母と息子の絆は強い。嫁姑問題はそこから始まります。それをさらに悪化させるのは、嫁にも母にもいい顔をしていたい息子である夫の見て見ぬふりかもしれません。今日の記事は、自戒をこめて、九州男児の家に育った私と結婚した関東の妻の嫁姑問題を例に嫁姑問題を考えてみたいと思います。
嫁姑問題の真実は、見えないほうがいい
「嫁と姑は仲が良い」
そんな現実が、果たしてこの世の中にあるのだろうか?
う〜ん。わたしは正直、そんな現実を見たことがない。
そもそも、他人にはわかりません。
「あそこの奥さんとおばあちゃん、本当に仲がいいのよ」
そう聞かされても、そんなの、お互いに大人なんだから、仲の悪い姿をご近所さんに見せるはずがない。
「うちの奥さんと母親は本当に仲がいいんだよ」
「うちの妻とお嫁さんは本当の親子みたいでね〜」
下手すると、夫や舅さえずーっと騙されていたりする。
結婚して20年経って、年老いた親と同居を余儀なくされて初めて、奥さんや母親から真実を聞かされて、
「今さらカミングアウトされてもな〜。うまくやっているもんだと思ってたよ」
なんてことも、少なくありません。
そこに気づかされると、そこから、母、息子、嫁の不幸が始まるといっても過言ではありません。
真実をカミングアウトした瞬間に、うまいバランスで保たれていた緊張の均衡が破れ、溜まりに溜まっていたものが一気に氾濫を起こすのです。
それを止める術は誰も持ち合わせていない。
仮に、その時期が、結婚してすぐに訪れた場合でも、変わりません。
積もり積もったものはまだ少なくても、まるでマグマのように、地底からどんどん湧き出てくるのです。とめどなく永遠に。
だったら、「嫁姑」さんにはお互い我慢できるところまで我慢していただいて、「もう無理」と、なったところから宣戦布告していただいたほうが、まだ、一族としての不幸の時間は少なくなるというもの。
だって、この問題。
解決方法は、
許しあう。認めあう。理解しあう。尊重しあう。干渉しない。
という言葉で柔らかく表現されてはいるけれど、総称して、
我慢
しか、ありませんもの。
嫁姑問題は未知との遭遇
はい、そうです。我が家の場合です。
……。
はい、では、書きます。奥さんも母も読むでしょうが、書きます。
ええい!もう、どうにでもなれ!です。
どちらの側にも寄り添うことなく、クールに、ドライに平等に。
結婚して、3ヶ月が経ちました。
夏休み、九州で、父の親族にわたしたち夫婦をお披露目する食事会が開かれることになりました。
奥さんは、このとき初めて、わたしの実家に泊まります。そのときの話です。
その前に、
それまで、九州で暮らす両親が奥さんに会ったのは、3度だけでした。
まだわたしたちが学生のころ、女友だちと九州に遊びに来た奥さんがわたしの実家に挨拶に来たのが最初。このときは、まだ結婚するかどうかなんてレベルではありませんから、母も、
「挨拶のできるきちんとした、いいお嬢さんね〜」
なんて、奥さん本人には当たり障りのないことを申しておりました。とはいえ、
「宏、彼女ができたらちゃんと紹介してよ」
なんていつも言っていたくせに、実際に紹介すると、わたしには、
「今の女の子って普通に彼氏の家に『わたしが彼女です』って顔して来れるんやね。東京の人は感覚が違うね〜。進んどるね」
と、感心してるのか、愚痴ってるのか、よくわからない感想を漏らしていたので、
「紹介しろって言うから紹介したのに…。なんかトゲがあるな〜」
とは、少なからず感じてはおりました。
2度目は、結婚が決まって、東京での家族同士の食事会。
「ああ、あのときの彼女と結婚するんやろうな〜とは思っとったよ。わたし、あんたのこと、なんでもわかるけね〜」
出ました。さっそくのライバル視。わたしのほうがあんな女よりあんたのことをよく知ってるんだからねアピールです。ま、そりゃそうです。母親ですもん。19年間実家で暮らしてたんだから、このとき奥さんとは付き合って4年。同棲もしてないし、母のほうがよりわたしのこと知ってるでしょう。まあ、このとき母はまだ50代前半だし、トゲトゲしい感じもわかるっちゃーわかります。
食事会は、お互いの両親、兄弟、姉妹も同席しますから、母と奥さんが、直接タイマンで接触する機会はほとんどありませんでした。それ以前に、ズボラなわたしの兄が遅刻するやら足が異常に臭いやらで、兄のあまりの無作法ぶりにわたしも両親もそっちのほうが気になって仕方ないやら。
一方の奥さんのほうも、酒癖の悪い父親が遅刻してくるやら、お酒が入ったら案の定、大声を出したり、「もう一軒行こう後輩!」と、たまたま同じ大学で同じ学部だった足の臭い兄を呼び捨てにして誘ったりして、まあ、しっちゃかめっちゃかな食事会となったのです。
そんなことだから、母が奥さんの実家に対して抱いた印象はいいはずがない。
「あの家はちょっと、変わっとうね」
奥さんのわたしの実家に対する印象もいいはずがない。
「あなたのお兄さんあれなに?ご両親もなんで平気なの?うまくやれる自信ないわ」
お互いからそう言われても、わたしになにができるやら。
わたしはただただ貝になるだけ。
来たるべきその日が、来ないといいな〜。と、願うのみ。
そして、3度目は結婚式。
まあ、そこはね、
「お母さん、これからいろんなことを教えてください。よろしくお願いします」
「茜さん、こちらこそよろしくね。宏がいろいろ迷惑かけると思うけど頼むわね。わからないことがあったらなんでも聞いてちょうだい。お互い助け合いましょうね」
「お母さん!ありがとうございます!そう言っていただけるとうれしいです。わたし、本音で語り合えるお母さんみたいな人でよかった!」
「あたしも!茜さんみたいなはっきり言ってくれる人でよかった!」
…なんてね。
ありましたね。そんなシーン。
奥さんが、本当に言いたいことをズバズバ言う人なんて、思ってなかったんでしょうね、うちの母は。思ってもいないことを言っちゃあダメですよ。
うちの奥さんも、すぐ、人を信じちゃうんでね。本音で語り合える嫁姑の関係って…。もし、本当にそうなっちゃったら、それもう、戦争ですよ。
本音で語りあえないから、人間関係が良好に保たれる。
それも嫁姑なんですけどね。
いきなり嫁姑問題のトラップ
そして、問題のシーン。
最初のミスコミュニケーションは、奥さんが、初めてわたしの実家に泊まった初日の朝に起きました。
その前日の夜、奥さんは、初めて我が家のルールを知ります。
我が家のルールその1。
キッチンに母親以外の人が立ち入ってはならない。理由。他の人に汚されたくないから。
その2。
お風呂は、母親が一番最後に入る。理由。洗濯物をしながらお風呂掃除をするから。
その3。
母親が早朝に起きて、すごい時間をかけてトイレ掃除をする。
そうです。わたしの母は、キッチンの汚れとお風呂場の汚れだけが許せない潔癖症だったのです。部屋のホコリや湿った布団は気にならないのに、その2点だけはものすごく潔癖なのです。それに比べ、トイレ掃除は朝の習慣みたいなものです。
まあ、そこも、奥さんには、
「なんでそこだけ?他は汚れているのに???」
なのでしょうが、長い時間を共に過ごしてきたわたしや父や兄にとってはそれが普通。
我が家の常識、世間の非常識
ってやつです。
業に入ったら業に従えって言われても、なかなか従えないやつです。
だから、母としても、
「茜さんには理解してもらえないだろうから」
と奥さんに自分でそう伝えました。
「いえ、でも、洗い物くらいはわたしにやらせてください」
奥さんも言葉で、そう抵抗します。でも、わたしも母の性格をよく知っているので、
「いいのいいの。やらせておけば。キッチン汚すと返って面倒臭いし」
晩御飯のあと、洗い物を始めた母を手持ち無沙汰に見ていた奥さんが、
「お母さん、わたしが拭きますから」
そう言っても、
「いいのよ。テレビでも見てて」
そう言います。
そして、お風呂にも入り、寝る前にくつろいでいるときも、母はずっとなにかをしています。床の拭き掃除をしたり、我々の布団を敷いたり、とにかく、じっとしてない。
「わたしにもなにかお手伝いします」
そう言っても、
「いいのいいの。初めての場所で疲れてるだろうし、気疲れもしているだろうから、のんびりしてて」
「はあ…でも…」
そして、我が家のルールその4。
母は、朝5時に起きる。理由は、トイレ掃除と職場の遠い父の朝食、弁当を作るのに全力を注ぐため。
「だから、茜さんは寝ていてね。起きてもやることないから、全然起きなくていいからね。本当に気を使わないでね。わたしもほら、こういう性格だから。自分のペースでやりたいから」
「起きないほうがいいっておっしゃるなら、そうさせていただきますけど…。わたしなら全然大丈夫です。疲れてませんから」
「いいのいいの。大丈夫、。ありがとう。ゆっくりしてて」
とはいえ、奥さんは、気が気ではありません。
「やっぱり、明日の朝、あたしも起きたほうがいいよね」
寝る直前、奥さんはわたしに聞いてきましたが、わたしはのんきに、
「でも、起きてきて邪魔だと思わらたら面倒臭いよ。寝てろって言ってんだから寝てていいんじゃない?」
そう言います。そう言うしかないですから。
そして、翌朝、目が覚めると7時を過ぎていました。奥さんも一緒に目が覚めました。
「やばい。寝坊しちゃった」
「やっぱり疲れてたんだよ」
とりあえず、わたしが先に部屋を出て、リンビングへ。父の姿はすでになく、母は、キッチン仕事をしていました。
「おはよう」
「おはよう。茜さんは?」
「いま、起きたよ。もうすぐしたら来るよ」
「あの人、ホントに起きんかったね」
「……?」
「ねっ。起きんかったね〜」
そう言って、まるでわたしと意見を共有しているかのような笑みを浮かべています。
「えっ?どういうこと?」
「いやあ、本当に起きんかったって思ってね。いまの若い人は起きんでええよって言ったら起きんのやね。あの人だけやろか」
「そりゃ、起きんのやない?起きんでええて言ったんやから」
「そりゃあ起きんでええって言うよ。でも、普通は起きるやろ。びっくりしたぁ。本当に起きんのやあの人て思った。大したもんやね〜。フフフッ」
「それ、どういう笑い?どういう意味なん?」
「どういう意味もこういう意味もそのまんまよ。は〜、大したもんだ」
「……」
嫁姑問題は二枚舌、三枚舌かもしれない
奥さんが起きないことに、母は怒っているのか、感心しているのか、なんで笑っているのか、それってどういう心理状況なのか、わたしにはさっぱりわかりませんでした。
奥さんが、もうすぐリビングにやってくるので、それ以上突っ込んだ話もできません。
それこそ、どんな顔をして奥さんを迎えたらいいのか、もうパニックです。母は、そう言ったきり、シレーッとした表情で動き回っています。
おいおい、母は、起きてきた奥さんに何て言うつもりなんだ?
「おはようございます。寝坊してしまってすみません」
「おはよう。よく眠れました?」
「はい。なんかものすごくよく眠れちゃって。ホントにすみません」
「なんで?どうして謝るの?いいのよ。ゆっくりしてくれれば。これから朝ご飯つくるからゆっくりしててね」
「あ、はい。ありがとうございます」
母は、わたしに目配せするわけでも、バツが悪そうにするわけでもない。淡々と、自然にスラスラと美しい朝のBGMのような爽やかな笑みを浮かべて、奥さんと話している。
なんだこれ?なんかのテスト?
わたしがさっきの話を奥さんに言うわけがないとタカをくくっているのか?
もちろん、わたしはこの件を奥さんに伝えることなどできませんけど。
「はあ?」
と、なるのわかってるし。
「でも……。お皿とか、どれを使えばいいですか?」
食器棚を開けようとすると、
「いいからいいから。わたしがやるから。ねっ。テレビでも見てて」
慌てて走ってきて、静止します。
朝ご飯を食べ終わり、母は掃除機をかけ、庭を掃き、家の前を掃き、ご近所さんに挨拶をして、そのついでにご近所さんと立ち話。
その間、奥さんはボーッと新聞を読む。
「ねえ、わたし、どうすればいい?なんにもできないだけど。気疲ればっかりで間が持たない」
「まあ、気にしなくていいよ。だって、母からやってって、言われたことしかできないよね。なんにもやるなって言うんだからなにもやれないよ」
「だからってボーッとしてるわけにはいかないし」
「それもそうだね…」
この間にも、母は、いったいなにを考えているのだろう?ああ言いつつ、奥さんを観察して採点しているのかもしれないな……。
そういうことを感じていても、わたしにできることはなにもありません。
わたしたちは散歩に出かけました。といっても、典型的な寂れた地方都市の住宅街。どこまで歩いても、ただただ古い家並みが続き、商店街に入っても人の姿はほとんどなく、シャッター通りと化してます。
「今は、こんな状態でも、かつてはこの街にも活気があってね」
「ふ〜ん」
そんな話をしても、現実はうら寂しい錆びれた街。
奥さんの実家は東京近郊の錆びれた街でした。彼女は、大学時代、その錆びれた街から最寄りの駅までシャッター通りと化した商店街の中を20分近くかけて歩き、東京まで1時間半もかけて毎日通学していました。そのシャッター通りでひったくりにあったこともあります。後ろをつけられたこともあります。
だから、早く東京に出たくて仕方がありませんでした。
「錆びれた街はきらい」
わたしの実家のある街は、そんな奥さんの実家の街と同じような景色です。
「この街、好きになれないな……」
なにその、この先を暗示するようなセリフ……。
正直、わたしもこの街が好きではありませんでした。
夜は決まって暴走族のバイク音が鳴り響き、コンビニ前にはうんこ座りするヤンキーがたむろし、ゲーセンに行けば、50%以上の確率でカツアゲされる(わたしは高校時代、予備校時代あわせて3回カツアゲされました)。街で目と目があえば、必ずインネンをつけられる(わたしは高校時代、5、6人のヤンキーに目があったというだけで囲まれて棒で滅多打ちにされたこともありますよ。よく死ななかったな〜)。
だから、早く、この街を出たかった。
でも、ある意味、よそ者である奥さんにそう言われると、なんだかちょっと腹がたつような感じもあったりして。プラス、わたしの実家に文句をつけられているような気持ちもして…。
嫁姑問題で簡単に寝返るわたし
正直、このときのわたしは、まだ、奥さんに対して、
「夫の実家で我慢するのが奥さんの仕事だからね」
そういう思いがあったと思います。
姑 > 嫁
これが一番無難だと。
それは、わたしを中心として、母と奥さんを比べた場合。
母は、わたしに対して、絶対的に服従なわけです。わたしの言うことに反対することはありません。
それに対し、
奥さんは、違うとなったら反対します。
若いわたしにとって、どちらのほうが心地良いか?
母のほうがわたしを心地よくしてくれるのです。
そりゃそうです。
結婚してしまえば、わたしと奥さんは毎日顔をあわせています。
実家には滅多に帰りません。わたしが実家に帰れば、母はうれしくて仕方がない。だから、奥さんが、
「お母さん聞いてください。宏さん、ひどいんですよ」
そう訴えても、母は、
「でも、それはね〜。茜さんが我慢しないとね〜。男ってそういうもんだから」
そう言う。それに対してわたしが、
「ほらほら〜。俺のほうが正しいじゃん!」
母を味方にして奥さんを攻める。
まあ、冗談っぽくではあるのですが、どうしても、そういうシチュエーションにやたらとなってしまう。
それも、母の作戦だったのかもしれません。だって、母だって昔から優しいだけの人だったわけではありません。わたしが実家住まいのときは、ことあるごとにキーッキーッ猿のように歯をむき出しにしていました。
それが、結婚したとたん、優しくなったんです。
わたしも若かった。奥さんを悪者に仕立て上げたほうが、ことが丸く収まる。
奥さんさえ、我慢すればいいじゃん。
それくらい、軽〜く考えていました。
はい。わかっております。批判は甘んじて受けます。
そして、「嫁姑」問題は、嫁と姑だけの問題ではおきません。主人公二人だけでは物語は進んではいきません。舅や小姑、そして、地域性など、多くの名バイプレイヤーが登場するのも忘れてはいけません。
(執筆:心の冷えとりコーチ 風宏)
このお話は続きます。
風 宏(Kaze Hiroshi)
心の冷えとりコーチ
冷えとり歴13年目。靴下6枚ばき、半身浴20分。最近お酒がやめられるように変化した2015年2月4日より、女性のための問題を解決するブログを開始。2016年9月GCS認定プロフェショナルコーチ資格取得。女性のための心の冷えとりコーチング講座も開催。