悲鳴や怒声を何度もあげていました。それでも、政府は無視し続けたのです。(粛々とやっていましたよと、言うのでしょうが)

だから、

「日本死ね」

この言葉のインパクトは凄まじかった。

日本が死んだら、自分が死ぬんです。愛する子供も死んでしまう。でも、言わないわけにはいかなかった。みんなに振り向いてもらうために。肉を切らせて骨を断ったのです。捨て身の直訴です。

だから、同じ問題を抱えたお母さんたちが、

「よく言ってくれた!」

と、一斉に賛同し、立ち上がった。

 

決してきれいな言葉ではないけれど、

あの言葉に心を動かされ、行動を促されたお母さんがたくさんいたことは紛れもない事実なのです。

 

あの言葉は、多くの人に行動を促した。

 

では、なぜ、多くのお母さんが、あの言葉に行動を促されたのでしょう?

 

大切なのは、ここなのです。

 

私が思うに、

あの言葉に本気を感じたからではないでしょうか。

 

皆さんは、どう思われましたか?

なぜ、私は、動くことができたのか?

そして、実際に動いてみてどうだったのか?

 

後悔したのか?

それとも、

「動いてよかった」

と、思えたのか?

 

動いたことによって、自分の中の何が変わったのか?

 

持てなかった目標を持てるようになったのか?

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ただ黙っていても、待っていても、何も起きない

政府は、問題解決のための第一弾として、保育士さんの2パーセント賃上げ(1万2000円前後)の方針を打ち出しました。

とはいえ、それでも、保育士さんの平均月収は20万前後です。

公立の保育園でも、保育士さんは早い時には7時前に登園します。園を出るのは夜の8時過ぎることもある。無認可の保育園だと深夜営業も珍しくありません。

小さな子供たちの命を預かる重圧と日々戦いながら、一日12時間以上もの過酷労働に対する対価がひと月20万円。

これが多いか少ないか、価値観には個人差があるので一概には申し上げられませんが、都心部の場合、賃貸マンションを借りて暮らすにはギリギリの数字だと思います。

小さな幼児が相手なので、当然、アクシデント、トラブルも頻発します。だから、保育士さんは保育園の近くに住みたい。近くにマンションを借りて通勤時間を少しでも短くしたい。誰もがそう思っていますが、都心部の保育園だと、それすらできないのです。

わたしの娘が通っていたのは都内の公立保育園でしたが、通勤時間が1時間以内という保育士さんはほとんどいませんでした。独身の方は、ほとんど皆さん実家から通っておられました。

保育園を増やす前に保育士さんが足りないという状況で、仮に保育士さんになっても、こんな環境で、こんな待遇で、果たしてこれから、どうやって、

「保育士さんを目指したい」

と、いう若者を増やせるのか?

政府はまだ、彼らの善意にすがるつもりなのでしょうか?

わずか2%の賃上げで本当に希望者が増えると思っているのでしょうか?

政治家の皆さんはひと月20万円で、生活したことがあるのでしょうか?

 

保育園増設も急務です。

そのためには、用地取得が不可欠です。

用地取得のためには、地域の環境整備が不可欠です。

環境整備のためには、地域住民の理解が必要です。

地域住民の理解を得るためには、長い時間をかけて住民説明会等を開いて相互理解が必要不可欠になります。

 

わたしの娘の通っていた保育園も、住宅街の中にあり、近隣住民との騒音トラブルは日常茶飯事でした。

「せめて土日は静かにしてほしい」

と、いう住民からの要望で、運動会は平日に行われていました。

ということは、

運動会に両親が来られないという子供たちがたくさんいます。(平日は保育園に預ける親は働いているからです)お昼ご飯は、いつものように教室内で給食を食べる子供がたくさんいました。

親が見に来られない運動会が、子供にとって楽しい思い出になると思いますか?

その子たちにとっては、保育園の運動会は、かえって悲しい出来事として記憶されるのです。

その事実を地域住民に伝えたところで、平日開催は覆りません。

じゃあ、地域住民は心のない冷たい人たちばかりだと思いますか?

いいえ、皆さん、子供を見れば話しかけてくれて、見慣れぬ人や挙動不審者が保育園の周りを歩いていたら、すぐに保育園に教えてくれます。定期的にパトロールもしてくれます。優しい人たちばかりです。

でも、年にたった一日だけの運動会でも、日曜開催を認めてはくれないのです。

 

個人対個人でも、交渉や折衝にはものすごい時間と労力がかかります。

仮に今後、政府が保育園増園に力を注いでも、待機児童ゼロが実現するにはまだまだ長い時間がかかるでしょう。

その間に、子供はどんどん成長します。時間は待ってはくれません。

待機児童を抱えるお母さんの気持ちばかりが焦る。

でも、解決の糸口が全く見えてこない。

前に進みたくても進めない。

やりたいことがあってもできない。

結果、

「目標を持つことすら難しい」

この状況は変わらないでしょう。

待機児童のお母さんだけでなく、同じような境遇に苦しんでおられるお母さん、女性の方はたくさんいます。

だからと言って、

ただ黙っていても、何かが起きるのを待っていても、何も変わらないのです。

政府が動き出したのは、お母さんたちが束になって、かさにかかって動いたから、ようやく重い腰を上げたのです。

あのブログの言葉を機に立ち上がったお母さんがたくさんいたように、何かのきっかけさえあれば、人間は立ち上がることができるのです。

 

待機児童のお母さんは、子供と一緒の時間は、

「子育てしかできないお母さん」

ではありません。

子供に身体を奪われても、家事に時間を奪われても、「私には何かできる」のです。

その何かに気づくことさえできれば、きっと新しい道が開けるのです。

 

では、その何かに、どうやったら気付けるのでしょうか?

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自分の真実を見せられる相手、いますか?

 

みなさんは、今まで生きてきて、誰かに本気の声をあげたことがありますか?

皆さん、今まで生きてきて、誰かに本気の涙を見せたことがありますか?

つまり、

自分の本気を共有できる相手がいますか?

 

別の言い方をすれば、

自分の真実を見せられる相手、いますか?

 

 

「保育園を増やせ!」

と、国会前で声をあげたお母さんたちは、本気の声をあげていました。同じ気持ちを抱いて、同じように声をあげて、同じ本気度で。そういう人同士が出会うと、ものすごい力が湧いてきます。

学校の部活でも同じような経験をしたと思います。

一人では不可能なことも、同じような気持ちを抱いた仲間が集まれば、ものすごい力を発揮する、あれです。

その瞬間、一人一人の力も、自分が思っている以上の力を発揮しています。力が同調し合うと、もともと自分の中にあった秘めたる力が出てくるのです。開かずの扉が開いたかのように。

つまり、子供と一緒に家の中に閉じこもって一人だけで考えていては、気持ちが煮詰まってしまう。

言葉も誰にも届きません。

外に出て、本気を共有出来る相手を探すのです。

そして、声を上げるのです。

辛い声を。助けを求める声を。本気の声を。

その声が同調し合うと、思いがけない化学反応が起きます。

そこに先の見えない現状を変える大きなヒントが隠されているのです。

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コーチとクライアントの関係

コーチとクライアントの関係もそれと同じです。

コーチと信頼関係が築き上げられると、その瞬間から、自分の中からものすごい力が湧いて出てくる感触を実感できるのです。

 

 

私は人前で泣くことのできない人間です。

正直、わたしは、人前に自分の無様な姿をさらしたくないのです。

ずっとそう思って生きてきました。今でもそうです。

だから、悲しいことが起きると、悲しければ悲しいほど、人前では、その気持ちを悟られまいと、明るく振舞って生きてきました。

頭にきた時、悔しい時、ちょっとした悲しい出来事があった時は、素直に自分の感情を表に出せるのです。と、いうか、勝手に表に出てしまうことの方が多いかもしれません。

それは誰しもそうだと思うのです。

自分の親や友達や恋人など、自分のことをよく知っていて、自分が素直になれる人の前では正直な自分の気持ちが出てきますよね。

そう。「出す」のではなく、「出てくる」んですよね。

でもそれも、自分で「これくらいだったら見られてもいい(悟られてもいい)」範囲です。

やっぱり、どうしても人には見せられない、超えられない壁があります。

「心のテリトリー」みたいなものでしょうか。

私の場合は、泣く姿を見られるのがどうしても嫌なのです。とっても。

映画やドキュメンタリーを観て思わず涙を流す。そういった姿を見られるのは全然大丈夫なんです。

ただ、「本気の涙」を人に見られるのだけはものすごく嫌なんですよね。

なぜかと言うと、涙と一緒に心や体の毒が全部、ドロドロと出てきてしまうので、顔の全てにわたしの隠しきれない真実の全てが溢れ出てしまうからです。

つまり、その時のわたしは丸裸なわけです。しかも、心臓の部分がパカンッと観音開きに開いて、ハートにこびりついた汚れまでが見えてしまっているわけです。

それはとても恥ずかしい。

 

そんな私でも、2度だけ、人前で本気の涙を流したことがあります。

1度は祖母を亡くした時です。大学2年生だった私は、一人暮らしをしていたアパートに何日も帰らず、祖母の死の知らせに気づきませんでした。

すでに、葬儀も終え、荼毘に付されたのちに知り、実家に帰り、祖母の墓前に座りました。その瞬間から2時間、涙が止まらなくなり、祖父や例の母の5人姉妹が見ている前で延々と泣き続けたのです。嗚咽の声を漏らし、鼻水も垂れ流したまま、泣き崩れて立ち上がれないほど泣き尽くしました。

でも、一旦、泣き止むと、ものすごく気持ちが晴れ晴れとした感じになりました。なんだろう?この気持ち。

新しく生まれ変わったような、細胞の一つ一つが綺麗に磨かれたようなピカピカした感覚。

生まれて初めて自分が人前で心の全てをさらけ出せたという感覚を味わったのです。

次にその瞬間が訪れたのは、数年前のことです。あることで(ごめんなさい。内容については書けません)、奥さんの前で私は同じように泣き崩れました。奥さんも私の涙を、この時初めて見たのです。結婚して10年以上経っていましたが、わたしは、初めて奥さんに本気の本当の自分をさらけ出せた感じがしたのです。

この二つを経験してから、わたしの中で不思議な感覚が芽生えるようになりました。

人と話をしていて、相手の人に対して、

「この人は、私に対して本気をさらけ出して話をしてくれている」

そう感じた瞬間、祖母の墓前と奥さんの前で泣き崩れた時の、あの感覚が全身を包み込むようになったのです。

体の奥というか、細胞の一つ一つが、感動で身震いするような感じなのです。

そして、わたしも全身全霊で、相手のことに耳を傾けるようになりました。気が付いたら、そういう姿勢で聴けるようになっていたのです。

わたしのコーチと話をしていても、全く同じでした。コーチが自分のことを話し始めると、わたしの細胞がブルブルと震えだすのです。その瞬間に、

「コーチは、わたしなんかのために本気になってくれている」

コーチの本気に触れた喜びと、わたしの本気をぶつけられる喜びに全身が身震いするのです。

だって、私にコーチがついてくれている限り、私は何の迷いもなく、思った通りの道を進んでいくことができるのですから。

 

残念ながら、奥さんや両親や友人の前だと、このような感覚はなかなか訪れません。

慣れ親しんだ関係だと、かえって本気の部分は出しづらいものです。ついついはぐらかしたり、笑顔でごまかしたり、甘えたり。緊張状態になるのを事前に回避する習慣がついてしまっているのです。

お互いの本気度を計れる関係というのは、

信頼関係の中にも、ある程度の緊張感を必要とします。

 

コーチとクライアントの関係というのは、最初の出会いから、「お互いの真実を見せ合う」という前提があります。

仮に、友人にコーチを頼んでも、コーチングの間は友達であっては意味がありません。

コーチとクライアントの関係は、

「クライアントの目標に向かって一緒に進んでいける関係」

 

この部分に、特化しています。

そのために、

コーチは、クライアントに自分の本気を晒し(自己開示)、クライアントの信頼を得ることによって、クライアントの本気を引き出す(クライアントの自己開示)のです。

お互いの細胞の一つ一つが震えるようなワクワク感や前に進みたくて仕方がなくなるようなドキドキ感を抱くことができるようになるのです。

それは、待機児童を抱えるお母さんであっても例外ではありません。

あれだけ痛い思いをして我が子を生んだのです。

母は強い。

赤ん坊を抱えたまま、できることはたくさんあります。

そのことをあなたはすでに知っています。

「それでいいんです。そのまま進んでも大丈夫」

その不安を取り除き、一緒に前に進むのがコーチの仕事なのです。

(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)

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風宏(Kaze Hiroshi)
この記事を書いている人

風 宏(Kaze Hiroshi)

 風宏

心の冷えとりコーチ

冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。