アクシデントやトラブルといったマイナス要因をきっかけとして、お金に対する考え方を変えるのも一つの方法であるということを書いてきました。
そして、お金は、
「人を幸せにできる人のところに集まってくる」ということも。
その哲学を起点として、「与える」という意識を持ってお金を使ってお金をスムーズに回していけば、お金は自然とたくさん集まってくるということも。
では、また、わたしのお金遍歴から気づいたことを今回も書いていきたいと思います。
貯金できなかった私が500円玉貯金を始めたこと
1995年以降、文字どおり収入はうなぎのぼりでした。
とはいうものの、わたしは若かった。あの頃のわたしは、寄付をして自分の中のバランスを取ることを心がけていたとはいえ、
「人様のために使う」
「人を幸せにできる人のところにお金が集まる」
なんて感覚は、まだ、これっぽっちもありません。
わたしは、元来、「宵越しの金は持たねえ!」タイプだったので、飲めや歌えや踊れやホイホイお金を使っていました。
それに対し、茜さんは、何一つ文句を言いません。
そもそも、結婚していたとはいえ、財布は全く別でした。彼女は全く物欲も食欲もない人だったので(冷えとりブログでは、「若い頃は食べまくっていた」と書いてますが、わたしに言わせれば、全然食べてない)、趣味の読書も図書館で借りた本を読んでるし、何よりも仕事が大好きなのでお金を使うヒマがない。
それにしても、湯水のようにお金を使うわたしに茜さんが何も言わないので、ふと不安がよぎったのです。
茜さんも止めてくれないし、自分のブレーキが全く効かないのもどうだかな〜。
「お金、少しは貯めた方が良くない?」
わたしがそう提案すると、
「やっと気がついた?遅いよ!」
茜さんがそう答えます。
「やっぱり? よし!貯めるぞ!」
そこから始めたことは、500円玉貯金でした。
500円玉貯金は、財テク名人の先輩ライターからの助言でした。
「貯金するには目的が必要なんだよ。目的がない貯金は貯まらない。必ず挫折する。でも、500円玉貯金は目的がなくても確実に貯められる。500円玉を貯金箱に入れる。この動きを習慣化すればいいだけだから。毎日、とにかく500円玉1個を貯金箱に入れる。必ず毎日。そうすると、1年で、182.500円。ここから始めれば、貯金ってすごく簡単だってことに気づくんだよ」
彼は1日500円がどんどんエスカレートして、貯金できるお金を全て500円玉に変えて、500円玉貯金にして、それで高級車を現金で買ったのです。
「よし、それだ!」
わたしもすぐに真似をしました。毎日500円。でも、それだけじゃなんだかつまらない。お金を努力して貯めているという実感がない。
当時、ゴルフにはまり始めた私を向かいに来てくれていた友人は外車のトランクにクラブセットを積んでいました。それがむちゃくちゃかっこいい。さっきの財テク名人の先輩の話も耳に残っていました。
「よし、俺もだ!毎日500円玉貯金なら俺だってできる。だったら、500円玉貯金で俺も外車を買うぞ!」
誰もが達成できないと思った500円玉貯金を達成する宣言をした!
「よし、500円玉貯金で3年間で450万円貯めるぞ!」
友人知人に宣言しました。予想どおり、皆は、「そんなのできるはずないじゃん」
そう言います。それが狙いでした。誰も、私がそれだけのお金を貯められるなんて思ってもいない。
「よ〜し、燃えてきた〜!絶対に貯めてやる!」
ついでに、もっと何かやって友人を驚かしてやろう。
なぜか、そう思ってしまい、思い始めたら止まらなくなりました。そこで、私が選んだのが、フルマラソンでした。
「450万円貯めるためには馬車馬のように働きかなくてはならない。そのためには体力をつけなくてはならない。よし、走ろう。走るためには目標設定しなきゃな。う〜ん、マラソン。うん、フルマラソン。決めた!」
そして、
「1年後、フルマラソンを完走する。42.195キロだから、目標タイムは4時間20分。4時間20分以内に走る!」
そう周囲に宣言したのです。
「はあ?この仕事をしながら?毎日徹夜してるのに?1年間で150万円を貯金しながら1年後フルマラソン?おまえ言ってることむちゃくちゃだよ。無理無理」
その時、
「風だったらできるかも」
と、言ってくれた同僚は一人だけでした。残り10人以上は全員「無理」。
「みんなできないと思ってる。よしよし!やってやろうじゃねえか!」
わたしはどちらもこの時点でものすごく自信がありました。
なぜなら、誰もわたしの言葉を信じていないので、プレッシャーが全くかからない。できなくて当たり前。
反対に、できたら、みんなの評価はうなぎ上りです。
こんな美味しい約束はありません。
貯めてるなんてこれっぽっちも思ってない→使ってる風貯金
みんなにはわかってないことがあります。
みんなは、わたしのことを、
「今までドブに捨てるようにお金を使ってた人間が貯金なんてできるわけがない」
そう思っていました。
確かに言っていることは事実です。わたしは貯金が苦手。しかし、わたしがやろうとしていることは貯金ですが貯金ではありませんでした。外車を買うという目的があります。つまり、
貯金をしようとしていたのではなくて、外車を買おうとしていたのです。
1年間で貯める150万円は外車代として使っているのです。
だから、他のことには使えない。
わたしはそう自分に思い込ませて、毎月10〜20万円分の500円玉を口座に預金していました。
要するに、先に車を購入して、ローンを支払うのではなく、先にローンを払う。完済してから車を手に入れる。
順番を入れ替えただけです。
お金を口座に入れたら、
「あ〜あ、今月は20万円も使っちゃった〜。もう、すっからかんだ〜」
そう口に出していました。だから、
「お金を使いたい」
と、いう欲は十分満たされていたのです。
使ってる風貯金です。
使うお金がないから、お酒を飲む量も減りました。その分、夜がヒマになりました。だから、毎晩毎晩、ただ走り続けました。夜、お酒を飲まないから、朝も元気。だから、朝も走る。夜10キロ。朝10キロ。それを毎日。
1年後、わたしは河口湖マラソンを完走しました。タイムは4時間20分。嘘のような本当の話。
450万円は3年かかりませんでした。2年間で貯めました。そして、即金で外車を購入したのです。
その時には、別に誰も驚きませんでした。そして、誰もが、
「風だったらあれくらいできるよ」
そう言いました。その2年間の間に、わたしがその事実にふさわしい人間に成長していたからです。お酒を減らし、朝夜走る。休日も仕事を入れる。出張先でもわたしだけお酒を飲まず、走る。仕事も必ず期待以上の結果を出す。その過程を周りはずっと見ていたからです。
そうすると、誰も私の変化を変化とも思わなくなります。
わたしの周りにいる人間も同じだけ成長しているからです。
そもそも、わたしは同僚の500円玉貯金に触発されて450万円貯めました。ゴルフクラブを外車のトランクに入れて颯爽(さっそう)と迎えに来る同僚に触発されて2年間でお金を貯めました。そのためにたくさん働いたし、結果を残しました。その間、フルマラソンにも挑戦しました。
私が彼らに触発されたように、私の周りの人たちも私に触発されたのです。
人と人がこのようにお互いを刺激し合い、お互いが上を向くと、そのスピードは2倍とまではいかなくても、少なくても1.5倍くらいにはなります。
お金を手に入れるのも、同じことです。
お金持ちが近くにいると、それだけで、その人のお金に対する哲学に触れ、触発されて、自分自身もお金持ちと同じような気持ちになれます。
そうすると、あとは何も考えなくても、お金は勝手についてきてくれるようになるのです。
願ったら忘れる
さてさて、「450万円貯めて外車を買う」という目標を達成した私は、次の目標を立てる必要がありました。
なぜなら、外車を買ったことによって、ゴルフ熱に拍車がかかり、ほぼ毎日練習場に通い、毎週末ごとにコースに出るという生活になったからです。
また、お金がポンポン出て行きます。
「ダメだな〜。こんな生活してたんじゃ生活続かないな〜」
さて、どうするか?
そして、ふと、思い出したのです。19歳の時、受験で初上京したあの時の目標を。
一つが、役者か映画監督になって有名になること。でも、これはすぐに挫折しました。
そして、もう一つが、新幹線を東京駅で降りて山手線で新宿駅に着いた時に西口高層ビルを見上げて思ったこと。それは、
「せっかく東京に出てきたんだ。東京に出てきなら、東京に家を買うぞ!どうせなら、いいところがいい。よし、新宿高層ビルの見える山手線の内側に家を買う!決めた!」
何度も申し上げますが、当時世はバブル。山手線の内側なんて、小さな一戸建てでも2億、3億した時代です。もちろん、田舎者には夢のまた夢の話。
でも、思うのは自由。夢や目標を抱くのは、わたしの自由です。
頭の中は生涯、自由なのですから。
そして、思いきり頭の中で、願ってイメージしたら忘れる。
悩んだら行動!
その当時、わたしたち夫婦は練馬に住んでいました。一番近い山手線の池袋駅まで、たったの20分。
「よし、じゃあ、とりあえず、家は買えないから、山手線の内側にマンション借りるか!外車に乗ってゴルフに行って山手線の内側に住んでって、これ、どう考えてもセレブじゃないか!よし!セレブになるぞ!」
当時、池袋近辺での山手線内側の2LDKの新築マンションの家賃がほぼ15万〜でした。目標設定としては申し分ない。
「高級賃貸マンションのために毎月15万円貯める」「旅行のために1日500円玉貯金を継続する」
これが、新しい目標になりました。
その間、山手線内側の賃貸マンションの広告に目を光らせ、広いリビングでゆったりとくつろぐ私たちの姿をイメージし続けました。
1999年12月。二人が「これいいね」という物件がようやく見つかりました。しかし、家賃は20万円で、部屋は抽選で倍率は11倍。
「どうせ、当たらないよね。当たってもこんなに高いマンションに住めないよね」
わたしがそう言うと、
「でも、当たったら『住みなさい』ってことだよね。当たったのに住まなかったら外れた人に申し訳ないよ。だから当たったら住むよ」
「家賃20万円だよ。払えるかな〜」
「払えなくなったらその時考えようよ。人間、上を見なきゃ。自分たちの能力以上のことをやらないと成長できないよ」
お金のことになると、どこまでもポジティブな茜さん。
結果、当選。
駐車場も当たり。駐車場代3万円。家賃と合わせて23万円。練馬のマンションは3DKで12万円。駐車場代1万円。だったので9万円出費が増える。
ただ練馬時代は外車代だった15万円プラス13万円の出費だったのが、外車代15万円が丸々浮くのでなんとかなります。
「お金なんてどうにかなるさ!悩むより行動しろ!」
住む場所変われば気が変わる
引っ越しました。駅から徒歩3分。会社からも歩いて30分。
引越しからわずか1カ月後、あれだけ努力してお金を貯めて買った外車を売り、同時にゴルフをピタッと止めました。
生活が便利になり、車の必要性を全く感じなくなってしまったのです。
あえて必要だとすればゴルフの時だけでした。でも、週一のゴルフのためだけの外車の維持費は馬鹿になりません。
だったら、ゴルフも一緒に辞めてしまおう。当時、私の平均スコアは95。もう一踏ん張りで90を切るというところまで来ていたので続けたい気持ちもありましたが、不思議なものです。
住む場所が変わると、なんとなく価値観も変わってきたのです。
以前のマンションでは、どこに行くにも車でした。家を出るとまず車。それが当たり前でした。毎日、帰宅が深夜になるので、車での出勤が当たり前になっていたのです。遊びはゴルフで、ゴルフ練習場へ車で行き、休日は埼玉や千葉や茨城に車で向かいます。
しかし、新しいマンションでは、会社から歩いて帰ることができるので、まず通勤に使わない。仕事は会社の車に乗れば事足ります。休日は、散歩。遠出も駅が近いので電車が苦にならない。
今まで、
都心から遠い=家賃安い=不便=車(お金かかる)=ゴルフ=遊びもお金かかる
だったのが、
都心から近い=家賃高い=便利=車いらない(お金かからない)=ゴルフいらない=遊びもお金かからない
トータル
都心から遠い=都心に近い
と、なり、結果、どっちが便利?
都心から遠い < 都心に近い
と、なり、
どっちが経済的?
都心から遠い < 都心が近い
と、いう驚くべき結果となったのでありました。
でも、これは、あくまでわたしと奥さんの生活パターンの場合ですが。
「勇気を出して行動してみれば、大抵、結果、いい方に転がるもんなんだよ」
これも奥さんの名言。
すんなり行きそうだな〜。そう思ったら足元をすくわれる。それもまた人生。
引っ越しによって、わたしたち夫婦のあらゆる価値観が変わりました。奥さんは長年勤めていた美術館を辞めました。
「少しのんびり過ごしたい」
その分、家計の収入は減りますが、
「なんとかなるか。なんともならなくなったら考えよう」
相変わらず、楽観的でした。車とゴルフをやめた分、私の出費はかなり減りました。二人で過ごす時間が増え、散歩をしたり、電車に乗って1日日帰り旅行のようなことを楽しめるようになっていました。
つまり、日々の生活での出費が極端に減っていたのです。
わたしの仕事は相変わらず順調でした。
とはいうものの、世紀末にIT革命が起きて、出版界は大打撃を被っていました。雑誌の売上も右肩下がり。わたしたちの原稿料も近いうちに下げられるだろうという噂が案がれ始めていました。
すげーアクシデント!すげーリスク!は、生まれ変わるチャンス!脳腫瘍になる
2001年6月。
脳腫瘍が見つかり、すぐに開頭手術をするということになりました。
21世紀の幕開けとなったその年は、順調な滑り出しでした。その年は、イチローと新庄剛志がメジャーデビューした年で、わたしは1月は、1週間、新庄剛志のハワイ自主トレ、3月には2週間ニューヨークメッツのフロリダキャンプを取材していました。
本当に充実した日々で、自分の新しい可能性を感じたりもしていました。
しかし、帰国後、すぐに体調の異変を感じ、頭痛と顔面麻痺に悩まされるようになります。
7月1日から長期休業を余儀なくされ、医者からは手術が成功しても、
「車の運転、文章を書くのは不可能」
と、言われました。腫瘍摘出時に、「識字能力」を司る神経を傷つける可能性が高く、仮に腫瘍を全て取り除いても、
「字を読んだり、書いたりすることが極めて困難になる可能性が高い。残念ですが覚悟してください」
と、言われたのです。
「命は助かるのですか?」
「腫瘍の大きさが3センチとかなり大きいのですぐに取り出さないと危険ですが、取り出せば、良性腫瘍なので完治します。ただし、障害は残ります」
「つまり、術後は、今のような仕事はできなくなるということですね?」
「極めてその可能性が高いということです」
普通だったら、そこで落ち込んだり、嘆き悲しむのだろうな〜。
と、思っていましたが、なんなんでしょうね〜あれ。
今でも不思議に思うのですが、あまりにショックが大きいと、感情がどこかに吹っ飛んでしまうというか、悲しくもなければ怖くもない。ただただ単純に、
「術後の俺って、どんな人間になってるんだろう?天才になってたりして。だったら、天才になってるって思い込むとするか。何をどう考えたってなるようにしかならないんだし」
本当に、ただただ淡々とそう思っていました。
茜さんや両親はたまらなかったと思います。
「どうやってこの人を慰めよう…」
でも、わたしは、本当に、何とも思わなかったのです。
「へ〜、生きてりゃこんな経験できるんだ。ある意味、生まれ変わるチャンスだな〜」
と。ちょっとワクワクしてる感じ。ネガティブどころか、むしろポジティブ。
脳腫瘍の影響で頭がおかしくなっていたのかもしれませんね。
続きは、「脳腫瘍で死にかけた私のお金人生観」心の冷えとりコーチング5をご覧くださいませ。
(執筆者:心の冷えとりコーチ 風宏)
風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。